20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:老人と乙女の恋 作者:佐々木 三郎

第8回   祖母と片山雷蔵との秘密
祖母と片山雷蔵との秘密

 和美は片山雷蔵の過去を知らない。すでに母となった今それを知ってどうなると言う気持ちもある。しかし叔母が雷蔵の写真を見たときの顔が時々浮かんでくる。叔母は雷蔵の過去を知っている。知りたい気持ちと知ってはいけないという気持ちが交錯する。理由はわからない。多くの場合知らないほうが善いのだが知りたい欲望を抑えることはできない。

 和美は叔母翠を訪ねた。「和美幸せかい」「ええ、とっても」「ならいいじゃないか昔の事など」「でも知りたいの」「そうか知りたいか」叔母も迷っているようだ。彼女は和美を可愛がってきた。叔母と銘との関係だがわが子とは別の愛情を持っていた。それは和美の性格によるのかいわゆる相性がいいのか、うまく表現できない。「香奈が五歳で有里がもいじき三歳だね」「ええ、ついこの前のようだけど早いわ」「ところでお前いくつになった」「33」「そうか三十路を越したか、私が歳ととるわけだ」

 叔母は和美に話しても大丈夫だと思ったようだ。それは和美の祖母のことであった。叔母は古い写真を出してきた。小学生が写っていた。一人は和美の祖母でもう一人は、、。
叔母は茶を入れながら話し出した。祖母は同級生に思いを寄せられた。悪い気はしなかったがタイプではなかった。同級生は思いを隠すどころかどんどん募らせてゆく。それは中学高校と進むにつれ求愛となった。同級生は県外の大学に進んだが祖母は高校卒業と同時に家業を継いだ。三姉妹の長女であり跡取りとして育てられたので自然とそうなった。

 祖母は二十歳の夏、彼に同窓会の後強引に連れ出された。もっとも祖母の運転する車に彼を乗せたのだからそういう振りをしたのかもしれなかった。清流の川原を歩いて星空を見た。彼は祖母をぎこちなく抱き寄せた。祖母は彼の情熱彼の興奮を感じた。彼が求めていることはわかったし抱きしめられて身体は彼を受け容れる気持ちにはなっていたのだが処女の本能で口付けすら許さなかった。ふたりとも大人になりきっていなかったのだ。当時の二十歳は晩熟だったか、、。祖母は彼の悲しげな目を一生忘れなかった。

 三年後彼が就職で東京に出るとき結婚を申し込まれた。彼の人柄一途さは分かっている。心は揺れた。商家の跡取りとなれば嫁に行くわけにはゆかない。彼を婿に迎えるには家風が違いすぎる。カチカチの彼に商売などできるはずがない。しかしこれほど自分を思ってくれる男がいるだろうか。思い悩む祖母を残して彼は旅立って行った。「口付けすら思いでも残してくれず去り行く影よ、、。」お前が口付けを拒んだではないかといった理屈は女に通らない。

 叔母翠が嫁入りするとき祖母は「自分を愛してくれる男と結婚するのが一番だよ」と言ったそうだ。祖母の子は上から叔母翠、母百合子、叔母仁子の三姉妹だったから本来なら一番上のこの翠叔母が跡取りである。取引先から叔母を是非にと言われたのだ。祖母は「お前好きな人いないのかい」とも叔母に尋ねたが叔母にはそういう人はいなかった。親同士が決めた縁談はとんとん拍子で進められ叔母は嫁入りした。ところが翠の夫はとんでもない遊び人だったのだ。平凡な新妻をあまり抱かなかった。商売はそっちのけで遊びまわっていたのだが韓国女性と日本を飛び出してしまった。
 義父母はしっかりした翠を嫁にすればどら息子も家業に身を入れると期待したのだったが親ばかの謗りは免れないと言えば酷か。二人は翠と祖母に手をついて詫びたのだが二年足らずで翠は出戻りとなった。「翠許しておくれ、よかれと思った縁談だったけど母さんが甘かった、見る目がなかった」「縁がなかったのよ」祖母は誰を責めるでもない娘を抱きしめて涙を流した。

