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作品名:鬼録 作者:永堅

第2回   白いランニング
この世には、
思ったよりも死んだ人がとどまっているってのは少ない。
20年、こうして私は自分の特殊な目で世の中を眺めてきたけれど、
それが私の率直な意見だ。

新しく生まれてくる命よりも、
今までに死んだ命の方が多いのは当然なのだから、
普通に思えば、死んだ人達が生きている人達よりもずっと多く、
この世にうろうろしていると思ってしまうところなのだが、
実際は生きている人達の方がずっと多い。
もちろん、死んだ人もたくさん彷徨っているけれど、
でも、今まで死んでいったもの達の数には程遠い。

すると、とても不思議に思うのだ。
死んでしまった者達で、私に見えないこの世から姿を消した者達は、
一体どこへ行ったのだろうかと。
俗に「あの世」「天国」「極楽」、
色々な言葉で言われているけれど、
私にも、やはりそういったようなこの世とは違う場所があり、
皆そこに行ってしまったとしか思えないのだ。
残念ながら、私はまだ死んだ事はないので分からないのだけれど。

「生きる」ということは、私をはじめどの人もそうだと思うのだけれど、
いつも追われていてどこかへ向かっているようなものだ。
時間に追われ、仕事に追われ、やるべきこととか、
義務とか、色々なものに追われている。
そしてその上、時間が無常に人を追ってくる。

「死」はその全ての終着点に思われがちで、
だから人は寿命を全うせず、
苦しんでいる今の全てが死にさえすれば終わると思って、
自殺なんてものをしてしまうものなのだけれど、
私の目から見ると、
実は死もその終着点では無い事が分かる。
今までに死んだ人の大部分がこの世にいないことを知っている今、
死んでなお、次に行く場所があるのだとしたら、
死は終着点では無いのは明白だ。

結局、
生も死も、
私達が向かっている何かへの通過点でしかなく、
それを見失ってしまったものだけが、
この世に彷徨っているのだ。
生きていても、死んでしまっても。








仕事が終わり、終電間際の電車に乗ろうと、
いつもの地下鉄のホームの階段を下りた。
初夏とはいえ、今日は雨が降って肌寒く、
ホームに溢れている人たちはどの人も長袖の上着を着ていた。
だから凄く目についた。
白いランニングに辛子色の半ズボンに素足にサンダルの二十代の青年。
凄く目立っていた。
普通の人間なら、ちょっとあり得ない服装だ。
まあ、この大都会には変わった人も多いから、
一概には言えないけれど。


階段をゆっくり下りながら、
私はその青年を見ていた。
ここまではっきり見てしまったら、
もう目をそらしても間に合わない。

その白いランニング姿の若い男はうつむいた感じでホームを突っ切り、
やがてやって来た電車の前に飛び込んで消えた。
どうやら、以前にここで飛び込み自殺をしたようだった。

憂鬱な気分でその電車に乗り、私は家路へ向かった。
家へ帰るのが恐かった。
何故、何の関係も無い私にその姿を見せるのだろうと、
しみじみ思った。

人間と言うのは、しみじみ自分勝手だなと思う。
生前の姿を、死んだ後に生きている他人に見せるほどのパワーがあるのなら、
生きているときにもっと頑張れば良かっただろうにと、
やじりたくなる。

生きていても、見も知らない人に何か頼みごとをするのは、
容易なことじゃないだろう。
それを死んだ後にやるくらいなら、
生きているうちにやれと、私は思うのだ。
何故なら、生きているうちに他人に頼るのは、
常識的な事だからだ。
死んだ後、生きている人に頼るのは異常ではないか。
だから、死んだ人に頼られる私は変わっているといわれる。
非常に迷惑なことだ。



一人暮らしのアパートへ帰った。
鍵を開けて中へ入るのに、ドアの前で大分時間を食った。
その青年と向き合うのが、私は恐かったのだ。
誰だって、見知らぬ人が自分の部屋で待ち伏せていると思ったら、
いやな気持ちになるだろう。
生きている人はそんなことはあまりやらない。
だけど、死んだ人は私に容赦なく近づいてくる。
私がはっきりと見た死んだ人達は、
必ずといって良いほど、私を追っかけて訪れてくるのだ。


