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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第12回   この国のセカンド婦人女性議長  尾頭付の豚 とんだ豚騒動
この国のセカンド婦人女性議長

翌日合唱団はベルリンからボンに向かう。電車がベルリンを出ると有刺鉄線がハリメグされている。一歩出れば東ドイツ、他国なのだ。シェパードを連れた警官が車内を監視して回る。西への脱国者の取締らしい。モニカを尋問する。「どこへ行く」「ボン、ミュンヘン」「目的は」「ハネームーン」「彼は日本人か」「そう、私が彼を制圧した」矢野はドイツ語のできる日本人にやり取りをきく。「俺の彼女にくどくど質問するな。離れろ」と怒鳴る。「お前たちの身分証明書を見せろ。日本政府を通じてホーネッカーに厳重に抗議するぞ」たじろぐ警官たち。「今の職を失いたくなければ今すぐ立ち去れ」東独の警官たちは「良い旅行を」と言い残して去ってゆく。「モニカ、俺がお前を征服したのだ。憶えて置け」「はい、そうします、ヘールヤノ」この男決めるところは決めるのねとモニカは矢野を見つめた。

ボンは西ドイツの首都だがこざっぱりしている。日本人にはベートーベンの生家が人気がある。市役所を表敬して国会議事堂を見学する。ライン川が流れているようだが水が濁っている上、流れも感じられない。議事堂のお粗末なレザーの椅子、これが国会かと矢野は思った。中庭に出ると白ワインが出される。この国では赤ワインは今一だが白は美味い。白髪の中年女性が現れた。年は還暦を過ぎていると思われるが品がある。国会の議長と言うことだ。後年矢野は某国の女性国会議長をみて色気がないと思ったものであった。彼女はこの国のNO2で大統領がNO1ということらしい。国会が最高機関なら彼女が理論的にはNO1である。
彼女はプロマイド写真にサインをしながら東京メンネルの各団員に手渡してゆく。これは国賓級の歓迎ということらしい。モニカが写真を見せてという。矢野は澄ましてもう一枚写真とサインを所望した。女性議長は瞬時に事情を理解してこれに応える。これを見てモニカは私にくれるのとうれしそうな顔をする。矢野は深々と頭を下げる。こういう厚かましさは許されるのであろう。
しかし民間の合唱団に日本国、日本政府はこれだけの応接をするであろうか。音楽に対する価値観の相違と言うしかない。モニカの父親は矢野の旅行日程をみて国会訪問をつぶさに観てくるようモニカに命じたのではあるまいか。メンネルの8年前の前回の訪問では大統領が応対している。東京メンネルの評価は急上昇した。

仮祝言

表敬訪問が終わると軍の食堂で昼食をとるまで自由行動となった。この旅行で初めての自由時間である。矢野がモニカとドナウ川の方へ歩き始めるとケンちゃんと元予科練とに詰問される。いや尋問か、自白強要である。「彼女との関係は」「現地妻です」「やったのか、この野郎」そこへ常任指揮者の荒木が割っている。「素敵な彼女じゃない」荒木は音楽だけでなく各団員にも心配りができる。指導者とは名監督とは各人の経歴現状を把握しているのだ。「おそれいります」とモニカは日本語で荒木に礼を言う。これで矢野は釈放された。「彼、いい指揮者ね」「ああ」

明日はライン川を遡ってミュンヘンに向かう、楽しみだ。モニカが矢野をベンチに座らせる。議長にもらった写真を取り出して「愛するモニカへ 矢野健って書いて」「照れくさいじゃないか」「あら私のこと好きじゃないの」「わかったよ」「ありがとう日本語の文字で書いてね」束の間のひと時だが美しき青きドナウを見ていると幸福感に包まれる。「ねえタケシ。私日本に行ってもいい」「いいよ」「うれしい。私と結婚してくれる」「いつどこで」矢野は和子と京子を思い出し、これは大変なことになったと緊張する。「貴男の旅行が終わってからでいいわ。貴男のご両親は来て下さるかしら」「式は日本風か教会風かどちらがいい」「どちらでもいいが、お前は大学は卒業しなくていいのか」矢野は動揺を隠すように話題を変える。この手は古今東西同様のようだ。


