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作品名:サイレントジェラシー 作者:nottnghill_ann

第8回   8

  「一人で大丈夫なのか……?」
   川島は瑛子をずっと心配していた。
  
   あの日から一ヶ月が経った……ずっと考えていた……自分の行為は正しかったのか? あの
  まま「自殺」として扱われた場合、どうなっていたのだろう? 

  「何故松岡警部補は自殺をしなくてはならなかったのか?……暴かれたら……暴かれなかった
  としても、一番辛い思いをするは瑛子だ。真実を封印した事で瑛子の気持ちを救う事が出来た
  のか?……瑛子と自分はこれからどうなるのだろう? このまま会えずに、そして、時が経ち
  『思い出』だけになってしまうのか?」
 
  川島は携帯を手にして瑛子の携帯に電話をかけた。

  「来る?」

  「いいの?」

  「うん……」

   そして、今、瑛子と向き合っていた。 
  
   川島は俯いたままの瑛子をじっと見つめていた。
  いつもなら……ドアを閉めたと同時に瑛子は川島の胸に飛び込み、お互いの温もりを感じあう
  ……「会いたかったの」「会いたかったよ」言葉には出さずに。
   今日は……遠慮がちに手を差し伸べた川島の脇をスッと瑛子は通り抜けた……まだ、一度も
  二人は言葉を交わしていなかった……

  「知っているのよ……」
   突然、瑛子が言った。

  「知っている……? って。何を?」

  「あなたから無邪気な笑顔が消えた訳……今日は一度も笑顔を見せない……」

  「瑛子が俺を拒否している……だから……」

  「……」
   また瑛子は俯いた。

  「違うの……」

  「何が違う?」
 
   瑛子は答えずに「知っているのよ……」と同じ言葉を繰り返した。

  「だから、何を知っているって言うんだよ!」

  「ほら、キレた。前はそうじゃなかったでしょう?」

  「ふざけるな!」
   川島は瑛子が目の前にいるのに、理由の分からない事に対してイライラしていた。

  「無邪気なあなたの笑顔が好きなのよ……」

  「いい加減にしろよ! 何が言いたいんだよ!」

  「松岡の事よ……」

  「松岡さんの事?」

  「間違っているのよ。そう思わない?」

  「思わない!」
   川島は怒鳴った。

  「私が何も知らないと思っているのだったら、それも間違いよ」

  「知った事を言うな!」
   川島の目の中に怒りが宿った。

  「あの日……主人が死ぬ前日。主人と話をしたのよ」

  「松岡さんと話?」
   川島は瑛子の顔を覗き込んだ。悲しげで辛そうな瑛子の表情を見た川島の目の中の怒りが少
  し消えた。

  「松岡は全て知っていたのよ。私達の事。毎週私の後を尾行していて……あの人のデジカメの
  中に私とあなたとの証拠写真が一杯入っていた。私はそれを見つけていたの……」

  「……!」

  「覚えている? 松岡が忘れ物を取りに帰った時の事。あれは課長宛の宅急便だったのよ。中
  身は証拠写真が詰っているSDカード。私が見る事を想定してわざと置き忘れた。だってね、
  封がしてなかったの。でも、実際は送らなかった。ただ私に見せるためだけ。多分、指紋を調
  べたと思うのよ。そして、私はあなたにその事を伝える。そう思っていたのよ。でも、私は言
  わなかったし、態度を変えなかった。何も知らないから、あなたも変わらない。その事で我慢
  が出来なくなって、私に全て話をしたのよ。動かない証拠があるからどうしようもない事だけ
  ど、私は肯定もしなければ否定もしなかった。じっと黙って松岡の話を聞いていただけ」

   川島は黙ってじっと瑛子の話を聞いていた。

  「松岡は、あなたや私の事を責めなかった。それに『私と別れる』とか『あなたと別れろ』と
  かそういう事は一切言わなかったし、私に『どうしたい?』とも聞かなかった。でも、言った
  の。『自分で決着をつける』と。それが……私が聞いた……松岡の……最後の言葉よ」

   そこまで言った瑛子の目から大粒の涙が溢れた。
  川島は瑛子の涙を初めて見た。葬儀の時の瑛子を思い出した。あの時、気丈に振る舞っている
  瑛子は涙を見せなかった。

  「ずっと一人で耐えていたのか?」
   川島は瑛子の傍に行って肩を優しく抱いた。

   堪えきれなくなった瑛子は、川島の胸に飛び込んで泣いた。

  「ごめん……ごめんな……」
   川島はそう言って瑛子の髪を撫ぜ、泣くがままにさせておいた。

  「松岡が撃たれた……と、聞いた時……思ったの。自分で撃ったのではないかって……決着を
  つけたのではないかって……」
   瑛子は顔を上げて川島を見た。

  「……」
   川島の目からも涙が溢れていた。

  「殉職と聞いて、松岡さんはりっぱでした。そう聞いて、二階級特進を知った時……あなたが
  そうさせてくれた……そう思ったの。松岡の名誉と、私のこれからの事を考えてくれて……」

