「じゃあ、最後にひとつだけ質問。あなたの…どんな些細なことでもいいわ。誰にも真似の出来ない”特技”を教えて。」
今思い返しても、何故こう答えたのか思い出せない。それは就職活動中の最終面接。がちがちに緊張していたはずの僕だったが、その質問だけはすらすらと答えられた。
「…私は人の内面、感情や思考を読むことが出来ます。読むというよりも…色がついて見えるんです。楽しいときはオレンジ色。疑っているときは紫色。起こっているときはこげ茶色みたいに。」
言っている最中から背中に汗をかいた。こんなもの特技でもなんでもない。いや、むしろ頭ちょっとイッてしまうと思われかねない。飲み会のネタならまだしも、少なくとも内定のかかった大事な面接で言うべき内容ではない。松山千春のものまねなら負けないんですよ、くらいの軽い乗りの方がまだましだ。この件に関しては、友人にもめったに話したことがない。引かれるのは分かってるから。後悔しながら取り合えず話し終えたが、案の定、会議室の空気はどう取り扱っていいか分からない重役たちの重苦しい空気に満たされた。
ほら見ろ、当惑するあまりみんな浅黄色になっている。いや、一人だけ女性社長だけは色が違って見えた。
「ははは。ごめんなさいね、笑ってしまって。想定していない答えだったから。もちろん、いい意味で、よ。」 「…ありがとうございます」
正直、少し見とれてしまっていたかもしれない。26歳の時に脱サラして個人貿易業を初めて5年。当時、31歳の社長(以降、今の呼び方でレイコさんと呼ぶ)は、年の差を感じさせない若々しさにあふれていた。もちろん、それもこの会社を志望した理由の少なくない動機のひとつだ。まともな理由も山ほどあるけど、とりあえず就職活動の面接で何回繰り返したかわからないから、今は置いておく。
レイコさんはその時、大きな鳶色の瞳で僕をじっと見つめた。他の役員たちを制止して一人で質問を続けた。
「さっきが最後の質問って言ったけど、撤回させて頂戴。次が本当に最後。私は何色に見える?」
正直、女性から来るこの質問はとても苦手だ、なぜなら、この質問は”この服どう思う?”に近い。凄くいいよ、と答えれば普段の服装はいまいちなのか、と難癖をつけられ、そのくせいまいちといえばそれはそれで機嫌を損ねる。まあ、いいんじゃないかな。自分のパーソナルカラーを厳密に規定している女性たちに対して、この無難な回答を行うことが出来ない。
だから、僕は正直に答えた。何時ものように色彩から入る情報から感情につながるイメージを紡ぎだす。
「白です。少し紫の入った白。私を試そうとしていますけど、信じている。ああ、とても綺麗な白です。」
真っ黒なスーツに長い黒髪の彼女に対して、白はおかしいかもしれない。でも、これは外見とは異なるのだ。どれだけみすぼらしい格好をしてもパステルカラーをした人がいるのと同様、着飾っても土の混じった色をする人もいる。色の美しさは外面だけではなく、内面の美しさをより深く表現する。
その後のことはあまり覚えていない。気づいたら席を立って、帰路についていた。だが、その夜のことはよく覚えている。就活サイトにログインして、次の面接と説明会の段取りをつけた。この会社からは”お祈りメール”が来ることしか予想していなかった。二週間後、奇跡的に内定をもらうまで、僕は毎日会社の面接に向かっていたのだった。
数ヵ月後、あんな面接をして受かったと思えないまま、半信半疑で内定式に向かうと、そこには僕含め3人の新入社員候補がいたが、何より悪戯っぽくくすりと笑うレイコさんの姿は忘れられない。その日は冗談交じりの薄黄色をまとっているレイコさん。細い肢体にぴったり合わせたダークスーツ姿はとても艶っぽかった。 就職活動中に知り合った、リクルート姿の女性たちも非常によかったが、やはり戦う女性が戦闘服をまとうようで、スーツ姿で決めたレイコさんには換えがたい魅力があった。
つつがなく卒業することが出来たので、無事レイコさんの会社に就職できた。その後、一年が経ち、二年が経ち、少しずつ仕事にも慣れていった。 レイコさんが経営し、僕の勤めるクラフトワーク社の仕事は主に二つ。最近増えている個人の輸入業者(コーヒーから自転車のパーツまで色々な種類がある)の輸出入業務を代行すること。さらに、代行業で取り扱っている製品+自社で発掘した製品でネットショップを持っていること。
