20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:闇の権力者たちの日本近代史 作者:佐々木 三郎

第5回   ユキ卒業講演
ユキ卒業講演

 この国の卒業式は米国式だ。100年間米国の植民地であったから当然といえば当然である。UPフィリピン大学の学生は超エリートと自他ともに自負し、またそう扱われている。大学のレベルは東大とは比較にならないがエリート意識のほうは東大以上であろう。
元高校女教師は坂本を事務所に招待した。息子二人がUPを卒業したことを自慢した。坂本がお世辞を言うとあの日本人は私の家族に畏敬の念を抱いている、私に英語を習いたいのであろうと言ったらしい。この自惚れはどこからくるのだ、ユキ。わかりません、高校の先生はアンダーテーブル=付け届けで儲けたのでしょう。学校の成績も金次第か。

 卒業式が終わるとユキが紹介される。なにしろ影の大統領と呼ばれるほどの大物である。その政治は革命とも評されるほどの実績を残している。政治の膿を出し切り、国民生活を大きく向上させた。今やこの国を実質的に植民地としている外国支配の外堀を埋め、内堀をも埋め始めている。本丸が落ちれば真の独立をうるのだ。その名はこの国の歴史に深く刻まれるであろう。
 UPの卒業生も多くが海外に職を求めていた。ここ数年国内に就職する者が増えてきた。かれらを満足させる職場が生まれてきたということであろう。その立役者を迎え、学士たちは興奮していた。スバニン(川の民)の民族衣装に身をまとったユキことJonalyn は歓声と拍手に迎えられる。黒を基調にしているがダバオ民族とも異なる。妙に色っぽいなと坂本は思った。初めて観る姿に惚れ直した気がする。 


卒業おめでとうございます。皆さんは栄えあるフィリピン大学の卒業生となりました。しかし、これからもこの国のため、人々のために尽くしていただきたいの。私は高校もまともに出ていないから皆さんのようなエリートに話す資格も知識もありませんが、皆さんに負けないものは年齢と経験ですね。さがない身の上話を聴いてください。

 私はある日本人に出会いました。彼は平凡な日本人ですが、物事をはっきり言うのが特徴です。また短気で直情的です。そんな男に何故ほれた、と思うでしょう。あれは19の春でした。(+10と野次がとぶ。)昔のことだから良く憶えていないの、でもさ、付き合うほど良さが見えてくるの、どういうのかな、毎日惚れ直す感じね。(キャー素敵)
 彼も私にべたべただから人は私たちを恋人夫婦って呼ぶの。(大拍手)彼はね、自分のことにはずぼらだけど他人のことには一生懸命尽くすの。こうゆうのに女は弱いでしょ。

 家族恋人にやさしくできても他人にやさしくできて?日本人は自分のことより相手、他人を思いやるのね。これが第1の発見。この認識がわたしの人生を変えたのです。あれは15の春でした。家族の生活費を稼ぐためにマニラに出ました。職を転々としましたが日本企業に勤めたとき、日本人は仕事を大切にすることに気づきました。これが第2の発見です。仕事は事に仕えること、単なる労働ではありません。
 日本訪問中のロシア皇帝が暴漢おそわれたとき、車夫はこれを救いました。ロシア政府は多額の謝礼金を払おうとしましたが車夫はこれを断ります。『客を安全に運ぶのは車夫の仕事。俺がもっと注意していれば客に怪我させなかったのに』と言ったそうです。人力車という仕事でも誇りを持っているのね。

 日本人マネージャーの意図を考えて仕事をしました。彼はスケベではありませんでした。私の経験では70%の日本人は紳士です。フィリピンに来ている日本人の70%はスケベです。(そうなんだ)どうしてそのようにやるのかと仕事の段取り、やり方をたずねると彼は丁寧に説明してくれました。そうすると次のステップが楽になるわけですね。そうだよ、何事も一歩先を考えるのだ。これが第3の発見。
 半年の契約が終了したとき、彼は別の日本企業を紹介してくれました。そこでもマネージャーがAさんの紹介だけあっていい娘だと大事にしてくれました。なぜかというと仕事の流れを憶えたのです。自分のやっていることは仕事の一部ですが全体を頭に入れると仕事って楽しい面もあると思いだしたの。これも発見かな、4番目の。(なるほど)
 ある日、マネージャー、BさんとAさんが食事に誘ってくれました。日本料理はおいしくて全部食べました。日本人は食べ物を残しません。私はAさんとBさんのアパートの掃除をしました。すると100ペソずつお金をくれたのです。いろいろと仕事を教えてもらっているからと私はこれを断りました。じゃあ、月3000ペソでやってくれ、俺も頼むよということになりました。日本人にはチップを求めないこと、これ5番目。

