――翌日。 「……わあ!」 佐織はその壮大な光景に思わず感嘆の声を上げた。
ここは雪族の村の中でも、もっとも聖域と呼ばれる場所。 雪姫がペットを生み出した場所でもあり、また雪姫が雪族の頂点に君臨するための儀式を行ったのもこの場所である。 この四面は、かつての女王の魂が封印されている場所だ。 封印、と言われれば聞こえは悪いが、ようは役目を終えた雪族の女王が、肉体を失いこの場所を拠り所として暮らしているのだ。 その四面は深い雪の壁で覆われ、空がとても小さく映るのみ。 それでも理解不可能な淡い光で覆われた壁は、雪の表面に七色の光をたたえていた。
雪姫は、佐織に雪族の力を与えるために、ここにやってきた。 ――人間が雪族の力を手に入れられるのか? 単純に答えるならイエスである。 ただし、あくまでも『わずか』。 人間と雪族の壁を越えられるというわけではない。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
突然、四面の壁が大きく震える。 思わずびくっと体を硬くする佐織の肩に手を置いて、雪姫はにっこり微笑んだ。
――オオオオオオオオオオン!!
叫びのような震えはまだ続いている。 その先に向かって、雪姫は静かに傅(かしず)いた。 慌てて佐織もそれに習う。
『……人間を、この、領域に、入れるとは、何の、つもりだ、雪姫?』
途切れ途切れに聞こえるのは、怨嗟の声。 怒っているのだ。この領域の、主が。
雪姫は静かに顔を上げた。 その雪姫の表情に、佐織はハッとする。 いつもの無邪気な雪姫ではない、長としての雪姫だった。
「恐れながら、歴代の女王よ。我ら雪族がここを訪れるのは決まって儀式の」 『黙れ! 痴れ物が!!』 雪姫の声を遮って、怒りの声が辺りの空気すら震わす。 『貴様は、聖なる、雪族、の、力を、人間、ごとき、に与える、つもりか!!』 佐織の表情が強張る。 ――これは、かつての雪の女王たちだ。 佐織も雪姫から、かつての雪族の話は聞いていた。 聞いてはいたが――雪姫とのあまりの差に嫌悪感すら覚える。 自分たちの種族の絶対的崇拝。神という名の堕ちたものたち。
――雪姫はまっすぐ前を見つめたまま、言葉を紡ぐ。
「人間が、我々なくしては生きることが出来ない、弱い種族であることは重々承知しております。しかし、我々もまた、人間なくしてどうして生きられましょうか?」 膨らむ怒りの感情にも流されず、ただ淡々と語る。
「創造主は我々を秤の上に乗せた。火の神、氷の神。それは秤のバランスを崩し崩壊へ導けという創造主の意思でしょうか――否」 雪姫が掌を天にかざす。そこに見えるのは――赤い、光? 佐織はそのことに疑問を抱くが、深く考える前に、雪姫から言葉が紡がれる。
「全てのものは天秤にかけられている。しかしそれは危ういバランスを保ちつつも、我らが平等であることを示す、創造主の教えのように私は考えています」 雪姫が指を鳴らす。 途端、そこに現れたのは――『火』。
「私は……一度、禁忌を犯しました……」 雪族に決して使えるはずのない――火。 「……私は、弱い……とても弱い神です……」 それでも、瞳に宿る力は何者にも負けてはいないと、佐織にはそう思えた。 「私は。同じ天秤の上に乗る者と共に生きるための力を貸してあげたい。そしてあなたたちが人間を塵芥とお考えなら、その哀れな塵に力を与えるくらいの慈悲があってもよいはず」
…………………………。
しばらく、雪姫と四面の間に、にらみ合いにも等しい静寂が訪れる。 ――そして。
『我らを脅迫するつもりか、雪姫よ?』 答えははっきりとした声で返ってきた。 「はい」 にっこりと答えた雪姫に、その声は絶句する。 そして、その一瞬後。 『はははははははは! 相変わらずだ、雪姫……ア……テン、ュ……サ……ザザザザ……ナニ……エ…………』
「な、何!?」 いきなり混線したような声の変化に驚く佐織。 それを雪姫は手で制し、 「心配ないわ。他の女王の魂が混乱しているだけよ」 そう言って笑った。
「では、前女王よ。ここの力、また少し頂いていきます。……お元気で。というのも変ですかね?」 途端、四面の壁の光がゆっくり収束し、雪姫の掌に集まった。
「……行くわよ、佐織」 「は、はいっ!!」 その光を手に踵を返した雪姫を、慌てて佐織は追いかけた。
後には、暗い四面の静寂――そして。
『我を殺した姫よ。我がその心臓を手に入れるまで、あがいてみせるがよい』 静かな女王の声が、誰もいない四面に木霊した。
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