「まさかあんなに打つとは思わなかった・・・」
帰りのバスの中で夢一はため息をついた。打ち始めてから数時間経ち、あたりはもう真っ暗だった。
「でも私は楽しかった。また明日もだね。」
琴美は笑顔でそう言った。夢一はそんな表情を見てまたため息をついた。
「これって毎日続くのか?」
「もちろんだけど?」
「だよな・・・」
そして琴美の宣言通り碁の対局は毎日続いた。学校が休みの日だろうとお構いなしに琴美は夢一の家に押し入り、囲碁を打ち始めた。しかも3時間くらいは必ず打ち続けており、琴美が帰る頃には詰碁の宿題を夢一に出して帰るのだ。これを正解すればそれで終わりなのだが、間違えるとまたもう1題出され、それも間違えるとまたもう1題出され、また間違えると・・・とそれが永遠に続くのだ。まだ簡単な問題なだけに間違えることはないが、それがだんだん難しくなり間違えを繰り返すともしかして家までついてくるのではと夢一は想像し、ゾッとした。日曜日には決まって放送される囲碁の番組も夢一の家で一緒に見た。ちょうど昼飯が終わった頃に放送される番組なだけに夢一にとってはひどく眠い時間帯だった。しかし琴美はそれを許さない。夢一がうとうとしていようものなら琴美は思いっきり彼の脚をつねるのだ。
「毎度毎度痛いんですけど・・・」
「ムイくんが寝るからでしょ。こんなに素晴らしい対局してるっていうのに何でムイくんは寝るわけ?どういう神経してるのよ。」
「お前がどんな神経してんだよ。」
と夢一は反論したかったがまたつねられると思うと言えなかった。そのため眠い目をこすりながら見続けるしかなかった。なぜここまで琴美のやることに夢一は熱心なのか。それは自分でもよくわからなかった。 そんなこんなでこんな生活をずっと続けていた・・・というわけではなかった。文化祭と高校野球の地方大会。この2つにおいては琴美は囲碁を強制しなかった。特に高校野球においては琴美が行きたいとのことでほとんど無理やり応援に行った。夢一はもう野球に関わりたくなかったのだが琴美がどうしてもとのことだったので行くしかなかった。久しぶりの野球。琴美は最初から流稜高校の帽子を被って応援に来ている吹奏楽部と一緒になって必死に応援していたが、夢一は嫌々ながら見ていた。本来なら自分があのマウンドの上に立っているはずだったのに今はスタンドの応援。情けなさでいっぱいだった。しかし嫌々でも流稜ナインの必死なプレーを見ていく中で夢一の気持ちが少しずつ変わっていき、最後のほうでは琴美と一緒になって応援していた。結果は3−2の僅差で勝利。琴美はもちろんのこと喜んだそれよりも夢一のほうが喜んでいた。そしてそれと同時にすっきりとした気持ちが生まれとても気持ち良かった。
「ムイくんすごい喜びようだね。」
「そうか?でも何だかうれしくてな。自分が投げて勝ったときと同じくらい嬉しいよ。」
「そうなんだ。」
琴美は笑顔で言った。それに夢一も笑顔で応えた。
この日を境に今までくすぶっていた野球への気持ちは完全ではないにしても吹っ切れることができるようになった。
そしてそれから数日が経った。
退院をしてから1か月夢一の脚もようやく松葉杖を使わずに歩けるようになった。
「これで普通に歩いて生活できるってわけだ。」
夢一は学校へと向かうバスの中で琴美にそう言った。
「全力で走ることとかはもう無理だけど日常生活で全力で走るとかないからこれでもう治ったも同然。」
「無事に治って良かったね。」
「おうよ。これであんな松葉杖使わずに済むからどこへだって行けるぜ。」
「そっか。なら今度の日曜日行きたいところがあるんだけど。」
「行きたいところ?どこだ?」
「碁会所!」
「・・・」
夢一は心の中で治らなくて良かったのにと思った。
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