  「違う! 自分のため……だ……」

  「自分のため?」

  「……」
   川島は答えなかった。

  「どういう事?」

  「……」
   まだ黙っていた。

   再び、沈黙の時間が流れた……

  「自分のため……に何かをしたの?」
   涙がいっぱい溜まった目で、川島を見た。川島の目からも涙が溢れた。その涙を瑛子は指で
  拭った。

  「松岡さんは自分で自分の胸を撃った。最後に言ったんだ……瑛子と幸せになれ……と」

  「……!」

  「俺は嫌だった。最後は刑事のままでいて欲しかった。でも、松岡さんは……瑛子の夫で死ん
  だんだ。それが嫌だったから、だから……偽装工作をしたんだ……自分のために」

  「私は……」

  「俺は正直に話をしたんだ。だから、もう何も言うなよ!」

  「言わせて!」

  「いい加減にしろ!」

  「私はずっと……主人のために生きてきた、と思っているの。……それが自分の生きる道、自
  分を守るにはそれしかないと思っていたから。じゃあ、幸せじゃなかったのか? 愛していな
  かったのか? と聞かれたら……幸せだったし、愛していた。と答える。でも『刑事』という
  主人の仕事、主人の人生を守るために、自分の感情を殺して生きて来た部分があったの。だか
  ら……あなたが……もし、私のために……だったら、生きていて良かった、ってそう思うの」

  「違う!」
  
   瑛子は川島の口を手でふさいだ。
  「違わない!」

  「うるさい!」
   川島は乱暴に瑛子の手を振り払った。
 
   俯いている瑛子を川島は見つめた。川島の視線を感じた瑛子が顔を上げ、二人は黙ったまま
  見つめ合った。このまま永遠に言葉を交わす事がなくなる……静かだが重い時間が流れた。

  「あなたと出会って幸せだったの」
   瑛子が口を開いた。

  「幸せだった?……どうして過去形なんだ?」

  「もう無理かもしれないから……」

  「……」

  「でも……あなたを失いたくない。ずっとあなたと一緒にいたいの」

  「ずっとそばにいるよ」

  「もう無理なのよ」

  「無理なんかじゃない! もう言うな!」
   川島の声は悲鳴に近かった。

  「無理……なの。あなたの無邪気な笑顔を見る事は出来ない……あなただって分かっているで
  しょう? 松岡のした事が。いつもの松岡の……静かな感情……静かな嫉妬……」

  「俺はそんなに弱くない……」

  「あなたは……」

  「言うな!」
   川島は瑛子の両腕を掴んだ。

   何かを訴えたい様な瑛子の目を見つめる川島の眼差しが、フッと優しくなった。

  「もういいんだよ……あの時、俺は自分の気持ちのためだけに偽装工作をした。でも、気付いた
  んだ。松岡さんの最期に言った言葉の意味に。最愛の妻と部下との関係を知って、最期にあんな
  神の様な事を言える筈はない……人間はそんなに優しくなれる筈はないんだ。聞いた俺がどんな
  気持ちになるか分かっていたんだ」

  「松岡の復讐……」

  「復讐?……確かにそうだったのかもしれない。そう感じていたから、だから、また人間が嫌い
  になった……たった今まではそうだった……」

  「……?」

  「瑛子と俺の間には『松岡さんの死』という、大きな犠牲が存在する……そうだろう?」
   川島の口調が変わった。

  「犠牲?……」

  「そうだよ。でも、さっき、言っただろう?」

  「……?」

  「俺が……もし『瑛子のため』にだったら、生きていて良かった……って。そう言ったよね? 
  今までは『自分のため』だけ、そう思っていた。でも、さっきの瑛子の言葉を聞いて『自分のた
  めだけではない』という事が、どんなに俺にとって大事な事かという事に気付いたんだよ。それ
  を教えてくれたのは松岡さんなんだ」

  「松岡が教えてくれた……?」

  「松岡さんは復讐のつもりでいたかもしれない。優しい人間もいれば、優しくない人間もいる。
  それを見極めて、真の優しさを感じ取るのも人間なんだ。大切なのは……俺と瑛子がどう思うか、
  どう感じるか、なんだ」

  「分からない……」

  「松岡さんは瑛子を本当に愛していたんだよ」

  「……」

  「あの時……松岡さんは俺に長内の急所を狙え、仕留めろ。そう言った。それを聞いた長内がど
  ういう行動を起こすか? その事に気付かない松岡さんじゃない。全て承知していたし、咄嗟に
  自分でシナリオを描いていた。俺に瑛子を託す事を含めて、全て……だけど、最期の最期に松岡
  さんは俺に言いたかったんだ。『俺は瑛子の夫だ。お前に負けない位、それ以上に瑛子を愛して
  いる』と。刑事というプライドを捨ててまでも、それを貫きたかったんだ」

  「……」

  「川島、考えてみろ、松岡さんはずっと俺に問いかけていたんだよ。そして、俺は考えて、自分
  の気持ちで松岡さんの最期の言葉を受け止めた。自分のためは、瑛子のため……と。今は自分の
  行為に悔いはないし、松岡さんの死を『犠牲』にしないで、飛び越える。俺も自分の気持ちを
  貫く」

  「飛び越える事が出来るの?」

  「飛び越えなくちゃいけないんだ。今、本当に幸せなんだよ。今だけじゃない。これから、もっ
  と幸せになるんだ。俺の言いたい事はそれだけだよ。俺が言った事を瑛子がどう受けとめるか
  ……覚悟しているよ……」

   川島は少年の様な無邪気な笑顔を浮かべていた。


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