「あんたが、ほったんちゃうか〜」入れ歯、その(1)
2005/4/13(水) 午後 0:41 某月某日 母は、総入れ歯である。もう寝る時間だ。私は、何時ものように、母の入れ歯を漬けておこうと、顔を洗っている母に。
「お袋ちゃん、入れ歯だしてや、洗っとくからなっ」
「ふ〜ん、イレバあらうんか?」
「そうや、綺麗にしとかな、なっ」母は、上の入れ歯を出したが、下の入れ歯が無い。
「お袋ちゃん、下はどうしたん?」
「しらんで〜」私は、母が何時も座っている、座椅子付近を捜し回ったが、結局、見つからなかった。
「おかしいなあ、お袋ちゃん、入れ歯何処にやったん?」
「ないか〜」と母。
「あれへんで〜、晩御飯の時あったよなあ」と、私が尋ねる。
「あったかな〜」と母。
「ご飯食べてるとき、あったでぇ」と私。
「わかれへんわ〜」と母。
「もう〜ねむたいねん」と母。
「そやけど、歯、なかったら困るやんかあ」と私が言うと。
「あんたが、ほったんちゃうか、はよ、ねさしてーっ!」はい、分かりました。(私がほったのでしょう)油断した、私の落ち度だ。下の入れ歯は結局見つからず、その後二週間ほどかけて、新しく造りなおすことになった。この時点で私は「人間(失礼、私)がいかにアホか」を思い知らされることを、母に教わることになる。人間(またまた失礼、私)は同じ失敗を何度も繰り返す、阿呆なのだ。
「わたしは、しらんゆうてるやろー!」入れ歯、その(2) 2005/4/14(木) 午後 1:07 某月某日 母の下の入れ歯が出来上がって1ヶ月余り。用心はしていたのだが。朝食が終わった、その時。
「あれっ!、お袋ちゃん、下の入れ歯は?ちょっと口、あ〜んしてみぃ」(しまったー)と、心の中で叫ぶ私。
「あ〜ん」母は悠然としている。
「無いやんか!、入れ歯どうしたん?」
「はじめから、ないで〜」と、母。泰然自若。私もこうありたい。
「そんなこと、ないやろ〜」(トーンダウンした私の声だ)勝負はもう着いたのだ。
「うち、しらんっ!」と、母はきっぱり言う。そう言えば、昨晩は入れ歯をしたまま、母は就寝したのだ。私は、内心、しまった、と思ったが、時すでに遅し。
「お袋ちゃん、入れ歯ハズして、どこかへ置いたんちゃうかな〜」(諦めの悪い私の呟き)。
「そんなこと、せ〜へん」座椅子に、ゆったりもたれ掛かり母が仰る。私は、慌てて、母の寝床や、母が手の届きそうな、衣装ケースや箪笥の抽出し、ゴミ入れなどを捜し回った。
「えらいこっちゃ〜、どこにも無いわ〜」
「わたしは、しらんいうてるやろーっ!」ウロウロする私を母が一喝した。
過去に、衣装ケースや箪笥の抽出し、寝床の敷布団の下、ゴミ入れの中、等から見つかったケースが幾度もあった。いずれも、ティシュペーパーに幾重にもくるまれて見つかっているのだ。一度は、マンションのゴミ集積所でゴミ袋をヒックリ返して見つけたこともあった。それらの経験は何の役にも立たなかった。結局、下の入れ歯は見つからず、また、造り直しである。新しく入れ歯を造るためには、前回造ってから、6ヶ月以上経っていないと、保険が適用されない。私のちょっとした油断が招いたものだ。
「だれかが、もっていったんちゃうか〜」入れ歯,その(3) 2005/4/15(金) 午後 3:01 某月某日 過去二度も油断したため、母の入れ歯には十二分に注意していた。しかし、それにも限界があると言うことと「人間(またまた失礼、私だけです)て阿呆やな〜」と、何度も教わることになった。母がデイから帰って来るのを待っていた。デイケアの送迎車から。
「あーっにいちゃんやっ!」と、笑顔でご機嫌よく帰ってきた母。その笑顔が何時もと少し違うような気がした。私は、もしや、と思い、送迎車のドアを開けているヘルパーさんに。
「すいません、母が入れ歯をしてないようなんですけど〜」
「え〜えっ、今日は00さん、デイに来られたときから、下の入れ歯をハズしておられたんで、おかしいな〜と思ってたんですよ!」とヘルパーさん。
「お袋ちゃん、い〜んしてみぃ」
「なんやの!、にいちゃん」感の鋭い母が、警戒の表情を見せる。
「下の入れ歯、どうしたん?無いでぇ」
「い〜ん、ないかーっ」と、気にも留めない。言わずもがな、1年も経たないうちに、母の下の入れ歯は、私の度重なる油断で、三個紛失したのである。私は、ダメモトで。
