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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第17回   不動産会社面接
不動産会社面接

矢野は香川姓を名乗っていた。戸籍も住民票も香川健に変えたから当然である。しかし慣れるには時間がかかる。商社の磯松が不動産会社に口を聞いてくれたのだ。商社は接待だけでなく土地家マンションの世話もしている。営業上のサービスであるが駐在員は海外赴任の際カルフォルニアで土地を買って帰国の前に売り払うのもいたらしい。
浪慢商事は有楽町のオフィスビルに小さな事務所を構えていた。向かいには三菱本社がある。東京駅にも近い。社長の島崎は早稲田の政経卒で不動産屋には見えない。40過ぎのいい男だ。「香川さんは宅建をお持ちだから月10万円でどうでしょう。あとは香川さん次第ですね」「宅建合格といっても実務経験はありませんが」「近々人を増やそうと思ってますからそのときは彼らにも資格をとってもらいますよ。歩合制は成約額の1割」「気前がいいですね」「成約額はうちの取り分ですよ」宅建業者の報酬は契約金額の3%が上限と決められている。1億の売買なら報酬は300万円が上限、歩合制はその1割30万だ。まあいい条件だろう。
土地の急騰は狂乱物価を招き譲渡税が転売益の48%に改正された頃だ。「土地の売買原因はなんでしょうかね」「金が要るから土地を売るのでしょう」「では金が必要でない地主は」「その気にさせることですね」「あげてよかったと」「ええ、どうせ(処女を)失うならこの人に」「それは言えますね。その道にも」「いえ(色の道は遠く奥が深い)未熟者です」

島崎は珈琲を入れながら言った。「先祖伝来の土地を手放すわけにはいかないという地主がいたら香川さんはどう話を持っていきますか」いよいよ本番に入ったな香川健は思った。一呼吸おいて答えた。「ご先祖はどのようなお気持ちで買われたのでしょうか」「これは参った。ご経験がおありのようですね」と島崎が唸った。

そこへ従業員らしき男が出社してきた。「上手くいったようだな」「はい、西の方は。これが契約書と仲介料です」島崎は札束を数えると1割を抜き取り歩合として手渡す。残りを金庫にしまう。「これから杉並にゆきます」「だいぶ苦戦しているようだな」「でも話を聞いてくれるようになりました。じっくり攻めてみます」「香川さん勉強がてらにいってみますか」「黙って聴くだけなら」「今日からうちで働いてもらうことになった香川さんだ。よろしくな」30位の男は愛想よくうなずくと「では参りましょうか」と香川に言った。
この会社は無駄口がないと香川は思った。物件は杉並区の住宅地、住居は戦前の建物と思われた。元大学教授と思われる老人が一人住まいしていた。近くの長男夫婦が世話しているようだ。「谷村さんお仕事とはいえ、年寄りの繰り言を聴いている暇はないでしょう」と老元教授。「いえ先生のお話は人生の先輩として聞かせていただいております」と谷村はやんわりと応じる。

半時間位話を聞いているところに嫁がやってきた。谷村は「では先生、また寄せていただきます」と縁側を立つ。不動産屋のしつこさがない。老人宅を出ると「谷村さん、登記簿謄本みせていただけますか」と香川が言った。谷村はバッグから取り出すと無造作に手渡す。香川は所有者欄を見て「所有者の戸籍謄本はございますか」とさらに尋ねる。「ないけど、どうして」「個人的興味です。区役所はどこですか」と言うと谷村は少し変な顔をしたが案内してくれた。
所有者西本老人の住民票をあげる。申請書代理人に西本昇 続柄長男と記載して捺印した。次は戸籍謄本だ。同様にして原戸籍をあげる。この間谷村は何も言わなかった。「私は他に約束があるから香川さんは先に帰ってください」と谷村は去ってゆく。無駄のない人間は香川の好みだ。

