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作品名:ふたり 作者:nottnghill_ann

第15回   15
  千葉県警千葉中央署では、神奈川県警鶴見中央署や、事件を知り駆けつけた井上浩三の供述などで
 進展をみられていたが、それが大きく動いたのは、祐貴が提出した「村上省三の遺書」がきっかけだ
 った。

  遺書を見せられた里佳子は、その後、重い口を開き始めた。

 「殺害したのは私です」と里佳子は供述を曲げなかったが、致命傷となった、心臓部に刺さっていた
 包丁の柄を省三がしっかり握っていた事、里佳子が穿いていたストッキングや、スカートの後ろ側に
 省三の血が飛び散っていた事、遺書から判断して、背中とわき腹を刺したのは里佳子であるが、心臓
 を刺したのは省三自身である。という結論に達し、里佳子は起訴された。
 

   *****

  起訴が決定した後、祐貴は面会の許可を得る事が出来た。

 
  里佳子に会うのは約一ヶ月ぶりであった。
 
  面会室で待っていた祐貴の元に、看守に付き添われた里佳子が現れた。
 長い髪を後ろで結び、スウェットの上下を着た里佳子の顔は青ざめていたが、里佳子は、一度も祐貴
 の顔を見ようとはしなかった。

 「里佳子……」
  祐貴は、ガラス越しに座った里佳子に優しく声をかけた。

 「長い間苦しんだんだろう? 辛かったよな?」
 
 「ご迷惑をおかけし申し訳ございません」
  かすれた声で里佳子が頭を下げながら謝ったが、やはり祐貴の顔は見なかった。
 
 「里佳子が謝る事はない。自分の事ばかり考えていて、里佳子の苦しみに気付かずにいた俺も悪い……」
  ガラスに手を掛け、祐貴が里佳子に話しかけた。

  里佳子は何かに耐える様にじっと俯いたままだった。祐貴はそんな里佳子をじっと見つめていた。

 「里佳子……」

  しばらくして祐貴が声をかけた。
  
  里佳子の身体がかすかに揺れたが、まだ俯いたままだった。

 「俺の気持は変わらないよ。だから、里佳子が出てくるまで待っている……」
  
  祐貴がそこまで話し始めた時だった。
 
  里佳子の表情がうつろになり、何か呟き始めた。

 「どうしたんだ?」

 「……」
  
  何を言っているのか分からなかったが、里佳子は何かぶつぶつ呟いていた。

 「何を言ってるんだよ!」
 
 「……揺れている恋は泡のよう……」
  里佳子は歌を唄っていた。

 「どうしましたか?」
  里佳子の様子が変わったのを見た、看守が尋ねた。

 「……」
  里佳子は何かを口ずさみながら席を立ち、面会室のドアを指差し、ドアの方向に向かって歩き始め
 た。

 「里佳子、どうしたんだよ! まだ終わっていないよ!」
  祐貴は立ち上がって必死に叫んだ。

 「ふたり違う場所でしか叶わぬ夢を持っているから……」
  里佳子は無表情で何かの歌を唄いながら、自ら面接室から去って行った。一度も祐貴の顔は見なか
 った。

 「待てよ! 里佳子! 行かないでくれよ!」
  祐貴は、必死で叫んだ。
 
 「俺はずっと待っているからな! 里佳子を愛している、という事を忘れないでくれよ!」
  
  里佳子の背中に向かって祐貴は叫んだ。

 「里佳子……どうしちゃったんだよ!」
 
  里佳子の姿が消えても、祐貴はそのまま動く事が出来なかった。



   *****


  里佳子は涙を流し、じっと壁を見つめていた。
 
 「いいの……これでいいの……」壁に向かってつぶやいた。

  さっき、口ずさんだ歌は、祐貴の車の中で何度も聴いた歌だった。

  ……もう一度……ずっと、ずっと……祐貴の優しい唇に触れて、幸せになりたかった……

 「祐貴には未来があるから、いつまでも私の事を引きずって生きて行く事はない。私を生かせてくれ
 たのはお母さん。祐貴のお義父さんがきちんと罪を償っていてくれたら、私は祐貴とは出会わなかっ
 た。私の生きる目的は両親と弟殺害と弟殺害の真相を暴く。これが私の『運命』だったの。そのため
 に祐貴と出会ったの。だから、これでもう終わりなの……」


   *****


  事件は、ニュースやワイドショー、週刊誌等でセンセーショナルに扱われた。

 「村上マネージャーに婚約者がいる」という事を、山中湖プラザリゾート&スパの、ホテルスタッフ
 は知っていたが、具体的な話は聞いていなかった。スタッフは事件後に、祐貴が抱える事情を知る事
 になったが、それでも、遠慮と思いやりから、誰一人、祐貴にその事は問わなかった。
  祐貴は今まで以上に、己の仕事に対して厳しい姿勢で望んだ。それでも、スタッフは分かっていた。
 目の前にいるマネージャーは「以前とは違う脱け殻になったような村上祐貴」だという事を。


