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作品名:サイレントジェラシー 作者:nottnghill_ann

最終回   11
  「課長、堂本志津子さんという方が見えてます」

  「堂本?」

  「川島のお袋さんです」

   廊下で下を向いて立っている川島の母親を見て、真山は驚きで声が出なかった。
  松岡瑛子にそっくりだった……瑛子がもう少し年を取るとこういう雰囲気になる
  のだろう……

   応接室で真山と二人きりになった時、志津子が頭を下げた。

  「この度は、達也がご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした」

  「お悔やみを申し上げます。川島君は勇敢でしたよ」
   真山も頭を下げた。

  「達也が小学校一年生の時に離婚しておりますため、苗字が違っています。
  私もその後再婚をいたしましたし、達也は父親の元で父親の再婚相手に育てられ
  ました」

  「全く知りませんでした」

  「突然伺わせて頂きましたのは……これに、真山様のご署名を頂きたいと思いま
  して……」
   そう言って、志津子は机の上に用紙を置いた。

  「拝見いたします」
   真山は用紙を手に取った。

  「これは……」

  「婚姻届です。10日間程、仕事で地方に出ておりまして、郵便を確認出来たの
  は昨日でした。達也から書留で郵送されて来た物です。中に手紙も添えられてお
  りました。結婚の承認になって欲しいと。一人は私で、もう一人は横浜中央署刑
  事第一課長の真山様だと。もう、提出する事が出来なくなりましたが、私は達也
  の望みを叶えてあげたいし、気持ちを大事にしてあげたいので、恐れ入りますが
  ここにご署名をお願いいたします」

  「喜んで署名させて頂きます。ちょっと待っていてください」
   そう言って真山は内線電話を取り、課員に自分の印鑑と朱肉を届ける様に伝え
  た。

  「それから、これは中に同封されていた達也からの手紙です。私だけが分かって
  いればそれでいい、と思いました。でも、親バカだと思いますが、達也の事を他
  の方にも分かって頂きたくて。あの子は本当にやさしい子でした。あの子の気持
  ちを……読んで頂けますか?」

   真山は志津子から手紙を受取って読み始めた。

   「結婚するよ。まだプロポーズもしていないけれど……でも、母さんがこの
    手紙を読む頃には決まっているよ。自信はあるんだ。
    彼女と一緒にいると『ここが自分の居場所』だと思える。『ここしかない』
    って。
    そして、彼女を知って……母さんにも手紙を書く気持ちになれた。素直に
    話も出来るし、そしてお礼も言える。
    彼女、母さんに似てるんだよ。だけど、俺はマザコンじゃない、残念だっ
    たね。『マザコン』って言われた方が嬉しかっただろう?
    母さんは母さんだし、彼女は彼女。
    母さんは、俺が、母さんを嫌っている。そう思っていたんだよね。確かに
    そういう時期もあった。避けていたのは、嫌っていて会いたくなかったか
    らじゃない。一人前に成長した俺を見せたかったから……そうなんだよ。
    そろそろ、その時期が来るみたいだよ。待たせちゃって……ごめんね。
    正式な夫婦になったら二人で会いに行くよ。その時をお楽しみに。
    そしてお願い。結婚の証人になって欲しいんだ。もう一人は横浜中央署の
    真山刑事第一課長。課長は、俺の事を『家族の様に思っている』そう言っ
    てくれたんだ。家族が急に増えた。
    寒くなってきたから風邪ひかないで、元気でね。

    追伸
    肝心な事を報告し忘れているよね。やっぱり、まだ「ぼんやりとした子」
    は治ってない。
    彼女の名前は、松岡瑛子。俺の元先輩刑事の元奥さん。詳細は後日。
    最後に……「幸せを感じる力」を育ててくれた母さんに……ありがとう!」

   気が付くと、自分の前に印鑑と朱肉が用意されていた。真山は、課員が印鑑を
  届けに来た事も分からない位に、川島が母に宛てた手紙の世界の中に入り込んで
  いた。

  「ありがとうございました」
   真山は丁寧に手紙を折り畳んで志津子に渡した。 

  「テレビや新聞を私は見ていませんが、世間でいろいろ達也の頃を言われている
  事は分かっています。でも、私はこの手紙の中の達也が本当の達也だと思ってい
  ます」

  「私もそう思います」

  「私は……達也が生まれてからもずっと仕事を持っていまして、達也は私の母に
  育てられました。仕事に夢中で満足に子育ても出来ていないくせに、私は達也に
  厳しい事ばかり要求していました。どんなに淋しい思いをしたのか? 私は当時、
  何も見えませんでした。愚かな母親です。でも、達也はそんな私にずっと優しく
  してくれていました……」