「お袋ちゃん、入れ歯、どこに置いたか分かれへんかな〜?」
「しらんで〜」
「何処な〜、探してもないねん」(俺はほんまに阿呆やな〜)私の心境だ。
「だれかが、もっていったんちゃうか〜」(うん、そうやろな〜、お袋ちゃんの言う通りや誰かが持って行ったんやろ〜、私は心の中でそう思った)。
かくして、母の入れ歯は現在、上が三個、下が0個となりました。決して母のせいではないのだ。
「わあ〜ウレしい、おそなえしてくれんのん!」
2005/4/18(月) 午後 1:15 某月某日 夕食後、母は、残したおかずを一生懸命、テーブルに広げたティシュの上に載せる作業を黙々と続けている。その真摯な作業態度を見ながら、母に声を掛けた。
「お袋ちゃん、もう食べへんのん?」
「もう〜たべましたっ!」と、平然と言い放つ母。
「そやかて、まだ、残ってんで〜」
「これは、おそなえするんやんか〜」
「誰に、するん?」
「みんなにせなあかんのっ!」と、真顔で。
「お袋ちゃんの食べ残しを、お供えなんか、出来ひんのちゃうん?」(駄目もとで言ってます)。
「たべのこしーっ!、ちゃうでー、おそなえするために、こうてきたんやでー」口を尖らせ言う母。やっぱりだ。
「そやけど、それ、今、お袋ちゃんが、食べてたやつやで〜」
「わたしは、これたべてへんっ!」
「今、食べとったやんか〜」(消えるような私の声)。
「なにゆ〜てんの、たべてへん!、これは、おそなえのやつやんかっ!」これ以上、母にあれこれ言うと必ず母に叱られる。ここからは、母の世界へ入り込む。
「もう〜、その位でえ〜のんちゃうか〜」
「そうかな〜」と、母が。
「仏さんも、そんなによ〜け、食べられへんで」
「にいちゃん、そう、おもう?」
「うん、思うな〜」
「そやけど、まだ、のこってるから、もうちょっとなっ!」母は上機嫌だ。
「あとは、僕が食べるから、その位いで、え〜んちゃうかな」
「にいちゃんもたべたいの〜?」
「うん、美味しいそうやから!」
「ほんだら、たべてえ〜よ」
「食べるわ〜、有難う!」
「ど〜うぞ」と、母が、両手に持って、大切そうに差し出してくれた。
「さあ〜、そしたら、お袋ちゃんが折角、一生懸命、お供え作ったから、親父の仏壇にお供えしとこな〜」
「わあ〜うれしい、おそなえしてくれんのん、やっぱり、にいちゃんはかしこいなー」と、母は満面の笑みを私に向けてくれる。私は、こうして母の世界に入って行くコツを少しずつ母から教わるのだ。
「わ〜キレイな〜」
2005/4/19(火) 午後 1:03 某月某日 朝食後、春風も暖かく、リビングのカーテンを一杯に開けた。ベランダに置いてある満開の花を、母が指差し。
「わ〜キレイわー、にいちゃんみてみぃ、あこ〜うてキレイでぇー」
「ほんまやな、綺麗に咲いたな〜」
「だれがうえたん?」
「うん、お隣の00さんがくれはったんやでぇ」
「そうか〜、もろたん、おれいゆ〜たか?」
「言うたよ〜」
「わたしもゆ〜とかなあかんなっ!」
「うん、会〜たらお礼ゆ〜ときな!」
「うん、ゆ〜とくわー!」
「さあ〜お茶飲んで、学校(デイサービス)行く用意しようか?」
「おしっこ、いきたいねん」母をおトイレへ。トイレを済ませてリビングに戻ると。
「にいちゃんみてみぃ〜、あかいハナさいてるわ〜」と、母が。
「ほんまや、綺麗なあ」
「だれが、うえたん?」
「うん、あれはな、お隣の00さんが、くれはったんやで」
「あっ、そうかいな、しらんかった、いつもろたん?」
「去年やで〜」
「おれいゆ〜とかなあかんな〜」
「00さんに会うたら、お袋ちゃんからもお礼言うてなっ!」
「わかった、ゆ〜とくわ!」
「お袋ちゃん、見てみぃ、今日は、青天やで〜」
「ほんまやな〜、え〜てんきや!」
「こないだ、桜も満開で綺麗やったで〜」
「そ〜かー、わたしもみたかったのにぃ」先日、母はデイサービスで、近くの公園の桜を見にお出かけしたばかりだ。
「お袋ちゃん、今度な〜僕の休みのときに花見に行こか〜」
「いくわ〜、ハナみなんか、したことないから」
「もう直ぐ、学校に行く時間やで〜」
「にいちゃん、みてみぃ〜、あかいハナ、キレイにさいてるわ〜」
「わ〜ほんまやなっ!」デイの送迎バスがくるまで、この会話は終わらないのだ。母と私の共通の世界だ。
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