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作品名:合唱物語 作者:佐々木 三郎

第1回    合唱物語 目次 年下の先輩 
 性は本来子孫を残すためのものであろう。しかし性は快楽をもたらす。そこで快楽が生殖から独立したものもある。性をひさぐ売春は世界最古の職業とも。しかし好きな相手でなくては性の本当の快感は得られないのではないか。

他方、性は支配の手段でもある。相手を所有すると言ってもよいかもしれない。それは当人がそう思うだけかも知れないが性は多面的である。好きな女あるいは男と結ばれることで幸せと感じるなら本物であろう。さらに相手に感謝するようになれば悟りの域に達したといえよう、

教育学を志望した矢野健は受験に失敗し、二期校の経済学部に入学する。経済に興味が持てず合唱団に入部する。そこで知り合った天真爛漫な谷和子と恋に落ちるが成就はならず、落ち込む。そこに妖艶な香川京子が現れ矢野健を奪ってしまう。谷和子は巻き返しを図り奇妙な三角関係となる。

大学卒業後矢野は大手企業に就職し、和子と京子は教職に就く。矢野は有名な一般男声合唱団に入団しドイツ旅行に出かける。そこで金髪の乙女モニカと知り合い結ばれる。モニカが大学卒業後日本にやってくる。そこで四角関係が始まる。

数年後、会社組織に順応できない矢野は大企業を惜しげもなく退職し行政書士を開業する。その事務所にかつての部下駒込直美が職員として働くようになる。やがて二人は他人でなくなる。五角関係となる。さらに直美の同級生もこれに加わり六角関係にまでなる。

この関係は矢野健が所有する女たちまたは彼を取り巻く五人の女(妻)たちととらえることができようが、反面矢野を共有(総有)する女たちともとらえることもできよう。また正六角形であるかどうかも評価は分かれよう。この点は読者の評価に委ねる。

昭和50年ころの日本を舞台に矢野は公害問題に取り組む。公害関係法令をクリアーして産業廃棄物処分場開設に尽力する。思い込んだら突進して行く代表的若者であった。この矢野を愛し支える女たちはどのような人生を送るのであろうか。


目次
第一章 学生指揮者
    年下の先輩 恋のさやあて 夢中創作
第二章 一流合奏団
    公害防止 再会 常に総務の眼が 男声合唱団東京メンネル
    智恵子抄巻末の歌六首 客演指揮者 皇太子視察
第三章 世界合唱祭
    訪独演奏 モニカ仮祝言 ベルリンの壁 
私が彼をものにした  尾頭付きの豚とんだ豚騒動 
山のあなたの空遠く
第四章 合唱団員同窓会
    脱藩者 転職再就職 不動産会社面接説 
行政書士デビュー 駒込直美 自然との調和
 産業廃棄物処理説明会 駒込直美写真集
香川かな 谷あや 駒込健一 モニカ矢野
    中田喜直 時の流れに


第一章 学生指揮者 


 年下の先輩

 四国の地方国立大学のキャンパスから合唱が流れていた。昭和39年の春のことであった。一見して新入学生とわかる男女10人あまりが仲良く合唱を楽しんでいる。辛く長い受験時代が終わり希望に満ちた大学生活を始めたのだ。女は谷和子、広瀬涼子2浪、遠野智恵、青江美奈1浪、男は高橋勝成1浪、河西昭1浪、安本正二2浪、黒川紀章2浪、火野輝明、矢野健であった。
彼らの歌う「極め行く真理と理想」とは何か。これがこの物語のテーマである。多くの学生が卒業後平凡な社会人として変身して行く中で矢野健は生涯をかけて真理と理想を極め行くのである。人生山あり谷あり、嵐も吹けば雨風日照り在り。踏み越えて行くのが男の子。

