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作品名:老人と乙女の恋 作者:佐々木 三郎

第4回   三章 長女誕生
三章 長女誕生

 和美懐妊

 秋きぬと目にはさやかに見えなくとも季節は移ろっていた。和美は生理がないことに気づいた。みごもったという喜びと不安が入り乱れる。『おまえできたのじゃない、病院に行ったほうがいいよ』百合子はずばりとものを言う。和美がとぼけると『できるようなことをやっているのだから早めに行った方がいいよ』と決め付けてくる。この押し付けがましさは娘を気遣う母親の心情ともとれないこともない。昔から和美が迷っていると口を出す。反発する気持ちもあったが婦人科にゆく気にさせたのも事実である。 
 飯田和美はおめでたですと産婦人科で言われてにんまりした。彼に妊娠させたと祝杯を上げたい気分だ。正確に言うと和美が彼をその気にさせかつ行為に及ばせ、結果彼女が妊娠したということである。その彼片山雷蔵は70歳のお爺ちゃんである。第一の関門は母親に何時報告するかである。まあ三ヶ月になったらと考えていた。しかし彼女は28になるまで性の経験は無かった、初体験だし結婚もしていないから不安が過ぎる。ついに親友の大西智子に相談することにした。智子はすでには二番目の子を半年前に生んでいる。
 もともと和美に彼片山雷蔵を紹介したのは智子だ。『あなた生むつもり、十年後彼は白髪のおじいさんよ』智子の言うことは常識である。すなわち十人が十人とはいかなくとも八九人は同意見であろう。女は、男にもよるが反対されるとむきになる。同意して欲しいのだ。しかし和美は親友が自分のことを心配してくれていることがわかっているので自分の思いを口にはしなかった。たまたま好きになった人が年寄であっただけと言いたかった。『しかしあの歳で和美を妊娠させるなんてすごいわねえ。種がいいのかしら』

 和美は大学を辞めることにした。学生の評判もよく内弟子(学外で和美の個人指導を受ける学生)は増えていたから非常勤講師の目的は達成されたと考えたのだ。もう一つの理由は好色の理事長である。常勤講師を餌に迫ってきたのだ。何人かの愛人を抱えていることは耳にしていたのできっぱり断った。理事長の妻は和美の同級生であることも苦痛であった。彼女はすでに教授になっていた。

 大西益男は智子の話を聞いて片山雷蔵とはあの男ではないかと思った。あの男とは熱血行政書士で知られる男だ。依頼人の為に奮闘する姿は法令規則に縛られている公務員にはまぶしく映る。経歴は大手企業で法務を担当していたが20年程務めて突然独立し行政書士になったらしい。まずその勇気に驚く。当時は公務員より民間の給与が高かった。定年までおれば退職金年金で豊かな生活を送っていたであろう。
 彼は40を過ぎていたが学生みたいなところがある。本質論で押してくるから行政としてはやりにくいが政治的駆け引きがない。ひたすら依頼人のためを思っている。ある日、一級河川の流域にレストランを建築する許可を求めてきた。

(河川予定地における行為の制限)
第五十七条  河川予定地において、次の各号の一に掲げる行為をしようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。ただし、政令で定める行為については、この限りでない。
一  土地の掘さく、盛土又は切土その他土地の形状を変更する行為
二  工作物の新築又は改築

建設省の担当官は「ああここ、、あんたで5人目ですよ」と答えた。その行政書士は動ずることなく「河川法教えてくれるで。難しいな」と条文を示した。「建設大臣は河川区域を指定したるときは嘱託登記を要す」とある。担当官は慌てた。申請土地は大河の中流の宅地である。明らかに役所のミスである。「あんたどうして河川法を」「あかんようやな、わし往ぬわ」「ちょっと待ってください、帰らないで下さい」「お茶も出んのに居ってもしょうない」「ほない言わんと、すぐ出しますので」
数日後彼の家に電話がかかってきた。建設省からだ。「先生、お願いがございますので当事務所にお越し願えませんでしょうか」「頼む方が呼びつけるとはこれ如何に」「申し訳ございません。河川管理課長、河川課長、総務課長が直々に説明したいと申しておりますので」「申すのは勝手だが交通費は出るのかい」「いえ出張所でなくすぐ近くの事務所です。橋の東です」「交通費はでるかと聞いたんやけど日当も出んな」