 「容疑者の婚約者であり、被害者の息子」である祐貴は、活字メディアやTV局のワイドショー等の、
 格好の取材対象になった。里佳子と祐貴に関する憶測記事も飛び交ったが、祐貴は取材には一切応じ
 なかった。


  平日のその日、フロントオフィスのデスクで仕事をしていた祐貴は、長い間、粘っているフロント
 カウンターの客が、何を要求しているのか分かっていた。

  神経をカウンターに集中していた。
  
  スタッフが対応に苦慮している相手は、某TV局の取材スタッフだった。
 「村上は不在です」とフロントでは言い張っていたが、取材スタッフが、納得していないという事は
 手に取るように分かっていた。一般客も姿を見せ始めた中で「もう、これ以上、迷惑をかけられない」
 と思った祐貴は腰を上げたが「出ない方がいいですよ。任せてください」羽田が、祐貴を制してカウ
 ンターに出て行った。

  しかし、マスコミ対応慣れしていない羽田の対応は拙かった。

  困り果てているスタッフを横目で見ながら、祐貴は立場を失いつつあった。フロント支配人は、何
 も言わず、苦虫をかみ潰したような表情でパソコンに向かっていた。支配人がパソコンに集中してい
 なくて、イライラしているのは肌で感じられた。何か言って欲しい、と思っていたが、支配人は何も
 言わなかった。フロントオフィスの重苦しい雰囲気に嫌気がさしているスタッフも、だからと言って
 カウンターに出る事も出来ず、居場所を失っていた。

 「もう、自分が出るしかない」そう思って、祐貴は覚悟してカウンターに出ようとして、席を立った。
 支配人の顔を見たが、支配人は祐貴から視線を逸らした。

  祐貴の登場で、取材スタッフが色めきだった。
 
 「お話しますから、こちらにお願いします」
  無表情で、取材スタッフをロビーの外れに案内した。

 「取材をされたい皆様の気持ちは分かりますが、ここはホテルという公共の場所です。私のプライベ
 ートな事に、ホテルを巻き込まないでください。どうしても、と言うなら、私の勤務が終わった後、
 ホテル以外の場所で話をさせてください」
  そう言って、頭を下げた。

 「西島容疑者の……」
  祐貴の申し出を無視して、女性レポーターがいきなり録音機を祐貴の前に差し出した。
 
 「先程もお願いしましたが、ここではお話出来ないので、別の機会に、別の場所でお願いします。
 7時には勤務が終了しますので、それまで待っていてください」

  7時までには、まだ4時間もある。 

 「西島容疑者の婚約者、被害者のご家族として……」
  また、レポーターが質問を始めた。「西島容疑者」という言葉が……辛かった。

 「だから、ここでは話が出来ないと言っているでしょう!」
  突然、祐貴が声を荒げた。
 
 「村上さんは、お話しします。と仰ったでしょう?」
  レポーターがしつこく食い下がった。

  女性レポーターも、堪忍袋の緒がキレる寸前の状態だった。

  ホテルの立場と、祐貴の立場を考えて、それなりに気を遣って、取材を行いたいと考えていた。
 その気持ちをホテル側が壊したし、はっきりしない対応は納得出来なかった。
  カウンターに客が現れると「ちょっと、失礼します」と言って待たされた。馬鹿にされているよう
 な気持ちになったが、我慢した。散々待たされ、じらされた挙げ句、年配のフロントマンが現れたが、
 のらりくらりで慇懃無礼な対応に閉口した。
  結局、本人が現れた。出てくるのであれは、最初からきちんと出てきて、話をして欲しかった。

 「確かに、話をする、と言いましたが、事件の事とは一言も言っていません。場所を 変えてくださ
 い」
 
 「村上さんの辛いお気持ちはお察しいたしますが、一言でいいので、今のお気持ちを伺えますか?」

 「私の辛い気持ちが分かる? 一言でいい? ふざけた事を言わないでください! 好奇心が見え見
 えですよ。心からそう思うようになったら、出直してください!」

  顔に激しい怒りを表した祐貴の態度に、レポーターも、更に不愉快な気分になった。
  
  取り巻く状況は最悪の方向に向かっていった。
 
 「少しだけで結構ですから……」
   
  祐貴の申し出を受け入れる気持ちが消えかかったレポーターが、更に食い下がった。

  祐貴も頭の中では全て承知していた……この場所が職場であり、しかも一般客がいるホテルのロビ
 ーだという事、マネージャーという自分の立場、自分の一言や態度が大きな影響を与えるという事、
 不用意な言葉が里佳子に悪い結果を及ぼす事……しかし、感情が連いていけなかった……
 
