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作品名:ふたり 作者:nottnghill_ann

第16回   16
  季節は春を迎えたが、祐貴の心は冬のままだった。

  祐貴は山中湖プラザ・リゾート&スパを退職し、長野県にある「フォレストイン軽井沢」という
 小さなホテルに職を変えていた。
 
  由美子から「出て行きなさい」と言われてから、一度も実家には戻らなかった。
 勿論、省三の通夜にも葬儀にも出席していなかった。 
  鴨川シーサイドホテルもしばらくの間は、宿泊のキャンセルが相次いだし、訪れる客の中には、
 物見遊山の客もいた。しかし、ホテルも時が経つにつれて、少しずつだ が元の賑わいを取り戻し
 つつあった。
 
  里佳子とも、面会室で拒否されてから一度も会っていないが、国選弁護人の伊刈慎一を通して、
 里佳子の様子は聞いていた。様子を聞く度に「里佳子に会いたい」という思いが増した。
 
 「無視するのなら、無視してもいい。自分の気持ちを里佳子にぶつけたい」
  その気持ちと戦っていた。
 
 「信じて待っていればいいんだ」
  そう自分を抑えていたが、あれだけ好きだったホテルの仕事にも生きがいを見出す事は出来なく
 なっていた。
  

   *****


  4月も終わりになった時期に「第一回目の公判の日程が、6月14日に決まった」と、雅彦から
 連絡が届いた。

  里佳子の裁判については「殺意の有無」が大きな争点となっていた。

  弁護側は「包丁を使用した行為ではあったが、被告人が指した部位(背中及びわき腹)から殺意
 はなかった事。また、行為に及んだ動機、両親と弟殺害事件が根底にあった事で、心身耗弱も考慮
 すべき事案」を強く訴える作戦で争う事を考えていた。
  検察側は「被害者と会うために包丁を買い求めた事から、殺意があった事、時効になった殺人事
 件は考慮しても、一度ならずとも、二度刺している事から、復讐劇での殺人未遂」を訴える作戦に
 出るつもりであった。

  裁判当日、公休日の祐貴は、駅で義兄の雅彦と待ち合わせをして裁判所に向かった。


 「元気そうだな」
  久しぶりに会った雅彦は、以前より白髪が目立ち、苦労の跡が伺われたが、笑顔で祐貴を迎えて
 くれた。
 
 「何とか軽井沢のホテルで働いています。兄さんこそ元気そうで。母さんはどうですか?」
  真っ先に母の事を祐貴は尋ねた。

 「心配するな。母さんは元気だよ。前より仕事に厳しくなった、と美由紀がこぼしている位だ」
 
 「本当に、すみません」

 「いいんだよ。いつか、母さんもお前を許す時がくるさ。時が解決してくれるよ。それより、里佳
 子さんとはずっと会えてないのか?」
  雅彦は祐貴の事を心配した。
 
 「面会に行く弁護士からは様子を聞いています」
  一番辛い事を言われて、祐貴の胸が痛んだ。



 「凄い人だかりだな」
  思わず雅彦が声を上げた。裁判所の周りでは、傍聴券を求めてたくさんの人が列を作っていた。
 二人は、報道関係者の目につかないように、小走りで裁判所に入って行った。
 
  開廷5分程前に、祐貴と雅彦は法廷に移動した。
 法廷内では、すでに裁判官、弁護士、検察官、事務官が着席していて、傍聴席も、ほぼ埋まってい
 る状態であった。
  傍聴席に、岡田の姿を見つけた祐貴は、何故か嫌な気持ちになった。

  裁判長が入廷と同時に、法廷内の空気が緊張に包まれた。
 
 「ご起立願います!」
  裁判官の声で益々緊張が高まった。

  一同が礼をした後「被告人入廷」
 裁判官の声が法廷内に響き、祐貴は思わず唾を飲み込んだ。

  ドアが開き、二人の警察官に連れられた里佳子が入廷してきた。
 今日の里佳子は、祐貴が用意をし、弁護士を通して差し入れた、白いブラウスにグレーのスーツを
 着ていたが、腰に巻かれた縄と手錠を見た祐貴は思わず目を閉じた。




