間違いは、すぐに起きた。 昼休みも終わり、みんながオフィスに戻ってきた。 少しのざわめきの後、いつもの様に仕事の音に変わる。 ところどころ、小声で私語も混じってはいるが、まぁ、仕事に差し支えない程度なら、上司も大目に見てくれる。 ただ問題なのは、数分おきに俺が独り言をいう事だ。 こんな状況が、あと4時間も続くとなると、俺のほうが持たないし、まわりにも怪しまれる。 その上、仕事の能率も上がらない。 そんな事を考えているとは知らずに、ミルは呑気に、煙草が吸いたくなった、退屈だ、何か読ませろと言う。 俺は小声でミルをなだめた。 少しくらいなら大丈夫だと思って、相手をしてたら要求は増すばかりになっていった。 仕方がないので、俺はミルを持ってトイレに行った。 ここなら、今の時間はほとんど人がこないし、少しはまともに話ができるだろうと思った。 トイレに入るなり俺は口を開いた。 「さっき約束したよな。おとなしくしているって」 なるべく穏やかな口調で言う事を努めた。 もう本と喧嘩をするのは、こりごりだから。 「わかっているけど、どうにもこうにも退屈でな」 ミルは自分を広げて、よく人間が言い訳をするそぶりをして見せた。 「器用なのはわかったし、表現豊な本だということも十分に知っている。でもな、会社って言うところは面白い場所じゃない。もともとつまらないところ、って、きまってるんだ」 「………」 少し考えているようだ。 「確かにそんな場所かもしれない。それはわかってきたけど、じゃあ何で秋は、面白くしようとしないんだ?つまらないことしてもしょうがないじゃないか」 「そう言われれば、そうなんだけど・・・。そんな事できるわけないだろ」 「やってみたんかい?」 「お前なぁ…。なんでそんな警察みたいな尋問するんだ。とにかくあと4時間おとなしくしててくれ」 冷静に話をしようとしたが、どうにもこうにも、ミルのペースにはめられてしまう。 でも、考えてみれば俺って、就職して、しばらくたってから自分というものを出さなくなったな。 別れた彼女にも、本当の自分を知られるのが嫌で、自分を出さなかったし。 何で、こんな時にこんな事を思い出したんだろう? つくづく最初に、ミルに言われた事を実感する。 「……わかった。俺が悪かった。おとなしくしてるよ」 ミルは、さっきまで開いていた自分を閉じた。 どうやら、降参のサインらしい。 なんとなく、後味が悪くなりながらも、俺は自分の机に戻った。 俺が言っている事も、ミルが言ってる事も間違ってはいないと思う。 それじゃあ、いったいなにが間違っているのだろうか? そんな事を考えていたら、仕事に集中できなくなっていた。 ミルも大人しくしているのに…。 「………決めた」 そう俺は呟くと、一枚の書類を書いて、上司の元へ向かった。 有休届。 今日半日分、明日一日分。 申請理由、(心の)体調不良の為。 その書類を出すと俺は振り返らず、上司の元を後にした。 心なしか、さっきまでもやもやした気持ちが晴れてきた。 前言撤回。 間違いの始まりではなく、何かが新しく始まるような気がする。
つづく
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