WONTED
遂に闇の権力者たちに逮捕状が出された。発行人は青い地球を守る会になっているが実質坂本龍治だ。勿論逮捕権限はない。しかし、容疑は世界中から受け入れられた。状況証拠からしてうすうす感じていたのであろう。被疑者の居住国からの異議も出なかった。それは世論とトモカサの力である。 被疑者の容疑を措信させる数々の情報が世界中に配信されている。世論を形成するのは情報の質と量である。青い地球を守る会は武器産業の実態を明らかにするよう主要国に命ずる。そんな実体の無い組織の要求に応じるわけはなかった。しかし、各国は自主的にこれを公表した。 その訳は?連邦準備制度の建物に偽札との大きな落書きがなされた。そのインクは米ドル印刷用であった。落書きの下にはドル紙幣が蛍光塗料で描かれていた。それは宵闇とともに不気味に浮かび上がってくる。つづいて、ホワイハウスには武器廃絶、バチカンにはQuo vadis, Domine? 主よ何処に行きたもうと書かれる。この映像はメディア、インターネットで世界を駆け巡る。 南沙諸島を我が物顔に航行する中華人民共和国漁船及び護衛艦はレーダー探知機が作動しなくなる。やがて熱線を浴びて操舵室が煙を吹き上げる。米ドル輸送車襲撃と同じ手口だと船員が海に飛び込む。護衛艦も同様の仕打ちを受ける。その模様がリアルタイムで世界に流されるのだ。リークされていたメディアは半信半疑であったがここぞとばかり取材攻勢をかける。 天上から音楽が海上に流れてくる。 海は広いな大きいな 波が寄せたり返したり 海にお船を浮かべては 行ってみたなよその国
顔写真入りの逮捕状をカナンに見せるとさびしそうに笑ってみせた。
数日後カナンは四国巡礼の旅にあって土佐路を歩いていた。山。田常男が先達である。ただ歩き続けるということがこんなに人を変えるものか。ひたすら歩く。同じ動作を繰り返すと日常でないものが見えてくる。カナンは阿波路で無料の接待に驚く。ほとんどの国では人を見たら敵と思えというのが基本哲学である。不思議な感覚で日本人を見つめる。 巡礼者の温和な表情がカナンの心を溶かしてゆく。御詠歌、御札に接して佛教に興味を抱く。昼間はひたすら歩くが宿坊では日本語を教わる。記憶力がいいのであろう、御詠歌を諳んじてみせる。常男は問われるまま意味を教える。 阿波路最後の札所薬王寺から土佐に向かう道中、品の良い老婆がカナンに声をかける。どちらからおいでなさった。アメリカです。まあまあ遠いところからようおいでなさった。老婆は素麺を接待してくれた。その夜宿坊で常男に尋ねる。どうして日本人は外国人を警戒しないのだ。そういうことは自分の目と耳と心で悟るものじゃよ。
対立のない世界がこの世にあったのか、カナンは世界観が揺すぶられる気がする。ここでは人間と自然も対立しない、人間と佛も対立しない。何故だ。接待とは無償の行為である。何故だ。疑問は観察を強める。観察は新たな疑問を見つける。自問自答する。 人の考え、思想を帰るものが宗教とすれば四国巡礼ほどわかりやすいものはないであろう。ひたすら歩く、非日常に自分を置くことで今まで見なかったことが見えてくる。強制されるのではない。ただ歩くことでその先に何かがあると思えるのだ。
四国路は、足慣らしの阿波路、鍛錬の土佐路、修行の伊予路、悟りの讃岐路とも言われる。もっとも阿波路の焼山寺、太龍寺などはけっこうきつい。土佐路は太平洋を望む砂利を踏んで歩くから足腰が鍛えられる。伊予路は高度も跳ね上がる山の中、正念場である。讃岐路は解脱、悟りを得て極楽に向かうのであろう。 およそ1400kmの全行程を歩きとおしたカナンは感動に満ちていた。ただ歩いただけである。しかしこの満足感はなんだ。常男に言った、私はもう一度回ってみたい。それは良いことじゃ、が、我々はこの巡礼を終えたことを高野山金剛峯寺に報告せねばならない。八十八の御札はそれぞれがお参の証明。何のために。昔からそうなっておる。そういうものですか。うむ、しかる後再び巡礼することも可能である。
二人は淡路島から和歌山に船で渡る。紀伊水道と南海道とはどうちがうのか。海道のほうが大きい。海道とは。潮の道じゃ。水道は水の道。左様、水は川となり海に注ぐ、これ水道なり。されば潮の道は潮路ならむ。げに、されど道は路より大なり。??。 言わば海のハイウェイ、赤道海流は北上して日本海流と名を改め西海道、南海道、東海道と巡る。してその先は。北海道を通過してアラスカに至る。御意。やがて北米沖を南下して赤道に戻る。 地球のドラマならむ。言い得て妙なり、三千年ほど前、ここより舟出して南米はエクアドルに永住した日本人がおる。本当ですか。その子孫は今も健在じゃ。太平洋を横断する海道も存在するのですね。波涛を越え幾万里よ。対話とはかくも楽しいものかとカナンは思った。 海の先を見よ、空と海が一つとなっておろう。げに、空海とは空と海。左様。また彼の名前でもある、では弘法大師とは。最高位の名称よ、その上は玄蔵かの、詳しくは高野山にてきくがよい。 カナンの瞼に太平洋を巡る海流が浮かんでくる。 南洋で子供を生んだくじらはベーリング海を目指す。そこには豊かな海の恵みがある。7000キロの長旅の終点近くで子供がシャチに襲われることも珍しくない。食を求めて旅するは恐竜も同じであったろう。生きるとは食することである。北の海で大きく育った鯨は南の海で子を生むために南下する。子供には冷たい海では生きられないのであろう。 人間の目にはただ海面が広がる太平洋にも命のドラマがあるのだ。海藻がプランクトンを育てる。プランクトンが小魚を育てる。 小魚が大きな魚を育てるのだ。鯨は一度陸で生活したが考えるところがあって再び海に戻ったに違いない。 陸には果てがあるが海には果てがない。世界の海はつながっている。海を巡ると元の位置に戻ってくる。出発点は終着点でもある。四国巡礼の旅も終わりが始まりであるのかもしれない。自分の人生もまた旅なのだ。カナンは悟りの境地に近づいていた。
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