長い箸の話 龍賢和尚は、ハタと立ち停まった。 何かが足りない、そう感じていた。 およそ、百万の読経、民の謡いまで、心に刻んできた和尚にまだ一抹の不安、愁いがあった。 「わしは、あらゆる修行をしてきた、狂人とも呼ばれたわ、それから女と駆け落ちさえした、されど、何事もしたようには思えぬ…」 龍賢の苦悩は、表だっては見えぬ、ただ心の底に溜まって、鉛のように重かった。 「眠りやせ、眠りやせ」 と遊女は団扇を扇いだ。 およそ、徳らしきもの、また罪も同じく味わい尽くした龍賢の心は一重に重かった。 「のう、カラス、わしはおまえと話をしたとさえ、総山の者共に罵られた、しかるに、わしは依然、何事も為し遂げぬ、かの天竺のいかなる坊主が開いたというあの悟り、それさえわしには見えなんだ。」 「わしはいかなる牛車にも乗り込んだわ、鳩も喰ろうた、しかるに、それを山海の珍味とか、雲上人とか呼んでいいか分からぬ、またそれらを罪と呼ぶべきかも分からぬ、」
龍賢の心は、煎じた薬に抑えられ、愚鈍に太りさえした。 養豚場で働くことさえ、叶わぬ程に、その心は腐り果てた。酒場の灯籠に水を吹きかけ、酔うままに語りさえした。 「わしは女達の関心を買おうと、麦酒から、焼酎、安酒を呷ったわ。女達はお返しにチョコさえくれた、まあそれだけだ。」 龍賢とは名ばかりに、龍でも賢くもなくなったある日、龍賢という名だった男は、仙界に迷いこんだように、ある村の入り口を右往左往した。 そこにはどこの村とも変わらぬ村人達が忙しく働いていたが、その片方は濁り、片方は清く見えた。 なぜ、同じ村の東側が濁り、西側が清んでいるのか。 龍賢は五行の気を読みながら、新に何かを感じていた。 それは、箸だった。 箸が長いのだ、およそ4尺もあろうか、それは立派な箸に見えた。 そしてそれは見窄らしくも見えた。 龍賢は、この世とあの世を分かつあの箸を思って、坊主にも似ず、ぞっ、とした。 しかるに、それは食堂の方へと運ばれていった、幼い童が胸に抱いて。 東の室では、 大層、大釜な料理が次々と運ばれた。 西も同じく。ただ少しく、柔らげな空気が漂っていた。 龍賢は茶を飲みながら見るともなく、二つの室、二つの人衆を見ていた。 東は暗く、 西は明るい。 「しかるに問題はあの長い箸じゃ、あれをどうしたものだろうか、」 龍賢の胸に一抹の不安が過ぎった。 龍賢の思いは東の室で姿を見せた。 およそあらゆる食物、豆、鶏、魚、菜は、長い箸に摘まれながらも容易に各人の口には入らぬ。 終いには阿鼻叫喚のうちに、鍋は砕け、人々は罵り合い、掴み合い、鬼相を表にした。 さもありなんと思いつつ、龍賢が西の室を見ると、こちらはどうも様子が違う。 腐り果てた龍賢の心には浮かばぬ光景がそこにはあった。 なんと、長い箸を互いの口元へ持って行き、互いが互いに食べさせあっているではないか! 龍賢の頭にこの様な光景はなかった。 今の今までなかったのである。 西の室の住人は、和やかに、健やかに笑いながら、口々に物を食べていた。 さて、龍賢はこの里から帰り、急ぎ、国王にこの法を説いた。『長い箸』を。
了
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