創業間もないベンチャー企業なので、30人あまりしかおらず、仕事は常に忙しかった。新入社員とはいえ、OJTの名の下に色々な仕事を使いっ走りさせられて、時にそれなりの規模の仕事を任された。社員数は多くないが、それでも新人が社長であるレイコさんと直接言葉を交わすことは少なかった。
社会人になってから流れる時間の早さに加速度がついた。時々失敗もすれば、時々達成感もある。なんでもない日常がとにかく矢の早く去っていく。嫌味な上司や辛い仕事など、しんどいことも多いけどこの会社は悪くないと思った。落ち着いて静かな深い緑色。それが時折レイコさんによってエメラルドの輝きを見せた。
同期のアカネとリュウは、仕事で一緒になることは少ないが、その分気の置けない友人になった。その日は近所の喫茶店で一緒に昼食をとっていた。日替わりのコーヒーと、サンドイッチが美味しい。
「ちょっと、聞いてよ。今年の新入社員の子、いきなり今度飲みに行きませんか、だって。廊下ですれ違って、あたしまだ名前も覚えてないのによ?」 「…ずいぶんアグレッシブ。もとい肉食男子?」 「そう、でも、それはいいの。でも、とにかく礼儀がなってないとだめよ」
アカネは中国に2年間留学していて、その分僕より年上だった。そのせいか、いや年下であったとしても間違いなく、機関銃のように相手に関係なく喋り捲る。一方でリュウは休憩時間に一人で読書するようなもの静かで、ちょっと何を考えているか分からないタイプだった。
「でも、アカネは悪くないと思っているんだろう。」 アカネはその名のとおり夕焼け色をしている。機嫌が悪いとすぐ月夜のような色になる。 「まあね、あんたらみたいな草食系よりましかな。ちったあ誘ってみなさいよ」 アカネの挑発にリュウが乗っかった。 「今晩ドウデスカ」 「片言かい。あたしみたいな魅力的な女子がいるってえのに干物みたいになって」 「てか、俺彼女いるし」 「げ、まじ?何時から?」 「先月。道端で越えかけたら、なんかそういうことになった」 「うっそ。てか、あんたナンパとかすんのね。壺売られてない?変な絵画とかは?」 「失敬です、よ」
むっとしたふりをして、リュウは黙った。彼の色は何時も深い緑色で濃淡が変わるしかない。あまり読み取れない。自分の世界を築いている人で、壁の厚い人は読みにくい。リュウには悪いが、社交的な人間には見えないので、アカネのいうこともわかる。
三人で楽しく騒いでいるところに、その日レイコさんはやってきた。
「あら、相席いいかしら?」 「え、しゃ…社長?どうぞどうぞ」 「おい、リュウ。そこちょっと詰めてくれよ」
4人がけの席を広々3人で使っていたので、慌てて詰めた。1.5人分のスペースが出来て、苦笑しながらレイコさんは座る。
「今日は何時もと違うところで食べたくて…気を使わせてごめんなさいね」 「とんでもない」アカネと僕は恐縮しきっているところで、リュウだけは平然としていた。 「今日はこのベーコンエッグサンドがおすすめですよ」 「あら、じゃあ、それにしようかしら。ちょっと、店員さん?」
レイコさんがベーコンエッグサンドとアメリカンコーヒーを頼んだあと、リュウは自分のカプチーノをお代りした。社長におごってもらえることを期待してかもしれないが、リュウの凄いところはそんな厚かましいことをして全く色に変化がないことだ。
「そういえば、あなた色の見える子だったわね?」
突然、話を振られて僕はあせった。アカネとリュウの色が怪訝に染まる。
「色が見える?何のこと?」 「色々好色漢?」 「いや、そんな大したことじゃないんだ。色彩感覚をさ、なんつーか、ちょっと褒められて」 「ふうん、その割りにケイジの資料は大してレイアウト凝ってないけどね」 「ふふ、こう見えて彼、才能を隠してるのかしら」 「いやいや、ハードル上げないでくださいよ、社長」
雰囲気を察して話をそらそうとしてくれたレイコさんに乗っかって、その場は必死に取り繕った。だが、これはひとつの大きな契機になった。
レイコさんとの昼食から数日後、社内でしょうもない計算ミスのせいで、単純作業を延々栗返すことになった。日付は深夜に近づいており、花の金曜日が残り1時間あまりのところで、帰宅することになった。上司は万一に備えてタクシーチケットを片道分だけ残してとっくに帰っていった。珍しく他に社員はいない。
