ところが、ご馳走もたまにだからご馳走で、連日ともなるともはやご馳走ではない。或る夜、三凶神はたまりかねたようにお茶漬けを所望し、さらさらとかき込み、ああ、美味かった、という始末、なにごとも程々がいいようだ。 朝は打ち揃って散策をするが、それも飽きてきた。毎日が休日で、することが無いというのも困ったものである。極楽浄土の住人は、みなさん仏様であるから、金もいらず、病気にもならず、ましてやもう死ぬこともない。三凶神の仕事の場が無いのである。 数多の仏様たちも、はじめのころは人間だったときのことを思い出し、恐れもし気味悪がったが、もうそのようなことと無縁だということに気がつくと、すれ違っても挨拶もせず無視するようになった。三凶神もそれにたいして腹が立ったが、どうすることもできない。かれらの神の力が全然通用しないのである。 無視されるということは辛いもので、三凶神はだんだん憂鬱になってきた。 「なあ、どうする。いつまでもここに居るわけにもいかぬだろう」と、貧乏神はふっくらとしてきた頬をさすりながら、情けなさそうに言った。 「うむ、そうだなあ、死に神はどう思う」と、出てきた腹を擦りながら疫病神が死に神に振った。 「どう思うと言ったって、宝船のことはどうするのだよ」と、体型こそ変わらないが、あの不気味な目が優しくなって、死に神は自分でも感じているのだろう、気にするように伏せ目がちに言った。 「もう宝船のことはいいよ、おらは娑婆に帰りたい」と、貧乏神がたまりかねたように言うと、「おいらもそうだ」と、疫病神は待っていたように賛同した。と、「そうするか」と嬉しそうに死に神も言った。三凶神は皆同じ思いのようだった。思わずお互いを見会い、照れ笑いをした。それには、以前のあの不気味さは無かった。 三凶神が散策しながら相談していた同じころ、お釈迦様の御殿に来訪者があった。極楽浄土の主、阿弥陀如来である。
|
|