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作品名:女の敵、強姦魔 作者:佐々木 三郎

第36回   月月火水木金金
月月火水木金金

矢野は吉永小百合に呼び出された。ある予感があったがそれは行政書士として受けてはならない仕事との警告であったのかも知れない。依頼人の中に入ってゆくと客観的判断ができなくなるからだ。職業倫理として駒込直美にも説いてきたところである。これは事件解明に必要かつ有益なことであると理論構成を立てる。据え膳を食わぬは男の恥が本音であろう。

マンションに入るといきなり浴室に連れ込まれた。あどけなさが残る顔は男を知った女の表情を見せていた。その白い裸身が男の欲情をそそることも知ったのであろう。さかりがついたか。なるほど関本精児が言ったとおりだ。矢野の息子をやさしくつかむ。「これを入れてください」と愛おしげにいう。それを花芯に当てるとゆっくりと腰を動かす。すでに喘ぎ声をたてる。その顔は女のよろこびを如実に表す。男がいい顔の女を求めるのは無理からぬと矢野は思った。醜女なら興ざめする。吉永小百合は性のよろこびが妖艶な女に変えるようだ。清純な乙女の肌は男を知ってなまめかしくなったのであろう。吸いつくような肌である。矢野はじっくりと観察する。「お願い来て」と懇願するがじらしにじらす。「ああ死にそう」ビデオカメラで克明に撮影する。もう一台のカメラは天井からベッドを狙っている。
これは先人の功績か、天性の素質か。「もっと深く入れてください」と喘ぎながらねだる。亀頭は花芯とどのように接しているのであろうか、これを撮影できないか。矢野は小百合を抱き起して結合部分を見つめさせる。香川京子との初体験が思い出される。カメラをアップする。あまり綺麗ではないがこれ以上エロチックなものはあるまい。

矢野が身体を離すと「いやあ、ぬかないで」と絶叫する。小百合を四つ這いにさせ後部から突き立てた。ヒエーとものすごい声を立てる。腰を蠕動させ尻を振る。これが外交官の孫娘、音大のピアニストであろうか。男は惚れた女をものにした征服感が最大の喜びであるがこの女は性そのものに喜びを見出したのであろう。女が乱れる程矢野は冷静になる。調査対象と高をくくっていたのだが突然花芯が矢野を締め上げて来た。驚くほどの締め付けだ。矢野はうめいて射精してしまった。不覚をとったか。小百合はしばらくうつぶせで喘いでいたが「貴男の精液子宮を直撃したわ。その時私天空から堕ちてゆく感じだった」と笑う。矢野は不気味さを覚えた。しかし強姦魔は犯すことに夢中で性の歓びは知らないのであろう。女が感じないと悦楽は無い。やはり狂っているのだ。あわれといえばあわれである。抹殺されるべきであろう。


それから矢野には休みがなくなった。お勤めは月月火水木金金となったのである。京子、和子、モニカ、直美、敬子、冴子の6人に小百合が加わったからである。キリスト教の神ですら週に1度安息日を取るではないか、これでは過労死するかも知れないと思うほど小百合は執拗であった。小百合の妊娠は卒業演奏の時に明らかになった。関本滝はここ二月卒演の準備に追われていたのだ。しかるに小百合に生理が無かったのだ。状況からして父親は明らかだ。矢野が買い与えたステージ衣装は(これも状況証拠になろう)色白の小百合を妖艶な女に変えた。レミレミレミレミレミレミ シレドラ エリーゼの為にのハ長調から再びイ短調に戻る部分は聴衆をぞくぞくとさせた。演奏後の評定の席上「あれは男を知ったな」と学長が言った。「子を宿したのです」「え」「指導教官ですからね。ふふふ」

 捨つる神あれば救う神あり。なじかはしらねど冴子、敬子、直美と妊娠していったのである。矢野の勤務時間は彼女らの出産までの間大幅に短縮された。弥生3月のある日、香川健行政事務所を吉永夫妻が訪れて来た。かなり苛立った様子だ。挨拶もそこそこに「貴男ですか、娘の処女を奪ったのは」と母親が詰問してきた。矢野は諭すように応じた。「それは違います(既に女だった)」「では誰ですか」「知りません。ご用件は何でしょうか」「まあずうずうしい」「用が無いのならお引き取り下さい」「失礼ね」「無礼なのはあなたでしょう、処女を奪うとは強姦をも意味します。確証がおありでしょうな」
一気に形勢は逆転した。「確かに無礼だよ、お前」「あなたそれでも小百合父親ですか」「娘が妊娠しましてこどもの父親が知りたいのです」「それは当事務所では扱いかねます。弁護士さんに相談された方がよいでしょう」「あくまで白を切るつもりですか」「奥さん、あなたの処女を奪ったのは誰ですか。人を決めつけるには、挙証責任は主張する者が負います。あなた方を不退去罪、業務妨害罪で告訴します。不特定の人にいいふらせば名誉毀損罪も構成しますから念の為」「君は黙っていなさい、妻の無礼をお詫びします。父親を特定するにはどういう方法がありますか」「報酬額表のとおり1時間以内1万円の相談料をいただきますが」
二人の顔がこわばる。「一般論として処女とは最初の性交時に乙女だったということです。父親を特定する状況証拠にはなりますが証明力は弱い。女が三人の男とひと月以内に関係を持った場合三人とも父親になる可能性はありますが全員が父親であることは三つ子以上である場合です」「馬鹿にしないで」こういうとき駒込直美なら上手く捌くだろうにと思っていると「先生ご予約の依頼人が応接室でお待ちですが」と職員が言った。では、と香川は席を立つ。なかなか気が利く。二人はすごすごと帰って行った。