フロアの戸締りを確認し、ビルの警備員に目礼して帰ろうとすると、そこにレイコさんがいた。
「あ、社長…お疲れ様です」 「お疲れ様。悪いわね。こんな時間まで働かせちゃって」 「いえ、とんでもないです」
こんな時間にどうしたんですか?とは聞かなかった。が、察してレイコさんは答えてくれた。
「さっき、タクシーでここを通ってね。そのとき灯りが付いていたから気になってたの。」 「そうなんですか。わざわざすみません」
そのとき僕は気づかない振りをした。レイコさんの周りには、うその黄色が斑点のようにちらついていた。
「もう遅いわね。送りましょう。それとも、食事はまだ?」 「まだですけれど…」 「よかったら一緒にどうかしら?私もさっきまで得意先で打ち合わせだったのよ。簡単な食事はいただいたんだけど、お腹空いちゃって」
にこりと笑ってこちらを向いた。色が見えるのもつらい。僕はそのまま、分かりましたと行ってタクシーに同乗した。
車内では僕のプロジェクトは順調か、など当たり障りのない仕事の話をしたあと、赤坂にある和食レストランに到着した。この時間でも人は多く、外国人も多い。赤ら顔で英語やロシア語で議論を交わす一群が目に付いた。見るとも無く、騒ぎを見ていると、レイコさんと僕は個室のテーブル席に案内された。
「ここね、おそばとおうどん美味しいのよ。お惣菜とかヘルシーで」 「僕、そば好きなんですよ。母方の実家が信州ですし」 「本場なのね。若い子向きじゃないけど、夜中だからいいかなって。あ、焼き鳥とかもあるから好きに頼んで」 「はい、ありがとうございます」
確かに蕎麦やうどん、鍋が多かったが、ボリュームのあるメニューも少なくなかった。レイコさんの色はほんのり桃色に染まっていた。奉仕のピンク。お言葉に甘えることにした。
まず、僕はビールを、レイコさんはアマレットを頼んだ。とにかく腹が減っていたので、僕は鶏雑炊とつまみを幾つか。レイコさんは煮込みうどんを注文した。
飲み物が届いた頃に、やさしく、乾杯。ビールを半分飲んだところで、レイコさんは二杯目のアマレットに口をつけた。ペースが早い。雑炊と煮込みうどんをお互い取り分けると、黙々と箸を進めた。
「ああ、美味しい。温まるわ」 「今日寒いですもんね」 「うん、うちの子も大丈夫かなあ」 「え?お子さんいらっしゃいましたっけ?」
一瞬、レイコさんを慕って夜鳴きする子供を想像していやな気分になったが、レイコさんは笑って否定した。
「ちがうわ。うさぎよ、うさぎ。一人暮らしで寂しいからね、つがいで飼ってるのよ」
レイコさんは仕事のことを全く話さなかった。家で飼っているうさぎの話や、結婚を考えている弟の話や、当たり障りの無い話ばかりで、僕は相槌を打つばかりだった。年上の女性と食事に行く機会なんて、ほとんどなかったことを見透かされてかエスコートされている気がした。それが気まずく思えて、無理に上品ぶって箸を落としそうになった。
「ねえ、あなた色の話を教えて」
彼女が3杯目にマティーニを頼んだとき、大げさにいうと来るべき時が来たという感じがした。色の話をすると女性は特に食いついてくる。便利な、自己発見の道具か占いの一種と勘違いしているのだ。余計なことを言ったことにいまさらながら後悔した。
「あんなもの、冗談みたいなもんですよ。忘れてください」 「だめ。だめよ。」
レイコさんは簡単に引き下がる気配はなかった。酒も進んだせいだろうか、口調もだんだん砕けたものに変わってきた。
「ケイジ君の色読みはね、なんだか普通の占いとは違う気がする、なんていうのかなあ、見透かされてる気がするのよね」
僕はレイコさんの言葉を無視するように、酒を飲み干した。
「ケイジ君、じゃあ試させて。誰かが嘘ついた瞬間、わかる?」 「まあ、分かるかもしれません」 「じゃあ、あたしがこれから話す中で、ウソつくから、どこでうそつくか当ててみて」
あいまいに濁しても良かったが、数秒見つめあう内にレイコさんのことを深く知りたくなった。見るともなくレイコさんの表情を見つめ、色を探した。
「ああ、今ですね」 「え?」 「今、あなたは嘘をついてる。黄色の斑点でちかちかしているから」
それは黄紋蝶の斑点のようにちかつく嘘の色。無邪気な嘘の色。人を貶める気持ちのないうそは悪くない。レイコさんはそのとききょとんとして僕を見つめたあと、女子高校生のように弾けるように笑った。