事務所の会議室には三課長が待機していた。「ご足労かけました。お茶をどうぞ」準備怠りない。「あんた独身?そやろな綺麗な娘はすぐ売れる」「先生の好みですか」「好みやが手を出したら国が怒るだろ」「この春結婚したんですわ」「事前に言うてくれな」「それでですね、この河川は氾濫を繰り返しで多くの人命財産を奪ったので」「そりゃそうじゃろ、日本有数の大河じゃ、氾濫は肥沃な平野をつくった」「おっしゃる通りで、治水は我が国の政治の柱でもあります」「水を治めるものは天下を治める」「ですからあそこにレストランが建築されますと水流に大きな影響が出ます」

彼は音を立てて茶をすする。茶菓子はないのかという顔だ。「ですから公共の見地から本申請を取り下げていただきたいのです」「所有権の絶対は憲法で保障されていると小学校で習うた」「レストランを支える柱は増水時には渦を巻き起こし堤防を決壊させる恐れがあります」「堤防、手抜き工事でないのか。渦ぐらいで決壊するとは」
ここで待てのサイン。地方整備局長登場。「お世話になっております。吉岡です」「「別に世話してないで」「この河川は国の重要河川でありまして治水工事も優先して行っております」「豊かな流れじゃからのう」「従いましてこの度建築は治水に大きな影響が出ることをご理解ください」「所有権は公共の福祉には従わないかんな」「そうなんです、先生から申請人に建築を諦めるようにご説得いただけませんでしょうか」「国はなんぼくれる。依頼人は許可を取ったら400万払うと約束した。依頼人の信頼に背くわけにはいかん」
一同顔を見合わす。「国民の生活向上と社会の繁栄進歩に貢献するのは先生のご使命では」「そこよ、つらいところ。国に忠ならんとすれば功ならず」「はあー」「功なくして報酬が得られようか。手ぶらでは家に入れてくれない。生活費のほかに二人の息子の学資を稼がなくてはならん」「先生は大手企業におられたとか、給料も多かったのでは」「すまじきものは宮仕え」「国としましては買収を前提に当該地の測量をしたいのですが立ち入ってもよろしいでしょうか」「本職の受任事項にはさようなものはない、が代理人の裁量で認めよう」「買収契約が成立しましたら先生の報酬も十分に払うよう地権者と協議いたします」「たらは停止条件、いつになることやら。明日の千円より今日の百円じゃ」「わかった、わしにまかせてくれ」「おい、吉岡、金にならなんだらしばくぞ」

課長連中「お知り合いで」「同級生。通産省も彼には泣かされている」「それで局長がわざわざ」「話を聞いてピンと来た。彼は霞が関も気にしない」「そうでしたか。局長あとは我々で善処いたします」結局、国が50坪程の土地を150万円で買い上げた。川の中の荒れ地(一文の値打ちもない)に破格の値が付いたのだが申請人の不動産屋は彼に20万円払っただけであった。建設省は「うちの顔をつぶすのか」と不動産屋に電話を入れた。あわてて30万が追加払いされたそうだ。「ああいう茫洋とした男には気を付けろ」ということが建設省にもひろまったのであるが、大西は課長からこの話を聞いていた。大西は上司があんな風に人生を送れたら幸せだなと言っていたのを思い出したのだ。彼は片山雷蔵ではないかと思ったが智子に漏らすようなことはしなかった。それが確信に変わるのはもう少しあとのことであった。

第六条  この法律において「河川区域」とは、次の各号に掲げる区域をいう。
一  河川の流水が継続して存する土地及び地形、草木の生茂の状況その他その状況が河川の流水が継続して存する土地に類する状況を呈している土地(河岸の土地を含み、洪水その他異常な天然現象により一時的に当該状況を呈している土地を除く。)の区域
二  河川管理施設の敷地である土地の区域
三  堤外の土地(政令で定めるこれに類する土地及び政令で定める遊水地を含む。第三項において同じ。)の区域のうち、第一号に掲げる区域と一体として管理を行う必要があるものとして河川管理者が指定した区域
4  河川管理者は、第一項第三号の区域、高規格堤防特別区域又は樹林帯区域を指定するときは、国土交通省令で定めるところにより、その旨を公示しなければならない。これを変更し、又は廃止するときも、同様とする。


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