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作品名:ふたり 作者:nottnghill_ann

第18回   第十八章
  弘明寺の里佳子のマンションに到着したのは、夜の9時を過ぎていた。

  長野では、万が一の事を考えて、碓井・軽井沢ICから高速に乗らず、小諸ICまで
 一般道を使ったため、思いの他時間がかかったし、途中で携帯ショップに寄って、新し
 い携帯電話を購入していた。

  マンションに到着した祐貴は、玄関で「ごめん」と春奈との不貞をまず謝った。
 部屋の窓を開けて空気の入れ替えをし、和室にある里佳子の実の両親と弟、養父母の写
 真が飾ってある棚に、買って来た花を供え、長い間手を合わせた。
 
  里佳子が刑務所に入所してから、祐貴は月に一度、里佳子のマンションを訪れて部屋
 の空気の入れ替えと掃除をしていた。
  マンションなどの管理に関しては、祐貴が引き受けるつもりでいたが、里佳子に激し
 く拒否された事もあり、費用を支払って、里佳子の身元引受人になっている伊刈弁護士
 に任せていた。その他にも、追加費用を支払い、刑務所にいる里佳子の様子に関して定
 期的に報告を受けていた。

  写真に手を合わせ終えた祐貴は、掃除機で室内を掃除し、除菌シートを使って拭き掃
 除もした。誰も使用していない部屋は、それでも埃がたまっていた。風呂場もキッチン
 もピカピカに磨かれてある。それは、突然里佳子が帰って来ても、すぐに気持ちよく生
 活出来るためであった。
  掃除が終わって、買って来た弁当を食べた祐貴にどっと疲れが出て来た。
 いつもは日帰りでマンションを辞去するのだが、これからホテルを探す気力もなかった
 祐貴は「すみません。今日は泊まらせて頂きます」里佳子の家族の写真に向って断りを
 入れた。しかし、里佳子の寝室で寝る事は出来ず、和室の押入れから客用布団を取り出
 した。

  その時、取り出した布団の間から数冊の本らしき物が落ちた。
 「何だろう?」思わず祐貴はそれを手に取った。
  
  ……綺麗な表紙に「想い出」と書かれた里佳子の日記だった……

  事件後、里佳子のマンションは家宅捜査が行なわれたが、この日記は、警察の目に触
 れる事はなかったのだろうか? 
  日記は三冊あった。全て表紙のデザインは違うが「想い出」という文字は一緒で、
 2002年、2003年、2004年とそれぞれ書かれていた。その年数を見て祐貴は
 ハッとした。
 
 「自分と出会ってからの年数だ」
  胸が痛みだした。

  祐貴は日記をそっと抱えて、ダイニングテーブルに座って少しの間それを眺めた。
 バッグから、持って来たフォアローゼスの瓶を取り出し、バーボンをグラスに注いで、
 一息ついたところで「悪いけれど、読ませてもらうよ」と里佳子に向って呟き、200
 2年の日記帳を開いた。
  
  日記の書き出しの日付は、2002年7月15日となっていた。

 「村上祐貴」一番初めにその文字が書かれていた。
 
 「やっと出会えたの! 私がずっと待っていた白馬に乗った王子様……そして、始まっ
 たの!」
  7月15日の日記にはただそれだけの文章とハートマークが書かれていた。
 
  忘れる事がなかった出会いの日の事を考えて祐貴の胸が切なくなった。
 
  誰かに話しかけるような日記には、祐貴との幸せな日々が綴られていた。
 
 「仕事を終えて帰ったら、見上げた部屋に電気が点いていたの。祐貴が待っている! 
 と思うとエレベーターが来るのが遅く感じて……ふしだらな私」
  そんな事も書かれていた。

  ……そうだ……あの頃、このマンションのこの部屋で、里佳子の帰りを待ち遠しく待
 っていた……
 「ただいま!」と言うなり、いきなり胸に飛び込んで来た里佳子の姿が目に浮かんで、
 思わず笑みがこぼれた。

  祐貴と過ごした幸せな日々、愛し合った事、そして、プロポーズされた夢のようなク
 リスマスの出来事、甘く切ない里佳子の自分を愛する思いが、日記には手に取るように
 描かれていた。
  
  その内容が変化したのは、2004年、千葉の実家に行った後からだった。

 「フラッシュバック」「怖い夢」「両親」「弟」「祐貴のお義父さん」「真実」 「不安」
「言えない」そんな言葉がひんぱんに表れるようになり、そして、図書館で、両親が殺害さ
 れた事実を知った事、警察に行った事。事件の担当刑事に会った事。自分で調べて真実を
 知った事等、全てが日記には書かれていた。

  そして、必ず日記の最後に「祐貴、ごめんね」の文字があった。

  ……ずっと里佳子は一人で悩み、苦しんでいたのだ……
 「里佳子はバカだ」そう思ったが、もし、自分が里佳子の立場だったら……里佳子にだけ
 は話が出来ないだろう。それは、自分が思う相手が大事だから……知った結果で、自分の
 気持ちに決着が付けられるまでは、話す事は出来ないだろう。
  
