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作品名:お岩さん 作者:じゅんしろう

第3回   3
しかし、やはり口惜しい。
 「どうして伊右衛門が、いえ、伊右衛門殿が浄土に居られるのです」と、幽霊になって伊右衛門に取り付いたときの様な恨めしげな目で、親鸞を下から見た。
 これには親鸞も一瞬たじろいだが、こほん、とひとつ空咳をし、自説を説きはじめた。
 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をばや、とみどもは考えているのです」と、親鸞はうやうやしく他力本願の真髄を語った。自力で本願往生(阿弥陀如来の誓願に救われて極楽に往生すること)を達成することは不可能なのに、なまじ善人面をしている善人は、自力本願ができるのではないかと心のうちに傲慢さがでる。したがって本願が欠けるものになる。悪人は、阿弥陀如来にたのみ任せきるしかないので、ひたすら願う。また、阿弥陀如来の本願を超える悪はありませぬ、だからであります、と、親鸞はお岩に噛んで含むように諭した。
 だが、お岩には親鸞の理屈が納得できない。
 「では、いったい地獄にはどのような悪人が落ちるのです?親鸞様のお言葉では、悪いことは何もしなくても、わずかに驕っただけの中途半端な善人が落ちていくことがあるようにも思われますが。悪人が善人に対して悪事を働いても、悪人は救われ、善人は救われないのでしょうか」と、問いただす。
 こんどは、親鸞が虚をつかれたのかたじろぎ、言葉に詰まった。が、お岩はそのようなこむずかしい理屈よりも目の前の二人が憎らしい。仏茶の効用が薄れだしたようだ。
 「伊右衛門殿とお梅がここで仲睦まじくしているのはどうしたことか。ここで夫婦にでもなるつもりか。いえ、そのようなことが極楽浄土で許されるのですか。口惜しい」と、またふつふつと湧きあがってくるくる嫉妬の激情を抑えかね、たたみかけて抗議してくるのをさいわいに、親鸞は理屈のほころびには答えず、話をそちらにもっていった。
 こほん、とまたひとつ空咳をすると、「いまのお岩のように偶然、伊右衛門とお梅が再会したのじゃ。で、お梅が娑婆のころのことを思い出し熱くなりおってな、どうしても隣り合わせの蓮華にしてくれと拙僧に泣きついてきたのじゃ」と、親鸞も少々弱った様子。口には出さぬが、女の情念のまえでは極楽浄土もなにもあったものではないのう、と考えていた。だがそれ以上に、お岩の誰が地獄に落ちるのです、という言葉が心に波紋のように広がってきた。
 そう、誰が地獄に落ちていくのであろうか、と心のなかで呟いた。
 −わが師法然様をひたすら信じ、違えたとしても、そのため地獄に落ちても構わぬ、と考えていたが、本当に誰が落ちていくのであろうか。 愕然たる思いであった。
 親鸞は睨みあう二人の女の前で腕組みをし、思案げに目を瞑った。


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