「何を言うの。何も知らない私を伊右衛門様に切り殺させ、私の幸せを奪ったではないか。お前こそ地獄に落ちやれ」と、お梅も新婚初夜をめちゃくちゃにされたことを思い出し、青筋を立てて金切り声をあげ罵った。こんどはお岩がたじろいたが、「泥棒猫みたいに、人の夫に横恋慕したくせに小娘が」と負けてはいない。お岩はまた呪い殺したくなったが、そうはいかない。三人ともすでに仏の身であり、呪いが掛からぬのである。 「お前のために娑婆での出世を潰された。いまさら悋気を起こすな」と、伊右衛門はにやにやして右手で顎をさすった。 「口惜しい」とお岩は身を震わせ、思いつく限りの罵詈雑言を二人に浴びせた。お梅も負けずに応酬する。二人はいまにも掴みかからんばかりだ。その二人を伊右衛門はにやにやしながら面白そうに洞ヶ峠を決め込んでいた。 もはや極楽浄土の光景ではなかった。憎悪と嫉妬で荒れ狂い、地獄さながらの絵図である。行きかうほかの仏たちも何ごとかと立ち止り、いつの間にか大勢の仏垣ができていた。ここでも刺激的で珍しい光景には物見高い。 そのうちに騒ぎを聞きつけて、ここの御殿の主が現れた。娑婆では、親鸞聖人といわれていた人だ。野次馬の仏たちもうやうやしくお辞儀をする。 じつは極楽浄土は娑婆の感覚でいえば果てしなく広い。さらには大変な仏の数である。仏になったからといって、悟りきれていえるとはいえない。何かのときに、人間のときのような地が出ることがある。したがって阿弥陀如来はそれぞれの地区において、こういうときのために、いわば世話係のようなものを任命していたのだ。 親鸞は、ほかの大勢の仏たちを解散させ、お岩たちを御殿に招き入れた。 華やかな応接間に三人を招き入れると、親鸞の世話をしている仏女に命じて仏茶をださせた。仏女とは、若くして亡くなった、美しく清らかな乙女が選ばれてなる。普通、一般の仏たちはなにも飲食することなく過ごしているのだが、ここでは飲食も思いのままである。 お岩も、親鸞に勧められるままに一口飲むと、まあ、美味しいと、感嘆の声をあげた。なんともいわれぬ、ほんのりと甘く喉越しのよい、娑婆では絶対に味わえぬ美味しさだったのである。 「落ち着かれたかな」と親鸞は諭すように言うと、お岩も、はい、と小さくうなずいた。一口飲んだだけで、不思議と燃えさかる憎悪と嫉妬の炎が、すうーつというように静まっていったのだ。どうやら、このお茶は鎮静剤の効用もあるらしい。
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