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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第23回   モニカ矢野
モニカ矢野

モニカが大学を卒業したので日本に来ると言ってきた。しかも両親も一緒だと健は式を挙げねばなるまい。結婚届を出さない内縁ですまされるか、東京メンネルのドイツ通に相談したが答は消極的。ともかく心の準備をしておくことは必要だ。こういう時に松崎敬子が写真集作ってくれと言ってきた。健はそれどころかと泣きたい気持ちだ。

しかし時は何人にも等しく過ぎてゆく。その日はやってきた。羽田空港にモニカを出迎えタクシーで帝国ホテルに向かう。ドイツ人には伝統ある渋いホテルが向いていると考えたからだ。父親は日本の復興ぶりに驚嘆する。チェックインすると「ここの料理は美味いからあなた方を夕食に招待する。6時ごろまで長旅の疲れを癒して下さい」と事務所に戻る。直美には世話になったドイツ人家族を1週間ほど案内して回ると言ってあるがまともに顔が見られない。
幸いなことに東京メンネルの団員2名がホームステイを受け入れてくれたので4日はアテンドしなくてすむ。明日は都内見物としてできれば東北を案内したいが、彼らの予定もあろう。東京メンネルの練習も見せたい。まあ反応を看ながら決めよう。事務所では健がいつになくめかしているので訝しがっている。 

5分前フロントからレストランで待っている旨伝えてもらう。「何名様ですか」「4名様ならこちらがよろしいかと」「ドイツで世話になった方にはどの料理がいいかな」「少々お待ち下さい、お連れ様では」健が手を挙げる。
 モニカと父母が座ったところにシェフが注文を取りに来た。「シェフ自らとは恐れ入ります。こちら私がハンブルグで世話になった方です。シェフが私ならどの料理を選びますか」「私ならばこれですね。メインデッシュはローストビーフです」「では、これをお願いします。これに合うワインは」「これがよく合います」「シェフは東京オリンピック選手団の為に世界中のレシピを考えられた方だ」「今晩は私たちハンブルグからきました。父はハンブルグ市長をやってます」とモニカが挨拶した。「光栄です。ごゆっくり日本をお楽しみください」「ダンケッシェーン」父と母がシェフと握手する。

窓に東京の街が見える、「アーベント」「黄昏時だがローレライはいない」「タソガレって何」「陽が沈むと彼は誰か判らないからタソ彼。空は茜に染まるから茜時ともいう」「夕方でもいろんな言い方があるのね」「そう、夕暮れ、夕べ、夕間暮れ、宵他にもあるが思い出せない」「何故同じ意味の言葉が多いのかね」「日本民族は日の出とともに働き日没後家路をたどる生活だったからでしょう」「日本人はよく働くと聞いているが言語にも現れるのかな」「話し手の心情が伝わってきますね、どの言葉を選ぶかによって」「ほう」「音楽の夕べというが夕方とは言わない」「どうしてか」「感性感覚かな」

ビールで乾杯。「カンパイ」「このビールはミュンヘンの味だ」「サッポロはミュンヘンと姉妹都市ですから」「札幌はどこだ」地図を開く。「大都市です」「冬季オリンピック開催地だったな」「ハンブルグと似てる感じ。タケシ行ったことある」「ない、行きたいと思っているのだが」「日本は南北に長いな」「これで2000km」「よく英米中蘭を相手に戦ったものだ」「お父様ここで相応しい話題じゃないわ」「これは失礼」「世界遺産がある日光に案内したいと思っています」

ス−プがきた。「これはうまい」「やわらかい味ですこと」「失礼します、ステーキの焼は」「ウエルダム」「メディアム」「レア」「レア「かしこまりました、程なく焼けると思います」「日本のサービスは心が籠っているな」「日光はどうして世界遺産にえらばれたの」「多分彫刻の素晴らしさだろうが、自分の目で確かめるべきだろう」「それはそうだ」「タケシあなたはどうしてモニカを選んだの」
真打登場である。ドイツ女も真綿で首を締めてくる。心しないと墓穴を掘る。「何がそうさせるもかはわかりませんが私はLoreleyに憧れました。なぜ舟人は彼女の歌声に舵をとるのを忘れるのか。そんな少女に会ってみたいとドイツ旅行に参加しました。そして逢ってしまったのです」「ロマンチックね。で彼女とは」

核心部分に迫ってくる。ステーキが運ばれてきた。少しは時間が稼げる。「日本人シェフの料理がお口に召しますかどうか」「これはいける」「それは良かった。ワインはどうでしょうか」「日本製だ、ドイツワインと遜色ない」「ともかく再会と皆様の旅に乾杯しましょう」母親は逃がしませんよと言う顔をしていた。

料理はモニカ親子を満足させたがお値段もよかった。「素晴らしい料理だったわ。部屋で話の続きをしましょう」「タケシはモニカと話したいだろうよ」と父親が言ってくれたので助かったがモニカに引かれてゆく。部屋はダブルベッドだ。俎板の鯉というやつか。「タケシあいたかった」「僕も」「抱いて」「モニカ結婚式は教会か日本式か」「どちらでもいい、結婚できるなら」当方それができないから悩んでいるのだが。
あくる朝皇居に案内する。「ここに天皇ヒロヒトがおわすのか」「まあ大勢の方たち、彼は国民意に愛されているのですね」「天皇家だけは名字がありません」
二重橋から皇居の回りを歩いてホテルに戻る。朝の散歩はモニカ親子を満足させたようだ。朝食はサンドィッチに珈琲であったがさすが一流ホテル味が違う。「美味しいですね」「珈琲が格別だ」「もうしばらくしたら都内を観光しましょう」「タケシお仕事はいいの」「私がいなくても事務所は運営されるようにしてあります」
はとバスは都内観光に便利だ。東京を網羅的にガイドが案内してくれる。浅草が外人には人気のようである。モニカに土産を買ってやる。喜ぶ娘を見て父母も買い求める。「モニカこれで支払えと万札を渡す。「私たちの分まで買ってくれるの、いい婿殿」


