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作品名:サイレントジェラシー 作者:nottnghill_ann

第3回   3
   年が明けた……

   松岡と川島は横浜中央署管内で起きた、女性連続殺傷事件の聞き込みの最中だった。


   最初の被害者は、年末年始から実家に帰省し、深夜、自宅であるテラスハウスに帰って来た所
  を襲われ、太ももを鋭い刃物で切られ全治一ヶ月の重症を負った。
   一週間も経ない間に、一件目の現場から約200メートル程離れた、家具付きのワンルームマ
  ンションのエントランスで仕事帰りの女性がやはり刃物で襲われ、その女性は命を落とした。
  狙われた相手が20代の若い女性である事や手口などから、同一犯の可能性が高かったが、容疑
  者の断定はまだ出来ていなかった。


  「飯でも食うか」

  「はい……」

  「食える時に食っとかないとな。今日は長くなりそうだ」
   二人は立ち食い蕎麦屋に入った。

   蕎麦を食べている最中に、川島の携帯が鳴った。慌てて画面を確認すると、見知らぬ番号が表示
  されていた。

  「出ないのか?」
   鳴りっぱなしの携帯に応えない川島を見て、松岡が訊いた。

  「おふくろです」

  「出てやれよ」

  「いいです。後でかけ直します」
   そう言って、川島は無視をしたが、少しすると呼び出し音は鳴り止んだ。

   ……相手が誰だか分かっていた……出るわけにはいかない……

   聞き込みを終え、署に戻った川島はそのまま屋上に上がり、携帯を取り出し着信履歴を確認して、
  発信ボタンを押した。

  「もしもし……」
   ハスキーな女性の声が応えた。

  「川島です。昼間は聞き込み中だったので電話に出れなくてすみません」
   相手の名前を確認しなくても、声を聞いただけで誰だか分かった。

  「お仕事中にごめんなさい」

  「いいんです。電話を頂いてありがとうございました」

  「……」

   瑛子は察しているだろう。昼間、川島の隣に誰がいたのかを。

   会話が途切れた。

   好意を抱いた女性に電話番号を教え、待ちに待った電話がかかってきた……「今度、食事でもど
  うですか?」などと、簡単に言える間柄ではなかった。

  「携帯の電話番号を教えて頂いたから、何か、主人の事でお話でもあるのかと思って……」

  「そういう事ではありません」

   ……そうか……でも、本当にそう思っているのだろうか……?

  「会いたかったからです」
   川島は素直に答えた。

  「私に?」

  「そうです。この間、居心地が良かったから……あなたといると優しい気持ちになれる。人間が好
  きになれそうな気がする」

   また、沈黙が流れた。

  「どうして?」

   ……好きだからです……でも言えなかった。

  「迷惑ですか?」

  「ううん、でも、ちょっとビックリ」

  「初詣に行きましょう」

   携帯の向こうにいる瑛子が笑った。

  「可笑しいですか?」

  「私と初詣に行ったら、あなたは、今年一年、また松岡に縛られる事になるかもよ」

   自分との間に、二回も松岡を登場させた瑛子の返事を聞いた時、川島は事の重大さに気付いた……
  でも、後戻りはしない……

  「それは自分次第です。嫌ですか?」

  「そう……ね。誘って頂いて嬉しいけれど……」

   ……嬉しい…………

  「じゃあ、決まり! という事で。今、抱えている事件が解決した非番の日に。約束してもらえま
  すか?」

  「……」
   瑛子からの返事はなかった。

  「決まったら、今度は僕から連絡します」
   そう言って、川島は一方的に電話を切った。

   すぐにまた携帯が鳴った。

  「何処にいるんだ? 捜査会議が始まるぞ」
   今度の相手は松岡だった。

  「すぐに行きます」
   慌てて戻った。

   合同捜査会議室に着くと、捜査本部長である署長が席に着き捜査会議が始まろうとしていた。
  川島は松岡の隣の席に着いた。

  「用は済んだのか?」
   松岡が怒った様な表情をして小声で訊いた。

  「はい……」
   松岡の目が見れなかった。

  「こういう時は勝手に消えるな。トイレに行くんでも必ず行き先を言っておけよ」

  「……」

   自分だって……去年末、カットサロン店主殺害事件の捜査会議が始まる前に、行き先も告げず
  コンビニにタバコを買いに行った松岡の事を思い出した……腹が立った……でも……そのお陰で
  ……怒りが消えた。



