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作品名:STAY WITH ME 作者:nottnghill_ann

最終回   エピローグ



  
   今日は「話せるようになるまで時間をくれ」と言った雄一郎が、横浜のマンシ
  ョンに帰って来る日だった。待ち遠しくもあったが「そこでどんな話を彼がする
  のか」と不安でもあった。でも、もし「やり直したい」と言われたら……迷わず
  「はい」と答えようと決めていた。
   
   そう言われなかったら……自分の気持ちを素直に伝えよう……

  「あなたなしでは生きていけない。立場が変わったっていいの。あなたが、子供
  の事を考えて離婚をして欲しかったらそれに応じる。でも、心の何処かに、私の
  事を思う気持ちを残してくれているのなら……それだけでいいの。だから……い
  つもいてくれなくても……時々、そばにいてくれるだけでいいの……あなたの事
  は許す。真理が愛する人はあなだだけだから」と。
 
 
   午後1時にチェックアウトする、プレミアムクラブ会員の孫暁飛(スン・シャ
  オフェィ)に挨拶をする約束があった真理は、12時少し前に、早目の昼食を取
  りに従業員食堂に向った。

  「ようっ!」と奥の端の席で定食を食べていた村上が、真理を見つけ手をあげた。
  真理は麺コーナーで山菜そばを注文して、トレイを持ち村上の前の席に座った。

  「川村が帰って来るのは今日だったよな」
   村上は周りに聞こえないように小さな声で話しかけた。
 
  「……」
   真理は言葉には出さずにうなづいた。
  
  「お前は素直に自分の気持ちを伝えろよ」


   村上は、二日前の公休日に八ヶ岳を訪れて雄一郎から話を聞いていた。
  久しぶりに会った雄一郎は少し痩せてやつれているように見えたが、どん底から
  這い上がったような凄みがあった。
   そして、身近の人間に起こったフィクションのような信じられない話に、ショ
  ックを受けたが、そのショックはまだ残っていた。

  「起こった事の全てを話して真理に許しを請う。自分にとって、真理はかけがえ
  のない大切な人間だ。社会的に認められていても、家族を、本当に大事な人間を
  守る事すら出来ない俺は最低な屑だ。俺なりの地獄には堕ちて這い上がった。ど
  の位時間がかかるのかは分からないが、真理が許してくれるまで、俺は待つ事に
  する。許してもらえる日が来なかったら、それはそれで『それが俺の人生』だっ
  て覚悟はしている。横浜に帰る。退職も視野に入れて会社には異動願いを出すよ」
  
  「分かった。俺はお前を信じている。真理を幸せにしてやってくれ。そしてお前
  も幸せになれ」
   いつもは多弁な村上も、雄一郎の前ではその事しか言えなかった。


   山菜そばを半分程食べた時、真理の携帯が鳴った。
  「プレミアムデスク」の表示を確認して真理は受話ボタンを押した。
 
  「お疲れさま。川村です」

  「お疲れさまです。早瀬です。支配人、休憩中申し訳ありません。お帰りのご予
  定が早まられたとかで、孫暁飛(スン・シャオフェィ)様がご挨拶をされたい、
  とデスクにお見えになっていらっしゃいますので戻って来て頂けますか?」
  
  「分かりました。すぐに戻るので、ラウンジでお待ち頂くように伝えてね」

  「呼び出しか?」
 
  「孫(スン)さんと1時に約束をしていたんだけど、帰る時間が早まったのです
  って。お先にね」
 
  「そうか……おい、しつこく言うけれど素直になれよ。あのことわざを忘れるな
  よ」
  
  「大丈夫よ」
   真理は村上に笑顔で答え、席を立った。

  「真理!」
   村上が再び声をかけた。
  
  「何?」
   真理は振り向いた。

  「あいつは……川村は……お前なしでは生きていかれないぞ」

   村上の言葉を聞いて、それまでの「ゲストサービス部支配人の川村真理」の顔
  が「川村雄一郎の妻の川村真理」の顔に変わった。


   真理がトレイ返却口にトレイを戻した時に、それまで芸能人のゴシップを伝え
  ていた、テレビのワイドショーの司会者が口調を変え「只今、速報が入りました。
  大きな交通事故が起きた、というニュースが入ってきました」と早口で告げた。
  
