1 「クリスマスに連休を取れる?」 祐貴が里佳子に恐る恐る尋ねたのは、今野から退職と結婚の話を聞いた翌日だった。 昨夜のデートをドタキャンされた里佳子はご機嫌斜めだったが、今日は夜の9時退社で、明日は7時 出勤という厳しいシフトにも関わらず、弘明寺の里佳子のマンションを訪れてくれた祐貴に、ご機嫌を 治していた。
「エーッ! 無理だと思う……」 突然のクリスマス連休の話をされて、また少し里佳子の機嫌が悪くなった。
「だよね……」 里佳子の不機嫌さを感じた祐貴の声が小さくなった。 「でも、どうして?」 「今野の結婚式がある。実家の仙台のホテルで式を挙げるんだけど、一緒に来いって誘われている……」 子供が親に無理な事を頼み込むような調子で祐貴は答えた。
「カサブランカの今野さん? でも、随分と急な話」 「うん。急だし、クリスマスイブという日にちが問題……」 祐貴の声は更に小さかった。
「私も式に出なくちゃいけないの?」 「内輪だけの式だから里佳子は出なくていいけど。クリスマスを二人で楽しめって、そう今野が言って いる……でも、無理だよね」
子供の様な祐貴が可笑しくなった里佳子は「ちょっと待ってて」とパソコンに向かった。
パソコンを立ち上げて、デスクトップのフォルダから「フロントシフト表」を開き、キーボードを打 ち込んだ里佳子は「決まり!」どう? と得意げな顔で祐貴を見た。 「何?」 祐貴もパソコンを覗いた。
画面には、未完成の12月シフト表が開かれていたが「西島里佳子」の欄の12月24日、25日の 部分に「H(結婚式)」の文字が打ち込まれていたのを見た祐貴の顔が輝き「やったあ!」子供の様に 無邪気な声をあげた。
「本当は簡単な事で、シフト業務担当の特権! また嫌味言われそうだけど、へっちゃら! 私は会社 で特異な目で見られているけれど、私にとって一番大事なのは祐貴との事。でも、この日程での公休に は証明書がいるの。もらってくれる?」
「証明書は何枚でも発行しちゃうよ!」 「公文書偽造、軽犯罪法違反!」 「里佳子と共犯者になるのなんて平気さ」 そう言って祐貴は、後ろから里佳子を抱きすくめた。
「仙台の何処のホテル?」 「仙台グランドオリエンタルホテル」
里佳子は祐貴に抱きすくめられながらも、Yahooの検索画面を開き「仙台グランドオリエンタル ホテル」と打ち込んだ。 「素敵なホテル!」 ホテルのHPを見た里佳子が声をあげた。 客室の画面を開き、次に「クリスマススペシャルプラン」を開き「ねえ、ねえ、見て! クリスマス ディナーはルームサービスも出来るみたい!」と祐貴に向き直った。 画面には「プレジデンシャルスィートで過ごす、二人きりのクリスマス」と銘打った豪華なプラン内 容と、気品漂う豪華な客室の画像が広がっていた。しばらくの間、クリスマスプランの内容を確認して いた里佳子は「予約」をクリックした。予約画面が現れると、空白欄に文字を打ち込み始めた。
「宿泊日 12月24日 1泊 2名……」
祐貴は黙って画面を見つめた。 名前の欄に進んで「村上」と打ち込んだ里佳子は一瞬手を止めた。決心した様子でキーボードを叩いて 「ねえ、いい?」と祐貴に訊いた。氏名欄には「村上里佳子」と打ち込まれていた。
「いいよ」と答えたが、何故か祐貴の声が上ずっていた。
許可を得た里佳子は、住所欄に「神奈川県横浜市南区弘明寺町……」と自宅マンションの住所と電話 番号を打ち込み「予約決定」をクリックした。
「ご予約ありがとうございます。12月24日 1泊 2名様 プラン名 プレジデンシャルルーム・ クリスマススペシャルプラン ご宿泊料金115,500円(税サ込)(OK)の場合は下記の完了ボ タンをクリックしてください」画面に切り替わったところで「本当にいい?」里佳子が祐貴に確認を取 った。
祐貴は画面を見ていなかった。 「氏名 村上里佳子」が頭にこびりついていたし、さっき里佳子が言った「祐貴との事が一番大事」 と言った言葉が嬉しかった。
「結婚の話になると、話題を変えた様に感じたのは考え過ぎだったのか? 結婚する気がない、と思っ ていたのは、勝手な思い込みで、里佳子を大事にし過ぎていて、気を使い過ぎていただけなのか? 本 当はプロポーズを待っていたのか? 村上里佳子になりたかったのか?」 里佳子の気持ちを思い計ったが、自然に笑みがこぼれた。