昼過ぎにステイ先の奥さんが車で迎えに来た。森尾と矢野、モニカを乗せると飛ばすこと。ドイツ女はスピード狂か。怖がる矢野をモニカが抱きしめる。奥さんが「もうすぐよ、私たちの軍隊」という。
Our government Our military 私たちの政府、私たちの軍隊。国防は政府の仕事と割り切る日本とは考えが違う。
軍の食堂と言っても食事内容はロールキャベツにソーセージがはいっていてなかなかだ。ポタージュスープが美味い。矢野がパンでスープをさらえるとモニカが立ち上がってお代わりを持ってきた。「いい奥さんになるわ」と日本人の評判もいい。ケンちゃんが会長と話している。「団始まって以来のことですからな」「結婚式を日本で挙げないとならないのですか」どうやら結婚祝い(金一封)の是非らしい。

団規約には日本での挙式を条件と定めていない。「では今ここで仮祝言といきましょう」「また急な」「いいですか会長。奴が乗り逃げしたら国際問題になりますぞ」「そんなことは」「ありえます。彼は明後日に帰国するのです。会長ご決裁を」二人とも大きな声なので全員に聞こえる。「あのう、私のことでありますか」「他に誰がいる、素人娘にただ乗りする奴が」「モニカのことですか」「罪状明白、責任を取れ。何回乗った」「わかりません」「何時までやった」「夜通し、明け方まで」「会長自白しましたぞ。成果は」「敵は日本刀の切れ味に無条件降伏しましたが当方も眠りに落ちました。なにしろ総力戦でありましたゆえ」「被告人は下がって良し。追って沙汰する」

団員およびその家族友人全員が見守る中会長以下の協議の結果が言い渡された。「判決を言い渡す。被告人は直ちに祝言を挙げよ」「控訴します」「当裁判所が最終審である」常任指揮者が「埴生の宿」と言うと全員が立ち上がる。「東西東西 東西南北。只今よりベース矢野健君とモニカさんとの仮祝言を執り行ないまーす」とケンちゃんが大音声を発する。矢野は声が出ない。合唱が始まると指揮者が矢野を促す。矢野が「埴生の宿もわが宿」と歌いだすと荒木はモニカにも笑いかける。モニカも矢野につづく。「只今お二人の仮祝言が滞りなく執り行われたことを媒酌人としてご報告いたします」会長の言葉で拍手が起こる。「では新郎新婦愛の口づけを」

これは大変が現実に起こった。矢野は顔面蒼白である。京子との結婚、離婚に和子とも同様と悩んでいたのにこれにモニカが加わると、神も仏もないものか。キリエミゼレレ主よ憐み給え。祓え給い清め給え。南無阿弥陀仏。我は無実なり。おかあちゃんたすけてくれえ。新婦モニカはうれし涙をはらはらと流した。矢野は押されてモニカに口づけする。キャーッ素敵と歓声が上がる。これで矢野の終身刑は確定した。刑が執行されるとモニカの下から逃れられない。果たして男矢野健の運命や如何に。


尾頭付の豚 とんだ豚騒動

その日の音楽会は地元合唱団ゲルマニアとの交歓会であった。小学校の講堂には多くの人が集まって来る。日本の有名な合唱団との交歓会ということもあるが矢野とモニカの国際結婚が人々の関心を引いたのだ。ステージには古びたピアノがあった。ゲルマニアはローマの侵攻を今に伝えている。ドイツはローマから見るとゲルマンでありこの地方はゲルマニアと呼ばれた。ルーマニア、オーストリアも同様であろう。インドネシア、ミクロネシアもあるか。

最初のステージは東京メンネル、新聞テレビがドイツ各地での様子を伝えているから市民にも名が知れている。その迫力と東洋的響きはドイツ市民を魅了して離さない。ステージが終わると歓声と拍手が会場を吹き飛ばすほどであった。つづくゲルマニアは石井歓の『枯れ木と太陽の歌』を演奏した。ピアノが数音奏でると会場は静まり返る。矢野はピアノの音はあまり好きでないが、それは矢野の認識を一変させるほど柔らかい美しい響きであった。
老ピアニストは枯れ木のように飄々と鍵盤の上に指を運んでゆく。合唱の方も派手さはないがなかなかである。柔らかいが力のある声で日本の合唱曲を歌い上げた。音、声に対する根源的イメージが違う。欧米に比べると日本はあまりに固い。矢野は音の原点を、合唱の原点を垣間見た気がした。
合同演奏は日独の作品が取り上げられたが固い声と柔らかい声とが和声されて味わい深いものとなった。最後に誰となくドイツ民謡が歌われるとステージと客席がひとつになる。日本の音楽会ではあまり見られない光景だ。

