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作品名:病んでる場合じゃない 作者:みつき よう

第2回   視えるひと

近頃よく、夢を見る。
夢、といっても眠っているときに見るわけではない。脳も体も起きている時間帯。退屈な授業中や信号待ちなんかをして、無意識にぼぉっとする短い時間。
脳の奥、近頃よく映像が流れ込んでくるのだ。
 痩せたメガネの、見覚えのない男。影になっていて表情はよく見えないが、その男はたぶん泣いていて、足元には小さな白い猫が一匹、腹をついて座り込んでいる。もしかしたら死んでいるのかもしれない。
 その猫に膝をついて、男が顔を近づける。
 あ、と思った瞬間に男の髪が銀色になって、その夢は終わる。

「夢っていうのは、深層心理を映しだすとも言うらしいけどね」

 経済文化論。と大きく書かれた黒板をみつめ、つぶやいてみる。今しがたも見えてしまった、近頃恒例の夢を思い出して溜息を吐いた。

「賢治はまた訳の分かんねぇことを。プリントは終わったのか?」

 ななめ前、黒い頭がくるりとこちらを向いた。独り言のつもりがバッチリ届いてしまっていたらしい。
 ちなみに、直哉が心配した机の上に広がっている本来やらなければならないプリントは真っ白だ。
 このお節介が。とは声に出さずに、こちらに向いているするどい眼に向って、自分の目をわざと半目にして見つめる。

「なんだよその目、イラつくな。しかもプリント終わってねぇし。言っとくけど俺は見せてやらねえぞ」

 俺の思った通り、直哉は眉間にしわを寄せて舌打ちをした。

「こんなプリント五分もいりませんからね」
「よく言う。いつもギリギリで俺のかっさらっていくくせしやがって」

 平坦な声で言った俺の言葉に、ハッ。と直哉が鼻で笑って言った。その顔が心底憎たらしい。

「それは五分懸けるのすら面倒だからですよ。俺はできるけどやらないタイプなんで。まあ直哉くんはあれでしょ? やってもできないタイプだし? どうせ一時間近くかけないと解けないんでしょうけど?」
「できるのにやらないって最低じゃねぇか! ちなみに俺はやったらやったぶんできるタイプの子だ!」
「あーあー。凡人の嫉妬は醜いなあ」

 逆に鼻で笑ってやると、言い返す言葉が出てこないのか何を返しても馬鹿にされるのが分かったのか、直哉が口を一文字に結んでぎりぎり悔しそうに俺を見る。言っておくが、俺は事実を口にしたまでだ。
 しっし、と犬を追い払うように手を振ると、更に目つきを鋭くさせて直哉は自分の机に向き直した。
 イライラを隠さない、隠せない背中。白のカッターシャツ。夢に出てくる背中は、俺たちのよりも幾分小さく細かった。
 そんな事を思っていると突然、眺めていた直哉の背中、しっかりした肩甲骨から、まるで鳥の翼のように青白い腕が二本。にゅっと伸びてきたのが目にとびこんでくる。

(…ああ、またか)