民法は婚姻中妻が懐胎した子は夫の子と推定すると規定している。反証を挙げればこの推定を覆すことができる。嫡出子否認の訴え、父子関係不存在の訴えを起こすことになるが昔から父子関係は信じるしかない。もっとも子からは強制認知を請求できるが挙証が難しい。血液DNA鑑定でかなりの精度が期待できるが判決が確定するまでには時間と労力を要する。自分が父親ですと名乗り出る馬鹿がどこにいる。
戦後の日本も米兵とのアイの子を生んだ女は数知れず、フィリピンでは日本の買春ツアーで生まれたジャピーノは5万といる。吉永小百合のセックスの相手をさせられただけで子が欲しいと思ったわけではない、セックスフレンドと割り切っている。などと理論武装してみるが迫力はない。今回はどういうわけか自分の子と思いたくないのだ。強いて言えば小百合が処女でなかったということか。

オナニー膣外射精

駒込直美は強制認知請求事件の判決文を読んでいた。棄却理由は「被告は永年膣外射精をしてきたから父親たりえない」という主旨であった。元夫の被告は生物の教師で膣外射精を日記に記していたことも証拠とされたのだ。「ねえ敬子この判決ひどいわ」直美にとってこの美しい友人は頼りになるライバルでもある。「膣内に精液が残っていたかいなかったかどうかの問題じゃない」「そうでしょ、膣外射精と言っても最後の段階でしょう。既に少量ながら射精していた可能性はあるよね」「あるある、若い男は入がれた瞬間に出してしまうのもあるとか、早漏が多いのですって」「やはり香川先生を参考人として来てもらうかな」「適任じゃない」
その日の晩餐後勉強会が開かれた。健も興味を示した。「被告は膣外射精を主張するがその前に膣内射精している可能性はあるということか」「そうです。男は射精をどうのように認識するのですか」「行くと感じるとチンチンが痙攣してシュートする」「それはあの絶頂期にわかるのですか」「意識は薄れるがあの瞬間が最高なのでわかる、チンチンの膨張は最大となる。発射後は急速に縮む」「行くと感じる前に射精することは」「あるだろう、お漏らしだから自覚しているかは別だが」「すると夫の子と推定に対する反証たり得ますか」「弁護士の腕次第だろう」七人の女は、身を乗り出す。「血液型以外にもっと父をはっきるさせる方法はないんやろか」「膣内に小型カメラを設置するか」「観たい」「私も」「生娘は恥かしがるだろう」「でもあの瞬間死ぬのじゃないか思うものね」「そうそう、死ぬほど気持ちいい」「死ぬのは気持ちいいのか」「モニカ勉強不足ね、首を締められると気持ちよくなる」「本当」「直美、柔道部が言ってたな、落ちる前気持ちいいって」「うん、言ってた」「性交中に男の首をストッキングで絞めて死なせた女がいたな」「あれは男に頼まれて絞めたのよ」「でも気持ちいいからでしょ」「それはそうですけど」「確か辺見庸の小説にそんなのがあったな、これは女が絞められる話だった思うが」

矢野を囲んでの話は楽しい。「私やってみたい」「だめよ冴子さん、乳飲み子を抱えた母なんだから」「でもやってみたい気はするな、こう巻きつけて自分で絞めれば大丈夫じゃない」モニカがストッキングを持ち出す「京子、この方がコントロールをしやすいぞ」「よせモニカ、お前はドイツの良家に生まれし歌姫なれば」「京子わしを心配してくれるのか」「ああ、窒息死でなく骨折死するぞ」大爆笑。「どういうこと」「危ないことしなくてセックスは気持ちいいだろうが。お前が死ねば俺はライン河に身投げする」「それはやめて」「お前がいない人生など何の意味がある」「いやあ、カッコいい。私にもゆうて」「和子、お前がいて俺がいる」「私も」「直美お前が死んだらどれだけの人が嘆き悲しむ」直美の顔がゆるむ。しかしすぐ真剣な顔になる。思い込んだら一途である。矢野のお気に入りである。「膣外射精は推定を覆す反証には弱いのでないでしょうか」「そうだな、多分裁判官の思い込みかもな。女の裁判官なら違った認定をしたかもな」「原告代理人に当たってみます。訴状裁判記録も当たろうかと」「ほかには」「産婦人科医にも、膣外射精の中だし、お漏らしの可能性を尋ねてみます」敬子も「あのソープ嬢もいいかも」とつづく。「そうね、中だしさせるのかしら」「だからさ、プロゆえに中外の判断ができるのじゃない」「そうだ、松崎いい線を行っている。あとは色の大家だな」「あら先生はその道の造詣が深いのでは」「色の大家とは最低でも100人切りをしないとな、色の道は奥が深いそうだ」矢野は吉永小百合との関係を探られているような不安を感じた。矢野は不安を振り払うかのように多弁になる。「敬子は器量も頭も良いからな、その点研究してみろ。相性とは性が合うつまり結合具合がいいことを言うのであろう。気が合う肌が合うよりも根源的である。そもそも日本民族は由緒正しいイザナギの命と及びイザナミの命を祖とする家柄である。エデン(穢田、穢れた田、穢れ多い)の東とは日本を指す。どこの馬の骨やらわからぬ男女を祖とする輩とは格が違う。それも不倫の子である。ノアの箱舟などつくるべきではなかった」矢野節が調子をあげる。モニカが手を挙げる。「異議あり。今の発言は被告人の想像に過ぎない。ゲルマン民族を含めて欧州への侮辱とも受け取れる、取り消しと謝罪を求める」京子は「異議を認めます。被告人は発言を取消し謝罪してください」と恐い顔をした。「何で被告人になるのだ。不倫の子の部分は取り消す」「民族の名誉の為に日独性犯罪数の比較を証拠として次回公判までに提出する」

