「里佳子が帰る時間に合わせて、横浜のマンションに帰る」と言っていた祐貴は 9時を過ぎても帰って来なかった。
クリスマスも終わり年末年始を控え、今年は祐貴と会えるのはこれが最後、年 が変わって落ち着くまでは祐貴とも会えない。と思っていた里佳子は、祐貴が好 きな鍋料理を用意して待っていた。 携帯に何度も電話を入れたが応答がない。 「何かあったの?」 里佳子の不安が広がった。携帯以外に祐貴とは連絡を取る方法がない。だから、 待つしかなかった。
10時を回った頃、ドアが開く音がして里佳子が玄関に飛んで行くと、泥酔状 態の祐貴が「水!」と倒れこんで来た。 里佳子が用意した冷たい水を飲んだ祐貴は、肩で大きく息をした後「どけ!」 と言って里佳子を押しのけトイレに駆け込んだ。 祐貴に押されて廊下に尻餅をついた里佳子は、悪酔いでもしたのか、祐貴の苦 しそうな声が聞こえるトイレを見つめた。 少しして出て来た祐貴は、廊下で立ったままでいる里佳子に顔を向ける事もな く、ヨロヨロとそのまま風呂場に入って行った。 里佳子は慌ててタオルと着替えを用意したが「また、ホテルで何かあったのだ ろうか?」不安が広がった。 ダイニングテーブルに座って、お風呂から出てくる祐貴を待った。 しかし、風呂から出て来た祐貴は「大丈夫?」と訊く里佳子を無視して、そのま まソファーに横になり腕をおでこの上にのせて目を瞑った。
「いつだったか?」 そう、あれは9月、仕事の事で悔しい思いを味わった祐貴は泥酔していた。 あの時、里佳子は涙を流す祐貴の頭を優しく抱いて眠りにつけさせたが、今日の 祐貴には、里佳子を受け付けない、甘えたくても.甘えさせない雰囲気を感じた。
「具合が悪いの?」 そう訊く里佳子に祐貴は背を向けた。
自分を無視する祐貴に悲しい気分になったが、怒っている理由を言わない事に は腹が立った。
「何を怒っているの? 何があったの?言って」
それでも黙っている祐貴に諦めた里佳子は、用意した鍋の後片づけを始めた。 片付けの途中で祐貴に対して腹立たしい気持ちが増し、用意した食材を全て捨て た。 片付けが終わりお風呂に入り、日付が変わった所で「ソファーで寝ていると風 邪をひくから、ベッドで寝たら」もう一度、祐貴に声をかけたがやはり返事はな かった。 毛布を祐貴にかけて、ファンヒーターは消さずリビングの灯りを消そうとした 時…… 「里佳子」と祐貴に呼ばれた。 「どうしたの?」 里佳子が振り向いた時、祐貴がゆっくりと起き上がった。
「具合は良くなったの?」 里佳子の問いには答えず、自分のバッグから取り出した封筒に入っているも のを、テーブルの上にぶちまけ「これは何だ?」と尋ねた。
「これは……!」 里佳子は絶句した。
誰が写したのか、里佳子と岡田の二人が写っている写真が、テーブルいっぱい に散らばったった。 マンションのエントランスの前で、里佳子の肩に手をかける岡田の写真、顔を つけるように神妙な顔で話をしている二人、岡田に手を取られて車に乗り込む里 佳子、車の中での二人、車から降りた里佳子の肩を抱く岡田、マンションに戻る 里佳子、車から降りて里佳子を見送る岡田……盗写されたのだろう、たくさんの 二人の写真は、まるで逢瀬を楽しんだ後の、別れを惜しんでいる恋人同士の様に 見えた。
「何なの?」 祐貴はじっと里佳子を見つめて訊いた。
「その前に教えて。これはどうしたの?」 「俺の質問に答える方が先だろう?」 祐貴の声が冷たかった。
里佳子は思わず祐貴を見たが、こんなに冷たい顔をしている祐貴は初めてだっ た。
「相手は岡田社長よ。それで、これは……そうよ、先月の終わりよ。変な事があ ったの。岡田社長が突然訪ねて来たの……」 里佳子は、あの時の不可思議な出来事を祐貴に話した。
「ふーん。どうして社長が登場する訳?」 話を終わっても、祐貴の冷たい表情は変わっていなかった。 「その事は社長とも話をしたのよ。どうして? って考えたけれど……分からな かったの」 「教えてあげようか? 不倫関係にあったからだろう? あった。じゃなくて、 現在進行形なんだろう?」 冷たい祐貴の表情に嫉妬の表情がプラスされた。 「何を言ってるの!」 里佳子は祐貴の顔を睨んだ。 「私の話を信じてないの?」 「いい年のそれなりの地位にいる男が、そんな話に騙されるか?」 祐貴は薄ら笑いを浮かべていた。 「後で考えたら変な話だって、社長も言っていたのよ。でも、救急隊員からの電 話を聞いた時は、その話を信じたって。子供の時から可愛がっていた私の具合が 悪いから、心配して駆けつけて来てくれたのよ」 「だからさ、その緊急時にどうして里佳子が俺じゃなくて、社長の名前を出した のか? って。俺はそれを聞いているんだよ!」 祐貴がテーブルを叩いた。その拍子にテーブルの上の写真が数枚床に落ちた。 祐貴はその写真を思わず足で踏みつけた。 「だって私には何も起こっていないし、何も言っていないのよ。社長からそう聞 かされただけなのよ」 「よく分からない話だよな。」 「私にだって、祐貴以上に分からない話よ」
