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作品名:続 椰子の風に吹かれて 作者:佐々木 三郎

第12回   12 山田中尉の涙
山田中尉の涙


 老人が訪ねてきた。中島と申しますが、山田中尉のお身内の方が見えられたと聞き及び参りました。皮膚の皴、色からは日本人に見えない。和雄を見て、中尉殿、に、よく似ておられる。自分は中尉殿のおかげで生き延びることができました。中尉殿のその後をお伝えせねば死ねないとお訪ねしました。山田明憲の弟です、兄がお世話になりました。あのようなお方が何故に殺されなければなかったのか、中尉のご無念は如何ばかりでありしか、と咽んだ。
 話は昭和25年の一月に遡る。クリスマスと新年の気分がつづく中での囲碁、中尉の手が止まった。既に終盤、黒の優勢は動かないと思われた。白の鬼軍曹が下辺の8子を見捨てて右辺の3子の生きに回ったのだ。それで死なないか。殺せるうちに殺しておいた方がよかったですな。そうだな。中央からの黒地90強、白地80、右辺か下辺の白石を殺せば白圧勝と見えた。結局、寄せで白に打ちすぎがあり、黒の3目勝ち。
 (白が黙ってついでおけば黒が)負けていたな、と寄せを指差す。うなずく軍曹。どっちか取れば黒勝ちではなかったですか。はっきり負け、両方取れれば勝ちだが。中尉殿わかるように説明してください。下辺の白を追い過ぎた。ここで右辺の3子を取りきると50目、下辺白が生きれば30目、黒勝ちだ。下辺を取りきると30ですか。そうだな。それで右辺の白が生きるか、逃げ帰ってくれれば有難いが、中央に居直ってくると殺せる保証はない。営々と築いてきた黒地が崩壊するやも知れぬ。中尉殿の棋風から部下を見殺しにはできない、泣く泣く守りの手を打たれた。白も3子を生きておいて、下辺は如何なさいますかとお伺いすべきでありましたな。返答に窮する。


  囲碁の話には実話が込められていたのだ。山田部隊は村人の尊敬と庇護を受けていたがロエルという男だけは
日本兵に取り入りながら物を奪ってゆく。貸して欲しいと持ってゆくのだが返そうとはしないのだ。村人にも眉を顰める者も多かった。彼が借りた物を外で売り捌いていることは間違いなかった。村役が彼を問いただす。借りたものは返せ。今友達に貸している。お前、他人の物をまた貸ししているのか。その友達のところへ案内しろ、そこにあるか確かめる。これは俺と日本兵のとの貸借であんたらにとやかく言われる筋合いではないと居直る。村は流れ者のロエルたちを追い詰めると日本兵狩がやってくる、村も匿ったとして責められようということになった。これは中尉の意向であった。
 後日、山田中尉逮捕直後ロエルたちは村人に縛り上げられた。鬼軍曹殿をよべ。どのように処刑したらよろしい。中尉殿なら先ず外に共犯がいないか自白させるであろう、処刑はゆっくりと効果的な方法を考えられたであろう、と
男泣きする。軍曹殿、早くこうすべきでしたな。自分も意見具申した、中尉殿のお考えに逆らってもやるべきだった。
鬼の目に涙、軍律厳しい日本軍。軍曹殿ご自分を責めるな、我々も同罪、一杯いきましょう。犯人逮捕ご苦労で
ござった。では、乾杯。被逮捕者3名の前で宴会が始まる。すべてを白状した犯人の処刑は軍曹をふるえさせた。
 檻をつくると一人を入れる。闘鶏を犯人の髪の毛に触れさせる。五羽の闘鶏が襲い掛かる。肉が食い千切られて
行く。断末魔の声が途絶えても刑執行はつづいた。一週間後に二人目が犬にかみ殺される。日本人には残酷でも
彼らには闘鶏、闘犬を楽しむようであった。三人目は死の恐怖に発狂して息絶える。


 中尉殿意見具申をしてもよろしいか。奴を処分した方がよろしいのでは、村人の中にも協力を申し出る者もおります。やればが気が済むか。我々の一存で中尉殿はご存じないということで。日本は敗れた、日本政府は我々を見捨てた。我々は日本に帰る日を待つか、この地に骨を埋めるか、しかない。今年中に講和条約が結ばれ日本は独立する。中尉殿日本は占領されているのでありますか。そうだ、連合軍総司令長官はあのマッカーサーだ。どうしてそれを。これだ。中尉はポケットから鉱石ラヂオを取り出す。これでも米軍、フィリピンの電波は掴むことができる。聴いて見るか。
 条約が締結されれば帰国も近いのではありませんか。日本は賠償金を値切って支払いを延ばしている。独伊は
賠償金を払ったから既に講和して独立している。日本は何故払わないのでありますか。払えないのだ、主要都市は
ことごとく破壊され、国民は米国からの食料援助で食いつないでいる。敵国の施しで生きているのでありますか。
 昭和20年には餓死者が20万人出たそうだ。吉田茂首相が食料を引っ張り出した。彼はイギリス大使もやった世界通だ。間もなく北朝鮮が韓国に侵攻する。朝鮮は分割されたのですか。貴様そんなことも知らないのか、中尉殿先を。まあそういうな、こんな山の中だ、このラヂオがなければ俺も似たようなものだ。朝鮮は南北に、ドイツは東西に分割された。米ソ対立の縮図になっている。間もなく半年以内には、日本も米国に協力するから戦争需要で景気がよくなると吉田首相は読んでいる様だ。フィリピンを初めアジア各国に個別に賠償交渉を始めた。交渉次第で俺たちの運命は決まる。