突然、京子が「オナニーの語源は聖書のオナンから来ているはずよ」と言った。「それよ京子、オナンは父から兄嫁と子を為すように求められる。オナンはセックスはするが膣外射精するのだ」とモニカと引き取る。「酷い話」「敬子さん日本でも戦死した兄の嫁を弟と再婚させる話があるわあ。家族の嫁に対する愛情かもね」「そうかあ未亡人のままでは居づらい」「実家に帰すのは不憫」「それも理屈だが弟の意思はどうなのだ」「勿論家族は弟が兄嫁を憎からず思っていることを察しての事よ、モニカ」「そうなんだ、日本人の意思表示は不明確だから理解しづらい」「何で もはっきりすればいいというもんでないのよ。モニカが兄嫁なら弟に結婚してくれと言える」「それはいいづらいな」「ということ」

話が一段落した。「今宵の話も有意義だ。ワイン開けようぞ」矢野は警戒した。経験から矛先が向けられることを感じたのだ。「それにしても嫌な性格の夫ね」「膣外射精は神の意思に反する」「何の神様、モニカ」「Hの神さまに決まっているだろう」拍手。「座布団1枚」「健はどうだ」「ほいきた」「全部中だしよね」「それはもう全精力を傾注して相勤めておりますれば」「それで京子は8人の子持ち」「年割すればモニカも頑張っているじゃない」「そうか、しかし後5人は京子にほど遠いな」一同京子に畏敬の念を表す。熟し切った女の魅力を保っている。「子宝を授かることはうれしいけど子育ては楽じゃないわよね」「でもかなさんがしっかりしているから」「そうね直美、私たちも京子さんに追い付こう」「おう、思い込んだら試練の道を行くが女のど根性」「京子の記録を抜くまでは」「でも京子さんが記録を更新していたら」「冴子さん脅かさないで」「京子さんが排卵日の前後三日お休みすればいいのよ」「荻野式避妊」「しかし精子も卵子も生きがいいから完璧とは言えないぞ」「モニカ、その時はその時よ」

和子はにんまり聴いていた。「今日は和子さんのとこよ」「しかし宿枯れしないのは偉いわ」「ヤドガレ」「平安時代は男が女の下に通っていたの」「源氏物語か」「三月欠席すると女は他の男に乗り換えてもいいことになっていた」「するってええと健は光源氏ということ」「色男じゃないけど等しく女を愛し子を愛するこれだけでも偉いわ、ねえ和子さん」「さらば婿殿ここにいるオナゴ以外に放出するを能わず。よいの」「ははあ心得ておりまする」と矢野は答えた放出量は小百合が一番多かった。うしろめたさもあった。

一瞬緊張が走った。見透かしたかのように和子が「ささ婿殿ワインを召されよ」とすすねる。「有難き幸せ」「明年にはみたり三人ややの生まれ出ずらむ」「御意」「さすが和子さん、決めるところはビシッと決める」「美しい横顔姉のように慕い」「若かりしあの頃学生時代」直美と敬子が歌い出すと全員が歌う。「飲めや飲めや 歌えや歌え 飲めや飲めや 世の更けるまで」「婿殿近う。なれと子を為したることうれしく思うぞ」「身に余るお言葉、京子姫には月光菩薩の思いを寄せておりまする」「してわらわには」「和子姫には向日葵の陽をば恋う如く永久に思わん」

小百合同居開始

事は矢野の思案とは異なった展開を見せる。ステージからモーツアルトのソナチネが聞こえてくる。「やるじゃん」「モニカあれが健とやった彼女よ」「小百合か、この前より音楽はいい」「どういうことよ」「さあ」「私はあいつを会員に認めないからね」「矢野が認知しないことには始まらんで」「そうなんだけどあの昼行燈好きになれない」「京子さん、私は彼女の気持ち解る気がする」「一人娘で箱入り」
子供たちが集まってくる。「お姉さん弾かせて」とかなが見真似で弾く。ドーミソシードレド ラーソドソーファソファミー つづいてあや、ハンス。するとモニカが楽譜を探す。部屋を飛び出すと「ハンスこのとおりに弾け」とどなる。「弾けないよ」「いいから弾け」小百合は右手だけでとハンスに言った。左の部分は小百合が弾く。その眼は慈愛に満ちたものであった。今度は入れ替わってハンスが左手を弾く。ハンスの顔はピアニストになった気分だ。小百合が席を譲る。子供たちが入れ代わり立ち代わり右手で弾く。ハンスは全部憶えたようだ。年長組が次々と左手をハンスに代わって弾く。右手は年少さんが弾く。モニカは子供の頃この曲を弾くのに毎日3時間練習して1週間はかかった。ところが子供たちは指の形で憶えてゆくようだ。たちどころにモーツアルトの音にしてゆく。「うーん、やっぱり音楽は耳からだな」とモニカは感心する。「お姉ちゃんはママより上手いよ」「当たり前、向こうはプロ、こちらは専業主婦だ」

そこへ小百合のピアノが運ばれてきた。C3と呼ばれるコンサート用だ。3本脚が組み込まれてゆく。業者は「調律しなくても大丈夫のようですね」と受け取りを取って帰ってゆく。小百合が隣で弾いてくれるので子供たちはすぐ曲を憶えてしまった。これぐらいなら楽譜は要らないようだ。しかし楽譜を映像として記憶するので逆に楽譜から曲を再現することも難しくないようになる。それはしばらく後のことではあったが。近所のこども奥さん連中もやって来てこども音楽教室の様相だ。「この前エリーゼの為にを弾いた人じゃない」「音大卒は違うわね」「ヴァイオリンもいいけどピアノもいいな」「教えてくれるかしら」などと話している。