「祐貴……なんて気安く呼ぶなよ!」 里佳子は思わず祐貴の顔を見た。悲しげだったが、それと同じ位意地悪な顔を していた。
「分かった……! そうよ! 不倫関係だったのよ! でも、祐貴と出会う数年 前に終わった事よ。現在進行形なんてある筈ないじゃない!」 「俺は、里佳子の過去を気にして言っているんじゃないよ。里佳子の過去をとや かく言う程、俺だって聖人君子じゃなかったからさ。たくさんの女と寝たよ。だ けどさ、俺は二股かけた事はない。それに、終わった。という割りには親しげな 写真だよね」
里佳子は祐貴の物の言い方が気に食わなかった。 今まで喧嘩もしたが、祐貴はこんな嫌な口の利き方をした事がなかった。
「だって、あんな気味の悪い事があったのよ! 分かる? あの時の私達の気持 ちが!」
「私達の気持ち? よく言うよ! 俺なんかには分からないよ。反対に考えろよ! ある日突然、ホテルにこんな写真と手紙が届けられた俺の気持ちを!」 「ホテルに送られてきた? 何なの? そんな事……これは誰かの嫌がらせよ。 ねえ、そう思わない? 私が信じられないの? 私より誰が写したか分からない こんな写真を信じているの?」 「里佳子を信じたい、と思うよ。だけど、この写真は千葉にも送られているんだ よ! 写真だけじゃない。里佳子と岡田社長は長い間不倫関係にある。里佳子が 関内クラシックホテルを辞められないのは、岡田社長の存在があるからだ。そう いう手紙も入っていたんだよ!」
「いい加減にして! 祐貴は本当にそれを信じているの? 今までの私を見てれ ば、何が真実かって分かるでしょう?」 「分からなくなったんだよ……」 祐貴の表情は冷たいままで変わらなかった。
「どうして?」 悲しかったが涙は出なかった。 「悲し過ぎて涙が出ない」というのはこういう事なのだろう。
「里佳子が好きだから、どうにもならない位に愛しているから……」 表情は冷たかったが、やはり目は悲しげだった。
突然、里佳子の中に激しい怒りが沸いた。 「愛している? ふざけないでよ! そんな甘えた事言わないでよ!」
里佳子は祐貴の横っ面を思いっきり引っ叩いた。 余りの勢いに祐貴はよろめいた。
「調べてみたら? 部屋中探して、社長の気配があるか自分の目で確かめてよ! そして、私も。祐貴の居ない間に社長に抱かれているか! 調べなさいよ!」
そう言って里佳子は、全ての部屋のドアを開け、着ていたパジャマと下着を脱 いで全裸になり、祐貴の前に立った。 里佳子の剣幕に呆然と立ち尽くしていた祐貴は、何も言わず里佳子が脱ぎ捨て たパジャマと下着を拾って手渡した。
「意気地なし! 自分で確かめる事も出来ないで……お酒に溺れる。そんなのは 祐貴じゃない!」 里佳子はパジャマと下着を祐貴に投げつけた。
全裸の里佳子と立ち尽くしたままの祐貴はじっとお互いの顔を見つめ合った。 その場の雰囲気に居たたまれなくなった里佳子は、裸のままベッドルームに逃 げ、ベッドに潜り込んだ。 祐貴が後を追って来てくれる事を願ったが、祐貴は来てはくれなかった。
「もう、終わり……」 絶望感が襲ったが涙は出なかった。
玄関ドアの開閉音が聞こえた。
祐貴は里佳子を信じていた。 信じていたが嫉妬の気持ちがどうにも抑えきれず、酒で気持ちを紛らわせようと 思ったがそれも出来ず、嫉妬の気持ちを里佳子にぶつけてしまった。 「許してもらえないかもしれない……」 辛い気持ちでマンションの外に出た。真冬の風が冷たく、心まで凍えそうにな った。今日は車で来ていない。行くあてもなかった…… 里佳子の部屋を見上げると、カーテンの隙間から、部屋の灯りがもれてい た……でも……その灯りは、二人が幸せで温かい時を過ごした部屋の灯りではな かった…… 祐貴は、エントランス前の階段に座り込んだ。 「もう、終わりだ……」 涙が止めどもなく流れた……
「あーあ、お兄さん、こんな所で何してるの?」 通りすがりの酔っ払いが声をかけた。 その時、携帯が鳴った。 「里佳子」の着信名を確認した祐貴は「もしもし……」重い声で応えた。 「行かない……」最後まで聞かずに、携帯を切らずに、絡んできた酔っ払いの手 を振り払って、祐貴は走り出した。部屋がある8階まで、一気に階段を駆け上っ た。
思いっきり玄関のドアを開けると、毛布にくるまれ、涙を流していた里佳子が立 っていた。
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