  しかし、最悪な結末を迎えてしまった時「祐貴に話をして、一緒に考えてもらえば良か
 った」と祐貴を頼りにせずにいた「自分」を責め、そんな自分を「祐貴には忘れてもらい
 たい」がために「祐貴を苦しめないようにするため」に拒絶しているのだ。

 「俺は里佳子の事をどれだけ考えられ、守る事が出来たのか?」
  溢れる涙を拭おうともせず、祐貴は里佳子の日記を読み続けた。

  最後の日記は事件の前日だった。

 「明日、真実を聞いてしまったら、私はどうしたらいいのだろう? 祐貴とはどうなるだ
 ろう?」そして、やはり最後の最後には「祐貴、ごめんね」の文字があった。

 「ずっと言っているだろう? 里佳子が何をしようが、どうなろうが、俺の気持ちは変わ
 る事はないよ。迎えに行くから待っていて欲しい」
  日記の中にいる里佳子に向かって、祐貴は話しかけた。


   *****


2011年

 「出所日が2月14日決まりました」と伊刈弁護士から連絡があったのは、2月の初め、
 新しい勤め先である、横須賀のスーパーマーケットの仕事にも慣れて来た頃だった。

  真っ先に義兄の雅彦に電話を入れた。
 里佳子の裁判を傍聴する時に会って以来、雅彦には会っていなかったし、最近は電話でも
 連絡を取り合ってはいなかった。
  事件当時は、キャンセルが相次ぎ、経営的に厳しくなっていた鴨川シーサイドホテルも、
 現在は経営も順調のようだった。
  祐貴は、インターネットのホームページで、ホテルの様子を見ていた。
 ホームページ内には「気まぐれ女将のひとり言」と称した義姉の美由紀のブログも掲載さ
 れていて、時々、母の由美子や姪の美香と美咲も登場していた。

 「おめでとう! 出所してきたら、里佳子さんをしっかりと守って、二人で幸せな生活を
 送れるように、強く生きて行けよ」
  雅彦も心から里佳子の出所を喜んでいた。母の由美子は「元気だから安心しろ」そう言
 ったが、祐貴の事はまだ許す気にはならない様子だった。




  2月14日は寒い日だった……

  祐貴は、朝早くアパートがある横須賀市汐入を出発して、里佳子が収監されている刑務
 所に向かった。本来であれば、身元引受人の伊刈弁護士が、里佳子を迎えに行く予定とな
 っていたが、伊刈はその役目を祐貴に託してくれた。祐貴は伊刈の気持ちに感謝していた。
  
  刑務所に到着した時には雪が舞い始めていた。刑務所近くのファミリーレストランで、
 里佳子が出てくるまでの時間を潰していた。

  期待と不安が胸いっぱいに広がった。
 里佳子に拒絶された面会室での出来事と、裁判所での光景が蘇った。腰に回された腰縄と
 手錠が目に浮かび、祐貴は目を瞑って思わず頭を抱え込んだ。オーダーしたクラブハウス
 サンドイッチとコーヒーを運んできたウェイトレスが、怪訝な表情で祐貴を見ていた。

 「お前達は、出会うべくして出会った『二人』なんだよ」
  今野の言葉を思い出した。
 
 「里佳子さんをしっかりと守って、二人で幸せな生活を送れるように、強く生きて行けよ」
  雅彦の言葉も思い出した。
  
 「しっかりしろ! 祐貴」
  自分自身に言い聞かせた。自信を持って生きてきたが、里佳子に関して、自信が
 持てない祐貴がいた。
  
 「これが、俺なんだ。里佳子と出会って、里佳子を軸にして自分がある。俺の幸せは、里
 佳子無くしては有り得ない」
  
  少し、自信が戻ってきた。
  
  数人の女子高校生のグループが、バタバタとファミリーレストランに入ってきて、静か
 だったレストランが急に賑やかになった。
 
 「ねえ、見て! 可愛いでしょう? これで、先輩は参っちゃうかなあ……」

  今日のバレンタインデーにチョコレートを渡す相手の話で、女子高校生は盛り上がって
 いた。

 「そうか、今日はバレンタインデーか……」
  里佳子と過ごしたバレンタインデーの事を、祐貴は思い出した。

  ホテルでもらったチョコレートを、自慢げに里佳子に披露すると「バレンタインデーは、
 普段、祐貴に『愛している』と言いたくても言えない人のために譲ってあげるの。だから、
 私は、今日だけは祐貴に『愛している』と言わないの」と、里佳子はそっぼを向いた。
 