その日は東京メンネルの練習日だった。「お疲れでなかったら合唱の練習をのぞいてみませんか」と両親を誘った。ホームステイの打ち合わせの為だ。休憩時間に大歓迎を受ける。会長が一言どうぞと前に立たす。「我々は再びみなさまに東京で会うことができ幸いです。また歓迎に感謝します。今回の訪日目的はこの日曜日モニカとタケシとの本祝言を挙げることでありますか、皆様方のご臨席を賜りたく存じます」拍手と歓声の中で健は図られたかと思った。会長が「来週の日曜午前11時から青学会館で矢野君とモニカさんの婚礼執り行います。この結婚は訪独中の出来事でありますので合唱団婚と致すことになりました」と高らかに宣告した。もはやこれまでか。矢野も観念して山本浩に写真を依頼する。

日曜日結婚式場には東京メンネルの団員が集まった。ドイツ駐日大使までが列席している。「日独関係は常に睦まじく時には強く結ばれることが理想であります。新郎新婦さーん、がんばってください」
意味深な祝辞だ。ケンちゃんも黙っていない。「100mでのフライングは失格であります。我らがメンネルにおきましても抜け駆けはご法度、しかしかような麗しき乙女をものにした、その功大なれば特別の温情をもって赦免するものであります」

東西東西 東西南北 しずーまりたまえ
エイエイサッサー エイサッサ−

団員の家族も「奥様お久しぶりドイツ旅行以来ですわね」「ねえ奥様矢野さんあの時に種を蒔いたそうですよ。それがねもう2歳ですって」「まーあ」「彼女の父親が動かぬ証拠と写真を持ってきたという話」「見たいわ、見せてもらいましょ」

二人はシュミット先生を通訳に引き連れ父親に近づく。「おめでとう御座います。本当素晴らしい結婚式ですこと」「アリガトゴザイマス」「お孫さんの写真見せて頂けます」「まあそっくりじゃない」「言い逃れできないわね。生まれちゃった婚」「でお嬢様は日本で暮らすのですか」「異国のことゆえ心配です」「お母様心配ご無用。私たちがモニカを守ります」「かたじけないことで」と日本式に頭を下げる。この一言でモニカは矢野姓を名乗るのだが他の妻たちの了解をどうやって得たかは詳らかではない。結婚しないとビザが取りにくいとか言って拝み倒したのであろう。日本人妻たちは遠来のドイツ娘には特段の配慮するのかもしれない。

飲めや飲め 歌えや歌え 飲めや飲め 世の更けるまで

これは「酒飲みに捧げる歌」、それは矢野が指揮者荒木に捧げた曲であった。矢野は荒木に心酔していたが荒木も矢野を息子のように思っていたのだ。次から次へと合唱がつづく。大使館の家族も久しぶりにくつろいでいるようだ。男声合唱段東京メンネル婚だ。

新婚旅行は奥入瀬渓流を観て、五能線を回ってくるそうだ。父母はホームステイして日本を楽しんでいる。結婚写真とビデオが出来上がって来た。矢野が依頼したものだが今回も監督小柴瞳、カメラ山本浩、照明黒沢敏夫となっていた。父母の分もあった。「何よりの土産だわ」と母親が喜ぶ。モニカ写真集はどんなものになるのであろうか。松崎敬子写真集も忘れてはならない。


駒込直美は離婚届に署名した。矢野の戸籍及び付表を取ったからである。矢野健の結婚歴が記載されていた。直美は離婚届を出した。何も言うまい。1週間ぶりに帰宅した健はそわそわしていた。「健一、今日から駒込健一ですからね。あなたのお母さんは健一のお父さんと離婚しました」日本人男が未婚の子を認知すれば外国人の母親は記載されるのか?母は空欄?と言った問題は生じなかった、いや、先送りとなった。モニカが矢野の戸籍に入ったからだ。ドイツ大使館が後押ししたから手続きは3日ですんだ。とは言え離婚するのも時間の問題である。誰かが妊娠するまでの期間限定である。復縁するには矢野の子を宿さなければならない。

 ということはモニカが離縁されるのも時間の問題であるが和子と京子の配慮で遠来の花嫁ということで離縁は可哀想となった。結局昔ヨット部の山田が言ったように認知すれば足りるということになったのだ。和子と京子が矢野の誠意を評価し、異国に暮らすモニカに同情し花を持たしたのだ。直美も先輩の措置に異議を唱えることはできなかった。同じ心情になっていたのであろう。
 ついでにモニカの使命はなんであったか。日本国民が世界をとくに米国をどう見ているかを本国の父親に報告することであったがベルリンの壁が崩壊した後その任務は解かれるのであるが、たとえ矢野がモニカの任務を知ったところで左程の関心は示さなかったであろう。祖国を分断された国民とそうでない国民との違いと言ってしまえばそれまでではあるが。

矢野は商社の磯松を忘れていなかった。今日あるは彼のおかげである。モニカの父親ハンブルグ市長に紹介した。磯松は同市の土地開発分譲を受注した。日本を代表する商社だが市長の後押しがあったからだ。磯松から国際電話が入った。「おかげで500億の受注だ」「少しは役に立ったか」「十分に」


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