浪慢商事に帰ると中年の女がいた。「うちの奥さん。こちらが香川さん」と島崎が紹介する。「初めまして香川です」「まあ磯松さんの同級生ですってね、よろしく」「よろしくお願いします」磯松が概略を話しているようだ。「どうでしたか」「勉強になりました。これコピーしていいですか」と住民票と戸籍簿謄本を島崎に見せるとほうと言う顔をした。コピーに蛍光ペンでマークしてゆく。島崎夫婦は珍しそうにみていた。相続関係図ができあがると概要が見えてきた。
給食弁当が配達されると早めの昼食となった。世間の昼休み時間は不動産屋にはゴールデンタイムなのだ。「しかし香川さんも思い切ってお辞めになりましたわね」「余計なことを言うな。人には触れられたくないことがあるものだ」「そうでした、ごめんなさいね」奥さんは明るい性格で気さくな感じだが女の好奇心は抑えられないようだ。

昼食後香川は出張報告書をまとめた。「社長、買い手の目的は何でしょうか」「老人ホームをつくると聞いていますが」「ということは最低でも500坪は欲しいということでしょうか」「そうでしょう、隣の土地が全部で600坪西本さんのが100坪だったでしょうか」「西本さんの土地が手に入れば着工する段階でしょうか」「まあそんなところですね」「土地の形状は分かりませんが50×50位ですか」「でしょうね。公図はどこだったかな」
1物件概要
 所 在 杉並区上高井戸
 地 目 宅地
 地 積 350.88u
 所有者 西本 元
 建 物 木造平家建 築推定60年 
2相続関係
相続人 妻 没 長男 西本 昇 長女 山本節子 次男 西本 隆
開 始 被相続人西本元の年齢から20年以内と思われる。
3売却可能性
 所有者西本元氏は今すぐ土地を売却する必要はないと思われるが、 次の点から近い将来売却の必要が生じてくると推察される。
 3.1長男との同居
   西本氏は昨年妻を亡くし一人暮らしであるが、年齢から長男と   の同居することになると思われる。長男宅は手狭で増改築もし   くは代替地に新築する必要があると推察できる。
 3.2相続対策
   常識的に長男昇氏が相続すると考えられるが、他の相続人の相   続分の分配等から現有地を換金する必要が生じよう。
 3.3土地利用処分
   隣接地に老人ホームが建設されると眺望、環境面で当該地の    価値の下落は避けられない上、住居地としての処分売却も困難   となろう。 
以上のことから西本元のと土地および西本昇の土地を売却させ代替地に同居させるのが上策で交渉相手は長男昇氏にすべきと思慮する。

 島崎は出張報告書を読んで感心した。「この物件は香川さんに担当してもらおうかな」「とんでもない、評論はできても実践はできません」「でも参考になりますよ。我々は経験だけでやってきていますから」島崎は、不動産屋は口目耳は達者だが書き留めることは苦手だ、このように記録しておけば後日の為になるだけでなく問題点が浮かび上がってくると思った。彼はそれなりの業務日誌を書いているが外を飛び回っている従業員にそれを求めるのは酷だと思っていた。

そこへ谷村が帰って来た。「契約日は明後日になりました」「そう、谷村さんすごいね」「やはり大安吉日に拘るようです」「10億の物件となればこだわるでしょう」「物件説明書には判をもらってきました。契約費は著名するだけになっています。印紙は双方で消印するということです」「印紙代も大変ですね」二人は上機嫌だ。「お茶、珈琲?」「お茶下さい。奥さん。緊張した時はお茶ですね」「今日は前祝ですね」「谷村さん一服したらこれ読んでみて」

谷村は食い入るように出張報告書を読んだ。「いやあ恐れ入りました」「でしょう」「将を射んとすればですね。同居用の代替地がカギになりそうですね。それと戸籍簿はどうやって入手するのですか」「それは香川さんに」「行政書士に依頼すれば取ってくれます」「そうか、香川さんは行政書士の資格を持ってられるとか」「登録してのことです」「なら登録したら」「金なしコネなしですから」「ここを使ったらいいですよ」「有難うございます」

香川健はすぐにも登録したいと思ったが明言はしなかった。その日は前祝と歓迎会となった。島崎が「これはみんなの参考になると思うので聞いてください」と報告書を読み上げた。「なるほどねえ、でもどうやって相続人を説得する」「そう思うだろ」「行政書士さんに頼むそうだ。この香川さんはその資格をお持ちだからここで事務所を開いていただく」「それはいいですね。我々は時間をもっと有効に使える」それからいろんな意見が出てきた。「俺、この物件やってみたいな、谷村さん」「人の客を取るなよ」「冗談冗談」

