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作品名:寓話 三凶神 作者:じゅんしろう

第13回   13
初めのうちこそ家族団欒、みんなにこにこで善かったのであるが、そのうち弊害がでてきた。二百歳になってもぴんぴん元気溌剌な為、家の実権を離さず、子や孫はもとより、曾孫、玄孫、その下まで皆さん部屋住みや脛齧りという有り様。ちかごろ、百歳をとっくに過ぎた爺さん婆さんが好きあい、世を儚んで心中することも出来ないから、手に手を取って駆け落ちということが大流行。そのとき、家の実権を握っている長老たちは、[ふん、ちかごろの若い者は]が決まり台詞。
 世の中の生業も様変わりしている。病気にもならず死にもしない為、医者や坊主はとつくに皆さん廃業である。どうやっても貧乏にならないから、遊興や趣味三昧という人がやたら多くなり、その種の店などが大繁盛である。そのような風潮を嘆く人もいるが、その当人も読書三昧、晴読雨読で家でごろごろしていた。
 ときの幕府といえば、将軍も老中も事情は下々と同じ為どうにもならない。
 しかし、そのうちこの様になったのは、貧乏神、疫病神、死に神が居なくなった為ではないかと誰かが言いだし、そういえば、その昔浅草寺で不思議なことが有り、どうやら極楽浄土に行ったらしい、という話が広まった。そこで代替わりを狙う人々は結託し、三凶神を祭る神社を造り、帰ってきてもらおうではないか、ということになった。金は有り余っているから、適当な場所に、忽ちのうちに三凶神を祭る大きくて立派な神社を造りあげた。専任の怪しげな巫女を何処からか連れてきて、一刻も早く三凶神が娑婆に戻ってきてくれるようにと、連日連夜、盛んに祈祷させている。
くだんの七福神はとっくに人々に忘れ去られていた。いまでは、まだ信心がかろうじて残っている、田舎の朽ちかけた小さな神社で細々と新年を迎える有り様だ。往年の栄華は見る影も無い。正月に集まると、福禄寿や寿老人などは、こんなことになるならあの時、一度だけなら三凶神を宝船に乗せてやってもよかったのに、などと学者あがりにありがちな愚痴を言い、横目で毘沙門天を盗み見る。ほかの神様も一緒に戦ったというのに取り成すものも無い。可哀相に毘沙門天は針の筵で、大きな身体を小さくして畏まっている、という次第だ。


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