  この世の花

  作詞:西条八十
   作曲:万城目正
   歌唱:島倉千代子
   MIDI制作:滝野細道

    赤く咲く花 青い花
    この世に咲く花 数々あれど
    涙にぬれて 蕾のままに
    散るは乙女の 初恋の花

    想うひとには 嫁がれず
    想わぬひとの 言うまま気まま
    悲しさこらえ 笑顔を見せて
    散るもいじらし 初恋の花

    君のみ胸に 黒髪を
    うずめたたのし 想い出月夜
    よろこび去りて 涙はのこる
    夢は返らぬ 初恋の花l 

 ところが事態は急展開を見せる。義弟が乗り込んできた。「義姉さん戻ってきて下さい。うちの店には嫁が要るんです」翠より五つ歳したの義弟は働き者で商才もある。「父も母も落ち込んでいます。戻ってきて下さい。兄貴の不始末はわしが償います」叔母は驚いたが祖母は頼もしそうに義弟を見つめる。「おばちゃん翠さんをサラって行くけんな」祖母も昔もう何十年になろうか強烈な求愛を受けた。その若い男は家に乗り込んで略奪せんばかりであった。略奪結婚こそ純粋なかたちではないか。
 その夜祖母は川原で見た星空を翠に話した。あの時身を任せていたらと何度も思ったそうだ。たとえ結婚できなくても処女をあげていたら同級生は悲しげな目をしなかっただろうと涙ぐんだ。当時は嫁ぐ娘は処女でなければというのが社会通念であった。しかし翠には母の涙が理解できた。自分もそれほど思ってくれる男がいたなら身を任していたかもと思うのであった。

 婚家は翠が帰ってきてくれたので大喜びだ。義弟幸吉は翠に尽くした。二十歳になったばかりだが店を切り回し両親を大事にする。翠も商家の生まれである、商売のコツは心得ている。幸吉との意気もすぐに合った。同じものを見つめ同じ仕事をすれば愛が芽生える。幸吉は以前から義姉に恋心を抱いていたのかも。翠を求めていることは傍目にもわかる。言わなかったら解らないというのは鈍感かタイプでないとの拒否である。
 やがてある夜、幸吉が翠に迫った。「わいの嫁になってくれ」と言うなり翠を押し倒した。法律上は兄嫁人妻である。一度は抗っては見たものの若い男の情熱は抑えきれない。幸吉は翠の中に押し入ってきた。そして「翠どこへもいかんでくれ」と何度も何度も求めてきた。 男の純粋な愛は性欲以前に好きな女を自分のものにすることではないか。換言すれば入れることでものにしたと満足できる。射精の有無は必要ではない。
 その幸吉の直向さを感じた翠はこの時はじめて本当の女になった気がした。幸吉が両親にできたことを話すと義父母は「翠さん幸吉のことよろしくお願いします」と頭を下げた。祖母も事実上の娘の再婚を喜んでくれたそうだ。義父母は祖母の前で幸吉の兄を勘当して敷居は二度と跨がせないと言った。

 祖母は亡くなる前に翠の手を取り「私の分まで幸せになっておくれ」言ったそうだ。翠が和美の話をするとうれしそうに「あの孫娘は我が家に男運を呼び込む希望の星」とも言ったそうだ。和美は祖母が片山への思いを自分に託していたのではないかと思った。しかし片山が私に祖母の面影を重ねていたとしても、それはそれでいいではないかとも思える。翠叔母は「和美、香奈たちを太陽に育てなさい。我が家は母系家族であるぞよ。弥栄に」とおごそかにのたまう。

 祖母も叔母も男に言い寄られたが私は雷蔵に言い寄った。私の方からさきに雷蔵を愛しし、ものにしたのだ。うん、この差は大きい。人は勝負どころで勝負に出れるか、これが運命を決する。私は結果を恐れず、私は処女喪失という人生最大の賭けにでたのよ。そして勝った。そう雷蔵が言っていたわ「人生に解決などない、ただ突き進むのみ」と。
 口説き口説かれ情にほだされてもいいが、私の愛はそんなことは超越している。雷蔵の喜びが私の喜び、こどもの喜びが私の喜び、わかる。情に絆されるのもいいけど自分で惚れなきゃ本当の恋はわからない。賭けが品がないというなら勝負と言おう。勝負に出るか避けるかその善し悪しは結果を見ないとわからない。私は雷蔵を得て、子どもを得て、そして家族を得た。我が人生に悔いなし、感謝あり。そう勝負所を見逃さない、勝負できるかね。勝負して負けたらあきらめる。勝負を避ける者に勝ちも負けもない。
 私は祖母に似て綺麗なの、母よりも叔母よりも。「雷蔵の初恋の人は」「和美に似ている」これまた正直な。「どっちがきれい」「そりゃ和美がちょっときれい」「ちょっとだけ」「それぐらいむこうも綺麗だった」「その人どうしてる」「さあどうしいてるだろうか、もう永い事あっていないな」「その人に会いたい」「いいや、和美のほうがきれいだから」「その人泣くわよ」「可哀想だがこれは事実、事実は曲げられない。和美以上の女を連れてきてみろ、それからの話だ」「雷蔵さん言うねえ、でも格好いい」