 「しつこいなあ、7時に勤務が終了するので、それからにしてください!」
  
  そう言って、祐貴は立ち上がり、録音機を持ったレポーターの手を振り払った。

  祐貴に手を払われたレポーターは、バランスを崩し、応接ソファーの横にある花台 に、思わず手
 を付いてしまった。

  花台の上にある、生花が飾られた大きな花瓶を倒れた。
 
  ガラスが割れる大きな音がロビーに響き、大理石の床の上に水がぶちまかれ、生花が散らばった。

  ロビーにいた客と、カウンター内のフロントスタッフが驚いた表情をした瞬間……

 「人の気持ちが分からないのか! いい加減にしろ! 今すぐ出て行け!」
  祐貴が怒鳴った。

  異様な雰囲気を察した客は、取材スタッフを前に仁王立ちになっている祐貴と、フロントカウンタ
 ー内のスタッフを交互に見ながら、足早にロビーから去って行った。

 「さっさと帰れ!」
   
  祐貴は、取材陣に捨て台詞を残して、フロントオフィスに戻った。

  フロントオフィスでは、心配そうな表情の支配人に迎えられた。
 
 「村上君、大丈夫か?」
  言葉は優しかったが、険しい表情をしていた。

 「プライベートな事でお騒がせして、大変申し訳ございません」
  祐貴は、支配人とフロントオフィスにいるスタッフ全員に深々と頭を下げた。

  その日、帰社する前に、祐貴は支配人に辞表を提出した。


   *****


  山中湖プラザリゾート&スパの退職が決まった頃に、仙台にいる今野真人から電話がかかって来た。
 頃合を考えていてくれたのだろうが、今野は一切事件の事には触れず「仙台に来いよ」と、祐貴を誘
 ってくれた。

 「俺の店で働いて欲しい、って言いたいけれど、お前の給料を払える程儲かっていなくて……でも、
 仙台だったら、お前が活躍出来そうなホテルが何軒もあるし、何より俺もいるからさ」
  電話口で話を黙って聞いている祐貴に、今野は言った。

 「お前と彼女は、出会うべくして出会った『運命の二人』だった。そうだったのだろう。だけど、そ
 こにはどうしようもない傷害があった。言われているだろう? 『神様は自分が気に入った人間には、
 たくさんの試練を与える』って。お前達は、神様に気に入られ過ぎた『二人』だったんだよ。でも、
 神様は分かっているんだ。お前達『二人』は、この試練を必ず乗り越えられるって。『二人』がどん
 なに愛し合っているか、どんなにお互いを大事に思っているか? 今まで以上にその事に気がつく…… 
 神様は、そういう時を待っているんだよ。お前は、彼女を待っていてあげろよな。その事は、お前が
 幸せになる事なんだよ。お前だけではなく、彼女も……『二人』が幸せになる事を、神様だけじゃな
 く……俺も願ってるよ」

  何も言えない祐貴の目から涙が溢れた。

 「泣いているのか? お前が俺の前で泣いたのは二度目だな。覚えているだろう? 俺が退職の話を
 した時の事を。だからさ、仙台に来いよ。そして、仙台で彼女を待てよ」

  今野の気持ちは嬉しかった。

 「言葉では言えない位に、お前の気持ちは嬉しく思ってるよ。でも、俺は、誰も知らない場所で『一人』
 で里佳子を待っていたいんだ。里佳子が戻って来て『二人』になる事が出来た時、その時に、必ずお前
 に会いに行くよ」
 
 「そうか……やっぱり……お前は、俺が考えていた通りの村上祐貴だな」
  今度は今野の目から涙が溢れた

 「相変わらずだな。突然に変な事を言う癖は変わってないよな」
 
 「分かった……再会を果たした時に、お互いを確かめ合おうぜ」


  今野は以前「妖精から、魔法使いに変わった里佳子に、祐貴がさらわれてしまうような気がした」と
 自分が感じた事を思い出した……「彼女は『魔法使い』じゃなかったんだな。やっぱり『妖精』のまま
 だった。だから、あいつがここまで惚れたんだ……」


   *****


 「真人、今日は不燃物のゴミの日なのに、まだ出してないよ」
  妻の渚が、去年の5月に産まれた海(かい)を抱いて現れた。
 
 「分かってるって。今、出しに行くよ」
  
  ……渚は俺の『魔法使い』だな……
  渚には逆らえなかった。
 
  ……だけど、渚のお腹には俺の『妖精』がいる……年子の二人目の子供は女の子だった。夏が過ぎた
 ら生まれる子供の事を考えた今野の顔に、思わず笑みが浮かんだ……


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