打ち上げパーティーは子豚の丸焼きが並べられていた。子豚はこの日のために40日間仕込んだという。日独両指揮者が矢野とモニカに花束を贈呈してくれた。なんといっても時の人だ。二人の眼から涙が溢れる。ゲルマニアの団員が矢野に感想を尋ねる。老ピアニストの音を褒めるとほうっとためいきがもれた。固い声と柔らかい声、各団員の個性的な声が和えられて独特の味が出ていると答えた。「新郎は弁が立つね。評論で食ってゆけるよ」と指揮者の荒木が言った。矢野は荒木の前では息子のようになる。「別の(日独の)素材があわさって新しいものが生まれるのですね」

日本語は元外交官の夫人八代亜紀が同時通訳する。「別の素材が合わさるとどんな子が生まれるか」ケンちゃんの合いの手は一流だ。日本人は爆笑する。ドイツ婦人が「彼なんて言ったの」と八代夫人に詰め寄る。「私にはわからない」「わからないはずないでしょ、日本人がみんな笑っているのだから」「だって」すると矢代夫人が顔を赤らめると一人は察したようだ。
その彼女は笑みを浮かべながらモニカに近づく。「モニカ本当にきれい。ジュンブライド六月の花嫁」「ありがとう」「ところで彼はなんて言ったの」モニカはためらいもなく「日独の素材が合わさるとどんな子が生まれるか」とドイツ語で言った。「まあ、それは神のみが知ることね。でも楽しみだわ」ドイツ側にも大受け。

横でケンちゃんが顔を赤くしている。「俺の豚にさわるな」と矢野が怒鳴った。「だって真っ直ぐじゃないとおかしいでしょ」「これが俺のやり方だ。離縁するぞ」何事が起ったと周囲が振り向く。「夫婦喧嘩は早すぎるのじゃない。どうしたの」ゲルマニア団員がマイクを向ける。「この豚俺を見ているから顔をそむけたのだ」矢代夫人はばかばかしいと自分のテーブルに戻る。
中年女性がナプキンで豚に頬被りして真横に向きを変える。「これでいいでしょ新婚さん」ドイツ人は何が問題でそれを如何に解決したかが知りたいのだが八代夫人は「夫婦喧嘩は犬も食わない」とそっけない。シュミット先生にマイクが向けられる。「日本人は四足、牛豚は食さない主義なのですが美味いものには目がないのです、そこでこの相対立するテーゼを解決すべく豚に頬被りをさせたのですね」「豚を食わないというテーゼに美味いものは食いたいというアンチテーゼをアウフヘーベンするのか」「そうです。これは豚ではないと思って美味い所だけを食うのが日本流です」「なるほどよくわかりました」

今度はドイツ女が進み出る。マイクを手にして「豚はすべての部分が美味しいのでございますよ。丸ごと残さず食べるのがドイツ流です。耳の部分などはお摘みにもなりますれば、足の部分はコラーゲンが豊富に含まれておりまして男性機能を高めますので、それはそれはよろしいのでございますよ」
日本の男は改めて豚を喰い始める。「足の骨の中は良質のコラーゲンでございますのでお勧めですわ」と70過ぎの長老に勧める。「するとそれがしも貴女のような美女と交わることができるようになりますかな」八代夫人が無視するとシュミット先生が通訳する。「これを毎日5日食べますと可能になること請け合いますわ。日本人男性はもともと強い素質を有しているときき及んでおります」

モニカが矢野に残った豚をねだる。「お前にやるくらいなら犬にやった方がましだ。お前は夫に意見した故離縁だ」周りはまた始まったとあきれ顔。

私が貴男に惚れたのは ちょうど19の春でした
いまさら離縁と言うならば もとの19にしておくれ

とモニカが日本語で歌いだした。モニカの十八番らしい。なかなかいい声だ。矢野も負けじと返歌を。

元の19にするならば 庭の枯れ木を観てごらん
枯れ木に花が咲いたなら 焼いた子豚も踊りだす



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