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作品名:闇の権力者たちの日本近代史 作者:佐々木 三郎

第7回   海難救助隊視察
海難救助隊視察

坂本、ユキは、5歳になった南海男は海難救援隊を訪れる。ここでの入隊試験はまず10日間の不眠不休に耐えられるかだ。登竜門をくぐり厳しい救援訓練を経て隊員になれるのだ。10年後には南海男も入隊させたい。それは彼が決めることではあるが坂本は機会あるごとに海援隊=海難救援隊をin print刷り込ませることにしている。
またユキ生協の支店長候補にはここで研修させている。厳しい訓練を肌で感じるだけでも意味はある。研修は隊員の身の回りを世話するだけだが、凛としていて甲斐甲斐しく働く研修生に隊員たちは癒され惹かれていった。研修生は期間中に救援隊の訓練内容、任務を理解する。
ユキ生協の支店は1000を超える。毎月5名の研修生が海難救援隊に派遣される。志を持つ若い男女が惹かれあうのは当然である。将来を誓い合うカップルが生まれる。隊員の士気も上がる。岡本理事長の帝國日本軍並教育はこのユキ生協に根づいていることが知れるのであった。

フィリピン人に欠けるものは自制心である。欲求を抑えることができない。幼児期に躾をしないからだ。10歳になっても欲求が通らないと泣き叫ぶ。折檻すべきときにも泣き止むまで待っている。大人になっても欲しい物には手を出す。それが窃盗罪に当たることは理解していても自制できない。ばれなければ罪に問われまいとの誘惑に勝てないのだ。
 植民地支配者にとって都合のいい民族である。規則で罰してゆけばよいのだ。この島から少し北にある日本では自律心が強い、この民族は己の名誉のためには死をも恐れない。欧州諸国は日本を征服することはできるが支配することはできないと判断したのであろう。
 この救援隊は金のためだけでは勤まらない。海難から人々を救う使命感がなければ懸命の任務は遂行できない。坂本は初めてこの国で人間の尊さを見た気がした。ユキも共感した。金や色欲だけで真の人間関係が形成されるのではない。それは価値観を共有できるかである。
 ユキはこの日本人のために死ぬなら本望と思っていた。日本人は己を知る者のために死ねるもんね。岡本理事長にこの救援隊を吹き込んだのはあんたでしょとユキは坂本に心の中で叫んでいた。(彼は我が人生で最高の収穫かもしれないわね、われながらよくやった、ウフフ。)

校長が夕食に招いてくれた。できるだけ多くの人に会いたいとのユキの希望で指導教官も招かれる。ユキ節が飛び出るとにぎやかになる。話が盛り上がったところで高級ウィスキーが出る。校長の差し入れだ。幹部には安い酒を飲むなと厳命している。極限までの体力精神力がもとめられる任務への健康と国際舞台での社交訓練が目的らしい。
救助できなかった人のことを思うと眠れないな。でも隊員は全力を尽くした。わかってる、だから私の指導力が問題なのだ。自分を責めることはない、君たちは世界のどこに行っても優秀な教官だよ。恐れ入ります、校長。海難から人を救助することは難しい、海難から逃れる、いや、
近づかないことが大切だな。
 ここ数年、海難事故は少なくなりましたな、天候無視、定員オーバーが無くなったからかな。やはり政治は大切だな。ユキさんがコングレスになってからだ。そうだ。あんた胡麻すり上手いわね、よし、私が校長には新しいボトル差し入れるから全部空けちゃいましょ。

昔ね、トルコの軍艦が日本で座礁転覆したの。日本のバギオは凄いのよ。日本の漁師が荒れる狂う海に飛び込んでトルコ海兵たちを救ったの。でさ、困ったときは相身互い、俺たちは同じ海の男だって!素晴らしい、いつの話ですか?昔って言ったでしょ、昔の話。ですから何時の?
 フィリピン人は思ったことをそのまま口にする。頃合を測ることができない。坂本が助け舟を出して、1890年に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号の事件を説明する。居並ぶ教官たちの眼に涙が。
 ユキは体勢を立て直すと、月日は流れて100余年、米軍のイラク侵攻時のことでありましたと講談を再開。フセイン大統領は48時間後イラク上空を通過する飛行機は国籍を問わず撃墜すると宣言したのであります。
外国人は先を争ってイラクからの脱出を図ります。悲しいかな日本は遠い、飛行機を差し向けるに時間が無い。時は無情に過ぎてゆきます、あと2時間しか無い、間に合わない。ああ、イラク内の数百名の日本人の運命や如何に?
 もはやこれまでと覚悟を決めたその時、トルコ航空機が救援にかけ着けてきたのであります。一分一秒を争うときでも日本人は冷静迅速かつ秩序だって搭乗します。飛行機が離陸しても機内は重苦しい空気に包まれます。大韓航空撃墜事件が日本人の脳裏を過ぎるのでありましょう。トルコ航空の乗員とて同じ思いなれど、慌てず騒がず。
 早くイラク領を抜けてと神に祈る思いでしょう。トルコ国境までいかばかり、残り5分を切ると冷静な日本人にも焦燥の色が現れます。取り乱したりはしませんが、迫りくる死の恐怖に必死で堪えているのであります。とその時であります、客室に機長が現れたのは。『ようこそトルコ共和国へ』と挨拶したのです。安堵感は拍手にそして歓声に変わります。
 
 大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍[1]の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。(http://ja.wikipedia.org/wiki/)

 校長も教官たちも立ち上がって拍手。ユキが笑顔で応える。俺手に汗かいちゃったよ。俺もだ。時を超え、国境を越えての友情は心打たれる。話し手もいいよな、実況中継を聴いているようで興奮した。俺は機長の気分になったよ。俺は操縦士。
 気を良くしたユキは大風呂敷を広げる。校長、ルソン、レイテにも分校をつくりなさいよ。私はここを守るのが精一杯でありますから。何言ってんのよう、海難はミンダナオだけで起きるわけじゃないのよ。船は日本の海上保安庁から払い下げてもらえばいいわ。学校も寄付金を集めてくるから任せなさい。ユキ、酔っ払ったのか、坂本が心配する。海の男はよー、違った?

波の谷間に 命の花が
 ふたつ並んで 咲いている
  兄弟船は 親父のかたみ
   型は古いが しけにはつよい
    おれと兄貴はヨ 夢の揺り籠さ

陸(おか)にあがって 酒のむときは
 いつもはりあう 恋仇
  けれども沖の 漁場に着けば
   やけに気の合う 兄弟鴎
    力合わせてヨ 網をまきあげる

たったひとりの おふくろさんに
 楽な暮らしを させたくて
  兄弟船は 真冬の海へ
   雪のすだれを くぐって進む
    熱いこの血はヨ 親父ゆずりだぜ
兄弟船 作詞 星野哲郎  作曲 船村 徹

ユキはカラオケマイクをテレビに繋ぐ。教官たちは日本の海も知っているようだ。歌詞の意味を知って共感するのかユキといっしょに歌いだす。窓に救援隊員が集っている。こら、お前たち何しておると教官が一喝。今日は特別だ、彼らも半分ずつ交代で入れてやれと校長。


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