 ユキがコップの水をゆっくり飲み終わると大型ディスレーにカラオケが流れる。小倉生まれで玄海育ち 口も荒いが気も荒い ユキがマイクを取って歌いだす。フィリピン人は音楽好きで乗りやすいが画面に食い入る。三船敏郎、高峰秀子の映像は世界に通ずるのであろうか。歌い終わっても学生たちは画面に見入っていたがふと気づいたように拍手が起こる。お粗末でございましたと頭をさげる。なかなかの役者だ。

 この歌は日本人に愛されている作品です。映画テレビにもなりました。私が日本へいったのは、ちょうど19の春でした。まとまったお金が必要だったのです。AさんとBさんが1ミリオン用意してくれました。返すあてはありませんといったら、身体で返せていうの。スケベって言い返すと冗談、冗談と笑っていました。二人のハウスキーパーで毎月5000ペソずつもらっていたのよ。餞別だとAさん、俺はボーナスだとBさん、私、うれし泣きしたわ。でもさ、炊事、洗濯、掃除だけで5000ペソを払う日本人の給料って幾ら、私、日本で幾ら稼げるかって考えたものよ。
 
でね、日本入国審査が大変なの。私は歌手ということでしょ、歌を歌うように求められたの。私地味だったからタレントに見えなかったのかも。でこれを歌ったの。そしたら『さすがプロだ、もう1曲歌ってください』っていうの。私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした(もっと歌って)画面に英訳の歌詞が流れる。

『私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁と言うならば もとの十九にしておくれ もとの十九にするならば 庭の枯木を見てごらん 枯木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど みすて心があるならば 早くお知らせくださいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花 一銭二銭の葉書さえ 千里万里の旅をする 同じ日本に住みながら 会えぬ我が身の切なさよ 主(ぬし)さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片想い 奥山ずまいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して 春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた』

会場は総立ちの拍手鳴り止まず。そしたらね、日本の税関が“ありがとうございました”って言うじゃない。(会場静まる)パスポートに千円札がはさまれていたの。“あなたの歌は銭が取れます。役得させてもらいました”と笑ってたわ。どこかの税関とはえらい違うなと思いました。そうそう、『日本の役人に対する最大の侮辱は金を渡すこと、たとえそれが感謝、厚意であっても』と言われているの。(信じられない。でもユキ議員は嘘言わない。そうだわ。そうよ。会場がざわめく)

無法松はAさんの、19の春はBさんの持ち歌でした。私は聞き覚えで毎日歌っていました。それがこんなかたちで、そう、”芸は身を助ける“ってやつよ。日本のお店でもこればかり歌っていました。そしたら毎日お声がかかったの。歌うたびにご祝儀をいただいたわ、お店の水揚げも上がって私大事にされたのよ。AさんBさんに電話したら喜んでくれた。
ある日二人の取引先の社長さんが、Cさんが私を指名したの。つまり、二人が私をCに紹介してくれたわけ。お店の対応でCさんがすごい人だとわかった。彼は歴史に興味があることがわかったので日本の歴史を勉強した、といっても、時代劇を繰り返し観ただけど。わからないところはお店の人に教えてもらって何度も何度も観ているうちに日本人の考え方がわかってきました。
お金よりも“世のため人のために”というのが基本哲学なのね。これが最大の発見。ホセリサールのような人がたくさんいたの。日本は一度も植民地になっていないのよ、知ってた?(本当?うん聞たことがある。私知らなかったわ。僕も、後で調べてみよう。そうね)

Cさんの話は面白いので図書館で調べてみたら面白いのよ。日本語は大変だったけど、一月で読むことはできるようになった。けど色気がないんだって。男と女と表現の仕方が違うのね。『美味い、もう一丁』と言ったら男みたいだなと笑われたの。日本人ホステスに聞いたら大笑いされてさ、『美味しい、もう一ついいかしら』だって。英語で言えば同じ言葉になるのに日本語の特徴ね。逆に男が言っているのか女かすぐ解る。それと話し手の関係もね。客か、上司か、友達か、家族か、などなど。とにかく日本人の話を良く聴くことね、しゃべらないほうがいい。日本人は話好きだから聞き上手になることが大事ですね。

