《2005年4月》
「あんたのみっ!」
2005/4/1(金) 午前 10:00 某月某日 10年以上前、母は心臓の疾患で何度か入院した。このため、朝と夜の二回、薬を飲まなければならない。最近は、どう言うわけか判然としないが、素直に薬を飲んでくれない。今日も今日とて、、、朝食がおわり。
「さあ〜お袋ちゃん、薬飲もうか?」
「う〜ん、クスリ〜」と、まるで、気のないお返事だ。
「飲んどかんと、心臓や咳が治れへんで、風邪の予防もあるしな」と、私はゆっくり説得にかかる。
「カゼひーてないっ!」と母。
「そやけど、咳するやろ〜?」と私。母は喉に持病がある。このため、毎日、カラ咳をしているのだ。
「セキィ、とめんのんか〜?」
「そうやっ、昨日の晩も、お袋ちゃん、咳しとったやろ〜」
「してへんわー!」
「したらあかんから、飲むねんでぇ」お湯をコップに淹れ、錠剤が五つ入った薬を母の目の前に出し。
「ほ〜ら、0000さん、て書いてあるやろ〜」と、母の名前が書かれた薬袋を見せる。
「病院の00先生が、お袋ちゃんの為に、ちゃ〜んと、こうして、作ってくれてはんねんで〜」五つの錠剤が入った薬袋を見た母は。
「こんなよ〜けのむのん?」と、うんざりした表情。そして一言。
「こんな、よーけいらんっ!」と、キッパリ。
「これ飲んだらな〜、風邪も治るし、咳もとまるんやで〜」猫なで声で。
「な〜、これなんか、小さいやろ〜、よ〜効くねんで」と私は必死で、錠剤をつまんで、母の口元へ持っていく。母は、口を閉じて、いやいや、をする。そして、キレるのだ。
「あんたのみぃーっ!」思わず「はい!」と返事をさせられるような迫力だが。私も、この侭で引き下がる訳にはいかないのだ。時間を掛けて、五つの錠剤を飲ませたころに、デイケアの送迎車が来る。私は、これで朝の一仕事を終えるのだ。
「あれ、だれ?、ここどこや〜?」 2005/4/4(月) 午後 1:23 某月某日 週に2回くらい、夕食後の母と私は、このような会話をしている。 母は、夕食のおかずを少し残したとき、必ず、ティシュを広げ、残ったおかずをその上に載せていくのだ。もくもくと小一時間ほどかけて、移し、それを綺麗に折り畳んで、幾重にもティシュでくるみ、必ず私に、こう言う。
「にいちゃん、できたけどな〜、なんかむすぶヒモないかな〜」
「うん、それ、どうするん?」と、私は何時も聞く。
「おくるねんやんか〜、そんなこともしらんのかいな〜」
「誰に、送るんや?」
「みんなに、おくらなあかんやんか〜」
「そうかあ〜」やっぱり、と私。私は、あえて「皆んな!」が誰なのかは、問わない。
「輪ゴムやったらあるから、それで括ったらどうやっ!」
「ワゴムでくくれるかな〜?」
「ほ〜ら、こうして、二重にして括ったらええやんかあ〜」と、一つつまんでやって見せる。
「ふ〜ん、ちゃんと、おくってや〜」母はそれを見て、納得する。この辺りから、話は少し横道にそれる。母がテレビの画面に反応するのだ。
「このひと、どこのひとや?」と、母がテレビの画面を指さす。
「東京の人ちゃうか?」
「ここどこや?」
「東京やろ〜」
「わたしみて、わろてるわ〜」
「そうや、えらい年いったお婆ちゃんが見てるな〜!思う〜て笑ろたはんねんで〜」
「ほんまや、はっはははーっ!」何の屈託もなく笑う母。
「あれ、だれや?」テレビの画面は、母の言葉に追いつかずに、ドンドン変わっていく。
「コマーシャルやから、分かれへんわ」
「どこやのんここ?」母が、眠くなるまで、母がテレビの画面を見続けている限り、この会話は終わらないのだ。そんな日は(今日は機嫌良〜寝てくれるやろ〜)と私は思うのだ。