その日、夕食はモニカの家でとった。ハンスのピアノレッスンのお礼にモニカが小百合を招待したからだ。いつものように6人の女たちは手分けして料理を作った。小百合はこのような風景を不思議そうに見つめる。料理は母がやるものと思っていたし、共同の料理など初めてであったからだ。料理が食卓に並べられると矢野が呼ばれる。矢野はピアノのレッスンで小百合の来訪を知り観念して席に着くがばつが悪そうだ。「お邪魔しています」と小百合が何もないように挨拶する。矢野も「ああ、いらっしゃい」と平静を装うがぎこちない。
食事が始まると「吉永さん、成績も良かったんですって」と和子が話を向ける。「いえ」「オール5」「体育は2国語は4でした」「あとはオール5、すごいね」「お父様は数学者でしたよね」「それでガウスも知っていたのだな」とモニカが援護する。「近所の奥さんがピアノ教えてもらいたいって」「彼女にはお産と言う大だがあるわ」「でも臨月までは気分転換になるんじゃない」モニカはまだ空気が読めないところがある。「関本、滝本元気にしているそうだ」今最も触れてはならない話題だ。「吉永さんの話をしているの、話を変えないで」と和子がぴしゃりと遮る。「すみませぬ」「聴音は3,4歳が一番だって」「それに感性も」「そうやあ、親の愛情に包まれた子は他人にやさしいいけど、愛情の薄い子は狂暴になりやすい」「いえるな、子供の時に生き物を育てた子はいじめなどしないそうよ」「牛も飼おうか、毎日新鮮な乳が飲めるで、子供にも仕事ができる」「ね、鶏もふやしたら、鶏糞はいい肥料になる」
東京育ちの直美。敬子。冴子は感心して聴いている。小百合が「あのう、私シェパードと兎飼っていました」とつぶやいた。「東京で、すごい」「動物と話すのは楽しいけど人間と話すの苦手」「動物と話をねえ」「釣りの名人は魚と話ができるそうだ、米の名人は米と毎朝毎晩お話するそうだ」「どうやって」「魚語、米語をマスターしているからだ」「うそ」「言語は愛情だ、赤ん坊のふぎゃふぎゃは母親にしかわからない」「ほんとうにそうね、愛情は関心よ、関心があるから観察する」「京子さんに座布団一枚」「俺は三枚だな」「そうですねえ」

小百合はこんな楽しい夕食は初めてと思った。「お父さん、いい。僕ソナチネ憶えたよ」こどもが大人の会話に入ることは禁止だがハンスは頃合いを測っていたようだ「知ってる、でもな、タララーンのところおかしいぞ」「弾いてみる」「そこだ」「お父さんピアノ弾けるの」「弾けない」「どうして」「ハンスは正しい。この楽譜はピータース版だ。ミスプリはない。」「ピーターかドベターか知らないがおかしい」「あのう、私はこう習ったのだけど、ちょっといい」小百合が弾いてみせる。「それならましだ」「ドイツ人を侮辱するのか」「けザルツブルグはドイツか、モーツアルトを呼べ」「まあまあ、興奮しないでこどもたちの前ですよ」 
小百合はこんなことでムキになれる会話が羨ましかった。「私調べてみますから」「では先生にお任せするか」「当たり前だ、俺がおかしいと言ったらおかしいのだ」「横暴だ」「千円かけるか、小百合に千円だ」「おうけっこうだ、我はハンス=モニカに千円」直美以外は小百合に賭けた。「どうして」「大穴狙い」直美は一覧表にして貼り付ける。「直美3.5倍の配当だな」「元手が掛かっているから利益は2.5倍よ」「2500円でもいいじゃない」「捕らぬ狸の皮算用とはこのことだ」
その夜小百合は和子の部屋に泊まった。「で赤ちゃん誰の子」「それは、矢野さんです」「どうして」「1月まで生理があった」「そう、それからやったのは矢野健だけ」「ええ(関元、滝は卒業演奏で忙しくて)」貴女は準備できているの(セックスは卒演より大事)とは口にださないところはさすがである。
ああ男なしではおられないのだと和子は思った。もっとも和子自身月に数度のセックスが無ければ気が狂うかも、性欲にも個人差があるのだ。いろんな園児を見てきているは和子は簡単に人を決めつけない。「女は妊娠というハンデがあるけん誰とでもとはいかんちや」「そうですね」「父無し子では困るじゃろ」「母もそう言ってました」「当たり前や、あんた家に居づらくなったんやろ」「ええ」「当分ここにいたらええが。赤ちゃん生まれたら冴子さんの隣にでも引っ越したら」「ありがとうございます」男を身体が求めるのも責められることではない。また子をつくることは易しいが生み育てることは容易ではない。和子は時間をかけて彼女にわからせるつもりだ。問題は矢野が認知するかだ。「小百合さん約束して、矢野以外とはやらないと」「約束します」「約束よ。ここは私の家だけど土地は矢野のもの、向こうの建物もね」「はあ」「冴子さんと敬子さんは向こうに住んでいる」矢野は自分の子かと疑っているとは言えなかった。和子はかつての自分を小百合に看たからである。この女をまもってみせると自分に言聞かせたのだった。

