20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続 闇の権力者たちの近代日本史 作者:佐々木 三郎

最終回   椰子の実落ちる
椰子の実落ちる

 謎の飛行物体は増産につぐ増産で兵器の廃絶への功を奏しているが未だ道半ばである。人を憎み合うように持ってゆく闇の権力者たちを無力化すれば紛争はなくなると坂本は信じている。そう信じて今日までやって来た。しかし近頃疲れる。60後半になると身体機能が急激に衰える。
 ユキはそうした坂本の気持ちを敏感に感じ取る。ディー若者並ね。お前のポッキーがいいからだ。それ程でもないけどディーとのセックスは幸せよ。光栄だな。他の女とやってもいいけど程々にね。やってない、やるのはお前だけだ。ならいいけど。お前ほどいい女はいない。本当。女ざかりのユキに初老の男はすまなく思うことがある。労わられるようになると年を感じる。

 南洋の島で数奇な運命を辿る自分に不思議な感慨を坂本は抱いた。晩年のゴーギャンの心境がわかる気がした。年をとって成した子は可愛い。その母親はいい女ばかりである。これほどの幸せがあろうか。この平穏な時間を大切にしたい。闇の権力者ヘンリーウイリアムの裁判が気になるが東京に出向く気にならない。
 許細君、龍治ギラギラが無くなったわね。貴女もそう思う、アンゼリータ。マリアと寝室をともにすることが減ったわ。梅雲も同じよ。清美にも相談しようか。彼女は身重よ、ここは私に任せて。どうするの。それは秘密。

 許細君と梅雲は坂本に秘薬を飲ませ、食事療法に乗り出す。医食同源と新鮮な野菜、肉を食させる。4千年伝統を持つ気功按摩を施す。意が氣を領びき氣が形を領びく太極拳を坂本に勧める。坂本には十年の心得はあったが許細君に気圧される。格の違いだ。小柄な梅雲にも軽くあしらわれる。
 数年前にはモロイスレム戦線の兵士に太極拳を教えたことを思い出して坂本は奮起する。母娘の意は氣を領びき氣が形を領びく。その氣が坂本を元気づける。元気とは元の氣すなわち生まれ持った氣だ。病気とは氣を病むことだ。
 八段錦、24式だけで生気が漲ってくる。そんな坂本に親子は微笑む。老いとは肉体的精神的鍛えが少ないからだ、反射神経は鈍くなるのは致し方ないが筋肉と精神は日々の鍛え方だ。太極拳気功師の指導を受ける。いずれも大家だが気持ちを和ますものがある。氣には内気と外気が内気を鍛えることから始めましょう。坂本は数週間で見違えるようになった。

 アンジェリータ、私の料理試食してみますか。それは是非。細君はカルロスと陳がマニラに出かけた日の夕食にアンジェリータとマリアを招いた。折よくユキも清美も不在だ。(まあ美味しいですわ、それにその気になってきますわ。良かったですわ、貴女に試食していただいて。この酒には媚薬が。いえ本来的に含まれているのでしょう。)
 坂本は黙々と食事と酒を堪能した。その顔は満足仕切っている。突然マリアが部屋に戻ると席を立った。すぐヴァイオリンの音が聞こえてきた。気になる一節を繰り返しているのだろう。坂本は黙って席を立つ。マリアの部屋に入るなりパンティーを脱がす。つづけろ俺が伴奏してやる。
 まあ。え、まさかあれ。間違いないですわ。媽媽、横笛吹いてもいいかしら。いいわよ。梅雲はヴァイオリンが止むのを待って静かに歌口を中てる。程なく坂本がやってきて梅雲の伴奏を始める。つづけて梅雲も。みたいですわ。すごい。私たちはお茶にしましょうか。ええ、でも恥ずかしくて私顔が赤くなりますわ。いいじゃないですか、貴女も明け方にはピアノを御弾きになりますか。いやですわ細君。なら私は琵琶を弾きますわ。それは。