 当時の国立大学の合格率は5.5倍と言われた。東京芸大、教育大の35倍は別格としても100人の受験生のうち合格できるのは19人足らず、81人は不合格となる勘定だ。多くの若者が大学を諦めて別の道を進んだ。したがって大学生はエリートと評価されたのである。二浪三浪の受験生は合格の保障はなく、久米正雄の「受験生の手記」の心境であったに違いない。
浪人生活のつらさは「体験しないとわからない」と青江美奈が矢野に語ったことがある。広瀬涼子は無口であったが「君看双眼色 不語似無憂」君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり であったのだろう。反面現役組は浪人の苦労苦節を知らないから世の中すべて自分を中心に動いていると思うのだ。
日本社会は先輩後輩という身分制度がある。その集団への帰属の後先で身分が決まるのだ。欧米ではボス上司か同僚だけであると聞く。結果、無能な上司に服従を迫られる。端的な例がミッドウエー作戦インパール作戦に見られる軍隊であるが大学も似たようなもので上級生には敬意を払うことが強要されるのである。年下の上級生を○○さんと呼ばなければならぬ気持ちは現役組にはわからない。

 二十歳前後の若者が味わう試練だ。日本で学歴という尺度が過大視、重視される理由でもある。もちろん人間の評価は学歴だけで量ることはできないのだが、日本では学歴がものを言うのは事実である。明治時代では「学士様なら娘をやろう」と言われたが学生数が数百倍になった昭和では「学卒なら婿にとろう」位になった。それでも学卒は学卒であったのだ。

この頃の日本は戦後20年足らずで奇跡的復興を遂げ、東京オリンピックと新幹線開通に沸いていた。逆に戦前の昭和初期と比べるとあまりにも大きな変化である。世界でもわずか40年でこれだけ変化した国はあるまい。
日本史では、大化の改新、鎌倉幕府、明治維新とならべて戦後の改革を四大改革と呼ぶが戦後の改革が最大であり後世の日本人は昭和の時代に注目するであろう。その理由は日本が初めて異民族に6年間支配されたということだ。日本の有史を3000年と観ても長きにわたり異国異民族の支配を受けなかった国はない。世界では現存する民族国よりも滅亡していった国、民族の方がはるかに多い。日本は奇跡的に独立を保ってきたのだ。

 東京では60年安保で学生運動の嵐が吹きまくっていたが地方ではそれほどでもなかった。合唱団の矢野健は安保条約反対する学生運動が理解できなかった。共感もできなかった。国会前での樺美智子さんの死は世界に衝撃を与えたが学生運動に参加すべき理由にならないと思った。安保条約が日本に益か害かの本質的議論がない。ただ反対では子供だ。自分の考えがない、付和雷同の愚民愚衆。
 学生運動にも派閥があって民青と社青が二大勢力であった。前者は共産党の下請で「米帝国主義が日本を支配」、後者は社会党の下請で「独占資本が日本を支配」していると叫んでいるがやくざの抗争と変わらないというのが矢野の評価であった。そもそも彼らは安保条約を読んでいるのか、歴史的背景を理解しているのか疑わしい。運動参加を強制するな、そもそも信条の自由を侵すな、と冷ややかに見ていたのである。

 矢野のこうした態度は双方から怖れと反発を抱かれたが矢野は無視した。日本社会は「新人は先輩に従うべしとの慣習があるが合理的根拠はない。先輩が利口であることが前提だ。馬鹿な先輩は無視せよ。単に同窓ということに何の意味がある」と公言してハバカラなかった。事実上級生も迂闊に論争すると言い負かされそうであった。

 大学の自治、学生寮の自治を標榜する先輩たちに自治能力はあるのかと矢野は思っていた。寮内で3年の上級生が1年生を殴った。緊急総会が開かれた。矢野の発言が注目された。

「最高学府を謳う大学の寮内で暴力が振るわれてよいのか寮長の見解を求める」
「暴力も是認される場合がある」一人の3年生が座ったまま発言した。矢野を威嚇して封じ込めるつもりであろう。
「寮長の見解を求めているですが、せっかくですからその場合とは」
「一高には鉄拳制裁があった」
「制裁は暴力ではない。理由があっての処分でしょう」
「この件は制裁である」
「私が読んだ久米正雄の受験生の手記では制裁理由は飲酒でも窓を蹴破ったこともない、その原因である一高生たるものが女に振られたことであるされていますが、本件はどうですか」
その三年生は顔を赤くして黙ってしまった。矢野は上級生とてその程度かという態度だ。