  *****


  「どっちにしようかな?」

   瑛子は、久しぶりに出かけた横浜のショッピングビルにあるアクセサリーショップで、若い女
  の子に混じって、鏡の前で二つのピアスを手に取って迷っていた。

   一つはいぶし銀の大きなフープピアス、もう一つは小さなパールがゆらゆら揺れた可愛いピアス。
   鏡の前でパールのピアスを耳にあてた。

   ……これはちょっと子供っぽいかな……?

  「こっちの方がいい」
   後ろで優しい声がした。

   鏡の中で川島が、いぶし銀のフープピアスを指さしていた。

   瑛子は振り返った。

  「このピアスには、Vネックのシンプルなセーターが似合う」
   川島は笑っていた。

  「驚いた!」
   
   瑛子は心の中を見透かされたような気がした。川島から……いつか誘われる「初詣」のための
  ピアスだった。

  「どうしたの?」

  「ここ」
   川島は右側の頬を押さえた。

  「この上にある歯医者に行くんです。エスカレーターに乗ってたら見かけたので……」

  「歯が痛いの?」

  「……」
   川島は黙って頷いた。

  「ずっとほったらかしにしていたから、罰をうけた」
   マンションにカニを食べに来た時と違って、話し方が甘え口調だった。

  「ダメじゃない。身体が資本なんだから、ちゃんと健康管理をしなくちゃ」

  「反省」
   そう言って笑ったが、歯が痛いのか顔をしかめた。

  「ほら、早く行かなくちゃ」

  「行きます。ピアスはこっちでね」
   また、川島がフープピアスを指差した。

  「そして、シンプルなVネックのセーター」

  「色は白。ピアスが映える」
 
   川島が見せる少年の様な無邪気な笑顔が魅力的だった。

  「連絡します」
   そう言って、川島はエスカレーターに向かった。

   エスカレーターに乗った川島に手を振った瑛子はてレジに向かった。
  
   恋を知った少女の様な気分になった。


   一時間後、瑛子は、駅ビルの地下にある食鮮館に降りるエスカレーターに乗っていた。いつま
  でも恋する少女の様な気分ではいられない。夕食の支度が気になる主婦の顔になっていた。

   携帯が鳴った。

   エスカレーターを降りきった所で電話に出た。

  「何処にいますか?」

   名前も告げない……勿論分かっていたが……突然、川島が訊いてきた。

  「今? 駅の地下街の何処かのカフェでコーヒーでも飲もうかな? と考えていたところ……」
   
   瑛子はウソを言った。「夕食の買い物」と生活感は見せたくなかった。周りの気配が伝わらな
  いように携帯を耳に押し付け、急いで反対側にあるエスカレーターに乗って今度は上に昇った。
  食鮮館では、タイムサービスを告げるアナウンスが流れていた。

  「じゃあ、コーヒーを飲むのは少し我慢して。僕は今日はこれであがり。松岡さんは定時であが
  った後、課長と飲み会。僕も誘われたけれど辞退……と、いう事で。これから鶴岡八幡宮に初詣
  に行きましょう。横須賀線のホームの中程の階段で待ってます」