 翌日紅茶を飲む二人。どうでしたか、遅めのメインディッシュ。最高。ようございました。魂が天空に駆け上って肉体は天上に浮かぶのでございますよ。それは、それは、貴女も達人の境地に立たれたのですよ。でしょうか。
 ママ、ちょっとピアノで伴奏して、マリアが叫ぶ。私の伴奏でいいのかしら。まあ。媽媽琴の合いの手いれてくださいな。いいわよ、私の梅雲。坂本は昼寝から目を覚ます。音楽は人を幸福にする。ある旋律が浮かんできた。
 坂本はそれをマリアのヴァイオリンで奏でる。ピアノがついてゆく。3拍子4拍子5拍子と激しくリズムが変化する。リュウジ素晴らしい音楽だわ。何というのかしら。そうだな、南方の風かな。私に弾かせて。梅雲が琵琶を許細君が筝を持ってきた。
 ホールに場所を変える。四重奏が始まる。5拍子は2と3、もっと固く、坂本の指示が飛ぶ。次の4拍子は狂暴な嵐だ。嵐が去って序奏が再現される。梅雲、琵琶を笛に持ち替えてくれ。曲が終わると拍手が起こった。素晴らしい指揮だわ。
 作曲の考えを言っただけだ。これ程の奏者に指揮など要るか。作曲者の意図以上の演奏だ、天上の音楽だ。では頭から通してみましょうか。待ってくれ録画するから。開演の時間となりました、みなさまお席に御着き下さい。坂本がアナウンスしながらヴィデオをセットする。

 何時しか塩崎家族、近所の人もやって来ていた。ヴァイオリンのやや悲しげな3拍子の序奏から4拍子へ、突然激しい5拍子と4拍子、そして3拍子が再現されて曲が終わる。しばらくして拍手と歓声が起こる。作曲者の坂本も前に引き出される。
 この曲は南洋的だが東洋的でもある、西洋的なところもあるが、そうだな赤道海流の音楽だ。いつの間にかカルロスの講釈が始まる。それ言えてるな、赤道海流は北上して黒潮と名を変えるあるよ、やがて南下して再び赤道を巡るあると陳がつづく。ママ、今度の音楽会に取り上げたい。そうねマリア、譜面を起こしておきましょ、著作権があるから。
 マリアは音楽ソフトを使って譜面を起こす。驚く速さだ。この曲私にくれるかしら龍治。だめだ、
『この曲は年月日にバギオで作曲されヴァイオリン;マリア、ピアノ;アンジェリータ、琵琶及び笛;陳梅雲、筝;許細君によって同日初演されたと入れろ。』わかったわ、その下に作曲者のサインして。

 楽の後には苦がある。楽しきことは短くて苦しきことも多かりき。坂本はユキの訊問と執拗な攻勢を受ける。守勢の坂本の息子は鍛錬の功あってユキを何度も失神させる。その時坂本は大きな椰子の実が落る音を聞いた。お母さん大丈夫、南海男が心配する。お父さん死んだの。それは夢か現か、坂本の意識が遠のいてゆく。
 ユキは慌てて坂本を揺する。南海男、陳さん呼んできて。南海男が飛び出すとユキは衣服を身に着け坂本をみつめる。その顔はうっすらと笑みを湛えているが息はしていない。脈もない。坂本の体を拭いてパンツをはかす。
 坂本が死んだと聞いて陳家族が駆けつける。塩崎家族もやってくる。これ腹情死ある。腹上死でしょ。ユキさん、程々にしないと。それよりお母さんリュウジを助けて。陳さん活をいれてください。承知。
 許細君がみぞおちを一突き。梅雲が背後から気を入れる。もう何も出ないと坂本が息を吹き返す。あなたとユキが抱き着く。ユキさんの罪状明白ある。事故ですよ、ユキさんに過失はありません。今の一言で十分、彼のすべての精を搾り取ったからあるよ。でも男が精を発射ことは自然なことですわ。そうよ、それだけユキさんのあれは名器なのよ。
 しかし死んでは御終いある。だから活の入れ方を学べばいいのよとマリア。先ずみぞおちを押します、こんな感じ、次に背後ら活を入れますと梅雲。それならできそうね、龍治もう一度死んでみて。

