……この壁を自ら隔てて、幾月が経ったのだろう…… 払っても払っても取り除くことのできない闇が私たちを支配していた。 どんなに笑顔を見せていても。 どんなに仲間が結束していようとも。 どんなに思いあっていても。 それが仮初のものだと示すものは常に私たちの前にあった。 火と氷の一族との隔絶。 それは 永遠に絡み付いて取れぬ、見えない蜘蛛の糸のように……
* * * * * * * *
「破法の二! 霰!!」 雪姫は、結界の外から直に攻撃を叩き込む。 それは、氷の性質を持つ結界だからこそ可能な技術。 しかし、それでも攻撃は攻撃だ。 結界は序々に歪み、その存在を危うくさせていく。
――それでも。 それでも、目の前にあった笑顔を失うことが耐えられなかった。 後ろに背負っているものが、決して小さいものでないとわかっていても。 だから、言ったのだ。
「雪の一族を巻き込んでまで助けるというのか、たかが人間を!?」 その火王の言葉に。 かつて自分と共に戦った時に感じていた一体感。それが失われていたとしても、ただ、真っ直ぐに。 「私は、そこまで出来た長じゃないわ」 長としては、あってはならない甘さだとわかってはいても。 それでも、自分はたった一人のちっぽけな存在を見捨てることは出来ないのだと。
――そして。 雪姫のすぐそばから、一族の力が放たれる。 雪姫の力に沿って、真っ直ぐに。
「――華痢?」 呟いた雪姫にちらりと目をやって、華痢が微笑む。 やがてその力に、ひとつ、またひとつと力が添えられる。 誰一人、雪姫を責めてはいなかった。 そんな甘い姫の我侭に、笑顔で応えてくれていた。
「……みんな……」 その力は雪姫を中心として重なり合い、結界の内側をまぶしく包む。
「変わらないでください、雪姫様」 返ってくるのは、穏やかなやさしい言葉。 「あなたのおかげで、私たちはまともになれた」 一族にあるのは、ただ満たされた笑み。 「あなたが命を賭けたいことなら、俺たちも喜んで賭けますよ」
――ああ、そうか。 雪姫は心の中で呟く。 たとえ私たちの心の中を闇が支配してしまっていても、私が手を離さなければ、いずれ光まで歩いていける。 そんな簡単なことを、今まで理解していなかった。 雪姫から、吐息が漏れる。
『やり直そう、迷いを捨てて』 そう、素直に思えた。 ――結界が音を立てて、割れた。
迷わず雪姫は、火の一族の領域に飛び込んだ。 「みんなはそこにいて、侵入者から村を保守!」 そう命令して、駆けていく。 その横にペットが並ぶ。 「ペット! あんたもみんなと一緒に村にいるのよ!」 一喝する雪姫にも涼しい顔をして(というか表情ないけど) 「やだね」 カルくそういった。 「ペット!」 「雪姫についてこの中に入れるのは僕だけだからね」 雪姫の言葉にもまるで動じず、やはりカルくそう答える。 「忘れてないか? 僕と雪姫は一心同体なんだぞ?」 その言葉に、雪姫は言葉を失う。
求めていたものはすぐ目の前にあった。 全ては失われたと、そう思っていたのは自らの傲慢か。 たとえ最初に一緒に誓った者と共に歩んでいなくても。 ――ちゃんとたどり着いていたのだ、自分は。
雪姫の唇が笑みの形に弧を作る。
「――ペット」 もう自分は迷わないだろう。 「私、火王を――倒すわ」 はっきりとそう言えた。
「そっか」 悲しい決断だったが、不思議と雪姫の心は静かだった。 佐織を助けるために。 火王を救うために。 今を生きるものたちと共にあるために。 苦しみ続けて、皆の心に触れて、ようやく出せた結論だったから。
目の前に、火王の作った結界が見える。 雪姫、そしてペットは冷気を極限に集中させ……、
『破法の三! 死装雹!!』 最上級と謳われる、雪族の攻撃技を放つ。
「――何!?」 心底驚愕の声を上げて、火王が立ち尽くす。 激しい蒸気が立ち上がる音がして、結界が収縮し、曲げられる。 そして、火王がそれに気を取られているうちに、佐織が火王の上を取った。 火王がそれに気がつくと同時に、佐織からの冷気の攻撃が火王を直撃する。
――明らかに死を約束する、雪族最高の殺戮術。 雪姫が他人にこれを使ったのは、生まれて初めてだった。 全てを救うことが出来ないのなら、せめて自分は手を伸ばす。
伸ばした手が、小さな手をしっかりと掴んだ。 そのまま、雪姫はその手を自分の元へと引き寄せる。 目の前に呆けたような、佐織の顔が見えた。 雪姫は笑みを作り、静かに言った。 「お待たせ、佐織」 佐織の顔がくしゃりと歪む。 雪姫は静かに佐織を抱き寄せた。 ――帰ろう。自分たちの世界へ。
殺気のこもった蒸気の中、雪姫は静かに構えを取った。
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