「だれが、おったんっ!」 2005/4/7(木) 午前 10:20 某月某日 ようやく春らしくなり、母の夜中の徘徊も少し鈍ってきたような気がする。この日はおトイレに2〜3回。誰かが、追いかけてきたと言うことで、2回ほど。私は連日剣術の猛稽古で少々疲れていた。最後に起こされたのが、午前4時過ぎ。その直後に、母が四つん這いでゴソゴソと私の寝床へやって来る気配。私は爆睡状態で記憶がない。
6時半、目覚ましが鳴った。私は「パブロフの犬」状態であるから、瞬時に反応、目覚める。ふと、横をみると、いつの間にか、母が私の寝床へ入っており、スヤスヤと気持ちよさそうに、眠っている。その寝顔は本当に、安心しきった、安らかなものである。90うん歳と50うん歳の親子で「添い寝」だ。
起き上がった、私の気配に、母が気づき。
「おか〜さん、もう、おきるのん?」と母。(私は、母の母になったようだ)。
「うん、ご飯や、お茶の用意せんとあかんからなあ」
「ありがとうございます」ペコリと頭を下げる母。
「お袋ちゃん、まだ、早いから、ゆっくり寝ときや〜」
「はい、もうちょっとねさしてもらいます」
「にいちゃん、おしっこー」と母が。
「はいはい、行こかあ」私は急いで、両手を差し出す。
「にいちゃん、かしこいな〜」が、母の口癖だ。
「そうでもないよ〜」(本当にそうでもない)と私。
「べんじょ、どこですか?」
「直ぐ、そこやでぇ」母を手摺りに掴まらせ。
「コシがな〜、イタいねん、なんでやろう」
「お袋ちゃんの腰な、折れてるからやでぇ」
「だれが、おったんやっー!」(何時ものことだが、これには返事の仕様がない)。母は過去に二回、腰を圧迫骨折しているのだ(骨粗鬆症だそうだ)。
「わたしを、し(死)なせるつもりやろー!」
2005/4/11(月) 午後 0:35 某月某日 桜満開。いい日和だ。親子二人だけの日曜日。夕食も終わり、母は何よりも大切なティシュペーパーを一枚一枚取り出し、丁寧に折り畳んで積み上げる、お仕事に没頭。この間に私は自室でパソコンのメールをチェック。それが、終わって母のもとへ。
「ひとがよんでんのに、へんじもせんでぇ!」と、母は何時もこう言う。
「ご免、ごめん、聞こえへんかったんやっ!」
「もう、イエかえろう〜」と母。
「ここが、お袋ちゃんの家やんか?」
「まえのイエに、かえりたいんやんか〜、ここしらんとこやっ、はよかえりたいねん」私は、何時ものように、このマンションに来た経緯を何度も繰り返し、母に聞かせる。
「ほんだらなぁ〜、あんた、ここにいときっ、わたしひとりでかえるからっ!」と、母は何時もそう答えるのだ。
「お袋ちゃんと僕は親子やろ〜、明日学校(デイケアの施設のこと)やしぃ、もう、遅いしぃ、ここで一緒に泊まろ〜な」
「おやこっー!、あんたとわたしぃ、おやこちゃうでぇー」と、眉間にシワを寄せ、怪訝そうに私を見上げる母。
「何ゆうてんの〜、お袋ちゃんと僕は親子やんか、お袋ちゃん、僕産んだん忘れたんか?」
「わたしがあんたうんだっ!、うんでないわー!」母が、姉、私、妹、弟、の四人の子供を産でいることを、訥々と説明する。
「あんたはなー、わたしをイエにかえらせんために、そんなことゆ〜うてんねんやろ!」
「わたしを、し(死)なせるつもりやろーっ!」お袋ちゃん、百まで生きてや、と私は心の中で思うのである。
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