 「お願いです! あの人を出してください!」
  目を閉じていた祐貴の頭に、甲高い女性の叫び声が響いた。

  一瞬、誰が何を言っているのか分からなかったが、目を開けた祐貴に、自分を指さしながら喚い
 ている里佳子の姿が飛び込んで来た。
 
 「被告人、静粛にしてください!」
  裁判長の声が響いた。

 「早く! あの人……あの人を出して!」
  さっきよりヒステリックな口調で里佳子が叫んだ。

  法廷内がざわめき、法廷内の人間が一斉に祐貴を見た。

 「被告人は静粛にしなさい!」
  裁判長が木槌を叩いて、再度、里佳子を制した。

  警察官に肩を押さえつけられた里佳子が、祐貴を指さしものすごい形相で睨みつけていた。

  その姿を見た祐貴は、反射的に席を立った。

  隣の雅彦も唖然とした顔をしていた。

  夢中で祐貴は法廷内から廊下に出た。

  傍聴席にいた岡田の顔に、笑みが浮かんだ。


  後ろから誰かが追って来るような気配がしたが、裁判所の廊下を全速力で走り、外に飛び出て、
 やって来たタクシーを止めて乗り込んだ。

 「どうしましたか?」
  逃げるようにタクシーに乗り込んだ祐貴の様子に、驚いた運転手が訊いたが「千葉駅まで行っ
 てください」そう言って祐貴は目を瞑った。

 「何故なんだ……」
  さっきの光景を思い出した祐貴の目から涙が溢れた。そのまま祐貴は軽井沢に帰った。


   *****

  「大丈夫だったか?」
  その夜、祐貴は雅彦から電話をもらった。

  雅彦の声を聞いた祐貴は「大丈夫です」そう言ったが、思わず涙が溢れた。

 「泣くなよ。彼女もお前に、あの姿を見せたくなかったのだろう。だから、あんな事を言ったの
 だよ」
  
  雅彦の言う通りだと思ったが、祐貴は答える事が出来ずに、ただ泣いていた。

 「ところで、ニュースは見たか?」
  祐貴の泣き声が少し治まった所で雅彦が訊いた。

 「いえ……見ていません……」
  やっと祐貴が答えた。

 「お前が帰った後、彼女は大人しくなり裁判は無事に終わった。検察側は殺人未遂、弁護側は、
 殺意はない傷害罪を主張したよ。次回公判は2週間後だ。そこで、検察側からの求刑がある」

 「殺人未遂……兄さんはそれで納得出来ましたか?」
 
 「納得? 俺はお前と同じ気持ちだ。親父の犯した罪は許せない。その事を知った彼女が、ど
 れだけ苦しんだか? という事を考えたら、俺は無実を求刑したい位だ」
 
 「兄さん……」
  また、祐貴の目から涙が溢れた。
 
 「確かにお前が言った通り、親父は卑怯だ。会う翌日に届くように彼女に手紙を送り、お袋に
 は繕った内容の遺書を送った。死ぬ覚悟を決めているのに、何故、彼女と会ったんだ。どうし
 て彼女が包丁を用意したのか? 会う約束をした電話の話の中で、親父は彼女の両親の事を
 『あなたのご両親の事なんか』と言ったそうだ。『なんか』という言葉に彼女は怒りを覚えた。
 ホテルでは、親父は殺害した事は認めなかったが、彼女の母親と、不倫関係にあった事を伝え
 た。そして、父親が母親に暴力を奮っていて、おまけに裏口入学の斡旋をしていた事も彼女に
 話をした。その真偽の程は分からない。親父の一方的な話で証拠も何もないから。どうして彼
 女だけが生き残ったのか? それは、親父が彼女に手をかけようとした時、母親は『その子は
 あなたの子』そう言って事切れたそうだ」
 
 「待ってください……親父は……里佳子も殺そうとしていたのですか?」

 「確証はない。遺書の中にも『腕を掴んだ』としか書かれていなかった。だが、里佳子さんは
 思い出していた。腕を激しく掴まれ、抱え込まれて首に手をかけられた事を。弁護人が訴えた。
 親父の罪は、殺人の他に殺人未遂も含まれる。ただ、それは、子供の記憶であって曖昧な部分
 もある」
 
  ……だから、あの時……車の中で里佳子はあれ程までに怯えたのか……そんな辛い過去を抱
 えていたのか……きちんと話を聞いてあげれば良かった……気持ちを救ってあげれば良かった……

  祐貴は、後悔した。

 「お前にも辛い話だよな……親父はあの手紙の最後に、彼女とは血液型が違うから、自分の子
 供ではない。そう書いていたが、その事については、親父の子供かどうか? 一つだけ調べる
 方法がある。俺と彼女のDNAを調べれば分かるが、彼女はそんな事はしないだろう。結局、
 親父が彼女に復讐をしたんだ。俺はそう思っている。自分の幸せを壊そうとしている彼女に刺
 されるように仕向けたんだ。それから、もう一つ……これは重要な事だ。親父は精神を病んで
 いた。精神科に通院していてリスパダールを処方されていた。

 「リスパダール?」
 
 「そうだ。抗精神病薬だ。お前と彼女が鴨川に現れた年の春に、病院に行って統合失調症と診
 断された」

 「統合失調症?」

 「月に一度、精神科で薬の処方を受けていたが、お袋も俺も全く知らなかった。通い始めたの
 は一年前からだが、かなり以前から統合失調症にかかっていたと、医者は言っている。リスパ
 ダールを服用していると、倦怠感に襲われたりする事があるらしい。もしかしたら、親父は、
 ある時期から服用を止めていた可能性もある。だから、支離滅裂な行動をとったのかもしれな
 い……」