 白い腕は何かを掴もうとしているのか不規則にうごめいた後、ぎゅっと抱きしめるように直哉の首に絡みつく。
 直哉は何の反応もしめさないし、周りの誰もそれには気づかない。なぜなら俺にしかその手は見えていないからだ。
 昔からこういう不思議なことがよくあった。黒い影とか、首のない着物姿の女とか。いわゆるオバケとか幽霊と呼ばれるものを、俺は昔からしょっちゅう目にしていた。
 しかし目にしているからと言って俺自身に不思議な力などはない。そう、不思議なものが見える。ただそれだけ。
 長い人生、(といってもまだ19年間しか生きていないが)で得たことなのだが、人間の中で幽霊が見える人間は稀なように、幽霊にも人間が見えているものと見えていないものの二種類があるようなのだ。
 こちらがそちらに気づいていることに、そちらは気づかない。稀に気付かれた事もあるが、俺の方からも不思議な物の方からも、どちらからも触れようと思っても触れることはできなかった。
 だから今まで何度か幽霊と呼ばれる何かを目にしても、俺に弊害があるわけでも生活に支障が出るわけでもなかった。
 幽霊やオバケが存在していて支障が出るのはむしろ、今現在謎の白い手に絡まれているこの男の方なんじゃないかと、俺は思っている。
 直哉と知り合ったのは高校三年、この大学を受験する時だった。腹が痛い、とトイレで蹲っている直哉には、黒い蛇のようなものが何匹も絡まっていた。
 別段驚きはしなかったが、入試という大事な日に蛇に絡まれている直哉を少し不憫に思えてしまったのだ。
 しかし見えることしかできない俺はどうすることもできず、その場はカイロを渡してやって終わった。
 その後入学してからも度々、直哉の体には何かしらが引っ掛かっているのを目にしてきた。白いもやとか、小さい女の子とか。
 そういう人種がいるのかどうか俺は知らないが、少なくともこの男は俺が見ることしかできない不思議なものに好かれているようだった。

(コイツは、見えてるな)

 背中に絡みつく手を睨みつける。肩から下しかないようだが、この腕は人間が見えている。眼のようなものは見当たらないし、べつに根拠はないが。そう感じる。

(こういう時はアイツだな)

「みすず。ちょっとそこの無愛想、一発殴ってみてくれない」

 俺のとなり。俺は机にもたれかかり、ひたすら電子辞書と格闘しているみすずに小さな声で言う。

「どうして?」

 大きな目がくるりと俺を見る。俺の小さな声に合わせて、みすずの声も小さくなる。
ちらり、と横目でみる直哉の背中はぴくりとも動かない。白い手がまたぎゅっと力をこめたが、直哉自身はこちらに気づいていないようだ。

「ああ、ナオくん寝そうなの」

 俺が言葉を選びながら背中を見ていると、みすずは都合よくそう解釈をしてくれた。くすくす、と笑む顔に、白い手の力がさらに強くなる。
 しーっ。と人差し指を口元に当て俺に微笑み、みすずの手が白い手、直哉の背中にそっと近づく。俺は息をのんでそれを見守る。

(気づくな。気づくな)

 背中にからむ手がどんどん白さを増す。直哉はどうして痛くないのだろうかと、不思議に思ってしまうほど、その手がぎゅっと直哉の首を抱きしめる。

(まだだ。まだ)

 白い手ががたがたと震えだす。

「ナーオくん!」

みすずの手が直接、直哉の背中に触れる直前に、粉みたいにさらさら落ちて消えた。

「うわあ!」

 がたん! と音を立てて直哉の座っていた椅子が転んだ。隣ではみすずが大笑いしている。

「ナオくん、寝ちゃダメ」
「寝てねえっ。くそ、また賢治だろっ」

 俺はふっと溜息を吐いて、また直哉の嫌う半目で直哉を眺めた。それを見てまた直哉が目を三角にして怒っているが、みすずが笑っているのを見て結局黙ってしまった。
 五月に入ってから知ったのだが、みすずと直哉は幼馴染なのだそうだ。
 母親同士が親戚だか親友だかで昔から仲がよく、産まれた時からずっと一緒に育ってきたらしい。
 これは俺の憶測なのだが、直哉が不思議なものに好かれる性質のくせに今までなんの弊害もなくここまで無事に成長してこられたのは、このみすずのお陰なんじゃないかと思っている。
 直哉の体に何がひっついていても絡まっていても、みすずがそれに触れると本人たちの意思には関係なくそれらは消えてしまう。
 もちろん、みすずには俺が見えているものは見えていないし、そんな人間以外の何かから直哉を守っているのだという自覚もきっとない。
 世の中よくできてるものだな、と俺はいつも関心してしまうのだった。
 授業終了を知らせるチャイムが鳴る。
 みすずと何か話しをしている直哉のプリントを掻っ攫い、俺は自分の真白なそれに答えを書き写した。
 直哉が気付いて俺を怒鳴るのは、プリントが全部埋まった頃だった。


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