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作品名:サイレントジェラシー 作者:nottnghill_ann

第7回   7
  「吉田、松っちゃんのデスクを整理してやってくれ」
   真山は、チラッと川島を見て、吉田に言った。

  「すみません……」
   川島は課長に向かって頭を下げた。

  「いいんだよ。今日はもう、これで終わりだ。川島、お前もたまには早くあがれよ」
   課長は優しい眼差しを川島に向けた。

  「すみません。お言葉に甘えて、今日は帰らせて頂きます」
   川島は課長に礼を言い、自分に代わって松岡のデスクを整理してくれる吉田にも頭を
  下げた。
 
  「借りは返せよな」
   吉田はそう言ったが、後輩である川島を見る目は温かかった。

  「お先に失礼します」
 
   川島の後に次いで、吉田以外の一係の捜査員も部屋を出て行った。刑事一係のブース
  に残ったのは、課長の真山と吉田だけになった。

  「川島は大丈夫か?」

  「正当防衛が認められお咎めなしになったから、少しは元気になりましたが、結構参っ
  てますね」

  「あいつも思いつめるタイプだからな。みんなでフォローしてやってくれよ」

  「分かりました」
   吉田はそう言って、松岡のデスクの整理を始めた。

  「これ? 何でしょうか?」
   上から順番に引き出しを確認していた吉田は、一番下の大きな引き出しの手前に裸で
  置いてあったSDカードを取り出した。

  「何だ? それは?」

  「SDカードですよ」

  「SDカードって何だ?」

  「携帯やデジカメ、パソコンのデータを保存するメモリーです。昔のフロッピーデスク
  と同じ様な物ですよ」

  「ふーん。で、中に何が入ってるんだ?」

  「見てもいいですかね?」

  「構わないよ。見てみようよ」

  「松岡さんのプライベートな物って事ないですよね? Hな画像だとか?」
   吉田はパソコンを立ち上げた。

  「SDカードはそういう物を保存するカードなのか?」

  「そうじゃないですけれど、そうだとしたら、松岡さん、嫌な気分だろうなって」

  「そんな物は署のデスクにはしまっておかないだろう。捜査関係じゃないか?」

   パソコンが立ち上がって、吉田はカードを差し込んだ。手際良くパソコンを操る吉田
  を、真山は関心した様に見ていた。
  SDメモリーを開くと、日付の入ったフォルダが沢山保存されていた。吉田は一番上の
  フォルダを開いた。

  「課長! これは……」
   吉田が絶句した。

  「何だ……! 松ちゃんの奥さんだ……一緒にいるのは川島か!」

   吉田は次から次へとフォルダを開いて、保存されてある画像を開いた。真山は画面を
  食い入る様に見つめている。

  「不倫の現場写真……ですか?」

   言わなくても画像がそれを物語っていた。

  「日付はいつからになってるんだ?」

  「今年の4月18日が初めで、最後は10月17日です……」

  「10月17日……? だけど、何でこんな物を松っちゃんが持ってるんだ……」

  「さあ……? 自分で撮ったとか……撮影場所は川島のマンションですよ。川島という
  表札も映っています」

  「川島と松っちゃんの奥さんが出来ていた、っていう事なのか? 松っちゃんが気付い
  て奥さんを尾行して、この写真を撮ったって言うのか? だけど、ひと回り位年が上だ
  ろうよ」
   真山は、松岡瑛子の顔を思い浮かべた。

   何度か会った事はある。スラッとした美人で松岡には相応しくないし、勿体ない。
  会う度にそう思っていた。外見的には「不釣合いな二人」であっても、美しい妻は、刑
  事の夫を信頼し、尊敬し、愛している……真山はそう感じていた。
  
  「俺はお前にたった一つだけ負けている事がある。それは、カミサンだよ」
   飲んだ席で、自分の妻と比べて真山がそう言うと、松岡は何も言わずただ笑っていた。
  あの時の松岡は本当に幸せそうだった。