 坂本は臨死を体験した。そこで南海男が椰子の実に撃たれたのはひょっとすると自分だったのかも知れないと思った。南海男の声に道を引き返したのだ。以後、死はそれ程恐ろしくなくなったが子供たちの顔を見るとまだまだ死ねないと思うのであった。

 武器廃絶はトモカサにまかせるとして闇の権力者ヘンリーウイリアムの処分をどうするか。清美に二人目の子が生まれる。白井貴子が子連れで帰ってくるという。マリアと梅雲も身ごもったという。自分が蒔いた種だが坂本の悩みは尽きない。課題山積である。その時一陣の風が吹き抜けた。椰子の葉がそよいでいた。


           ―闇の権力者たちの日本近代史 完―



あとがき

 支配とは少数が多数、集団を治めることである。自分の意思、命令、行動に他を服従させることと言っても良い。その意味では支配者は一人が理想である。支配される集団が大きくなってくると一人で何もかもとはいかなくなるので支配者の代理人、下請けが必要となってくる。これらの支配集団にも序列ができる。
 そもそも人類は集団行動を採ることで生き延びてきた。そうでなければとっくに絶滅していただろう。集団の意思は優れた指導者によってなされていたことは想像に難くない。指導者は集団からその就任を要請されたであろう。野球の弱いチームが名監督を求めるようなものである。指導者の良し悪しは取分け狩猟生活では集団の死活問題である。指導者も集団のために尽力するから両者の利害は一致していた。指導者は感謝され尊敬された。
 指導者の報酬が感謝と尊敬のうちは良かったが、やがて指導者は自分の地位が他人を支配できることに気づく。感謝するなら物寄越せ、女を寄越せとなっても不思議ではない。支配者の代理人下請けも右に倣えする。持てば持つほど欲しくなる、どうしてそうなるのか。
 権力の根拠は支配能力カリスマ性から支配者という地位に移行してゆく。その地位に就けば無能者でも権力を持つ。支配権力の魔力というべきか。無能者バカ殿の地位を正当化するには、そこで王権神授説が提唱される。困った時の神頼み、神様を引っ張り出す。神仏ならぬ生身の人間である、物欲、色欲、権力欲に付かれるのを如何ともし難い。人は富や名声を失って自由になるとはかのセネカの言葉であるが欲と自由は永遠のテーマであるようだ。

 日本民族の指導者は欧米諸国その他と比較すれば上品であった。指導者の地位に留まるか支配者に変身するかは品性の問題である。前者は集団のために尽くすのに対し後者は搾れるだけ搾る。不思議なものである。同じ人類でありながら、この差はなんだ。人類が定住始めると指導者と支配者が分離する。宗教から政治が分離したのもこの頃であろう。現代では政教分離と言って政治から宗教を分離させろと言っている。国、県、市町村といった大きな集団、社会を宗教で治めることは不可能である。集団には政治指導者が求められるが支配者では困る。集団の構成員である国民は指導者が支配者に変身しうることを認識せねばならない。選挙の時だけ主権者とおだてられているようでは情けない。
 現在の日本の支配者は日本国政府である。国会は最高機関と憲法では定められているが実権は政府にある。だがこの政府を支配する闇の権力者が本当の意味での支配者である。その正体は不明であるが日本の戦後体制のシナリオを描き演出している。日本の農業、教育を荒廃させたのは誰か、日教組であると言うのはあまりに皮相的である。米軍基地は監視塔である。

 闇の権力者は米国、中国をして日本を脅している。一方でTPPTrans-Pacific Partnership環太平洋戦略的経済連携協定に引きずり込み、一方では尖閣諸島から沖縄に侵攻させようとしている。日本なぞ何時でも支配できますよ言っているのである。支配欲は一国を支配するとやがて隣国諸国をと止まるところを知らない。もし世界を支配したならどのような世の中にするのか見解を示せと言いたいのだが闇の権力者は姿を見せない。黒幕の後ろからただひれ伏せと言うであろう。だからやっかいなのである。

                                2013.9.25 フィリピン マクタン島にて 佐々木三郎


← 前の回  ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 4681