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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第7回   日本男声合唱協会(JAMCA)  客演指揮者 定期演奏会
日本男声合唱協会(JAMCA)

日本男声合唱協会Japan Male Chorus Associationが設立された。弘前、東京、小田原、東海、広島の男声合唱団が第1回演奏会を兼ねて東京に集まった。前夜祭には清水脩、磯部俶、多田武彦といった作曲家も招待された。合同演奏は月光とピエロと決まっているからか、誰とはなしに「月の光のてる辻に」と歌いだす。200人を超える合唱だ。清水脩が前に出て指揮をする。作曲者自らの指揮とはどんなものか。矢野は興味津々である。月光とピエロは堀口大學の詩の中から1、月夜 2、秋のピエロ 3、ピエロ 4、ピエロの嘆き 5、月光とピエロとピエレットの唐草模様 が清水脩によって作曲されたものである。清水脩が引くと格段の団員が前に出て指揮をする。合唱をするものなら一度は指揮したい曲である。
ケンちゃんの顔が強ばる。矢野が前に出て行って指揮を引き継いだというより分捕ったのである。彼は「月のようなるおしろいの 顔が涙を流すなり」をゆったりと天を眺めるように指揮をしたが「身過ぎ世過ぎの是非もなく お道化たれども我がピエロ」からはテンポを急速に上げてゆきピエロでリタルランドをかける。テンポを4倍ぐらい落とした。再び月のようなるから繰り返す。200人の男たちも矢野の意図を理解してくれたようだ。それどころかこのやんちゃな若者の指揮を盛り立てようしている。
矢野はこれだと思った。ピエロは涙を流しているが顔は笑っている。心で泣いてもうじうじしない、これが堀口大学だと叫びたい衝動に駆られる。「真実涙を流しけり」と歌い終わると200人の男たちが拍手してくれた。矢野は深々と頭を下げる。学生時代からの夢が叶った。もう思い残すことはないと晴々した気持ちで団員に戻る。

清水脩は指揮者に「よくやるよ」といったらしいが変曲するなとのニュアンスが込められていたことは矢野にも想像できた。これまでの音楽を優先する演奏にたいして矢野は詩を重視したのだ。しかも日本の合唱の父とも言われる男の前で。若さとは素晴らしい。盲、蛇を蹴っとばすである。
次の曲はとなると「磯部さん、ふるさと」と矢野が叫ぶ。「お前、勝手に決めるな」とケンちゃん。ふるさとはと矢野が歌いだすと200人の男たちがつづく。磯部俶の指揮は分かりやすく楽しい気分にさせる。『遠き都に帰らばや』歌い切ると歓声が上がる。
磯部は多田武彦の手を引いてくる。「ザーっとやってこい」「お前は黙っていろ。曲は事務局もしくは作曲者が決める」とケンちゃんがにらむ。多田は本職が銀行員らしく慇懃である。「では雨が降る前に傘をさしましょうか」と笑わせる。柳川風物詩、富士山などなど彼の曲を歌いたくて合唱を始めた者も少なくない。「多田武彦は合唱の塊」と清水脩が評したが言えていると矢野は思った。

立食パーティーが始まる。「上げよいざ 盃を 我が友に幸あれ」と東京が歌うと他の合唱団も楽譜を見ながら即座に追従する。作曲者の老団員が紹介される。拍手が起こると老人はうれし涙を流しけり。合唱をこよなく愛する男たち西も東もない。すぐ打ち解けて談笑する。今回は東京がホスト役であるから各テーブルに分散するのは当然であるが弘前に集っている。矢野がのぞくと色白の美女を東京で取り囲んでいるのだ。
矢野は各テーブルを回ると美女の存在を告げる。会場に人の流れができる。美女を拝まんと弘前テーブルに次々と各団員が押し掛ける。東北の女は頬骨が出ていてめんこい。「行って見られよ、絶世の美女がおわす」とささやいている。