 「兄さんはその事をいつ知ったのですか?」

 「今日の裁判で、初めて知った」
 
 「今まで知らなかったのですか? その事が、今日の裁判で明らかにされたのですか?」
 
 「そうだ」

 「里佳子が……僕に全てを話してくれていたのなら……それ以前に、僕が気付いていたら……
 親父と向き合っていたら、こういう事にはならなかった、という可能性もあった……」
 
 「それは、分からない。親父は……殺人という罪を、長い間隠して生きて来た人間だ。異常な
 のだろうが、ある部分強い人間だ。だから……お前が事情を知って、某の事をしたとしても、
 親父には通用しなかった……俺はそう思う」

 「兄さん……」

 「いいんだよ。お前が親父の事を思っていてくれた。という事は充分に分かってるさ。お前が
 りっぱな男になったのは、親父の気持ちを分かっていてくれたからだ。それに、非人間的な親
 父と俺を、気持ち良く迎えてくれた。俺は、お前という弟を得た事で……」
  雅彦が声を詰らせた。
 
 「俺は……お前の兄貴になれて嬉しかったんだよ……」

 「……」
 
 「親父が、里佳子さんのご両親と弟を殺害し、里佳子さんまでをも手にかけようとした事は紛
 れもない事実だ。だが、その裏にあった真実は、親父が亡くなった今は分からない。病んでい
 た親父は今、精神と肉体が一緒になった。罪は消えなくても、今は穏やかな気持ちになってい
 るだろう。そういう親父を許す気持ちを今はまだないが、俺は親父の息子だ。許せなくても、
 いつか、分かってあげたいと思う。それに……どんな事があっても、お前は俺の弟だ。そして、
 もし戻って来てくれるのなら……里佳子さんは俺の妹だ。親父が犯した罪は消えない。だが、
 里佳子さんは罪を償えば、親父とは違う人間だ」
 
 「兄さん……」

 「お前が謝る必要はない。謝らなくてはならないのは俺だ。祐貴、本当に申し訳なかった」

 「兄さん……」 

  電話口の向こうにいる義兄の雅彦は、自分が慕い、尊敬した兄だった……母を大事にし、
 鴨川シーサイドホテルを守ってくれる雅彦がいたから……里佳子と出会った、今の自分がある。

 「もう、それ以上言うな! いいか、話を戻すぞ。彼女は、お前と鴨川に送られてきた写真と
 手紙の事もあり、精神的に相当追い詰められていた。弁護側が心神抗弱を訴えた」
 
 「写真と手紙を送ったのは誰か? というのは解明されたのですか」
 
 「残念ながら、それは出来ていない。ただ、心神抗弱が認められれば、無罪になる可能性もあ
 る」
 
 「無罪……」
 
 「だが、それは難しいだろう。心神耗弱になっても、犯行を犯す以前には、正常な判断を出来
 た時間も有っただろう。そうした時間には責任能力はある。次回の法廷では、彼女が証言台に
 立つ事になる。俺は、遺族側からの情状酌量を求めたいと思ったが、それは母さんから止めら
 れた。お前には申し訳ないが、母さんの気持ちを汲んで、理解してもらいたい」

 「兄さん……ありがとう……」
  祐貴はそれだけ言うのがやっとだった。

  もしかしたら……里佳子は、雅彦の腹違いの妹なのかもしれないのだ……

 「里佳子さんは一人で苦しかったのだろうな。それを思うと俺も辛くなる。お前の事を考えて、
 随分と悩んだのだろう。まさか、こんな結果になるとは思わなかっただろうが、出来ればお前
 を巻き込まずに、一人で解決したかったんだよ。だから、お前は 陰で、彼女にとって良い判
 決が出る事を祈ってやれよ。そして、待っていてやれよ。それは並大抵な事じゃないぞ。何か
 あって心が折れそうになったら、自分の気持ちに素直になって、彼女を思う気持ちを大事にし
 ろ。里佳子さんが俺を許してくれるかどうかは分からないが、俺は、戻って来たら、気持ちよ
 く受け入れるつもりだし、お前と里佳子さんが、二人で幸せになる事を心の底から願っている
 よ。分かったか?」
 
 「はい……」

 「いつまでも泣いてるなよ。軽井沢での仕事を頑張れ。しっかりと生きろよな」
  雅彦の電話が切れた後も、祐貴はずっと泣いていた。

 
  一ヵ月後、里佳子の判決が下った。検察側は懲役10年を求刑したが、下りた判決では、執
  行猶予なしの懲役6年となった。

  二度刺している事、二度目は包丁で被害者の腹部を刺しているが「素人が故意に外す」事は
 できない事を含め、罪状は「殺人未遂」しかし、行為に及ぶまでの原因、状況、自首が考慮さ
 れた。

 
  ……里佳子は女子刑務所に収監された……





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