「本当にいいの?」 再度訊かれて「いいよ」今度はハッキリとした口調で祐貴が答えてから、里佳子は「予約完了」をク リックした。
「結婚式はタキシードで出席するの?」 「うん、そのつもり」 言葉少ない祐貴の心は別の所に行っていた。 「じゃあ、私はドレスを新しく買う事にする。二人きりのクリスマスは思いっきりドレスアップして過 ごすの!」
2 ― 二人だけのクリスマス ―
「二次会には出るなよ!」 今野のキツイお達しを受けた祐貴は、披露宴会場を後にして、里佳子が待っている部屋に向った。
カードキーでドアを開けると、里佳子は大きな窓辺に佇んでいた。 「お帰りなさい!」
振り返った里佳子を見て、祐貴は息を呑んだ。 ホルターネックで背中が大きく開き、腰の辺りには大きなリボンがあしらわれた、スリムな濃紺のド レスを身にまとった里佳子はまるで妖精のようで、先程の花嫁より数倍も美しかった。
「綺麗だよ!」 思わず祐貴は里佳子を抱きしめた。
窓ガラスに映った、オーソドックスな黒のタキシード姿の祐貴とドレス姿の里佳子は、まるで新郎新 婦のように輝いていた。
「何処かに出かける?」 ディナーはルームサービスを希望していたが、今野の二次会に二人で出席し、美しい里佳子を見せび らかして、みんなをアッと言わせたかった。
「ルームサービスじゃ嫌?」
「そうじゃないけれど、こんなに綺麗な里佳子を一人占めにするのは勿体ないし、自慢したい気分」
「私は祐貴を一人占めしたい!」
その時、ドアのチャイムが鳴って、ホテルスタッフがクリスマスディナーを運んで来た。ホテルマン のサービスぶりは、プレジデンシャルルーム同様素晴らしく「ごゆっくりお過ごしください」とホテル マンが引き上げた後「見事だったね!」スマートなサービスぶりに思わず二人は顔を見合わせた。
「メリークリスマス!」
二人きりのクリスマスパーティが幕を開けた。
床まで続く大きな窓からは仙台市街の夜景が一望出来、街の灯りは二人を祝福するかの様に煌いてい た。 「さっき蔵王連邦がとっても綺麗に見えたの! それに、夕焼けがとってもロマンチックだったの!」 里佳子が目を輝かせていた。
旬な魚介類や野菜、三陸金華和牛をふんだんに使ったクリスマススペシャルディナーは、盛り付けも 綺麗で味も素晴らしかった。
「美味しい!」とドレスを気にしながらも、幸せそうな里佳子を見て、祐貴は素敵な機会を作ってくれ た今野に感謝をした。 「こっちに来てごらん!」
食事が済み、食器を乗せたワゴンを部屋の外に出し終え、ワイングラスを手にした祐貴は、窓辺に里 佳子を誘った。
「夢みたい……」 祐貴からワイングラスを受取った里佳子が、祐貴に寄り添ってそっと呟いた。
「終わりにしないか……今の関係……」
祐貴の突然の言葉に里佳子は目を見開き驚いた様に祐貴を見つめた。 祐貴は何故か、唇の端に笑みを浮かべ、里佳子からワイングラスを受取って、テーブルにワイングラ スを置いた。 その動作をじっと見つめていた里佳子の目から涙がこぼれた。 窓辺に戻って来た祐貴は、少しの間、涙がこぼれる里佳子の顔を見つめた。
「終わりにしたいんだ」
少し間を置いた。
「今の関係を終わりにして……」
里佳子はただ呆然と立ち尽くしていた。 「結婚しよう!」 突然そう言った。
「何を言ってるの? 信じられない!」とでも言いたげに、里佳子は眉根の間にしわを寄せて動けなく なった。
「どうした? 里佳子、大丈夫?」 動けなくなった里佳子に、祐貴は驚いた。 「しっかりしろよ! 里佳子!」 祐貴が再度呼びかけたが、まだ里佳子は動けなかった。
……ジョークがきつかったかな? ちょっとしたいたずら心が、とんでもない事になってしまうのか? 不安になった……
「里佳子!」 肩に手を掛けた時……
「バカ!」と言って、里佳子が思いっきり抱きついてきた。
「ドレスのホルターネックのリボンを解いて! それが答えよ!」
里佳子は怪しげな目をして笑っていた。
「祐貴のバカ!」
ベッドのヘッドボードに寄りかかって、煙草を吸っている祐貴の腰に手を回した里佳子が呟いた。 祐貴は左手で煙草を持ちながら、ほんの数分前までと全く別人になっている里佳子の背中を、右手で強 く自分の方に引き寄せ「驚いた?」と訊いた。