  「ちょっと待てよ」

   真山はそう言って、デスクの受話器を取り上げ「川島短縮」ボタンを押した。

  「お客様がおかけになった電話番号は現在電源が入っておりません……」
   アナウンスが流れた。

  「川島のヤロー……」
   悪態をついて、次に「松岡自宅短縮」ボタンを押した。

  「只今、留守にしております……」

  「松ちゃんの家も留守だ」

  「二人でデートでもしてるんじゃないですか?」
   吉田が呆れた様子で言った。

  「おい! そういう言い方をするなよ!」

  「すみません……」

  「マイッタなあ……」
   真山は頭を掻きむしった。

  「川島の奴、署じゃこんな顔を見せないのに。やけに男っぽい雰囲気っていうのか……」

  「うーん……」
   真山は改めて画像を確認して唸った。

  「惚れてるんですね」

  「吉田、お前、そんな刺激的な事言うなよ」

  「だけど、いい顔してるじゃないですか?」

  「確かにな……」

   瑛子を見つめる川島の何とも言えない幸せそうな顔と、松岡の幸せそうな顔が重なり、
  真山は眩暈を起こしそうになった。

  「課長……大丈夫ですか?」
   吉田が心配そうに声をかけた。

  「あー、大丈夫だ」 

  「なんか、安心しましたよ。川島ってこういう奴だったって」
  
  「川島は誰よりも人間臭い男だよ。もう、いいよ、そういう事は。現実に戻ろうよ」

  「現実……ですか?」

  「川島は、松っちゃんが気付いていたという事を知っていたのだろうか?」

  「いやー、それはないと思いますよ。あの二人の間には何かあった、という様な雰囲気
  は感じませんでしたよ」

  「そうだよなあ……っていう事は、松っちゃんは自分の胸に収めていたって事か……」

  「半年以上もですか?」

  「吉田、お前だったらどうする?」

  「自分?……ですか? 自分のところは手のかかるガキが三人もいるし、それに松岡さ
  んの奥さんみたいに綺麗じゃないし……」

  「だからさ、その事は外して」

  「うーん……耐えられないでしょうね。一人だけの胸に収めておく事なんて出来ないで
  すよ。嫉妬だって沸くだろうし。相手が自分の相棒だとしたら尚更ですよ」

  「そうだよな。俺だってそうだ。だが、松っちゃんは耐えていた……って事か?」

  「松岡さん、S(エス)じゃなかったんですか?」

  「S(エス)?」

  「サドです」

  「変な事言うなよ!」

  「性的な意味じゃないですよ。一般的にサドって、相手を加虐し服従させることによっ
  て自分の欲求を満たす事ですが、自分自身を追い詰める事で満足すると言うか。自分に
  対してサドだったという事です」

  「だけど、それをしてどうなるんだ?」

  「だから、それで満足してるんですよ。だとしたら、多分、奥さんも何も気付いていな
  いと思いますよ。自分だけが知っているんだぞ。という事に快感を持っていたのかもし
  れない」

  「松っちゃんはそんな変態か?」

  「変態じゃないですよ。性格的な事ですよ」

  「俺はそんな生き方嫌だなあ……夫婦だし、相棒だぞ。どっちも自分の生活の基盤だ」

  「自分だって嫌ですよ。白黒の決着はつけたいですよ」

  「……だよな。だが、松っちゃんはそれをしなかったのかなあ……」

  「だから、サドだって……失礼な言い方かもしれないけれど」

  「そんな簡単な事じゃないんだよ……」

  「すみません。だけど、簡単な事じゃないって……課長……まさか!」

   真山は答えず、椅子を回転させて吉田に背を向けた。

   ……俺が知っている松っちゃんらしくない事をして……何かあったのか?
   心の中で、松岡に問いかけた。

  「吉田、この事は誰にも言うな」
   椅子を回転させて吉田に向かって言った。

  「分かっていますが、課長が考えている事を言ってくださいよ」

  「お前と同じ事を考えてる」

  「いいんですか? 言っちゃって」

  「あー、言ってみろ」

  「松岡さんを撃ったのは川島かもしれない……って事です」

  「……」

  「ズルイですよ。課長も答えてください」

  「それもある……」
   もう一つ考えていた事もある……それは、簡単に口には出来なかった……
   
   真山は鍵を使って自分のデスクの引き出しを開け、松岡が撃たれた件での川島の事情
  聴取のファイルを取り出した。

  「あれっ? 課長、それって……」
 
   松岡殉職の際の、川島の事情聴取などを含めたファイルは全て資料室に保管されてい
  た。

  「コピーを取っておいたんだ」
   そう言って真山はファイルを開いた。

  「俺は……疑問を持っていたんだよ。あの時、松っちゃんは『応援が来るまで待ってろ』
  と言う俺の指示を無視して、川島と二人で拳銃を構えて長内の部屋に突入した。その事が
  俺は一番気に食わないんだ。今までも松ちゃんは上司の指示を無視した事はある。今まで
  は正しかった……だが、今回の事は大きなミスだ。勘が頼りのあの松っちゃんのする事じ
  ゃない。あの時は何を考えていたのか……」

