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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第24回   中田喜直 女流ヴァオリニスト 
中田喜直

 中田喜直の合唱曲はピアニスト泣かせが多い。伴奏と言うよりコンチェルトである。彼の作品混声合唱曲「ダムサイト幻想曲の」女声合唱団と東京メンネルの合同練習でピアニストが戸惑っていると小柄な男が「弾いてみましょうか」と弾いて見せた。矢野は驚いた。「あの人は」「かの有名な中田喜直」と指揮者の荒木が教えてくれた。
 雪の降る町をの出足の旋律はショパンとそっくりである。それだけショパンに心酔していたのであろう。ピアニストを目指しながら作曲家に転じたのはどのような理由であったのかは知らないが非凡な演奏は矢野を驚かしたのである。録音当日矢野は電車の中で立っている中田喜直とあった。立ち上がって直立不動で席を勧めた。矢野を東京メンネルの団員と憶えていたのか「曲どうですか」と矢野に声をかける。「は、なお一層、奮励努力するであります」と答えた。この紳士は元帝国陸軍少尉でもあらせられたのだ。
 父君中田章の早春賦はあまりに有名だが、中田喜直はこれを超える数々の歌曲を世にだしている。矢野は中田喜直のピアノ曲軍艦マーチが好きだ。君が代とともに本格的シンフォニーに書いて欲しいと思っていたのだ。この中田喜直にしても見果てぬ夢があったことであろう。人の価値はその夢の大きさにあるのではないか。夢が実現したかどうかは大した問題ではない。

中田喜直の曲はシューマンの響きもある。シューマンもピアニストを諦めて作曲家に転じたから通ずるものがあるのかも知れない。名演奏家にして名作曲家は少ない。ヴィヴァルディ―、モーツアルト、イザイ、宮城道雄などの名前が浮かぶが他にどんな作曲家がいようか。サラサーテ、ショパン、クライスラーなどは作曲家というより演奏家であろう。
 最初から作曲家を目指した者は少ないのではないか。多くが自分の演奏に限界を感じて作曲に転じたのであろう。これは矢野健の独自な意見である。モーツアルトは演奏家にして作曲家であり、いずれも完璧である。神が彼の手を使って曲を書いたという表現はまさにピッタリである。しかし矢野には物足りなさを感じる。それは何か。人間らしさ、見果てぬ夢がない。ベートーベンに代表されるロマン派の曲には人間の夢を感じる。それも見果てぬ夢を。あまりに完璧なものには味気なさを感じる。神業で人間業ではない。弘法も筆の誤り、どこかにミスするから人間なのだ。

晩年矢野はこの考えを5人の妻に話したことがある。和子はそんな気もすると言った。京子は黙ってうなづいていた。モニカはそのとおりだと叫んだ。直美と敬子はむつかしい話という顔をしていた。しかしこどもたちには矢野の考えを伝えたのであった。どのこどもも矢野の影響で音楽を好んだ、とくに男の子は成長して年頃になる「親父の言ってたことがわかる」と話していた。その母親は我が子に矢野を感じた。


女流ヴァオリニスト


矢野は子供たちにヴァイオリンを習わせた。しかしあくまで趣味教養としてである。音楽は人を幸せにすると言う考えだ。決して無理強いはしないが音楽のある生活は人生を豊かにする。講師には音大生を選んだがいずれも矢野好みの美貌の持ち主であった。

どの子もヴァイオリンは手始め、一般教養。ハンスはチェロをあやはピアノをと言う具合で自分の好きな楽器を選んだから弦楽合奏も可能であった。健一はドナウ河のさざ波のイントロが気に入ってクラリネットを始めた。楽器代楽譜代講師謝礼もばかにならなかったが矢野は幼少期が大切とへそくりをつぎ込んだ。ところが香川あやが音大に進むときには猛反対したのだ。谷あやも音大に行ってピアノを極めたいと思っていたがいいそびれてしまった。

京子も和子も首を傾げた。女たちの会議で取り上げられ検討された。何でも反対するのかしら。彼の思考の根底には女が存在する。講師を疑ってかかるべきだ。でも音大生は見た目には派手でも毎日10時間は練習するのよ、ちょっと無理やない。いや可能性は否定できない、否定できるまでは検証すべきだ。どうやって。本人に聞くのが一番。失礼じゃない。あやの一生がかかっている、失礼位は謝って済む。そうやねモニカのいうとおりかも。
 捜査は講師たちに及んだがいずれも白であった。しかし講師以外に原因は考えられない、捜査を中断すべきではない。そうね、彼の行動に女以外には考えられない、私問わずがたりでききだしてみる。でも京子さんどうやって。フフ今夜。閨の中で。まあ近いうちに報告するわ。
 ねえ、あやの先生に卒演の衣装プレゼントしたいのだけど選んでくれる、原宿にいい店みつけたの。音楽家は好き嫌いが激しいから本人に確認したほうがいいぞ。一緒に行ってくれる。その先生は色白でスタイルも良かったが顔がきつい。矢野はアイボリーのノウスリーブを選んだ。彼女は派手な緑色が気に入っていた。試着してみてアイボリーも悪くないかという顔だ。矢野が強引に勧めたので彼女はそれにした。
 演奏当日彼女はステージ立つと見栄えがした。顔がきついだけに柔らかい色が似あう。京子は感心したが彼女も満足していたようだ。演奏も好評でウィーンに留学するそうだ。ヴァイオリンが彼女にこう弾いてと言っているかのような演奏だ。その夜京子が尋ねた。彼女抱きたい。抱きたい。何故抱かなかったの。あの顔見たら抱く気にならんだろう。
 京子さんどういうこと。このビデオ見て、矢野は腕から腰に色気を感じるらしいの。それで。顔のアップね。物凄い顔ね。それは鬼気迫る。演奏後の彼女が別人に見える。つまりあやちゃんをこんなふうにさせたくないのね。わかるわ。演奏家も楽じゃないのね。音大卒業生でオケに入団できるのは数パーセント。ほとんどが音楽教師で食っている。
 矢野は音を楽しむのが音楽とゆうてた。音楽家は何万回も弾いてから演奏するのね。何万回か。娘にはそんな道を歩ませたくない。だろうな。苦行だな。そやから音楽家は色気が無い。無理もない。矢野は知っていた。そこがあの男のすごいところ。普通の大学に進学して卒業後に音楽がやりたければ音大に行けばいいと言うの。音楽はすばらしいけどすべてではないわね。うむ、音楽家にはさびしげなところがある、自分で選んだ道とはいえ遠く険しい。シュウマンはピアノを弾きすぎて指を痛めたそうよ。それでかピアニストをあきらめて作曲に。でも子供の情景は素敵。やはり音楽は楽しむもの。そうよね矢野の言うとおりね。でも矢野はヴァイオリニストとやりたいのじゃない。昔はね、今はもう元気ないみたい。精をつけらすか。


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