 「やきもち焼くなよ」
  祐貴はそう言って里佳子をからかった。
 
  二人は翌年も同じパターンのバレンタインデーを過ごしていた。
 
 「今日はどんなバレンタインデーになるのか……」


 「時間だ!」
  祐貴は席を立った。


   *****


  身支度を整えた里佳子は刑務所長室に呼ばれた。
 所長室には女性刑務官と女性所長が里佳子を待っていた。
 
 「西島さん、おめでとう。あなたは立派に刑務所内で務め上げました。これからは、一人
 の女性として、人間として、清く正しく二度と間違いを犯さないように、生きて行きなさ
 い。お疲れさまでした。これは、長い間、真面目に働いた分の報酬です。それから、身元
 引受人の伊刈弁護士が、急用が出来て迎えに来れなくなりました。他に迎えもなく、一人
 での出所になりますが、胸を張って堂々と出て行きなさい。本当によく頑張りましたね」
  所長の言葉が温かく里佳子の胸に響いた。
 
 「長い間お世話になり有難うございました。これからは、皆さんのご期待に沿えるように、
 生きて行きます」
  里佳子は二人に向って深々と頭を下げ、所長室を出た。

  刑務所の玄関で刑務官が「さあ、行きなさい。でも、今日は雪が降り始めて寒いのよ。
 風邪を引かないで元気でね。私達は、あなたのこれからに期待していますよ」
  そう言って里佳子に握手を求めた。
 
 「本当にありがとうございました。刑務官もお元気でお過ごしください」
  里佳子も刑務官の両手をしっかりと握った。

  玄関を出ると、急に冷たい風が頬を撫でたが寒さは感じなかった。
 コートの襟を立て、里佳子は刑務所の門から、自由な世界への道を歩み始めた。入所の時
 には景色を見る事は出来なかった里佳子は、周りの景色をゆっくりと眺めた。のどかな田
 園風景が広がっていたが、土の上にはうっすらと雪が積もり始めていた。
 
 「一人で頑張って生きていく」
  
  雪の白さが、出所を祝福してくれているような気がした。大きく深呼吸して、里佳子は
 駅に続く道を歩き出した。

  遠い向こうから、誰かが歩いて来るのが見えた。
 自分はしっかり罪を償ったのだから、何も恥じる事はない。所長に言われた様に「堂々と
 胸を張って前を見て歩けばいい」そう思ったが、何故か俯き加減になり、下を向いたまま
 でゆっくり歩いた。
  
  歩きながら刑務所での日々を考えていた。

  刑務所では灰色の受刑服を着て、定員6名の10畳の和室を8人で使用していた。
 6時半に起床後は、20分の間に身支度から掃除まで全て行なわなくてはならなか
 った。
  ただ黙々と箸を進めるだけで、会話も団欒もない食事。
 8時前から始まる刑務作業。里佳子は白衣の作業着を作るために、毎日8時間ミシンを踏
 み続けた。
  刑務所と言うよりは、全寮制の工場的な雰囲気もあったが、あくまでも刑務所であり、
 そこでの生活を里佳子はじっと耐えていた。入所当時は嫌がらせやいじめを受けた事もあ
 った。辛かったが「祐貴と一緒に歩む事は出来ないという、その辛さに耐えたのだから、
 耐えられる」そう思って頑張った。
  今まで「親友」と呼べる友人がいなかった里佳子に、受刑者同士の友情心も芽生えてき
 た。言葉には出せなくても、一つの部屋で生活をしていく内に情が通い合って行った。
  しかし、刑務所以外で芽生えた友情は継続して行くが、刑務所で芽生えた友情は出所し
 たら「終わり」だった。
  里佳子が出所する日、同室の受刑者達は今までと同じ態度だったが、半分は羨ましそう
 で、半分は淋しい表情を見せた。それでも、誰も「出所したらまた会おうね」とは言わな
 かった。
 


  徐々に、向こうから歩いて来る人が近づいてきた。

 「この先にあるのは刑務所だけだから、あの人は誰かの面会に行くのだろうか?」
  
  そんな事を考えながら歩いたが、相手が近づくにつれ、里佳子の俯き加減が深くなった。
 やはり、顔を合わせたくはなかった。
 
 「早く通り過ぎてくれればいい」そんな事も考えたが、相手の足音が聞こえる程、距離が
 縮まった時、懐かしい気配を感じた様な気がして、里佳子は思わず顔を上げた。


  相手を確認した里佳子の手からバッグと紙袋が地面に落ちた。
 
 「まさか!」 
  信じられなかった。

  2メートルと離れていない距離に立っていたのは、忘れようとしても忘れる事が出来な
 かった「白馬に乗った王子様」だった。

  立ち尽くしたまま二人はじっと見つめ合った。

  真っ白な雪が二人に降り注いだ。

 「また、始まるんだよ」
  王子様が里佳子に話しかけた。

 「祐貴……」
  里佳子の目から大粒の涙がこぼれた。

 「今日はバレンタインデーだよ。だけど、里佳子は……今日だけは……『愛している』と
 は言ってくれないんだよね」
  
  祐貴は笑顔で言って、里佳子に手を差し出した。


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