行きつけの寿司屋で歓迎会と土地取引の前祝が始まる。「でも考えさせられますね、10年以上不動産をやってますがあんな風に考えたことはなかった」「俺もだよ」「香川さん恐れ入りましてござります」「私は湯だけの風呂屋と言われています」「湯うだけね、でもいい湯だな」「どんな医者でも草津の湯でも恋の病は治らぬとか」「おや、いいこと言うねえ学のある人は」

だいぶ盛り上がってきた。「出しゃばらず引っ込まず、いい男だねえ」「まま奥さま一献。過分なるお言葉を」「いやだ、奥様だなんて、背中がかゆくなってきたわ」「お掻きしましょうか、どの辺りでしょうか」「やるねえ女何人泣かしたの」

翌日島崎社長は事務所の一角を仕切ってくれた。なかには机椅子キャビネットまで配置されている。入口の横に香川行政書士事務所とタイプ打ちした紙を貼る。香川健はどうしてこれ程と思った。島崎は磯松の依頼を受け密かに香川健を調べていたのだ。そして「PHは。普通です」の話を聞いてこれは買い(採用)だと判断したのだった。
香川健は東京都行政書士会登録を申請した。「書類はこれで結構です。先生の事務所を見せて頂いてから日本行政書士連合会に申請一式を送りますので登録はまあ半月くらい先になるでしょう」と事務局長が説明してくれた。「それまで何を勉強したいいでしょうか」「新人研修会に参加されたらいいでしょう。先生は何をご専門にされますか」先生と呼ばれるといよいよ行政書士になると思う。「右も左もわかりませんので」「時間がありましたらここの資料をご覧なっては、参考になると思いますよ」

事務局長は書架に案内する。「何かありましたら声を掛けてください」と席に戻る。香川健は書架の法令規則集参考書を眺めると行政書士の業務内容が想像できた。しばらくして「先生お茶をどうぞ」と職員が声かけてきた。「先生とは俺のことか」と健は思った。「先生はお若いのに開業なさるので?どちらかの先生の所で勉強されておられると思っていましたよ」と事務局長が茶をすすめる。「何もわからず登録申請しましたが今になってやってゆけるかと」「大丈夫ですよ、東京単位会の会長が全業連の会長もなさってますから応援してくれるでしょう」香川健の直向きさに事務局長は好感を持ったようだ。「この行政書士マニュアルは分かりやすいですよ、お持ちください」とパンフレットを渡した。

健は行政書士登録を島崎に報告した。「半月ぐらいすぐですよ。電話はブランチ親子で我慢してください」「何から何まで恩に着ます」「私も創業時代は苦労しました。早く出世払いしてください」島崎の好意がありがたかった。それから1週間行書士関連法規、業務を徹底的に研究した。とくに目を引いたのが東京および全国の業務別報酬額であった。アンケート調査の信頼性はあるにしても額のバラつきは香川健を驚かした。東京単位会では年収100万未満43%、1億以上0.01%最多は300ないし500万であった。多くの行政書士はやっとこ食っている感じだ。
登録されたとの連絡で書士会に赴く。職員から会員証、規則集等を手渡される。「先生、会長さんと事務局長さんが持ち回りしてくれたようですよ」「そうでしたか」「奥におられますから挨拶されては」奥に通される。「香川です、この度は格別の御配慮を賜り厚く御礼申し上げます」「この業界も高齢化が進んでましてね、香川先生(宅建と行政書士と兼業となる)のようなお若い方に活躍していただきたいと思っているのですよ」と会長がにっこり笑った。「いろいろありがとうございます。今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます」
香川健は前の会社に就職するとき教授と支店長の力添えがあったが今回もこの二人の存在が大きかったと改めて思った。浪漫建設に帰ると島崎に「これを架けらせていただきます」と登録証を見せた。「先生おめでとうございます」「社長、冷やかさないで下さいよ」「今日から香川さんは行政書士の先生だ」


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