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作品名:老人と乙女の恋 作者:佐々木 三郎

第2回   アルルの女 片山のにわとり
  アルルの女

 非常勤講師の待合室に親友の智子がやってきた。『何読んでるの』『これ片山さんが忘れたみたい』『アルルの女か、ひょっとすると和美への恋心かも』『まさか』『あのひたむきさ、アルルの女に恋したのよ』『私こんな悪女じゃないわ』『悪女か天女かは問題でない。彼は恋してしまったの』『私に、悪女に』『両方かな。和美にアルルの女をかぶせているのか、その逆か』

 大学がひけると二人は公園のベンチに腰掛けた。『女を憎みつつ愛するってどういうこと』『男はなかなかものにならない女だから一層深く愛するのじゃない』『彼の場合なかなか演奏できないから必死になって』『男ってそういうところがあるわね』『私たち音楽を楽しむより演奏技術ばかりを追いかけてきた気がしない』『私妊娠して家にいたでしょ、大西の蔵書を読んだの。文学なんて知らなかった』『どうして男は結婚式の前日になって自殺するの』『たしか、あんたは俺の情婦を息子の嫁にしようとしているという行があったでしょう』『愛した女が馬夫の情婦だった』『そう、若い男には堪えられなかった』

 和美は智子との会話を何度も思い出した。男は心に描いた理想の女に向かってゆく。その女が理想から程遠かった場合は、、。私は片山にとってどんな女であろうか。ばかね、私変なことを考えて、智子は何ていうかしら。あるとき片山が和美の手を取ってまじまじと見つめたのには驚いた。「こんな小さな指でひくのですか。でもきれいな手ですね」と言われて悪い気はしなかった。顔をスタイルをほめられたことはあるが手は初めてだ。とにかく片山に私のできる限りの指導をしよう。卒業演奏で彼の晴れやかな演奏をさせたい。

 卒業演奏の日がきた。春は浅いが野に花が咲き始めている。一年は過ぎると早い。曲目はアルルの女だ。片山のたっての要望で和美が伴奏したのだが震えるほどの感動を覚えた。片山は爪先で123とテンポをとっているが微妙にテンポが変わる。聴衆にはわからない程度だが。そうか感情が昂ぶるとテンポがあがるのだ、当たり前だ、これは自然な変化だと和美は思った。演奏が終わるとしばらく声がなかった。ややあって聴衆は気づいたように拍手しだしたがなかなかその拍手は止まなかった。

 その夜、講師の慰労会で片山の話になった。『片山さん良く頑張ったわね』『あの演奏は偉そう言うだけあるわね』『彼演奏技術が無いだけで音楽性はあるわね』音楽性は人間性と言ってもいい。音楽の味わいだ。料理の味に似ている。『でも飯田さん、あんな年寄をよくあそこまで教えたわね。いい味出していた』和美は黙って笑いながら聞いていたが悪い気はしなかった。誰もが知り愛する名曲にして演奏はけっこう難しいこの曲をものにした片山がいじらしかった。
 和美は夢を見た。アルルの女だ。追いかける片山は若い。二十歳ぐらいか。女は妖艶な顔だが自分に似ている。そっくりだが自分ではない。自分は片山雷蔵を引き止めようとしている。行ってはいけない、その女は危ないと叫ぼうとしても声が出ない。女は片山を手招く。和美は片山を抱きしめて止まらす。女がにっと笑った。
 あの女は誰なのか、和美は気になってしょうがない。和美は夢などめったにみない。現実を直視するほうである。女が自分にそっくりなのも許せない。心理学的に考察すれば和美は片山雷蔵に弟子以上の関心があるというだろう。週刊誌なら乙女の恋心と書きたてるかもしれない。和美は夢に過ぎないと忘れてしまったのだが疑問はいつか首をもたげる。それが現実となるのは先のことであった。
 

 片山のにわとり

 それから片山雷蔵は飯田和美の個人指導を受けるようになった。和美は片山を訪れたことがある。出張レッスンである。いつもは和美の家でのレッスンであったが何かの事情で家ではできなくなったことがあった。休みにしようかと思ったが片山が我が家でと言うのでレッスンの出前となったのである。 

 それは大きな門構えの家であるが片山は離れに下宿していたに過ぎない。妻子はとの疑問が浮かぶが一人暮らしのようだ。出迎えた片山の肩には鶏が乗っていた。インコ、オームならともかく鶏とは。大家さんにフルートの音が煩いかもと挨拶すると『いいんですよ、片山さんのお稽古には慣れてますから』と人のよさそうな笑いを浮かべる。ということは、片山は毎日のようにフルートをふいている?