  「現場に、当テレビ局の撮影クルーがたまたま居合わせていたようで、そちらの
  画像に切り替えます……現場の小野寺さん、伝えてください」
 
   真理はチラッとテレビを観たが、ラウンジで待っている孫暁飛(スン・シャオ
  フェィ)に挨拶をするため、足早に従業員食堂を後にした。


  「はい、伝えます。山梨県の中央自動車道笹子トンネル手前で大事故が発生しま
  した。追い越し車線から急に走行車線に割り込んできた車を避けようと、急ブレ
  ーキをかけた車がスピンし、中央分離帯に激突し、その後、後続の車が次々と玉
  突き事故を起こした模様です。先程まで降っていた雨は止んでいますが、道路は
  滑りやすくなっていた事で被害が大きくなっています。今、警察車両や救急車が
  到着しました。この状態ではかなりの怪我人が出ていると思われます」
   小野寺というテレビ局のスタッフの声は興奮で震えていた。

   画面には、事故が発生したばかりで混乱した生々しい現場が映し出された。

  「かなり激しい事故の様子ですが、何台ぐらいの車が巻き込まれたか、という情
  報は入ってきていますか?」
   ワイドショーの男性司会者が問いかけたが、小野寺の返事はない。
 
  「現場の小野寺さん、小野寺さん、音声が途切れていますが、現在のそちらの様
  子はどうですか?」
   司会者が呼びかけた。画面も乱れていた。
 
  「小野寺です。詳しい状況の確認はまだ出来ていませんが、現場はかなり混乱し
  ています……」
   小野寺はイヤホンを手で押さえながら話をした。
 
  「また、詳しい状況が分かりましたら報告してください」
 
  「分かり……した。現場から……以上です……」
   また音声が途切れた。画面はスタジオに切り替わった。
  
  「音声と画像が乱れて申し訳ございません。だいぶひどい状態になっているよう
  で、心配ですね。事故の続報は、情報が入り次第お伝えしたいと思います」
   司会者が深刻そうな表情でカメラに向って言った。
  
  「さて、先程の……」と司会者は表情を変え、ワイドショーはまた芸能ニュース
  に戻っていた。
 

   村上は「中央自動車道の事故」に敏感に反応したが「まだこの時間だったら、
  川村は出発していないだろう」と考えた。
  
  「あの規模の事故だったらおそらく通行止めになるだろうから、電車で来るよう
  にと教えてやるか」
   雄一郎の携帯に電話をかけた。
  
   携帯から「運転中」という英語のアナウンスが流れた。
  
   急に不安に駆られた村上は、八ヶ岳ガーデンリゾートホテルに電話をかけた。
  
  「総支配人は、午後から本部での会議のために、10時過ぎにホテルを出発しま
  した」
  
  「何だって!」

   村上の声に食堂にいたスタッフ全員が驚いた表情で、村上を見た。
  
   また村上は、雄一郎の携帯に電話をかけた。
  
  「運転中」のアナウンスが流れる携帯に向って「川村、出ろよ! 出てくれよ!」
  村上は叫び続けた。
 
   
   その頃真理は、プレミアムクラブのラウンジで、孫暁飛(スン・シャオフェィ)
  と中国語で談笑していた。「中国語が上手になりましたね」と言われて「謝謝」
  と笑顔で答えた。



   中央自動車道の事故現場は悲惨な状態になっていた。
  スピンして、中央分離帯に激突した乗用車の損傷が一番激しかった。
   山梨県警高速道路交通機動隊の小山雅文は、潰れた乗用車が香水の匂いに包ま
  れているのに気付き、曲がったフレームから車内に首を突っ込んで匂いの元を探
  した。助手席の足元に、粉々になったフロントガラスに混じって、綺麗な紙袋か
  ら、リボンがかけられた壊れた香水の箱が覗いているのを見つけた。
   
   白い箱には「ETERNITY」のロゴがあった。
  
  「辛い事になりそうだな」
   小山はため息をついた。


   村上は不安な気持ちでイライラしていた。
  着信履歴があるのだから連絡して来てもよさそうなのに、雄一郎からは何の連絡
  もない。電話で警察に確認をしようと思ったが、何故か怖くて行動を起こせなか
  った。
 
 
   我慢が出来なくなった村上が、ネットで警察の電話番号を調べている時、事務
  所の自分のデスクで仕事をしていた真理の携帯が鳴った。

  「0553……」という見慣れない番号に首を傾げ「もしもし、川村です」少し
  不安な気持ちで応えた。

  「川村雄一郎さんの奥様ですね? 山梨県警高速道路交通機動隊の平賀と申しま
  す……」



    ……真理の手から携帯電話が落ちた……


    ……その音に驚いた村上が、真理を見た……




   追い越し車線から、走行車線に無理な車線変更をして事故の原因を作り、その
  まま走り去った車は、目撃者の証言と高速道路入退場記録により判明した。



   菅原梓は「救護義務違反」容疑で逮捕された。

  

   ……次に演じる役は「心神喪失」菅原梓のシナリオは出来上がっていた……



                      終






(参照)
・子宮外妊娠については、インターネットサイト「レディースホーム」参照


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