それからいろいろあったけど長くなるから省略しますが、Cさんの嫁にとAさんから言われたの。でも日本についてもっと知りたいといって断ったの。そしたらBさんからも電話があってハウスキーパー兼ケアギヴァーでいいというの。Cさんはお年だからあっちのほうソクソクはできないと聞いて、Cさんのマンションに住み込みました。でもお店はつづけたのよ。ビザもあるけどもっと日本の勉強がしたかったから。Cさんは日本の冬はつらいとマニラにマンションを買ったので、半年は日本、半年はマニラの生活になったわけ。
マニラの生活は物質的には恵まれていたけど退屈で早く日本に戻りたいと思っていました。そんな時、彼に巡り会ったのね。世のため人のために尽くす男に。彼は金銭的には何の報酬も求めていません。金を目的としないこの日本人に私は引き付けられて行きました。
1800年代の日本にはホセリサールが沢山いたのね。だから日本は植民地になったことがなかったの。かられは日本のために命を懸けた、フィリピン人はこの国のために命を捧げることができて。私はこの国をそれだけ魅力ある国にしたいの。
国は国家と国民が手を取り合って創ってゆくものでしょ。私は皆さん方がこの国を担うようになったとき、国民がこの国のために死んでもいいと思える国にしたいの。
そのためにはフィリピン人のための政治が大切。フィリピン人がこの国で幸せに生活できるようにすることが私の使命と考えています。そのためには彼が必要でした。私は彼が別の女に犯されたのを知って闘争心が燃え上がりました。絶対ものにしてやると心を決めました。そして成功しました。彼が私をものにしたのではありません、私が彼をものにしたのです。彼の思想を精液を吸収して私は成長しました。
この国に命を捧げることは、愛する男に身も心も捧げることと同じくらい素晴らしいことなんだと悟ったわけ。皆さんもホセリサールに続いてください。皆さんはこの国ではエリートです。でも世界レベルでは?またこの国はどうでしょう。東洋一貧しい、いえ世界でも底辺にいます。あと10年でミドルクラスにしたいと思います。トップクラスに持ってゆくのは皆さんです。今日の門出はその出発です。卒業おめでとう。

あら、丁度時間となりました。その後のことはブログにでも掲載しますのでお楽しみに。くだらない身の上話を聴いていただいて感謝します。

もっと聴きたいというため息とともに大きな拍手がつづく。坂本も始めて利く話だった。クリスティーンはどこで聴いているか。では質問がありましたらどうぞ。

質問、この国はあと何年で日本に追いつけますか。
答、 追いつけます、私は500年くらいかなと思ってます。
質問、あなたの政策は彼の理念を具現するものですか。
答、 彼に触発されましたが私の理念です。
質問、あなたは日本の長所を強調しましたが、日本の罪悪、たとえば第二次世界大戦での犯罪、ラワン材の乱獲をどう思うのですか。
答、 むずかしい質問ね、事実を事実と認めることが大切です。日本軍のレイプ、虐殺、強奪はなかったとは言えません。しかしそれは米国のプロパダガンダじゃないかしら。実際に見た人の話には具体性があるんじゃない。私は日本を知るほど事実は違うんじゃないと思うようになりました。300万人の戦死者のうち何人が日本軍によって殺されたかと考えてみたら、私は20%以下と思います。あなたは自分の目でこれを検証してね。
この国はスペインに300年、米国に100年、日本に4年間支配されました。このうちわが国に来て謝罪し、そして賠償した国はどれでしょう?その国は今もわが国に援助をしています。
それからラワンは悲しい話ですね。日本の商社は反省しています。この国の共犯者はどうでしょうか。失われた自然を取り返すことはむずかしいでしょ。美しいこの国を破壊させてはいけません。あなたたちは将来この国を担ってゆくでしょう。だからこれからもこの国を守っていってね。(拍手)
 質問、日本には国民的英雄ホセリサールに匹敵する人物が多いと言われましたが 何人ぐらいいますか。あなたの好きなタイプは?  
 答、 100人はいるんじゃない、日本の偉人で検索してみて。私は坂本龍馬が好きだな。若くして暗殺されたけど女に持てたのよ。そうそう、東京日比谷公園にホセリサールの銅像があるのよ。(本当知らなかった。彼日本の女をものにしたそうよ)
質問、今後の政策を聞かせてください。
答、  政策というより夢ですが、ひとつはUW世界大学をつくること、いまひとつは芸術コンベンションをつくることです。皆さんがこの国を担う頃には世界国家が樹立されていると思います。
質問、彼をどうやって手に入れたのですか。
答、 それは秘密よ、あなたは私よりも綺麗だからもっといいのが手に入るでしょう。(うれしい、私頑張る。私も)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 11325