「あはははは、すごい、すごいよ。どうして分かるの?本当に分かるんだ」
レイコさんは再び声に出して笑った。むしろ、賞賛の色に満ちていたので悪い気はしなかったが、無邪気に褒められることに慣れていない僕は、黙って二杯目のビールを頼んだ。
「女の人はうそを見抜くのが得意でしょう?あれと同じです」 「あたしもうそを見抜くのは得意よ。でも、あなたのはそうね、何か特別な能力みたい。私の分かっていない私の内面まで見透かされそうになってしまうもの」
確信を持ったレイコさんは純白を身にまとっていた。
「あなたが私を白と表現したとき、なんだか、しっくり来た気がするの。あたし、お爺さんが華僑でね、クオーターなの。そのせいでからかわれたこともあるんだけど、この黒い髪が日本人の証だと思ってたのかなあ。ずっと自分のテーマカラーは黒だと思っていたのに」
中国にある有名な企業のCEOで、クラフトワークの出資金の大半はレイコさんの実家から出ていたことを後から聞いた。どれだけ自分が頑張っても実家の力と思われてしまうことに、彼女は苛立ちと疲労を感じていた。
「私の色を知ることで少しだけ楽になった。ずっとありがとうと言いたかった」 「ただ、子供の頃から人の顔色伺ってばかりいたから、ずっと相手が何を考えているか気にしていたから、僕は。それだけですよ」
レイコさんがマイセンに火をつけると照れて僕も煙草を加えた。マルボロの黒。
「ありがとう、ありがとうね。可愛いし、ケイジ君のことは気に入ってたのよ。あたしほら、気に入ったものはすぐ欲しくなるけど、ちょっと我慢してたのよ」 「社長、飲みすぎですよ」 「飲んでないしー、だいたい、こんなところで仕事を連想させちゃだめよ。あたしのことはレイコって呼ばないとだめ」
だだをこねる少女の目でレイコさんはねだった。彼女以外なら許されないであろう。
「…レイコさん」 「なあに?」
潤んだ瞳で見つめられると、いたたまれなくなった。
「すみません、ちょっとトイレに」
ちきって逃げ出そうとした僕の手を、レイコさんは試すように握った。表情は変わらないまま唇を引き寄せた。
「レイコさん?」 「次はあなたから誘って。あたしから、ここまでしてあげるのは特別よ」
今度は自分から唇を寄せた。人目を憚るように簾がかかっていたが、僕ははねのけて店中に見せ付けて、キスしたまま走りたくなった。
レイコさんが舌をからませてきたとき、あろうことか僕は男のことを考えていた。うわさ好きなアカネに教えてもらったレイコさんの恋人。社外のコンサルタントの人間だという名目だが、うちに通ううちにそういう仲になったらしい。菅田という名前の、日に焼けたがっしりした中年の男性だった。
同じ唇をむさぼっているかと思うと、嫌悪感が饐えた匂いのように頭の中に広がったが、やがて甘い味わいに酔いしれて、下半身の情動がすべてを忘れさせた。
「私は自分のことを黒だと思ってた。この黒い髪も、スーツも身につけるものは黒が一番好き」 「分かりますよ。黒は暖かい色だから」
ようやく唇を離すと、再びレイコさんは僕の目を見つめた。黒はすべてを解きほぐし自分の中に招き入れる。母のように強かで強情で、そして優しく暖かい。
「でも、それはあなたが白いからです。そこまで黒を好むのは、自分が純白だと知っている人だけです」
やあね、レイコさんは煙草を取り出して吸った。タバコと同じくらい細い指がしなやかにからみつく。
「何時も、あなたはそうやって女性を口説くの?」 「口説いてるつもりはないですよ」
黙っていてもだめなのだ。何を考えているのか分かってしまう。白はいっそう輝きを増していた。女は喜ぶと内面から輝くのだ。
冗談のように始まった夜はレイコさんの部屋で終わった。彼女は遠慮なく声をあげていた。恥じらうことが美徳でありながら、性を知り始めた少女のように貪欲に欲望に忠実だった。お互いをむさぼるようにして、体中に舌を這わせた。唇から下がって、鎖骨と脇を舐められたときには思わず声を上げそうになった。同じように舌を動かすように、言われるままに舌と指で愛撫を続けた。欲望に忠実な彼女はどうすれば愛が深まるかよく知っていた。
長い愛撫の後、二人最後に果てるとレイコさんは子羊のように丸まっていた。僕はその丸まった背中を抱いて熱を感じながら眠った。
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