 大家さんは70過ぎのご夫婦、二人暮らし。『あの鶏、いつもは木の上で寝るのですがね、雨の日はそらあの縁側の小屋に移るのですよ』と話してくれる。鶏はひなが近寄ると片山の肩を飛び降りる。『これは餌だよ』とひなに教える。ひなは代わる代わり母の背中に飛び上がる。鶏でもひなを育てることが喜びなのだ。ひなが満腹になるまで自分は食わない。片山は娘と孫を見つめる眼差しだ。

 その日のレッスンはよくできた。ハンガリア田園幻想曲。素人が好む曲だ。片山は自分では演奏できないと思っているようだが練習すれば演奏できないこともない。その熱意はほれた女を追い求める青年のようだ。時々遠い昔を懐かしむような演奏をする。和美は片山にどのような昔があったのだろうと訝る。アルルの女のようにこの曲もものにさせてやりたいと思うのであった。女の仕事は子育てだが音楽もこれに似ている。片山は手がかかるが育て甲斐のある愛弟子でもある。こう演奏したいという想いはよくわかるが技術技能がない。これは指で憶えるしかない。
 少しずつだが片山は腕を上げてきている。奥さんがお茶と煎餅を出してくれた。地下水なのか美味い。『今日は変な音をあまり出さないって主人が言ってました』と奥さんは茶を注いでくれる。横ではにわとりが片山に煎餅をねだる。片山は砕いて与えるのだがひなもお相伴にあずかろうとやってくる。このひと動物が好きなんだ。愛するものの喜びが自分のことと思えるのではないか。

 その鶏はひなのとき迷い込んできたのだが居ついてしまった。孵化後間もなかったのか片山を親だと思ってしまったようだ。片山は鶏がうるさくないか、草木を荒らさないかと気遣っていたそうだがわが子を育てるような片山に大家夫婦はあきれたが感心もしたそうだ。雌は大きな声では鳴かないのでご近所にも迷惑はかからないだろうということになった。残飯を与えるとよろこぶ。いつしか夫婦のほうが飼育係になったそうだ。

 鶏が卵を産むと片山は夫婦に卵を届けていた。奥さんがゆで卵、目玉焼き、あげだし卵にしてくれる。それから片山の食事も作ってくれるようになった。そこへご主人の友達が話を聞いて雄を連れてきた。手馴れた手つきで雄を交尾させた。たまたまそこに居合わした和美は恥ずかしかったがあっという間のことであった。雄が雌に飛び乗ると数秒で射精した。『これで卵を抱いたら20日ぐらいで孵る』とその友達は言った。

 そして言葉通り雛が孵ったのだが雌は20日あまりほとんど飲まず食わずで卵を抱き続けたそうだ。和美には初めてみる交尾であったが自分にも子を生んで育てる日も来るかと思ったものであった。それが片山の子を生むことになろうとは、、、。

 それは和美が門を出たときであった。黒い大きな犬が襲ってきた。身がすくんだ。声が出ない。片山が飛び出してきて犬の前に立ち塞がる。「動かないで」と和美を庇う。犬が飛び掛ってきた。和美は心臓が止まったかと思った。恐怖で身が固まる。その瞬間片山は一歩踏み出し犬の鼻に拳を突き出した。犬は悲鳴を上げて逃げ去る。大家夫婦も加勢したが結果的には傍観していただけであった。
 片山の腕に掻き傷ができていた。奥さんが家に取って返し薬箱から消毒液を取り出して拭いてくれた。「狂犬病になったらいかん、念のため医者に」「いけるいける、こどもの時から犬には噛まれとる」「どうりで犬の急所を知っとる」と大家が感心した。和美はうつろな気持ちで話を聞いていたが片山が身を挺して自分を守ってくれたことに気づいた。



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