「彼を殴ったのは私です」
本人が立ち上がって言った。
「待ってください。今は制裁の理由を訊いています」
「彼は謝っているではないか」
「話を逸らさないでいただきたい。本件は暴力か制裁かを問うているのです。あなたは卑怯だ」
「生意気だ」
「新入生を説得もできない。制裁理由も根拠も示さない、暴力と認定します。無能な者ほど自分は先輩だと脅すしか術がない」
「リンチだ」
「今の発言はこの寮が旧日本軍、やくざと大差ないことを物語っています。2年前に入寮したことが威張る唯一の根拠ですか。こういうのにはなりたくない」
矢野は発言者を睨み付けた。会場が静まった。新入生が先輩は敬うべしとの大原則を真っ向から否定しているのだ。

「寮長として発言します。矢野君の発言は正しい。何故なら制裁理由および根拠が示されていないからです。よって本件は暴力と認ます」

会場は騒然となった。矢野は動じる風もなく発言をつづけた。
「暴力ならば行為者の謝罪を求めます。言葉だけでなく酒一升で被害者の苦痛を償うべきと考えます」
「前例がない、屈辱だ」
「男らしく償わないのなら1年生全員が退寮して大学に改善を求めます。現在の寮には自治能力はなく威嚇、暴力で解決を図っていると」
「待ってください。私は口頭で注意すべきでした。私はM君にこの場で謝ります。酒は明日届けます」

1年生から拍手が起こった。会場は緊張したが平和的解決ができたという空気もあった。寮長が閉会を宣言した。これ以上議論を続けると再び暴力沙汰になると判断したのだ。この寮長はパリパリの民青であったが矢野の発言に衝撃を受けた。彼は自分の言葉でしゃべっている、我々上級生は先輩と威張っているが自分の考えはあるのか。自分も二年前はああでなかったか。
 彼も寮の伝統(その多くが悪しき慣習)にまかれた。日本は小さな社会の風習は法律にも優先することがある。伝統、習わしというだけで合理的根拠のないものが多い。民青の誘いにのって学生運動にのめり込んでいった。自分というものがなかったのだ。その場その時の状況に自分を変化させてきたのだ。空しい。彼は矢野を学生運動に引き入れることを断念した。社青が矢野を引き込む恐れはあったが、矢野が周囲に妥協することなく学生生活を送って欲しいと願った。

 四年生が手を上げた。「一言いわせてもらっていいかな。本日の総会が結論を出したから意義があったと思う。20年前に学問の自由を奪われ戦場に駆り出された学徒はどんな思いであったろうか。我々は学問の自由が如何に尊いか考えるべきではないだろうか。僕は経済学を勉強したかったから親の勧める(旧帝大の)法学部より(元高商の経済学部を選んだ。経済も勉強してみる値打ちはある(彼は法学部にも合格していた。経済を見くびる生意気な矢野への戒めだったかも知れない)。第一次大戦後ドイツに支払能力の数百倍の賠償を求めたウィーン会議に怒ったケインズは英国通産省を去り米国に渡る。英国が彼の提案を受け入れていたならば第二次世界大戦は起こらなかったかもしれない」
矢野は傾聴した。その顔には四年生への尊敬があった。
一年後純粋で感情の起伏が激しい矢野は上級生に可愛がられた。その四年生に触発されマルクスの資本論を読破してさらにケインズの一般理論を読む気になった。矢野は読後両書をそれなりに評価したが信奉するほどではないと思った。これらよりベニスの商人の判決を鋭く厳しく批判したイエ―リングのための権利の闘争に感銘を受け民法を勉強する気になるのであった。権利rightが何故正しいrightか、それは闘いとるからだという主張には抵抗があったが一面真理だと思った。日本人が考えるような絶対的正義ではないようだ。

数年後日本赤軍派の浅間山荘人質事件はテレビで全国に中継されたがこの事件以降学生運動は急激に衰退してゆく。彼らの常軌を逸した行動は国民の理解を得るどころか反発を買った。総括と称して同志の学生17人を粛清したことは学生運動に加わった者にも虚しさを与えた。同志の実態が支配被支配であったのだ。己のない者は思想宗教に走る。大使館人質事件、空港乱射事件などは狂気の沙汰であった。

現役組は第一志望校に失敗していわゆる都落ちしている者が多く、入学した現状に満足していないものが少なくなかった。かと言って浪人してまで第一志望校を再度目指すほどの度胸も情熱もないことは自分が一番知っていた。この手の若者は少しばかりエリート意識を持っているから傍目には我儘な坊ちゃんに映る。観る者によって愛すべきとなるか憎たらしいとなるかは大きな差がある。






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