谷和子は既成事実を積み重ねてゆく。小百合はまずコンサートホールを実効支配した。矢野オーケストラの練習日以外はほぼ制圧していた。午前中はピアノ、午後は子供たちにピアノと勉強を教えた。夕方は谷和子モニカのレシピに従って料理をする。たちまちマスターする。「ほんとに小百合さんは何でもできるのね」「料理って楽しいですね」「小百合料理はやらないのか」「私そういうの苦手です。レシピがないと」
東大受験の浪人が数学を教えてと小百合のところにやってきた。彼女は医学部か理学部か迷っている。模擬試験の不正解、未解答を解いて見せた。「よくわかりました。先生は音楽部をどうして選んだのですか」「私解くのはできるけど新しい理論をつくることはできないと思ったの」「はあ」「ニュートンは年に100以上の理論を発表したそうだけど並の学者1つか2つ」「え、理論をつくるのですか」「でフェルマー最終定理に挑戦したけどダメだった」「べき乗数は二つのべき乗数の和に分けられない、2乗は9+16=25が有名ですが、3乗以上だとどうして。300年経っても未だに証明されていないでしょう」「私考えるの苦手だから音楽部にしたの。音楽理論は左程じゃないけど古典派はこうロマン派こう、って結構うるさいの」「で先生はバロック、モーツアルトが好きなんですね」「そうなの、考えなくていいもの」「それでか、先生の演奏無色透明なんだ」「自己主張がないとよく言われたわ。でも何を主張するのかわからない」「もし先生の演奏モーツアルトが聴いたら何というでしょうね」「自動演奏器」「違いますよ、限りなく透明に近い演奏」「ありがとう」
結局その受験生は頭脳ロボットを開発すると工学部にいるのだが月に一度位やって来ては数学の問題を教わるのだった。「先生のお話聴くと勉強する気になるんです」というのが本音だろう。小百合は人間の思惑策謀から一番遠い存在であったのかもしれない。矢野を求めたことが唯一の自己主張であったと言えるだろう。それも男が欲しかっただけである。しかしこの男ならば問題にならないと心のどこかで考えたのも事実だ。ただ彼女がその事実に気づいていたかは微妙である。

小百合は男の子を生んだ。冴子の通っている病院だ。直美も敬子も定期診断に通っている。矢野は和子に付き添われて赤ん坊を見に来たのだ。「ご主人、母子ともに健康です。安産でしたよ」「先生は彼女の股を開いて手を入れたのですか」「はあ、仕事ですから。処女なら有難いのでがね」半分は照れ隠しであることも女たちは見抜いていた。「おチンチンが大きいのはお父さんに似たのでしょうね」と看護婦がからかう。小百合は和子の顔を見て喜んだ。矢野の顔を見て目を輝かした。「男前やない」「そうですかあ」「お父さんにそっくり。名前考えんとね、出生届出せん」和子はなかなかの策士である。矢野がまだ疑っているのを観念させる魂胆だろう。「退院したら冴子さんの隣に引っ越したらええが」ここも実効支配するつもりだ。
小百合が退院してきた。冴子の隣に住まわすべく和子は京子とモニカと身の回りを整える。「彼女はここに住み付くのか」「今行き場がないのよ」「かのじょの実家は」「居心地が悪いようよ」「変な親たちだ」「産着はうちのを差し上げるわ」「京子さん打ち止め」「わからないぞ」「やめてよ、8人でも大変なのだから」「モニカはあと5人くらい」「そうなると帰国の旅費が大変だ」

そうしているところに吉永夫妻が訪ねて来た。「よくよく考えましたが娘と孫を引き取ろうと思いまして」「どうして私に、小百合さんの決めることでしょ」と和子が気色ばむ。「そちら様にはいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。これはお詫びの気持ちです」と包みを差し出す。「ほっこげな」「1年近く娘を見舞もせずよく言えますね」「娘の出産は婆がめんどうみるものだろうが」三熟女の攻勢にたじろぐ、「やはり娘を親もとで育てた方がよいかと存じますので」「それはどうでしょう。小百合さんが妊娠した時に言うべき言葉でないですか」「帰れ帰れ母の胸にだ。力も尽き果て呼ぶ名は父母だったのだぞ」「それは」「それは何だ。俺は最初の子は実家で生んだぞ。父母は祝福してくれた」「どうせ娼婦だったのでしょう」
モニカ激怒す。「当時我フンボルト大学の学生なりき、無礼者。父はハンブルグ市長の職にありて、近々国会議員に立候補予定なり」父親が「お前謝れ」とどなる。「だって」「ハンブルグ市長は日本の市長とは格が違う」「これは失礼しました」と母親。和子が言った。「あなた方は小百合さんと心から向かい合ったことがありますか」「失礼な」「あなたから失礼とは言われとうない。動物ですら心から接すると心で返してくるわ」「私が動物に劣ると」「そうは言いませんが、あなたは小百合さんが三人の男と関係を持ったことをご存知ですか」「うちの子がそんなふしだらなことをするはずありません」
いつの間にか直美と敬子、冴子もきていた。「それはあなたの意見では。知っていたか否かの事実を答えるべきでしょう」直美が恐い顔で言った。「であなたは?」「小百合さんが最初に男と関係を持った直後相談を受けた者です。答えてください」「知りませんでした」「これは本人しか知り得ないこと、私は本人からききました」「何が言いたいの」「女が複数の男と関係を持った場合その子の父親を特定することが難しいのです」二人は沈黙した。父親が重い口を開いた。「娘が苦しんでいることに気づきませんでした。お恥ずかしい限りです。谷さん娘によくしていただきありがとうございました。みなさんにも。最初にお礼申し上げるべきでした。妻の非礼お許しください」と低頭した。「お父様お手をお上げください」「今私は香川さんの言ったことが理解できました。世間知らずでした」「行政書士風情が大層な口利くじゃありませんか」「お前はいつも自分の非を認めようとしない。非を認めて彼に謝らない限りこの問題は解決しない」「あの男無礼ですわ」父親がすごい形相になった。「無礼なのはお前だ。離縁するから実家に帰れ」「そんな、あなた」「堪忍袋の緒が切れた」その時電話が鳴った。「あや何してるの」「お父さんがね、赤ちゃんの名前書いてる」「そう、あやその紙103号室に持ってきて」しばらくするとかなが命名を持ってきた。「幸多郎か、いいじゃん」「お父さんが幸多かれと言ってた」「そう、ありがとうあや。小百合さんは」「ハンスとピアノ弾いてる」「赤ちゃんは」「かなが見ている」「あら、心配だわ観て来る」「京子さんこれ小百合さんに見せて」

