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作品名:雪姫―乾山佐織編― 作者:激辛の人

最終回   娘と呼んでいいですか
 ――戦いから一週間が経った。

 戦いの後、戦闘の混乱を修復するために、雪姫だけでなく村の人々も、今までで一番忙しい日々を過ごした。
 ただ、先代女王――雪姫の母の統率を失った四面がちょっかいをかけてくることはなく、そのおかげで、何とか雪族が通常の生活に戻るところまで状況を回復させることができた。

 ――その間に雪姫は一つの決断をすることになる。

「今はまだ沈黙を保っているけど、そのうちまた四面の活動は活発化するだろうな」
 ペットの言葉に、雪姫は空を仰ぐ。
 ――そう。
 あの時、雪姫が歴代で初めて放ったあの術。
 『破法の三』の上を行くあの術。
 あれは、火王の結界に守られた宮殿すらも、たやすく大破させた。
 それは、今まで邪魔な存在でしかなかった雪姫が、四面にとって取り込むべき力の対象になったことを意味していた。
 ――何故か?
 それは、火の一族と氷の一族との力のバランスを崩してしまうほどの力を、雪姫が生み出したから。
 ――だから。

「貴女には明日、人間界に戻ってもらいます、佐織」
 そう冷たく、雪姫は告げた。
 佐織は雪姫にとって、今現在最大の弱点である。
 これから、ずっと佐織を危険な目にあわせないためには――もう手放すしか手はなかった。
 ――かつての娘のように。
「ま、待ってください、雪姫!……私は」
「一人で生活できるだけの資金は用意します」
 佐織の言葉を遮って、雪姫は淡々と語る。
 その瞳に、いつも見たあの優しい光は見えなかった。
 それだけで。
 それだけなのに、まるで本当に昔話の中に出てくる恐ろしい雪女と対峙しているような気分にさせられる。
「――では佐織、明日までに貴女は自分の身支度をなさい」
 そう言って、有無を言わさず立ち去る雪姫に、佐織はただ立ち尽くすしかなかった。


 夜の闇が、雪族の村を支配する。
 その中で、雪姫は一人夢を見た。
 小さい頃、母を追いかけて追いかけて、手を伸ばした。
 その手は決してぬくもりを感じることはなかったけれど。
 それでも、いつか手を重ね合わせるときがくるのだと。
『常に危険があるかもしれないが、それでも一緒に行こう』
 そう言ってもらえることを夢見ていた。

 ――今。
 自分は同じ仕打ちを佐織にしている。
 自分が味わったのと同じ悲しみを味あわせている。

 ――罪、なのだと、そう思った。

 気がつくと、柔らかな日差しが、窓の外から差し込んでいた。
 朝の喧騒とも少し違う、そんなざわめきが、村全体に広がっているのを雪姫は感じた。
 ――そう。
 佐織が今日、下界に帰るのだ。
 村の皆に全てを任せて、雪姫は見送りにも行かず、ただ部屋に篭っていた。
 佐織には、仕事があるから、と理由をつけて。

 ――本当は駆け出したかった。
 でもそれをすると、手の中に閉じ込めて二度と離さないかもしれない、そんな恐怖が雪姫にはあった。
 だから、ただ雪姫は自分の腕を掴んで、血がにじむまで力を込めた。
 この心を、一生背負って生きていかなければならないのだと、そう思っていた。

「……雪姫」
 唐突に後ろからかけられた声に驚いて、雪姫が振り向く。
 いつの間にか、ペットが雪姫の部屋に入ってきていた。
 それに全く気がつかなかった。それほど自分が動揺しているのだと、雪姫は自分で驚いた。

「本当に、これでいいと思っているのか?」
 そうペットが問いかける。
 雪姫にその答えは出ない。ただ目をそらすだけ。
 ――わかっている。
 これでいいなんてわけがないのだ、ということを。
「どうしろっていうの、私に」
 半ばはき捨てるように雪姫が呟く。
「雪族でもないあの子を、これ以上巻き込んで苦しめて――それであの子に何が残るの?」
 それは、むしろペットに向けたものではなく、自問しているのだと、容易に感じることが出来る、そんな呟き。
 そんな雪姫を見て、思わずペットがため息を漏らす。
 ――そういうところ、昔っからちっとも変わってないんだな、と。

「……ぬくもりが残るだろ」

 だからこそ、何度でも言わなければならない。
 この自己犠牲が過ぎる姫様に。

「お前が手に入れたくて欲した、ぬくもりと笑顔が残るだろ」

 もう一度。
 噛み砕いて。

 雪姫が顔を上げる。
 戸惑いを見せているその表情にもう一度。

「不安ならお前がもっと強くなって守れよ、雪姫」

 その言葉に、雪姫の瞳が大きく見開いた。

 ――本当に。
 これだけの博識で分別もある姫が、こんな単純な答えも一人で出せないのだ。
 笑えてくるほど、純情だった。
 見開いた瞳が、少しずつ光を取り戻す。

 駆け出す雪姫を、やれやれといった風にため息をつきながら、ペットが見送っていた。


               * * * * * * * *


 晴れやかな山を、一人降りる。
 佐織にとっては、この山を一人で歩くのはこれで二度目。
 一度目は、雪族の村に足を踏み込んだあの時。
 暗く心に闇がのしかかり、今にもつぶれそうだった、あの時。

 ――今は。
 ただ、悲しかった。
 雪姫に冷たく追い払われたこと、ではない。
 雪姫を支える存在になれなかったのだという思いに。
「……これから、どうしよう……」
 誰にともなく、呟いてみる。
「……私は……私には何も出来ないし残ってないのね……」
 そう言って、涙を堪えるかのように空を見上げた。

 ――風が吹く。
 パウダー状になった雪が、盛大に舞い上がった。
 慌てて髪を押さえて縮こまる佐織の耳に――声が、聞こえた。

「たとえ危険な道でも――それでも、一緒に歩いてくれる?」

 いつも聞いた、やさしい声が。

「……………………」
 こみ上げてくる感情に、声が出ない。

 言葉が、風に流れて消え去っていく。
 佐織は、それを追いかけるように、ただ前を見て――

 ただ、流れる声に耳を傾ける。

「……いつか、この戦いを終わらせたら……」

 求めていたものは二人、同じものだった。
 ただ、いつも勇気を出せずにお互い戸惑っていただけ。
 ――景色が歪んだ。

 真っ白な、綺麗な雪の精が舞い降りる。
 そこには、いつもの優しくあたたかな瞳が、ただ佐織の姿を映していた。

 ――声が、流れる。

「あなたを娘と呼んでもいいですか?」

 ――それは、雪姫からの、二度目の問いかけだった。
 一度目は誤魔化しながら言ったその言葉を、今度は真剣な瞳で紡ぐ。

 佐織は、差し伸べられたその手に、今度は戸惑うこともなく自分の手を重ね合わせる。
「……はい、お母さん……」

 瞬間、暖かいものが佐織の頬を伝わった。
 でもそれは、決して悲しいものでなく、むしろ佐織にとってとても心地の良いものだった。
 雪姫も佐織のそんな表情に目を細めて微笑んで、そして佐織を自分の胸の中へと抱きしめる。

 ――今度は、その手が離れることは決してなかった――


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