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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第10回   モニカ仮祝言
モニカ仮祝言

矢野が娘に日本の絵葉書を渡して「これが俺の名前と住所だ。お前はこの下に名前を書け、その右に愛する健、私は貴男の所に飛んでゆきたいと書くのだ」杉本温子は怒って立ち去る。「わかりました。翼をください」「いいとも翼をあげよう。君は俺の腕の中で眠るのだ」周りのドイツ人がにやにや笑っている。「矢野ほってゆくぞ」とケンちゃん。「俺は行かねばならない。今夜はここに泊まると日程を娘に示す。「わかったわ。ではまた後であいましょう」

合唱団員は分散して遅い昼食をとる。日曜日なのでほとんどの店が閉まっているということだ。ハムとサラダは本場の味だ。矢野は白ワインを注文する。「お前初めてにしては手が早いな」「あの娘さんが持っていたソーセージにかぶりついたのよ」「まあハシタナイ」「日本人の恥ね」団員の家族が矢野を血祭りにあげる。「ドイツワインいけますね」「話を逸らさないで、ケンちゃん監督不行き届き」

ホテルに旅装をといたのは5時過ぎ。ケンちゃんたちは国際交流に勤めると出かけて行った。ハンブルグは港町、市営の公娼館でも有名だ。戦前派は日本を出征してから30時間以上の強行軍をものともしない。いざ行け兵、日本男児!日本刀の切れ味は如何に。矢野は崩れるようにベッドに横たわる。どれくらい眠ったか分からないが電話で起こされる。「寝てた。モニカです。これから私の家で食事をしましょう」「着替えるから待ってくれ矢野はこういうことには素早い反応をする。急いでシャワー浴び髭を剃って着替える。フロントにドイツ娘が待っていた。

矢野はモニカに行く先を書かす。「601号室の矢野だ。私はここに出かける。このことを同室の友に伝えてくれとフロントに託ける。モニカが車のドアを開ける。トヨタ車だ。「トイタすばらしい」とモニカが急発進する。戦後間もなく日本の若者がトヨタ車で世界一周したときドイツ人技師がその車を見て「30年後には日本車が世界を席巻するであろう」と言ったそうだ。


婿殿品定め

車の前に大きな館が見える。モニカは直進してゆく。警笛を鳴らすと門が開かれる。車は減速せず庭の左側を走って玄関に停車した。門までの直線距離で100mはあろう。外からドアが開かれる。8時と言うのに日射しが強い。旅ゆけばドイツの国に陽の光。頃は六月夏の頃、夏とは言えど日の長き。「今は今晩か今日は、か」「どちらでもいい」ここは日本ではない。
モニカは車を乗り捨てて中に案内する。メイドたちが矢野に黙礼する。やがて大きな食卓がある部屋にたどり着く。中年の夫婦が矢野を出迎える。「ようこそ日本の友よ」「本日のお招きありがとうございます」「彼が私の父で、彼女は私の母です。そして彼は矢野さんです」モニカの発音は明瞭だ。まずビールで乾杯だ。食卓ターフェルと言っても3×10mはある。「ターフェルムジークはモーツアルトでいいかしら」「ヘールヤノ、アナタハ 誰が好きか」「私はブラームスとメンデルスゾーンを好む。貴殿は日本の歌を好むか」矢野の質問にモニカの父は恥ずかしそうに「私は日本の歌を知らない」と。「たいていの日本人はドイツの歌を10や20は知っている。貴方も一つぐらいは日本の歌を知っていた方がいい」「それはそうだ。教えてくれないか」矢野は荒城の月を歌った。「なんと美しい旋律だ。もう一曲」夕焼け小焼けを聴かせる。「なつかしい気がする。夕焼けとは」「美しい夕日のこと」「日本は経済復興を遂げたそうだが芸術も愛するのか」「日本人は芸術をこよなく愛する。我々がドイツに来たのもドイツの芸術を知るためだ」「日本は工業国と聞いているが」「あれは生活の為にやっているだけだ」モニカたちは驚いたように矢野を見つめる。「日本製品は素晴らしいが」「つくるからには良いのをつくるのが日本のやり方だ」モニカがわからないというので表現を変える。「職人のプライドだ。商品でも粗悪なものは世に出せないのだ。これを職人気質という」と英語で説明すると両親が感嘆した。

ドイツ人は納得するまで訊いてくるが矢野は目の前の肉、ソーセージ、サラダが気になって仕方がない。モニカが目でたしなめる。「ドイツ料理はどうか」「ハム、ソーセージの本場と聞いていたがうわさに違わない」「ワインはどうか」「白ワインが美味い」「ターフェルワインだから」矢野が首をかしげると「矢野さん、ターフェルは食卓という意味と最高級という意味があります」とモニカが説明する。ナポレオンも最高級のブランドに使われるようなものだろう。