和子たちは部屋の準備が終わると帰って行った。直美が母親に言った。「自分の子でないかもしれないと思いながらも認知することは並の男ではできません。幸多郎ちゃんがあなたの遺伝子を持っていると思うと不安ですわ」「どういうことですか」「発現しなければいいのですが私たち子に悪い影響を与えないかということです」「まあ」「母子ともに引き取っていただきたいですわ。私は不倫の娘を半年以上面倒を看て来た和子さんが理解できません」母親は怒りに震えていたが父親は直美の真意を理解したようだ。彼は直美に黙礼して部屋を出た。
ステージには前橋響子がいた。その伴奏は小百合だった。今や世界的奏者となった前橋響子。吉永夫妻は親離れした我が子を見た。自分たちは子離れしなければならない。そして母親は妻離れしてゆく夫をみた。自分がひどく惨めに思えるのであった。今日初めて自分が相手を咎めることで自分の非を隠し正当化してきたことをさとった。

その夜は小百合の引っ越し祝いということで、103号室でワインを開ける。矢野を呼んだがなかなか降りてこない。強制連行するかと京子が警備員に電話する。「藪用だけど先生を103号室にお連れして下さる。嫌ならいいのよ、差し入れは中止。よくて社長も貴男のことほめてたけどな」「京子さんに座布団1枚」拍手。「小百合さん男の子のおしめは前を厚くするの、行く先が前方でしょ」「なるほど勉強になります」「濡れたおしめはトイレで水洗いして洗濯籠にいれておく」「それなら簡単ですね」「頑張って新米ママ」そこへ矢野が拉致されてきた。「殿、お待ちしておりました。ね、幸多郎。ではワインを開封致そうぞ」モニカがコルク栓を引き抜くとポンと音がした。「殿、乾杯の音頭を」「上げよいざ盃を我が友に幸あれ」「かんぱーい、次は幸多郎ちゃんや」「和子さんやるわね」「年季が違う」「そうね」「敬子何をこそこそ話している」「こうしてワインが飲めるの先生のおかげかと」矢野は外堀内堀と埋めて来る和子に舌を巻いた。
和子は学生時代から駆け引きの無い女であったのが、小百合親子に関しては策士ぶりを発揮する。それがうれしかった。「ここは誰か来るのか」「幸多郎ちゃんとお母さん」「そうか」「ここは静かだしお隣が冴子さん、安心でしょ」女たちがくすくす笑う。「ところでお前たち何か隠しているな」「何でしょう」「小柴監督と何をやっている」「はて何で御座りましょう」「隠し事はいかん」
モニカがとぼける。「小柴監督欧州各地を旅しているとか、我が家に来れば接待してやるのに」「何の旅だ」「風の噂」「ふん、噂にしては実感がこもっているな」「本当にドイツワインってさっぱりしていていいわね」「だろう、京子我が家では伝統的にステーキが食えるぞ。オーブンで1時間から2時間かけて焼く」「ドイツに行きたい、ねえ和子さん」「行きたいわあ、けどこども連れてゆくならバスをしたてないと」「そうね、来年は3人増えるし3年後にしようか」「でもまだ増えるかも」「誰」「さあ」当面は小百合が「通い夫会」に入会できるかだ。それには母親が矢野に謝ることが問題である。「自分の非を認めない人は謝り方を知らないのね」「冴子さんに座布団1枚」「誰かに説得してもらうか、冴子さん言いだしべ」「そんな、無理よ、鬼頭さんぐらいでないと」「やわな敵じゃないしね」

事態は急転する。元外交官は娘、小百合の母親に「敷居を跨がすわけにはゆかぬ」と言い放った。戦前は父親の権威の前には言葉は出なかった。「ならぬものはならぬ」のである。「戦後と強くなったのは女と靴下」と言われたが、強い父親もまだいたのだ。娘は母親に付き添われて夫に詫びを入れた。その足で矢野にも「無礼の段平にご容赦ください」と涙を浮かべた。「私も言い過ぎました」と矢野は頭を下げた。一言が何故言えなかったのかと娘は悔やんだ。
そこへ小百合が帰って来た。「あらおばあちゃん ―外交官夫人」「小百合嫌だよ、この歳でひ孫なんて」「おばあちゃんは美人だから仕方ないよ」「そうかい、なかなか男前だね、名前は」「幸多郎」「松本幸四郎みたいになるよ」「それ誰」「知らないのかい、有名な歌舞伎役者だよ。で、子育ての方は」「皆さんが良くしてくださるので」「お礼しなくちゃ」「こどもの勉強と音楽教えているからいいんだって」母親が涙ぐむ。人情は金で買えない。性友が女男(めおと)になることもあるのだ。しかし乗り逃げしない矢野だからこそだった。

