実家は田舎の古い家だった。 周りは田んぼと雑木林と山ばかりで、秋には夕暮れにトンボが飛んでいて、冬には雪が草木を埋め、春は桜が舞いおちるだけだった。 茅葺の屋根は夏の照りつけるような日差しに溶けてしまいそうだった。 山間の故郷には人も家も少なかったし、バスは二時間に一本だった。動物がよく稲穂を刈り取った跡をうろついていて、私はいつもその跡を追っていた。 姉といっしょに、雑木林を走っていた気がする。 ――アレはナニ? あの日、私がいつものように雑木林で姉と一緒に遊んでいると、指をさした闇の奥からあるものが顔を出してきた。 父だった。 手にはお面があって、だらりと紐が垂れて地面の落ち葉を掠めていた。 クシャリクシャリと落ち葉を踏む音が近づいてきて、私の頭をそっと撫でて、すぐに雑木林を出て行った。 その背中はとても大きかった。 光を掻きわけ、家に帰るその姿は、父とは思えないほどに大きくて、私は姉になだめられるままに泣いた。 泣いて、泣いて、泣いた。 夕焼けが落ち葉を紅に染めるまで私は泣きべそをかいて雑木林の中で体を丸めていた。 ――アレはナニ? 私はもう一度あの大きな背中について、姉に尋ねた。 姉は「父」と答えてくれた。 だが、当時の私には、あの背中は大きな鬼のように見えた。 今でも思い出せる、やせぽっちでひょろりとした父は、あんなに大きな肩をしていなかったし、いつも部屋にこもりがちのあの人は、食事の場にも出てこないほどだった。 そもそも笑いかけた事なんて、一度もなかった。 アレは誰? 疑問符を浮かべ、微かな恐怖を覚えながら私は姉と一緒の布団の中に体を丸め震えが収まるのをそっと待つ。 暗闇の中目を閉じれば、今でも思い出すのは、父の笑顔。うっすらと淀んだ両の目。 そして、手に持っていた木のお面。 そして――
次に起きると、天井が真っ赤に染まっていた。 襖と障子は赤くただれ落ちて、外の暗闇が仄かに紅く照らされている。 畳は溶けおちていき、すぐ傍までぬめるような無数の手が紅く揺らめきながら這い寄るのが見えた。 その炎は見惚れるくらいに綺麗で、そして美しかった。 その後、私は引っ張られるままに置き上がり、姉に連れられるままに外に出て、付近に集まる野次馬に埋もれた。 そして、徐に姉と共に後ろを振り返ると、そこには炎に沈む民家があった。 まるで宴会でもしてるかのように紅蓮はカッカと燃え盛り、風に吹かれ狂ったように踊っていた。 まるで何かを祝うように、炎は狂い裂いていた。
父とは最期まで会う事はなかった。 まるで神隠しにあったかのように、姿はなく、その人と思える僅かな影が、焼跡の地面にくっきりと映っていた。 そして、母の頭はなかった。 胴は綺麗なまま焼け跡から見つかっていて、頭部だけは、お面を付けられ、裏山の雑木林の奥深くに隠す様に埋められていた。 私たちがよく遊んでいたあの闇の奥にそっと隠していた。 そして、そのお面は鬼を形どったような、奇妙な面だった。 くぼんだ眼の奥に、母の眼球が張り付く。 まるで何かを訴えるかのように、くすんだ眼が私たちを見つめる。
あれから二十年が経った。 叔母夫婦に引き取られた私は、立派なひきこもりになり、職を探して従妹にケツを引っ叩かれる毎日。 姉は結婚をし、今では二人の子供を産んで幸せな生活を送っているそうだ。 もう、あの日の出来事は風化し始めていた頃だった。 ある日だった ――配達元は、私の実家の住所だった。 不意に叔母の家に荷物が来て、ギョッとしながらも恐る恐る中をあけると、そこには発泡スチロールに挟まれたお面があった。 お面は、血のように紅く染め上げられていた。 手に取ると、僅かに滑る。 まるで、今しがた塗り終えたかのように、鮮やかなほどに紅く。 ――アレはナニ? 従妹が指をさして不思議そうに尋ねる。 封をしていたはずの思い出がフッと蘇って、私の中でまた手招きを始めた。トントンと私の肩を叩き始めた。 眼の奥が痛む。 ズキズキと痛くて目を閉じると鬱蒼とした山の麓の雑木林の向こう、闇の奥でまた何かが顔を出している気がした。 肩幅の広い、大きな背中をした何かが。 私を、呼んでいる気がした。
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