本番は成功裡に終わったが日本男声合唱協会の委嘱作品は不評であった。記念すべき第1回演奏会の曲は当然の如く第一人者に委嘱したのだが、名曲には程遠く、がっかりしたとの酷評が出る始末。芸術の世界では作品の良し悪しがすべてである。大作曲家、日本の音楽会の頂点にたつ男の作品でも駄作は駄作なのだ。
打ち上げパーティーでは各団の感想を聴き出すよう指示が出ていた。矢野はホストに徹したがどこでも歓談できた。「東京の指揮は歌いやすい」との感想が多かった。合唱団員はお世辞など言わないから本音であろう。次回はどこにするか、弘前との意見が多かった。あの美女を見れば弘前の女はめんこいと考えるのは自然である。ただ広島から弘前となると交通費も大変である。矢野は東京を起点とした旅費を基準に均衡を図るよう提案した。これはすぐ事務局で検討され演奏会の収益金から旅費が特別計上された。


客演指揮者 定期演奏会

東京メンネルの定期演奏会は毎年11月と決まっているらしい。今年のメインステージは委嘱作品「もぐらの物語」の初演である。指揮はプロの荒谷俊二。客演指揮がおかしいわけはないが楽譜を見て矢野は納得する。マリンバ、鉄琴奏者との競演だ。勝手気ままに歌う東京メンネルでは協奏でなく競争になると作曲者三木稔が危惧したのであろう。

もぐらの物語(小田切精光−詩)
1章 目覚めの挨拶
2章 遠い星に
3章 地底の痛み
4章 束の間のやすらぎの中で
5章 闇から闇を

荒谷の苦労は並大抵ではない。「音符を勝手に伸ばして小節の頭で帳尻を合わすような歌い方はやめてください」「僕の指揮に抵抗しないで私に身を委ねてください」と言ったことが度々である。オーケストラの指揮とは勝手が違うようだ。しかも団員は平気でマイストップをかける。「本番ひと月前になっても音取りができていない合唱団があるのか」と荒谷がぐちった。彼は文学部と法学部卒の経歴を持つ。法律から転身した音楽家は少なくない。
常任指揮者はあぐらを組んで歌っても放任しているがプロの指揮者は正座、直立不動を無言で強いる。矢野は肩が凝って仕方がない。ところが曲ができてくるにつれ曲の大きな流れが感じられるようになってきた。一糸乱れず演奏すればこの曲も悪くないと思い始めた。歌って楽しい曲ではないがプロの奏者を前提に作曲しているのであろう。

今日はマリンバ奏者安倍圭子が音合わせにくる。世界的奏者と聞いていたが気さくで優しい女性だ。しかも美人と言える。その妙なる調べは天女かとまごう。だがお言葉はきつい。「三木さん、ここはどうやって演奏するの。私には演奏できないわ」「ごめん。つい筆の勢いで書いたものだから」「演奏できない様な曲を書くのではありません。どうしたいのか言ってごらんなさい」日本を代表する作曲家もかたなしである。「だったらこれでどう」「そうそう。実はそう書きたかったのだよ」「だったら次はこうなるでしょ。少しはマリンバを勉強しなさい」「はい、わかりました」と三木は早速書き直す。女に弱いのは男の通有性か。
 矢野は合唱には関係ないと凩紋次郎を決め込んでいたが安倍さんの方が自然な気がした。作曲家には演奏が得意でなるタイプとそうでない、頭の中で音を思い浮かべるタイプがあるようだ。安倍が合唱の遅れにはっとする。指揮の荒谷が「合唱は気にしないでいいですよ。本番までになんとかしますから」というと「荒谷さん、大変ねえ」と安倍。これには合唱団も奮起する。「今日はいつになく、リズムもテンポもいいな。どうしてかな」

 マリンバの演奏に合唱が影響されている荒谷は言っているようだ。鉄琴は星の瞬きを連想させる。曲が完成してくると天上、地上、地中を描いた様が姿を見せてくる。この曲は聴く者には名曲だが演奏は大変だ。トップはオクターブ上のラを延々と16小節歌わされる。「声も枯れた」と嘆く。「四国の人間は相当ひつこいね」と荒谷があきれたように言った。くたびれ果てる。演奏は3オクターブのソG音で終わる。やれやれである。作曲者を血祭りにあげて飲むか。

 東京メンネル定演当日、荒谷は「本番に強い合唱団ですから」と自分に言聞かせるように言って指揮台に上る。東京メンネルもいざ本番となると音楽の世界に身を置き、荒谷の指揮にも見事に応える。さすがである。矢野は熱狂的拍手と歓声で我に返った。


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