元外交官の佐川、鬼頭、山之内、吉永洋一、そして香川こと矢野が神田のすき焼きを囲んだ。小百合の一件で佐川が一献差し上げたいと席を設けたのだ。二階の座敷から駿河台のニコライ堂が見える。「いい所ですな」と鬼頭が口を開いた。古い暖簾をひっそりと守って来たのであろう。仲居が一人一人の鍋に盛り付けてゆく。「肉はすぐ食べられますが蒟蒻豆腐は汁が染込んでからのほうが美味しゅうございます」と若女将が酒を注いで回る。
山之内が天井を観る。「んん」「感動した」「まこと。この酒は」「老松でございます」「すき焼きにようおうちょる」「恐れ入ります」「国の家族にも食わしてやりたい」「お国は」「ブラジルです、70年ぶりの帰国ですろ」「それはご苦労なさったことでしょう」佐川が目を熱くする。大正10年に渡ったことになる。移民の苦労は並大抵でなかったはずだ。「お住まいは」「サンカタリーナです」「リオより南ですな、冬は寒いでしょう」
ブラジルといっても南に下れば日本並みに寒い。冬の風は南から吹き付けるのだ。そんな夜は家族ですき焼きをするのだが日本のようにはいかない。異国に住むと日本の味が恋しい。「佐川さんも世界各地を」「30年で15か国を、長くて3年で転勤ですから表面的にしか見ておりません」「印象に残る国は」「フィリピンでしょうか」「ほう」「国家として体を為していない気がしました。日本の小藩以下でしょう」
全員が興味を示す。「原因は」「80以上の民族、言語でしょうか。フィリピネスと英語を国語としましたがこれが全国に普及するには数十年はかかるでしょう」「民族間の意思疎通が取れない」「ええ、中央政権が確立するのもまだまだ先でしょうな。インフラ整備ができていませんから」
山之内和豊が在留邦人についてたづねる。「海外勤務組、買春組、がほとんどで永住する人は少ないですね」「日本人会も入れ替わりが激しい」「骨を埋める気はないから日本人との交流は必要ないのです」「移民とは民を移すことかの」「日本の政策は植民、その地に民を植え付けることで日本の領土拡大を図ったと思います」「搾取地、コロニーではない」「逆ですね、持出ですね」

健はもっと聞きたかったが話題は変わった。「好印象の国は」「対照的だったのがスリランカ、セイロンですな。農業技術がすばらしく英国に支配されなければと思いました」「戦後賠償を最初に放棄したと」「ええ、おかげで賠償枝麻を放棄する国がつつづき講和条約は有利に進められましたから。国民も親日的です、仏教国というのもありました」仏教国は一般に人々が柔和で温厚だ。「ところで香川先生は大手にお勤めだったお聞きしましたが」来たなと思った。「もともと教育学を勉強したいと思っておりましたが、企業に就職と道を踏み外しました」「どこか学究肌のところがあるとお見受けしました」「夢は叶わぬと諦め、就職したのですが数年で退職しました」「もったいない」「退社してその環境が大切であったかと思い知らされました」「河井継之助みたいですな」「あれだけのことをやれば男の本懐を遂げたと言えましょうが何をさせても中途半端に終わっております」
佐川が鬼頭の眼を観る。「しかし顧客ができるまでは大変でしたろう」山之内も呼応する。「まこと原始林を切り開いてゆくようなもんじゃきに」「アマゾンの原始林の中に城を構えておられる」香川健は三人がからめてくる気配を感じた。何が聴きたい、はっきり言えと思った。鬼頭は首を振った。佐川は生一本な男には腹を割って話すしかないと息を止めた。「ところで香川さん、娘静子をどうされるおつもりでしょうか」「どうもしません」場に緊張が走る。
香川健はこれ以上何をしろというのだ、という顔で佐川を見返した。佐川は恥じた。彼は今まで一度も自分の子を疑わなかった。小百合は疑われることをした。だが彼は自分の子と認知したではないか。「小百合は可愛い孫ですのでよろしくお願いいたします」と言うのがやっとであった。鬼頭が「子宝の秘訣をお聞かせ下さらぬか。男の夢じゃきに」と取り持った。「女に惚れてやらせてくれと頼むのです。さらば子宝を授かりましょう」

初めて吉永が口を開いた。「惚れる、ですか」と感心した。「四国にお花権現がおわします。ご神体は男根とマラでして、このご神体に触れ通り抜けると子宝に恵まれると多くの男女が訪れます」「惚れるとは感動ですな、私など数学理論を考えだすのが年に一つがやっとです。かのニュートンは年に100以上の理論を世に送り出しました。その秘訣を訊かれたニュートンは美しい風景を観て感動することと答えたそうです」「ほう」「私もお花権現にお参りすればもう少しましな理論を考え出せるでしょう」
これを契機に場は盛り上がった。「キューバ大学は正門が開くと巨大な男根が下りてきて花芯の池に沈むからくりでしたな」「わしも観たきに、ラスベガスで何気なく1ドル賭けたら1万ドルになった。それでキューバに脚を延ばした」「カストロ議長にあったのか」「ああ」「ほんまに」「少年野球に入れて貰ったら年寄り扱いじゃ。わいをアウトにしたら10ドルやるといったらむきになりよった。真ん中の速球を弾き返したのだがなんとフェンスの上に外野が立っていた」「危ないことを」「と思うだろ、監督に将来の大リーガーに怪我させたらどうすると叱責した。これがカストロの耳に入って食事に招かれた」「それはそれは」「彼は野球好きで、この国の宝を守ってくれたと私に礼を述べたのだが、野球は日本とキューバとどちらが強いかと訊いてきたきに日本といってやった」「ほうカストロ議長に?」「キューバには大リーガーがたくさんいるがと中々ひつこい。野球は個人競技じゃない、チームの為に己を殺すことができるかと言うたらわいの手を握って抱き着いて来よった」