   川島が告げた事の意味を考えた……松岡は課長と飲み会……帰りが遅い……夕食の支度はしな
  くて済む……だから、時間は大丈夫。

  「でも、フープピアスもしていないし、白のVネックセーターも着ていないの」

   ……断った……つもり……

  「それは次の時で。ホームで待ってます」

  「分かりました」

   決して強引ではない……川島の誘いに乗るしかなかった……その誘いを待っていた。

   改札口に向かう途中でまた携帯が鳴った。今度は松岡からだった。

  「今日は課長に誘われたから夕食はいらない。帰りは遅くなるよ」
   ぶっきらぼうに自分の用件だけ言って、電話を切った。

   いつもの事だが、今はいつもの事の様には思えず、瑛子は周りを見渡した。松岡が何処かで自
  分の行動を見ている……そんな気がした。

   少し躊躇ったが、そのまま改札口に向かった。改札口に向かう間、駅構内の鏡で自分の姿を写
  した……こんなに、おばさんなのに……また、躊躇いの気持ちが沸いたが、何かを振り切る様に
  瑛子は改札口を通った。

  「早く、早く」
 
   瑛子が、横須賀線ホームに続く階段の下から見上げた時、川島が手招きしていた。夢中で階段
  を駆け昇ったと同時に、ホームに横須賀線が滑り込んできた。

  「セーフ」

  「ちょっと、ちょっと、おばさんだからキツクて息も絶え絶えよ」

  「じゃなくて……運動不足」
   少年のような笑みを見せた。

   二人は横須賀線に乗り込んだ。平日の午後でも電車は結構混んでいた。ドアと座席と手すりの
  間に瑛子を守る様にして、川島は立った。瑛子はまた周りを見渡した。人の目が気になった……
  疚しい事をしている、という事ではない……こんなおばさんと……川島……

   鏡で今の二人の姿を映して確認したかった……

  「電車から景色を見るのが好きなんです」
   外の景色を見ながら川島がポツリと言った。

  「……」

  「電車は一番前に乗る。地下鉄はダメだけど東横線は外が見える。バスも一番前の一人用の席」

  「……」
   瑛子は川島の横顔を見ていた。遠くを見つめる川島の表情が幼なかった。

  「アッ! 猫!」
   突然川島が声を上げた。

  「猫?」

  「マンションの窓辺に猫が座っていた。僕と目が合って言った。楽しんで来いよって」

   瑛子は笑って、また川島の横顔を見つめた。真剣な表情をしていた。ぶっきらぼうな言い方で
  も、松岡とは違う。「松岡のぶっきらぼうさ」は、長い間夫婦をしている馴れ合いだったが「川
  島のぶっきらぼうさ」は、甘えている様なところがあって、それが新鮮で胸がときめいた。

   ……松岡と川島を比べている事に気がつき、戸惑った……

   ……不思議な人……不機嫌そうな表情をしているが、決して不機嫌ではないのだろう……この
  人は、松岡と一緒に仕事をしている時はどんな表情をしているのだろう……?
  
   カニを食べに来た時の川島を思い浮かべた。ごく普通の「夫の部下」の顔をしていた。

  「変?」
   川島が瑛子に向いて訊いた。

  「ううん、変じゃないけど……」

   川島の表情は「夫の部下」ではなく「一人の男」だった。

   電車が揺れた拍子に、バランスを崩した川島が瑛子に倒れかかり、咄嗟に出した瑛子の手を握
  った。

  「なんか、映画のシーンみたいだ」
   手を握ったまま、川島がニコッと笑った。

  「……」

   ……映画のシーン……瑛子は、自分を制する事が出来そうになかった……透明で少年の様な魅
  力がある川島といると、自分の中で忘れていた感情が蘇ってくる気がする……「静かな感情」が
  消える……

  「あなたを好きになりそう……」
 
  「好きだ……」

   言葉には出さないが、お互いの目がそう伝え合っていた。


   躊躇いはあったが躊躇わなかった……そして……始まった。
  でも……「始まった」とは考えたくはなかった。「始まり」には「終わり」がある。日々の中で
  の自然の出来事……
   愛を確かめ合う言葉も言わなかった。言わなくても充分に分かっている……互いの目を見れば
  ……「始まり」がなければ「終わり」もない。自然の成り行き……「一緒にいて幸せ」
  その時間だけを大事にしていた。


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