   真山は川島を思い浮かべた……川島には人を寄せ付けないところがあった。
  真山は「もっと心を開いて欲しい」上司と部下の関係で、それだけではなく人間
  として川島と向き合った時、その事を望んだ。また、川島はいつも周りの仲間の
  事に必要以上に気を配っていた。時にはそれが川島の「エエカッコしい」、そし
  て川島が持つ「臆病さ」そう思っていた事もあった。
   課の飲み会の席で「もっと自分の事だけを考えて行動していいんだよ。それに
  さ、選り好みをしないで身を固めろよ」そう言って川島をからかった事もあった。
  その度に川島は「はあ……」と答えて話をはぐらかし、惚けていたし「淋しい思
  いをさせたくないです」そんな事を言っていた。でも、あれは「惚けていた」の
  ではないし「エエカッコしい」をしていたのではない。辛い思いをしている仲間
  を見ていた川島の優しさから出た言葉だった。

  「一番淋しかったのは川島、お前じゃなかったのか? その淋しさを埋める事が
  出来たのが松ちゃんの奥さんだったのか……」
   志津子の話を聞いた今、分かる気がした……遅かったのか?

   ……違うよな。遅くはないよな……
   真山は心の中にいる川島に呼びかけた。

  「お母さんだけじゃないですよ。私も他の課員も川島君の優しさを充分分かって
  います。それに、川島君は分かっていたのですよ。自分のために、お母さんは頑
  張っているのだと。そういうお母さんの背中を見て成長していったのでしょう。
  川島君は余り自分の感情を表す事なく、淡々としている様に私の目には映ってい
  ましたが、心の中にはいつも人を思う、熱くて優しい気持ちがありました。その
  川島君の魂は奪われずに私達の中に残っていますよ」

  「達也の魂……ですか?」

  「そうです」

  「あの……真山さんは、達也が愛した松岡瑛子さんをご存知ですか?」

  「はい。とても素敵な女性で、川島君が愛した理由がよく分かりますよ」

  「もう達也は、私に話してくれる事が出来なくなりました。恥かしがり屋ですから、
  ホッとしていると思います。でも、今、達也が家族の様に思っている真山さんにそ
  う言って頂いて……私も嬉しく思っていますし、そこまで人を愛した達也は幸せだ
  った……」
   志津子は声を詰らせた。

  「川島君の最期の顔を見ました。いい顔をしていましたよ。彼女を、川島君の奥さ
  んの瑛子さんを本当に愛していたんでしょうね。あの顔を見て思ったのです。人を
  愛する気持ちは大事だ、と。こんな世の中です。人間を信じられないし、愛せなく
  なってしまっていますが、それじゃダメなんだ。人が人を信じて、愛して、一生懸
  命生きれば、いつか、きっと良い世の中になります。その事を川島君は教えてくれ
  ました。私は警察官として……と言っても……その、余り長くはありませんが、そ
  の事を信じて、職務を全うしていきたいし、これからの人生を歩んでいきたい、と
  改めて感じました。お母さんは誇りを持ってください。川島君は……」
   真山も、次の言葉が言えなかった。

  「達也は本当に幸せ……だったのですね……」
   そう言って、志津子は顔を伏せたままハンカチで目頭を押さえていた。

  「幸せだった……そうではなくて今も幸せなんです。そう思います。私は、川島君
  の笑顔を見て羨ましく思った……嫉妬すら感じました」

   ……静かな嫉妬……でも、自分は松岡とは違う。川島の笑顔……感じた
  「嫉妬」を生きる糧にする……

   真山は婚姻届を手に取り「川島達也」と書かれた文字をじっと見つめた。
  決して上手ではないが、誠実で優しくてシャイな川島の性格が、文字にはそのまま
  表れていた。一つだけ空白になっている欄に「真山秀作」と署名をしてしっかりと
  捺印した。

  「お母さん、これをコピーさせて頂いていいですか?」

  「コピー……ですか?」

  「私も持っていたいんです」

  「ありがとうございます。どうぞ、コピーなさってください」

  「お借りします」
 
   コピーをするために部屋を出た真山は、無人の廊下に何か気配を感じた……遠く
  に松岡が立っていた。
   二人はしばらくの間向き合っていた。

  「松っちゃん、もう許してやってくれよ……松っちゃんだって、川島の……あの最
  期の無邪気な笑顔を見たら……許そうという気持ちになれるよ」

   ……遠くに立っている松岡がニコッと微笑んだ……

  「松っちゃん……」
 
   涙が溢れる目で遠くを見た時……松岡の姿はなかった……


               ― 終 ―









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