後ろ手にドアを閉めて、アパートの部屋の電気をつける。
悲鳴を押し殺して、
私は大きく深呼吸をした。

案の定、さっきホームで見た白いランニングの若い男は、
私の部屋の真ん中に立っていた。
俯いて、ただ立っていた。



死んだ人が見えると言え、私には何も出来ない。
何の修行もしていないし、
テレビに出ている自称霊能力者達が唱えているような、
悪霊退散の呪文も知らないからだ。

ただ、話を聞くしか出来ないのだ。
彼の言いたいことを聞いてやるだけしか。


私はようやく話しかけた。
「何が言いたいの?」

慣れないね。これには決して慣れられない。
私は今までもそうだったのだから、
これから先の一生もそうだろう。




彼は言った。
消え入るような、
そして死者独特のエコーのかかったような声だ。
「こんなはずじゃ無かったのに」
そして、ゆっくりと頭を上げて、
彼は私を見た。
その青白い顔は、涙でびっしょり濡れていた。

「死ぬとは思わなかった」
彼は言った。
「だって、こんな」


後は言葉ではなく、
イメージが、私の中に溢れてきた。


彼は売れない役者だったらしい。
小さい頃は名子役だと、まわりにちやほやされていて、
自分は天才だと思っていたけれど、
大人になって、自分が周りの思うように演技が出来なくなった時、
周りの人たちは手のひらを返したように冷たくなったらしい。
こんなはずでは、こんなはずではと、
自分はもっと出来る役者なのに、
何故だ、何故だと毎日を過ごしていたようだった。

まあ、子役は使い捨てのカイロのようなものだからねえ。
私は心の中で呟く。
芸能界で生き抜くというのは、とても大変なのは、
私のような一般庶民でも分かることだし。



彼は悩んでいた毎日の中で、
何かの拍子で地下鉄に飛び込んでしまったというのだ。
魔が差したような瞬間だったと言う。


「まだやれたのに、こんなはずじゃなかったのに」
男は私に訴えていた。


私は何て言えば良かっただろう。

その時は、こうとしか言えなかった。
何の根拠も無いのだけれど、
私はこう言っていた。

「次があるじゃない。その時頑張れば」

私の言葉を聞いて、
男は何だか、ハッとした表情をした。

「どっちに行けばいい?」
男は聞いて来た。

「さあ、私には分からないよ」
私は答えた。
だって、死んだこと無いからさ。
本当に分からなかったんだもの。

しばらく、男と私はそのまま佇んでいた。

かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみたじしょうけんごうんかいくう
どいっさいくやくしゃりししきふういくうくうふういしきしきそくぜくうくうそくぜしき
じゅそうぎょうしきやくぶにょぜしゃりし・・・


私は手を合わせて目を閉じて、
彼に向かって般若心経を唱えた。




そして、目を開けたとき、
彼はもう消えていた。

お経は死者に何かを教えるのだろうか。

どこに行けば良いとか、教えるのだろうか。

まあ分からない事だらけなのだけれど、
お経と言うのは、
ただ読んでいる生きている私も得るところが多い哲学なのだから、
死んだ人にも得るところが多い物なのだろう。
改めて、お経には感服する。
ただのお葬式のセレモニーの一環では無い。
興味のある人は、勉強してみるといい。







そして、私が言えるのは、
もし、生きているうえでなんか物凄く何かに悩んでいる時には、
それをぶちまけられる相手を見つけたほうがいい。

死んだ後、
通りすがりの私なんかにぶちまけるパワーが人間にはあるのだから、
もしも、生きているうちに全てをぶちまける相手がいたとしたなら、
それから先も、生き続けていける事が出来るに違いないのだ。
だって、
死んでも何も変わらない。
逃げることは出来ない。
それは断言出来る事だから。

生きるということも、
死ぬということも、
通過点なのだ。
だったら、交通違反をしないで旅路をまっとうしたいと思うのが、
常人のあるべき姿なのでは?


これからあのランニングの彼の行く先の道が、
見つかったことを祈るだけだ。
冥福を祈ると、この世では言う。

私は自分の事だけで手一杯なのに、
縁があった人だから、しょうがないね。


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