片山雷蔵の過去 手形偽造

 片山は東京で大手機械メーカーに勤めていた。そのころ会社の支払手形は毎月平均50億が切られていた。そのほとんどが工場の部品代、下請会社への支払いであった。毎月工場の経理担当者が本社に手形を持参して社長印を押してもらう。この時は本社の経理も立ち会って押印を確認する。手形の通し番号、額面、手形枚数をチェックするのだ。学卒の初任給が3万円、タクシーの初乗り運賃が80円の時代だ。工場の経理担当者は発行済みの手形を抱えて電車に乗る。手形を容れたバッグを肩にかけ、その上に背広を着る。満席の時は吊革にぶら下がり脇を締めている。この間の1時間が長いとこぼしていた。
 手形の枚数は月500枚くらいだが銀行の統一用紙が使われていたので通し番号がある。社長印は金庫に保管されており各部署から押印請求があるとこれを審査して文書課長決済で金庫から取り出す体制だ。従って手形の偽造変造はまずあり得ない。事実過去において一度もなかった。
 ある日本社の経理が手形発行額と支払額との差に気づいた。年度決算で6億多く決済されていたのだ。月5000万。一流企業とて3年も気づかなかった。銀行から決済済みの手形が回収された。6000枚の手形を写しと照合していった。下請けへの支払いが重なっているものが毎月3枚あった。受取人は3社。これらの手形の額面を合計すると差額と一致する。
 経理部長は総務部長に相談し二人して管掌常務に報告した。「この偽造は内部犯行かね」「外部の者が偽造することは不可能かと」「記名捺印に不審な点は」「それが見当たりません」「弱ったな、公表すれば会社の信用にかかわるし、放置すれば被害が拡大する」両部長は恐縮するばかりである。「暫く関係者を見張るしかないか」「はあ、今一度事実を確認しご報告に上がります」

 こうした話は隠しきれるものではない。社内に重苦しい空気が漂う。まず疑いは文書課に向けられる。課長、係長、担当事務員。金庫の鍵は常時課長が保管することになっているが課長が出張時には係長が保管する。二人とも偽造などできる人物ではない。総務部長が常務会に呼ばれた。このとき同伴させられたのが片山雷蔵であった。当時平社員が部長に同伴することなどあり得ないことであったが事態は切迫していたのだ。「工場から転勤させました片山です。君の考えを申し述べなさい」常務会は家老職の合議にも匹敵する、平侍が同席など前代未聞である。片山は臆することなく「状況から内部犯行と考えるのは無理からぬところですが当社の従業員にこれほどの悪事を働く者はいないでしょう」
常務会はどよめいた。「生涯賃金は5億と試算されています。当社の評価は一流企業とされています、それほどのリスクを冒すでしょうか」やや間があって「そうだね、君はどうする」と社長が言った。「長年判を押している人間は印影を見ると自分が押した印影か否かが判るそうです」「担当者に見比べてもらう」「そうです、彼女なら判るでしょう」と片山は退席しようとした。「待ちたまえ、君彼女を説得してくれないか」「いいですよ」
 片山は電話で経理担当者と柴田瞳を常務会に呼びつける。「この手形どちらが君の押印したものだ」柴田瞳は見比べて右を挙げた。「では次」これも右。3組目も右。「はいご苦労様です、帰っていいよ」と片山は言ったが管掌常務がどうしてわかるかと柴田瞳にたづねた。「どうしてかって、うまく言えませんがわかるんです」「そう、ありがとう」柴田瞳が退席すると常務は経理担当者を見る。「全問正解です」「なぜわかる」「こちらは統一用紙です。通し番号があって控えの半券と一致します」さらに彼は手形の裏面に朱肉を押し付けた。「なるほど、彼女の押し方は右下に力が入っているね」常務たちも手形を回覧して感心した。「片山君これからどうする」「私はお役御免です」「晩飯奢るから」「築地の寿司が旨いのですが」「わかった、常務と部長も一緒に連れてゆく」
 経理担当者も一緒に晩飯を奢ってもらうのだが片山と息が合うようだ。「これは印鑑偽造だな」「私もそう思います。ゴム印も同じでしょう」「はんこ屋から当たるか」「私は偽造手形の流通を洗います」「片山君徹底的に洗え、部長命令だ」「いや二人に社長特命だ」

