勿論、お医者さんで薬を貰っている。 けれども、どれだけ薬を飲んでも、僕は、ホームレスを見下せるようにはならなかった。 身体を求められれば、それを拒む事は出来なかった。 口汚いクラスメートは、そんな僕の事を、サセ男とか、公衆便所男子などと酷い渾名で呼んでいた。 お医者さんの見立てでは、幼少の砌(みぎり)にホームレスのおじさん(さっきまで出てたのとは別個体である)にちょめちょめな虐待を受けていたことが原因ではないかと言う。 つまり、僕がまだ稚(いとけな)かった頃、近所の公園に住んでいたホームレスのおじさんが、時々僕に女の子の服装をさせて、色々触ってきたりしたことがあったのだ。 その時以来、僕の潜在意識には一匹のオカマが住み始めた。 それこそが、僕を生き難くさせる、悪しき同情の根っこであった。 ヘンリエッタと僕は名づけた(我ながら素敵な名前をつけたものだ)。 こいつがために、僕はこの地球やホームレスに対して節操無く、憐れみの心を抱いてしまうのだ。 お医者さんは、そんな僕におちんちんを切って女の子として生きていくことを勧めてくれた。 けれども、僕はその申し出を断った。 僕が、どうしても守りたかったもの、みなさんには分かって頂けるだろうか? そう、実を言うと僕には、美少女の放屁に並々ならぬ興奮を覚えるという、かけがえのない変態性欲があったのである。 例えば、可愛らしいチェック地のミニスカート。そして彼女が腰を屈めた時、そのスカートの布地に浮きあがる小ぶりで形のいいヒップライン。そしてさらに、その部分から仄かに漂ってくる艶かしくも芳醇なあの香(かほ)り。 そういうのが僕は好きなのだ。 この性癖こそが、僕の知・情・意の全てを凌駕して、僕という人格を形作っているのだと信じていた。 もしも、おちんちんを切ってしまったら、このかけがえのない性癖がなくなってしまうかもしれない。 それは、僕にとってはアイデンティティーの喪失に等しかった。 さて、こんな話をして何が言いたいのかといえば、僕みたいな変態には、その願望を満たしてくれるそれ相応の場所があるということである。 それは、街の本屋さんであった。 結局蛸が手に入らなかった、あの海岸からの帰り道、僕は自らの慰みのために、書店の変態書(サブカル)コーナーでいかがわしい本を贖おうと決めていた。 上手く行かない人生には、麻薬的な何かが必要だと思ったからだ。
それにしても、僕たち変態にとって、最近一番の痛手だったのはサブカルの聖地、『ヴィ○ッジヴァンガード』がなくなってしまったことである。 それは、ほんの数ヶ月前のこと、全ては一本の 玉音電波から始まったのだ。 その日、皇帝陛下は、帝都霧が峰より、『オリンピック招致の詔』を下し賜い、それを奉受した全国の冷房都市議会はてんやわんやして、可及的速やかに『スポーツ奨励法』を強行採決していったのである。 そして、当然の帰結として『ヴィ○ッジヴァンガード』が廃止された。 スポーツ的でないという理由からであった。 だから『ヴィ○ッジヴァンガード』は、いまや僕らの美しい思い出の中だけにある。 僕ら変態者(サブカル)は、しばしばそうした夢想の世界に心を遊ばせることがあるのだ。 そこは、この世の一切の穢れを離れた、綺麗でチカチカして、爛れきった悪徳の世界なのである。 こんな観念的遊戯が出来るのは、高い精神性を有した僕ら変態者(サブカル)ぐらいなものだと自負していた。 まったく、ほとんどの現代人は、物質的な豊かさやを追求するあまり、心という物をあまりに蔑ろにしすぎている。 一体どれだけの人が、肉体から切り離して考えられる『魂』というものを信じているだろうか。 因みに僕は、信じていない。 僕ら現代人にとって『魂』とは、所詮脳みその詩的な言い換えに過ぎないのだ。 そして、そういう概念も合コンで女の子と話す時などには殊のほか重宝する。 なぜなら、現代人の繊細な美意識には、脳みそそのものはあまりに『うんこ』に似すぎていると考えられていたからだ。 なかんずく端原姦姦というお方は、そのように思っていらしたようである。 彼は、繊細な現代人の典型のような人であった。 彼は人類最後の作家であり、そして、憐れむべき巨人的頭脳の持ち主であった。 彼はその高度の知性故に、まさにこの物質世界の全てを『うんこ』と観じ、自らの命を絶ったのである。 御蔭さまで、後世の人間は、彼の尻馬に乗っかって、随分お手軽に厭世できるようになったものだ。 そして僕もまた、姦姦先生を信奉する一廉の厭世家であった。 この世界は本当に醜いと思う。そして美しい物はただ一流の文学の中だけに存在しているのである。 例えば、太宰治の『人間失格』。ヴォードレールの『悪の華』。サド侯爵の『悪徳の栄え』坂口安吾の『堕落論』、これらの著作は、本棚において端原姦姦先生のご著書を支えるのに大変役に立つけれど、駄目である。 あらゆる言語芸術の中で、ただ姦姦先生のご著作だけが、僕たち変態を真に精神的な物へと駆り立ててくれるのである。 それ以外の作品は、もうホント視力の無駄。読書が大嫌いだったという姦姦先生のお言葉を借りて言えば、それらはあまりにも「この世界の臭いがするから読みたくない」のであった。 そこへ行くと、姦姦先生の描く世界はこの現実世界とは似ても似つかないし、そこには一欠けらのリアリティもないし、だから読んでも少しも実にならないし、本当に浮世離れした高邁な小説なのである。 そこには先生のこの社会に対する、侮蔑と嫌悪、そして無知が輝いていた。 そしてさらに言えば、姦姦先生の著作は、世界中が認めるところの悪書であった。 『光文精神薄弱(セーハク)体』と称されるその文体は、学童の知的発達に重篤な影響を及ぼすことが明らかにされていたし、内容自体も酷いものだった。 なんというか、選ばれし者の恍惚と不安とそして小児性愛のようなもの。そんな物を余すところなく描ききり、評論家に言わせれば端原姦姦において文学は初めて腐敗に達したと言われている。 特に幻影衛士(ファントム・ザ・サムライ)三部作や頤〜OTOGAIシリーズなどは秀逸である。これらを読むだけで、青少年の精神はまず間違いなく堕落すると言われている。 もし親にこれらの本を読んでいる所を見咎められたら、市主催の精神浄化プログラムに強制参加させられること請け合いだ。 そこでは一週間みっちり、朝から晩まで、椎○誠のエッセーやら冒険小説やらを読ませられるのだ。 そんな健全なのは、僕は御免だ。 だから僕は、こっそりとそれらを読む。その秘密の快楽に、僕は背徳の喜びを覚え、エクスタシーへと達するのだ。うふふふふ。 おっと、何やら言ううちにもう本屋さんだ。
|
|