  「川島と奥さんの事が根底にあって、正常な精神状態ではなくなっていた。という事です
  か?」

  「うーん……そんな事は有り得ない……俺はそう思いたい。いいか、話を戻すぞ。覚醒剤
  を打った直後で、興奮気味の長内は半狂乱になって、まず、松っちゃんの腹を刺した。お
  前が川島だったらどうする?」

  「長内を落ち着かせる様に、説得します」

  「川島もお前と同じ事をした。だが、相手は錯乱状態で発砲をしていて、ナイフで松っち
  ゃんを刺した。説得が通じるか?」

  「……」

  「俺だったら、長内を撃つ。こっちは二人だ。だが、勿論急所は外す」

  「川島は躊躇したと言っていました」

  「松っちゃんは、川島にはそういう教育をしていない筈だ。躊躇している間に松っちゃん
  は撃たれた」
 
  「川島は長内を撃つ気がなかったって事ですか? 怖気づいたとか」

  「それも一つ考えられる。他に二つある。一つは……長内が松っちゃんを刺し、川島が長
  内を撃って、その後、松っちゃんを撃った。もう一つは……長内が松っちゃんを刺した事
  までは同じだ。川島は長内を撃つ。その後が問題だ……松っちゃんが自分の拳銃で自分の
  胸を撃った……」

  「課長! 待ってくださいよ! 川島が松岡さんを撃った、という可能性は自分も考えま
  した。ですが……」

  「カードに残された写真を見て思ったんだよ。松っちゃんらしくない事をしている。何か
  覚悟をしていたんじゃないか? と」

  「覚悟……って言ったって。あの事件は突発的に起きた事ですよ」

  「あの時、二人は聞き込みの帰り道に現場付近に居合わせたんだよな」

  「そうです。コンビニの売上金強盗の一件の帰りでした」

  「そうだったな……」

  「だけど……そうか! 川島は、松岡さんを殉職扱いにしたい……と考えたという事です
  か?」

  「その可能性の方が大きい。川島は何も知らなかったんだ。もし、知っていたとしても、
  川島は自分の不倫がバレたからと言って、相手の旦那を殺す様な奴じゃない。それは俺が
  保障する」

  「だけど……自殺は銃刀法違反で書類送検で……」

  「被疑者死亡で不起訴処分だ」

  「懲戒解雇になるって事ですか?」

  「うーん……だが、退職金はパアーだろうな」

  「川島は、松岡さんの奥さんの事を考えて……ですか……」

  「いや、川島はそういう事を計算する男でもない」

  「じゃあ、一体何なのですか?」

  「分からん」

  「この事はお前と俺だけの話だ。絶対に口外はするな! 万が一、今俺達が話した事が当
  たってたとしたら、とんでもない事になる。その事は分かってるだろうな」

  「分かっています」

  「川島をフォローしてやれよ、と言ったが、あいつの様子にも気をつけてくれないか? 
  川島は生意気なところもあるが、根はナィーブだ。松っちゃんは川島を可愛がっていた」

  「了解です」

  「最後に聞くが、そのカードはどういう状態で置かれていたんだ?」

  「この引き出しの一番手前に、裸で置かれていましたよ」
   吉田はサイド引き出しの一番下の大きな引き出しを指差した。

  「SDカードはどうしますか」
   パソコンから外したカードを吉田は、真山に見せた。

  「これはなかった事にする」

  「課長……」
 
   吉田はカードを真山に渡した。
 
  「デスクの整理は終わったか?」

  「一応終わりました。私物は……あのSDカード位で」

  「遅くまで悪かったな。松っちゃんの穴埋めに上はいろいろ考えているが、当分の間は一
  名欠員のままだ。塚原じゃ松ちゃんの代理は務まらない。お前も大変だろうが、その辺を
  考えて課員の面倒を見てやってくれ」

   班長であった松岡のすぐ下には、51歳になる、松岡同様叩き上げの塚原保がいた。
  真面目で誠実な性格で、真山も信頼を置いていたが、松岡の様には、人を引っ張っていく
  力がなかった。

