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作品名:一億円の男 作者:ゆきはら

最終回   1
その男は特に頭がいいわけでもなく、器量も十人並み、取り柄があるというわけでもなく、といった何の特徴も持っていなかった。それは嘆くことではない。社会の大多数の人間がそのようなものだから。
彼の唯一の心の支えは、自分の価値が一億円であるということだった。

ヒトゲノムの解析が終わってしばらく経つ。
はじめの解析でDNAの大まかな概要はわかったが、実際に細かく読んでいくといくつかの不明点があることがわかった。これを遺伝子砂漠という。
この遺伝子砂漠を解明するために、科学者たちはこぞってDNAのサンプルを集めだした。多くのサンプルから遺伝子砂漠を経験的に決定しようというのである。
が、DNAはそうそう集まるものではない。DNAを解析されるということは自分のクローンが作られてしまうかもしれないし、何か悪いことが起きそうだと考えていたからである。
世間のDNAに対する悪いイメージを払拭するためには、やはりメリットが必要である、と科学者は考えた。
そうして方々の会社を回り、資金援助を求め。
DNAの値段が一億円となった。
こうしてようやく研究が進むと思われたが、実際はそうでもなかった。
逆に、一億円を払ってまでDNAを集めて何をする気だ、とさらに悪い方向に事態は転がったのだ。
こうなってしまってはもう時間が解決するしかない。研究者たちはひたすら待ちの姿勢にはいった。
ここで話が変わる。そう、一億円の男が現れたのである。
彼は何の特徴もないというのは上述のことだが、この時の彼は非常に貧困に窮していた。
彼自身、DNAを提供することにためらいがなかったわけではない。何せ一般市民であるから。
だが、背に腹は抱えられず、溺れる者は藁をも掴んだわけだ。
そして彼は一億円の男になった。時に悪魔に魂を売った男などと揶揄されることもあったが、彼は概ね幸せに生きてきた。
DNAを売って2年が経過したある時、彼はガールフレンドと結婚する運びになった。
そんな時に、自分の命が自分のものだけではないことを感じた彼は、保険に入ることとなる。
いや、正確には入ろうとした。
当時、遺伝子砂漠の解明自体は終わってなかったものの、遺伝子病の原因となるDNAがおおよそ特定されていた。
どこからか、彼のその情報がもれ出ていたのだ。
いずれ必ずある病気になる彼を受け入れる保険会社などあるわけもない。
また、一億円を払ってDNAを取り返そうにも5000万ほどしか残ってない。
彼は今まで気に留めていなかったものの、確かに俺は一億円で悪魔に魂を売ったのだと思った。
こうして彼のDNAの値段である一億円が、彼の命の値段にもなった。
そのことを知ったガールフレンドは、簡単に彼を捨てた。
元々金にしか興味がなかったわけではないだろうが、その後に御曹司と結婚したところを見ると彼にはそう思えて仕方がない。
いつの間にか彼は会社を首になった。
彼の情報を知られたのだ。
いずれ必ず病気になる人間を雇ってはおけない、そう言われたのだ。
再就職するにしても、一体どこまで彼の情報が伝わっているのだろうか。
DNAの値段も命の値段も一億円になったというのに、社会的な地位は月収1万円もない。
彼は傷心の基に酒を飲んでいた。
気がつけばマスターがツケを事あるごとに請求するようになっていた。
ここまで知られてしまった。彼はそのマスターにツケを払い、もうその店には通わなくなった。
5000万が少しづつ減っていくのを見て、彼は自分の寿命を数えた。
この金が命をつなぐ値段なのだ、と。

彼は新しい酒場で飲んでいた。ツケを貯めるようなことはしない。
いつものように日が変わるまで飲んでいると、隣に女性が座った。
隣いいかしら、と聞かれ、どうぞ、と答える。
特にその女性が気になったわけではないが、彼は酒を口に運びつつ、横目で観察した。
妙に身なりに金がかかってるな、と。彼女の命の値段はいくらなんだろうな、と。
その視線に女性が気づき、彼は顔を背ける。
女性が、二度目に口を開いた。
―――あなた、一億円の方でしょう?
彼は少し驚いてあぁ、と頷いた。
もう誰が知っててもおかしくない。嫌気がさすところだが、彼は自暴自棄にはならなかった。酒場に入れなくなると困るからだ。
―――やっぱり。実は私も一億円なのよ。
彼はひどく驚いた。今まで一億円の人間に出会ったことはなかったからである。
聞くと、彼女もやはり貧乏だったのだという。そして一億円に飛びついた。
彼は喜んでいいのか、よくわからなかった。だがひとつわかったことがある。
もはや、一億円の男はそこにはいなかった。二億円の男女がいるばかりである。
もっと君のことを聞かせてくれ。君のことが知りたい。
二億円の男女は酒場をでて、、

白みゆく空の中、雑踏にまぎれていった。


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