こうして内部犯行は否定された。しかし片山は内部に通じている者がいるとにらんでいた。理由は額面の一致だ。偽造者は支払金額を知りえたか。できたら穏便に解決したいと考えたが口には出さなかった。偽造手形は受取人である下請けが町金で割引、町金業者が銀行に持ち込んでいる。さらに手形交換所を経て会社の取引銀行に戻ってきている。権力のない二人の若者には雲をつかむような捜査である。偽造手形の用紙チェックライターは倒産会社の整理屋から簡単に手に入る。使うあてのない用紙チェックライターなど廃棄処分だ。一冊なら一杯飲ませてやれば十分だが番号から推察すると数冊入手したらしい。これに金額、受取人、期日をチェックライターで打ち込みゴム印で記名し代表者印を捺印するだけで偽造手形の完成だ。
片山は工場を訪れた。新入社員の3年足らずをここで過ごしたが懐かしかった。工場敷地は40万坪以上で緑化が進み見違えるようであった。本社と違って従業員は家族のようだ。その夜は会社の寮に泊まることにして飲みに出かけた。いつもの店で懐かしい顔がいた。「あいつ逆玉よ、婿入りした」「羨ましいな」「下請の娘に惚れられたらしいが社長に見込まれたらしい」あいつとは労組の役員をしていた山田だが職場では冷や飯を食っていた。人間的にはいい男だが我が強いので上の覚は良くなかったようだ。婿入り後は会社を順調に伸ばしているという。
 片山は彼の退社までの経過を探った。組合活動で会社の組織業務を全体的に理解したようだ。組合役員は全部署の組合員すなわち従業員と接触する。会社は縦割りだが組合は横断的である。山田は高卒故の不遇への不満、上司への恨みを募らせていったようだ。だが手形偽造の動機としては弱い。片山は山田の奥さんに注目した。彼女は会社、組合に出入りするうちに山田とできたようだ。愛くるしく利発な娘であったから山田とできてもおかしくはない。しかし山田はそれほどもてる男ではない。とすれば娘の方が山田を凋落したのではあるまいか。片山は組合事務局の奥村愛子を当たった。工場時代は毎日のように組合に出入りしていたから奥村愛子も片山を懐かしがり昔話に花が咲いた。
その断片的話をつなぎ合わせると次のようだ。下請けへの支払手形はサイトが300日を超えるので多くの下請けが手形を割り引いていた。「お産手形か」「そうなの。銀行の割引なら額面に近いけど町金なら8掛けね」「金山鉄工所は町金で」「資金繰りに困って半分以上町金で割っていたみたい。山田さん同情してたわ」「同情が愛情に」「そこまでは知らないけどありうるわね」手形は満期になるまではただの証文である。現金になるまで十月十日かかるのだ。会社への恨みは動機になりうる。下請け代金を叩きに叩いておいて支払いは実質一年先では大変であろう。
利益の源は搾取とは頭で理解できても納得できるものではない。日本は民主国である。植民地ではない。そして偽造手形の受取人、下請3社は会社の乗っ取りの対象にされていることも知ったのである。戦国時代さながらに大手は優秀な下請を乗っ取り天下り先にしてゆくのだ。最初は資金援助、次に資本投下役員派遣。下請け代金を叩いて会社が回らなくなると資本額で買収する。下請会社とて一国一城である。血と汗で築き上げた城を明け渡すのは断腸の思いであろう。
状況は山田に不利である。次は印鑑偽造と手形用紙である。片山は「印鑑は偽造専門屋に作らせると本物と見分けがつかないらしい。こちらは数が少ないから金をかければ突き止められよう。銀行の統一手形用紙は銀行から支給されるから割り出しやすい」と考えたが現実は甘くなかった。やってやれないことはないと思ったが下請けの悲痛な叫びを聞いてこの考えを会社に述べる気がしなかった。このままうやむやにしておくのが最善と思ったが部長いや社長特命をなんと心得ると言われそうだ。
 片山は引き伸ばしにかかった。部長からフォロー督促があった。片山は嘘や演技ができない。「事を明らかにすれば傷が大きくなるのでは」との返事に部長は激怒した。それは経営の判断であって平社員が口にすべきではない。反逆罪である。会社は片山に退職を迫った。懲戒解雇事由には当たらなくとも職場に居づらくする方法はいくらでもある。手形偽造の解決をみないとき誰かを生贄にしてお茶を濁すのは経営の常套手段である。誰でもいいがそれなりの人間であることは必要だ。片山が適当である。
 片山は退職を決意した。それでなくともサラリーマン生活に飽きが来ていたのだ。片山は山田を呼び出した。人目につかない上野の居酒屋で話した。「偽造は犯罪だ。下請け代金を上げることだ」捜査の進展を話すと山田は驚いた。「どうしてそれを」「賃上げと同じだ。地道に勝ち取ってゆくのだな」「もし捜査がうちに及ぶと」「双方に犠牲者がでるな。これは避けたい。下請け代金遅延防止法が救ってくれるだろう」下請け代金は2か月以内に支払わねばならない。泣く子も黙る公正取引委員会の管轄だ。山田は頭を下げた。「でこれからは」「まあ資格商売でも始めるさ。みんなによろしく伝えてくれ」それから間もなく片山は会社を去ったのであった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 5193