  「分かりました。自分はこれで帰りますが……課長はまだ帰らないのですか?」

  「うん、正直言って、このまま真っ直ぐ家には帰りたくない気分だ。ちょっと一人で考え
  たい」

  「じゃあ、お先に失礼します」

  「有難う。今日の事はくれぐれもよろしく頼む」

  「承知しています」
   そう言って吉田は帰って行った。

  「松ちゃんよ、どうしちゃったんだよ」
   吉田が去って、一人になった真山はデスクに頬杖をついた。急に涙が溢れた。


   松岡とは20年程の付き合いになる。初めて会ったのは、神奈川県内の警察署の剣道大
  会だった。初戦で対戦する松岡を見た時「なんだこの男は?」と思った。若いんだか、若
  くないんだか、年寄りなんだか、年寄りではないのか、冴えない男で「勝てるな」真山は
  そう思った。 
   制限時間五分の三本勝負。先に二本取れば勝ち。決着がつかない場合は、一本取って勝
  ち。の勝負だったが、甘く見ていた真山は自信を失いそうになった。審判の「始め」の合
  図と同時に、冴えない松岡が豹変した。
  「勝ちに行くぞ」という気持ちが全面に現れていて、手強い相手だった。しかし、一本気
  過ぎる試合運びは、また真山の中に自信を取り戻してくれた。それでも、決着はつかず、
  延長戦の一本勝負で真山は勝利を手にする事が出来た。
   勝負がついて防具を脱いだ時、松岡が真山を見て、にこっと笑った。その笑顔が妙に人
  懐こくて「今度、一杯やりませんか?」真山は松岡を誘った。真山が二回戦敗退の後、約
  束が果たされた。松岡は、一目惚れした台湾人と日本人との混血の女性と結婚したばかり、
  と嬉しそうに話をしていたが、少し接しただけで「刑事としては優秀な男だ」と分かった。
   5年前、真山が横浜中央署刑事課長に就任して、松岡は部下になった。それから、ずっ
  と松岡を信頼し、頼りにしていた。


  「松岡と川島か……」
   おもむろに真山は受話器を取り上げ、川島に電話を掛けた。

   今度は呼び出し音が鳴っていた。

  「川島です」
   緊張した声で応えた。

  「松っちゃんのデスクの整理は終わったよ」

  「すみません。自分がすれば良かったのですが」

  「いいんだよ。お前も辛いんだ。どうだ、調子は戻ったか?」
   真山は言いながら、電話の奥の気配を嗅ぎ取った。

  「はい、少しは。でも、まだ時間がかかるかもしれません」
   川島の声には覇気がなかった。

  「もう、マンションか?」

  「そうです」

   真山は耳を澄ませた。

   受話器から、キッチンの流しからだろうか? 水の音が聞こえた。

  「休んでいるところに悪かったな。今日はゆっくり休んで、また明日から頼むぞ」

  「はい、分かりました」

   真山はフックに手を掛け川島との電話を切ったが、次に松岡の自宅に電話を掛けた。
  やはり、留守電のままだった。

  「川島と一緒にいるのか。水の音は、松っちゃんの奥さんが流しで洗いものでもしている
  のだろうか」
   瑛子の顔を思い浮かべながら、そんな事を考えた。

  「松っちゃんも、こうして、気配を探ったりしていたのだろうか? 不倫の現場を押さえ
  て、写真を盗撮する時はどんな気持ちだったのだろうか?」

   考えると切なくなった……待てよ……それにしちゃ、執拗に写真を撮っている……

   真山は慣れない手つきで、吉田のデスクのノートパソコンを立ち上げ、さっき、吉田が
  行なっていた操作を思い出し、SDカードを差し込んでもう一度写真を確認した。

  「やっぱり異常だ……」

   フォルダの日付はほぼ毎週になっている。
  コンビを組んでいる川島の休みは、松岡が一番分かっている。過去の勤務表を見れば分か
  るだろうが、川島の休みの度に、松岡は妻を尾行していた事になる。
   それに、何故、SDカードを自分のデスクにしまったのか? 課員の誰かがデスクの引
  き出しを開ける事だってある。だから、誰かに見られてしまう可能性もあった。それを承
  知で、引き出しに入れておくという事は……しかも、通常はファイルなどを入れるために
  ある、一番下の大きな引き出しに剥き出しで……

  「誰かに見て欲しかったのか? 刑事の不倫か……相手は先輩の妻……表沙汰になった
ら、警務部観察課の調査対象になり、懲罰の対象になる可能性もある。それを狙っていた
のか? ……それは嫉妬なのか……?」


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