矢野が美味そうに食するので躊躇いがちに母親がきく。「日本人にとって幸せとは何でしょうか」「美味い酒を飲み、美味いものを食うこと。それには貴女のような美しい女性を娶り楽しい家族を築くことが必要です」「それは日本人の一般的考えなのか」「そうだ。多くの日本人がそう考える」両親はどうもエコノミックアニマル働き蜂ではないようだという顔だ。「お前は彼女をどうやって妻にした」「お前たちはこれからベルリン、ボンに行くのだな」「お前は私の質問に答えていない」女たちがくすくす笑う。「次回に答えることを約束する」父親はこの日本人は突っ込んでくるとワインを傾ける。それからは女たちが会話の主導権をとる。「タケシあなたはモニカのどこが好きですか」「我は好む彼女の肌と声を」「どうしてですか」「まず、日本では白い肌は七難を隠すという。次に声がいい娘は頭脳もいいことが多い」「なるほど、ほかには」「モニカはローレライの従妹ときいております。母君は彼女の叔母様ですか」「私の妹がモニカの叔母である」「私はモニカの母君にきいている」「彼の妹は私の従妹でもあるのです」「それならモニカの美しさを理解できます」「それはどういう意味だ」「私の質問に答えたならば教えましょう」母と娘は声を立てて笑った。

あとは日本の文化、仕事が中心だ。これって品定めされているのかと矢野は思った。しかし何故。昨日モニカに会ったばかりなのに。「今回の訪独目的は」「合唱祭参加と観光」「費用は、日本政府はいくら補助した」矢野は予期せぬ質問に口を閉ざした。「日本は復興と成長を遂げていると聞くが」「民族の誇りですよ」「さすが日本。我が国は分断されたが日本は分断されなかった。すごい」「台湾樺太グアムサイパンを失い、全国の都市に無差別爆撃を受けました」「広島原爆投下」「長崎もです。沖縄は今も米国に支配されています」「そうなんだ」「駐留米軍は日本の番犬ですが同時に飼い主をも監視しております。外国に占領されるのは日本史上初めてのことでこの屈辱は後世が注目するでしょう」「そうか大変だな」「敗戦国の運命です。日本国民は戦争はもう懲り懲りと思っていますが、まず経済で米国を凌ぎます。その次は日本文化です」「日本の歴史は何年になる」「記録にあるのは約3000年。日本人は数万年間日本に住み続けてきた」「そんな昔から、もっと日本のこと知りたい」とモニカが身を乗り出す。やらせてくれたら教えてやるとは言えない。

ワインとデザートが出される。「日本人は空腹だとソーセージに食らいつくのですか」と母親。「そんなことするのは私ぐらいですよ」「ではなぜ」「麗しの乙女は菩薩にみえた。菩薩なら許してくれようと思ったのです」「武士は食わねど高楊枝」「それはやせ我慢の喩。私は空腹に弱いのです。自制心がないのです」「自分をそんな風に言ってはいけません。さあワインを召し上がれ」「昨日のソーセージとビールは一生忘れない」「あなたのお仕事は」「サラリーマンですよ」「具体的には」「機械メーカーで法務を担当しています。今日本の急務は公害対策です」「水俣病問題」「お恥ずかしい」「あなたの責任じゃないでしょ」「責任の問題ではない。国が経済成長を第一として日本国民を悲惨な目に合わせたことです。そして私が日本人であること」「それは個人の問題ではなく行政の問題でないのかな」「国会議員は国民が選んだのです。行政の手落ちは国民の責任です。彼らをコントロールできなかった、私も一日本人として恥ずかしい」「どうしてそのように考えるのだ」「政治、行政、司法の不始末は政治家を選んだ国民の責任だ」モニカ親子が驚く。 

しばらく話が途切れた。「話題を変えてもいいかしら、私は日本の文化が知りたい」「日本文化は世界一でしょう。日本が世界に誇れるのは文化です」「工業ではないのか」矢野のテンションが上がる。「日本文化を知らない者に語ることは馬に念仏だ」「馬に念仏、あ、自分で調べます」「モニカは偉い。日本で住むことができる。日本の小学生でもバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、シューマン、ブラームスぐらいは知っている。あなた方は日本の作曲家をどれだけ知っている」
親子は首を振る。「日本音階は、レミソラド レシラソミ というのがひとつ。ミファラシレ ミドシラファミにドミファソシ  ドシソファミというのもある」「上行と下降とで音程が異なるのか」「日本の国歌君が代を聞いてみろ。日本人は伝統音階の他に西洋音階も使いこなしている」「すごいわねえ」「本当に」「ほとんどの日本人は片ことながら英語ドイツ語を読み書きできる」
このあと言語、絵画、彫刻、民芸品、家具などに話が及んだが矢野は時間を気にする。「今夜は泊まっていけ」と父親。「有難いが軍律厳しき日本軍なれば遅れると営倉入りだ」「左様か。残念だが次回は必ず泊りがけで来てくれ」「明日朝6時にベルリンに向け出立なればこれにて失礼する。素晴らしい料理と会話に感謝する」父親は日本の母の強さに打たれて名残惜しそうであった。日本は母系社会であったというのが矢野の持論。もっと語りたかったのだが。

モニカがホテルまで送ってくれる。「君が日本語を勉強する理由など聞きたかったのに。無粋な奴だ」「無粋」「人の恋路を邪魔する奴は、おい安全運転で頼む」矢野は車の降り際にモニカの手を握りしめた。柔らかい手が握り返してきた。これは社交辞令だ。
フロントの時計は12時になろうとしていた。シンデレラボーイか。部屋では同室の森尾が「早かったですね」と嫌味を言う。「さあ歯を磨いて寝るか」「あ、シャツに口紅が付いていますよ」鎌をかけるなと矢野は思った。


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