女将はいいお話と感じ入る。「子宝は生んでくれと男が女に頼むものですな」「あら、女もいい男の子を生みたいと思いますよ」「そのときは色目を使うのかい」「いやだあ」「動物の多くは雌がフェロモンで雄を発情させますから人間は例外的かもしれません」吉永は娘が矢野を誘惑したことを忘れているのかと矢野は思った。まあ武士の情け、黙して語らず。「先生その理由をご存知ですか」「いや寡聞にして存じません」
矢野は動物が年間性交回数を神と取り決めた話をした。犬5回、兎3回と順調に交渉は進んだのだが、神は馬7回と言うところを4回と言ってしまった。すぐに訂正すればいいものを沽券にかかわると言を変えなかった。「ヒンでもない、犬より少ない馬鹿にするな」と後足を蹴って出て行った。神はミスを恥じたが沽券を重んじた。そこへ人間がやってきた。「年間150回の要求は」「うるさい、勝手にしろ」と怒鳴ってしまった。以後人間は時を選ばずセックスをするようになったというお話。
これは矢野の十八番であるが大いに受けた。謝って改めれば済むものをとの佐川一族への皮肉も込められていた。元外交官はこの若者なかなかやるなと舌を巻いた。こちらがパンチを繰り出すと的確なジャブが返って来る。「男が先か女が先かはさて置き、香川先生の奮闘は日本男児の誉れですな」「同感です、その辺のところを是非とも」「そもそも大和の国は天照大御神、卑弥呼。壱与と女が治める国なれば、初めの頃はやらしてくれと拝み倒したのですが途中で組み伏せられました」「果報な」「とお思いでしょうが力づくで犯されるとき強姦罪は女にのみ成立するのは違憲であると考えました」「して首尾の方は」「それなりに、攻略数が降伏をどうにか上回って」ここでどっと盛り上がる。
女将が「先生の子なら産みたい」と茶化す。「冗談ではない、今でさえ月月火水木金金なのに身がもちません」とカウンターパンチ。女将は自分がマットに沈む気がした。吉永は意味を悟った。「労働基準法違反ですな」「たまには一人になりたくなります」これは勝利宣言だと矢野は思った。

男たちはその後数回ここですき焼きを楽しんだ。ある時矢野が欠席した。モニカ京子和子小百合の猛攻に腰が立たなくなったのだ。「おう主よ憐み給え、南無阿弥陀仏」「参ったか」「参った」「降参する」「降参」「いざ楯戦人よ」「もうだめだ、許して勘弁してくれ」といったぐあいだ。この状況は小百合佐川ラインから伝えられていた。「大した男ですな、茫洋としていてパンチは的確」と佐川が切り出す。「仕事ができる男は幾らでもおりますけんど仕事をつくる男はそうおらんが」鬼頭のライバル会社が矢野を手放したことを惜しんだ。
それはここでは相応しくない話題なので鬼頭は口には出さなかったが矢野の言葉を思い出していたのだ。「企業が利潤追求を目的とするとしても手段方法によって格の違いがありましょう。金融が一番効率がいい。しかしものづくりに比べれば金貸しに過ぎません」「あなたが私なら」「航空母艦でしょう。同時に数基の戦闘機が発進できるようにします」「それは素晴らしい」と相槌を打ったが所詮は素人の考えと思っていた。「甲板は両横にスライドさせ格納庫を戦闘機ごとリフトアップします」「なるほど甲板は屋根ですか、緊急着陸時以外は」「そうです。条件が同じなら離発着時間が勝敗を決めるでしょう」「言われるまでもないが武器輸出には規制があるきに」「社長のお言葉とも思えませんな。規制など外せば済むことです。それまでは自衛隊の実習船として貸し出せばよろしい」「世界にデモして回る。米国が茶々を入れて来たら実習船ととぼける」「お分かりいただけたようですな」世界の海軍から引き合いがくれば注文生産に応じる。政府も共産圏を除いて規制解除に踏み切るだろうというのだ。「取り敢えず独仏英あたりの注文をうけたらどうですか」「米国が煩い」「政府をして黙らせるのが社長の仕事でしょう」「僕はまだ専務じゃきに」「常に一段上の立場で考えなくてどうします。株主総会で解任動議を出しましょうか」「それだけはやめて」「土佐のいごっそも大したことないのう」レーダーで捉えにくいステルス性と操縦性を兼ね備えた戦闘機を搭載して航空母艦をデモして回れば世界が日本にひれ伏すと事無げに言ったのだ。鬼頭は息子のような若者を改めて見直した。ライバル会社は総務部長が部下を引き上げるのにこの男が邪魔だと放り出したのだ。つまり左遷したのだ。鬼頭には現代版李陵と思われたのであった。ライバル会社内にも彼を惜しむ人物もいたが課長以下の人事に口を挟むわけにはゆかなかったらしい。


女将が挨拶に来た。「あら香川先生いらしてないのですか」「彼は妻子持ちだよ、諦めるんだな」「なに一度振られたぐらいでは、これでも昔は神田小町といわれたのですから。闘志がわきますわ」「妻子は半端じゃないぞ」「はあ」「7人の妻と30人を超える子がいる」「ほえー」「まあ妾ならどうにか」「どうして私が妾に。8人目に立候補します」「彼は処女しか相手にしないぞ」「そんな、5年前まで処女でした」「彼は惚れた女にしか手を出さない」「私に惚れぬ男がいましょうか」「これはまいった、恐れ入りましてございます」矢野の話となると盛り上がる。「けど30人お子さんだと養育費も大変でしょう」「それよ、当座の費用だけでなく大学卒業までの積み立てをやっているからすごい」「一人3千万として9億」「金に執着しますが教育費には惜しみませんな」「子は宝、人生を豊かにしてくれると養育費は惜しみません、だが子孫に美田を残さず」「自分で生きてゆけるように育てるのが方針らしいですな」「それが本当でしょうな、ある富豪が娘に自分で生きてゆけるように育てなかったことが悔やまれると言残したとか」「音楽、絵画、運動、感性感覚を磨くものは幼児期と考えているそうです。今度はサッカーチームもつくるのでないかな」「中学を卒業したら自分の道は自分で見つけろというのが彼の基本方針で、昔は数えの15で元服したというのが根拠のようです」

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