「バカ!」 甘い余韻に浸っていた里佳子はそれしか言えなかった。
「もう一つ、驚く事があるんだよ」 煙草の火を消して、ベッドに潜り込んだ祐貴が言った。 「転勤の内示がおりた。来年2月に、山梨県の山中湖に異動になる」
「転勤? 山梨? もう、知らない!」 怒った様子で里佳子は祐貴に背を向けた。
「センチュリープラザ系列の山中湖プラザ・リゾート&スパのフロントマネージャー。すぐには無理だ ろうけれど、仕事が軌道に乗り落ち着いたら里佳子を呼ぶ」 里佳子の肩にキスをしながら祐貴は話を続けた。 「祐貴は嬉しいの?」 背を向けたままで里佳子が尋ねた。
「内示を受けた時は複雑だった。それに、里佳子と離れ離れは辛い。でも、『村上祐貴らしい仕事をし ろ。お前の色は消すな』そう言われたから『受けてやろうじゃないか!』って思ったんだよ。マネージ ャーとして、現場を自分の色に染める事が出来たら、それも面白いって」 「でも、32歳でマネージャーって、異例の抜擢で、そんな祐貴を、山中湖では手ぐすね引いて待って いるのじゃないの?」 やっと里佳子は向きを変えた。
「だろうな。今回の異動話は八幡平に行った平野さん絡みだと思うんだ。平野さん、八幡平で頑張って いるんだよ。センチュリープラザだと、そのまま埋もれちゃう俺を発掘しようとしてくれているんだよ。 多分」
「祐貴はセンチュリープラザより、そういう場所の方が合うかもしれない。私はそう思う……異動と昇 格おめでとう!」 「ありがとう!」 やっぱり分かってくれていた……祐貴は里佳子を抱きしめた。
「ねえ、落ち着いたら私は村上里佳子になれるの?」
「結婚して一緒に山梨に行きたいと思っていたんだよ。初めての場所で、一から二人で歩み始めるのは どうか? って考えて……だけど、仕事の土台をきちんと築いた上で里佳子を呼びたいって、俺の意地 だと思うけれど。訳わからないこんな意地っ張りな俺に連いて来てくれる?」
「うん……だから……さっき返事したでしょ?」 そう言って祐貴を見つめる里佳子の目の縁が赤くなって潤んでいた。
祐貴は思わず里佳子を強く抱きしめた。 里佳子は祐貴の胸に「むらかみりかこ」と指でなぞった。 「くすぐったいよ」 里佳子の指を取って自分の口に当てた。
「山中湖のホテルにチャペルはある? 私は、高原の可愛いチャペルで祐貴みたいな人と、結婚式をあ げるのが夢だったの」 「うん、チャペルはあるよ。だけど、祐貴みたいな人、じゃないだろう? 祐貴と、だろう?」 「自信家! ……でも……だから好きなの」
「年が明けて落ち着いたら、千葉の家族に会いに行って欲しいんだ」 「ご家族に?」 里佳子の表情が不安げになり、身体が硬くなった。
「不安? 大丈夫だよ。俺の家族は絶対に里佳子を気に入るよ。お袋は鴨川シーサイドホテルの大女将 だけど、そんな雰囲気もなくて可愛いおばちゃんだし、俺と血の繋がりのない親父も……一応社長だけ ど、物分りの良い優しい親父だよ」 「後は……お兄さん達は?」 「問題ないよ。総支配人の兄貴も女将の義姉さんも。ただ一つ、問題があるとしたら、小生意気な双子 の姪だけかな? あいつら、うるさいんだよ。だけど、ホームドラマに出てくるような気の良い家族だ よ」
祐貴が中学二年生の秋に、母の村上由美子は子連れで再婚を果たした。夫の省三も、当時高校三年生 だった一人息子の雅彦を連れての再婚であった。祐貴がそんな二人を何のこだわりもなく「父と兄」と して迎え入れる事が出来たのは、二人が持っている独特な雰囲気……心の痛みを持つ者同士が分かり合 える気持ち……そんな事を感じたからであった。 5歳年上の義兄の雅彦は高校を卒業と同時に、鴨川シーサイドホテルで、ホテル業を学ぶために修行 を始めた。
「じゃあ、祐貴だけが色が違う」 「何だよ! 俺だけが気が良くない? って事?」 「そうじゃなくて、祐貴はまったりとしていなくて、鋭い部分がある。っていう事」
「千葉に行くのは決まり、でいいよね。でも、その前にもう一度いきたくない?」
「何処に?」
里佳子の問いには答えず、祐貴は行動に移した。 祐貴の実家に行く事……これが新たな始まりになる。とは、二人には想像出来なかった。
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