 ではロエルの奴は。泳がせておけ、村長に任せろ、我々が動くと村にも累が及ぶ。マカピリですか。ああ、日本は彼らを利用するだけ利用して見捨てた。しかし、辛抱するのは身体に悪いな、首を刎ねたら少しは調子が良くなるだろうと思うよ。Makabayan Plinos は売国奴と扱われているようですなあ。マカピリと日本兵狩りは未だ続いている。奴と仲間をまとめて始末しないと藪蛇になるでありますか。呑むか。呑まずにおられません、しかし中尉殿はよく憎たらしい奴と親しくできますな、勿論戦略上のことであることはわかっておりますが自分なぞはすぐ顔に。出したら勝負には勝てない。で、ありますな。
 どうもフィリピンの損害が一番大きいらしいが、賠償金が政府高官の懐に入ると日本は見ているようだ。戦争犯罪を裁くなぞ、世界に類がない。賠償金の督促ですか。そんなところだ。マッカーサーは今や占領軍の元帥だ。連合軍は東条首相以下数名を死刑にした。コレヒドールから豪州へ逃げ延びたあのマッカーサーがね、負け戦とは惨めなものですなあ。フィリピンも日本兵捕虜の処刑を続けるだろう。早く払えと、そうだ日本はない袖は振れない、しかし朝鮮で戦争が起これば日本は儲かる。復興するだろう。
 日本政府は我々を赤紙一枚一銭五厘で買ったのでありますか。中尉殿はタダだ、長男なのに志願された。俺たちは学がないから一銭五厘でも中尉殿は壱千円はするでしょう。まあ故国のために妻子のためにと思わないと自分をいいきかすしかないだろう。まったくですな。いいか、我々は大本営に見捨てられた兵だ。玉砕は食料弾薬節減のためだ。そうか、それで万歳突撃か。中尉殿は噛み締めるように言われた。これは命令だ、必ず生き延びろ、どんな屈辱にも耐えて生き抜け、政府の戦争は終わったが我々の戦争は終わっていない。生き抜くことが勝利と心得よ。

 長い沈黙の後、鬼軍曹が口を開く。中尉殿我々山田部隊は全員生きて故国の地を踏みますことを誓います。日本の復興に貴様らの力が必要とされるのだ。いや、復興は第一歩、次は経済戦争となろう。どういうことでありますか中尉殿。全員山田中尉の言葉を待つ。米国の国策だ。自分たちにも解るようにお話下さい。日本を工業国にするようだ。軍隊は持てないように憲法を改正した。天皇は日本国の象徴となった。象徴、君臨すれども統治せず、でありますか。そうだ。
 全員考え込む。工業国になると経済戦争になる、どうしてだ。自分に解るようにか、中尉殿に尋ねろ。50年以内に日本技術が世界を席捲するようになるだろう、すると欧米と摩擦が起こるのは想像できる。日本製品が世界にあふれるので。技術、技能、文化もだ。しかし米国の方が産業力があるのでは。軍事費がかさむので軽工業を日本にやらせる腹だ。だが日本が軽工業に留まるはずがない。なるほど日本の軍艦、戦闘機が軽工業に甘んじる訳はありませんな。日本が欧米相手に経済戦争か、これを見ずして死ねませんな、軍曹殿。そうだな、今度は技術で圧倒してやるか。オウ!

 村長が鶏の丸焼きを持ってきた。日本人は話が好きですねえ、何の話ですかな。日本の将来ですがな。将来?50年後、と絶句する。50年先を想い致すなぞ考えられないのだ。しかも日本技術技能が世界を席捲しているなど想像すらできないのだ。だから日本は発展したのだ、山田中尉の義父が感嘆する。そうですね、と村長。
 ところで中尉殿、この戦争はどうして起こったのでありますか。欧米が日本を経済封鎖したからだ、分かりきっていることを。自分は何故日本を封鎖したかを知りたいのであります。それはいい質問だ、山田中尉が笑う。教えて下さい、中尉殿。簡単なことだ、アメリカ合州国が戦争したくなったからだ。え?どういうことですでありますか、中尉殿。開戦前のアメリカを見れば分かる、繁栄を極めたアメリカの反戦与論を抑えるには日本が戦争に踏み切るように持ってゆけばよい。そのために経済封鎖を。そうだ、ただ、いきなりでは芸がないので日中戦争を起こしておいてから経済封鎖に踏み切ったという筋書きだ。

 日中戦争は関東軍の独断先行ではなかったのですか。売国奴がいたのだ。日本と日本国民をアメリカに売った奴らが、山田中尉の顔がゆがむ。青白い炎が立っていた。アメリカは蒋介石をソ連は毛沢東を傀儡政権に就けたかったのだ。よろしいですか、関東軍は道具に使われたのでありますか。そうなのだ、しかも双方からな。ほうっとため息が漏れる。
 アメリカの思惑はなんでありましたか、中尉殿。貴様はどう思うか。自分にはわからないであります。全員首を振る。第1次大戦に出遅れたアメリカは参戦したいのだが、輿論がこれを許さない。共和党のルーズベルトは反戦を公約にしているのだ。英国からは援助を求めれている。こういう場合貴様らが彼であったらどうするか。なるほど、輿論を参戦に向ければいいのでありますな、真珠湾を攻撃させる、中国を侵略させる、そうか、盧溝橋事件、新婚教員殺害事件、僧侶襲撃事件、これらは日本参戦の布石か、次に経済封鎖をやるために。最終目的はアメリカ参戦。貴様感がいいな。いや、軍曹殿のお話で。中尉殿、アメリカの参戦目的はなんでありましたか。軍曹、貴様分かっていて聞くな。軍曹殿、アメリカ参戦目的は?軍事予算獲得とソ連への牽制いや戦後の世界主導権、でありますか中尉殿。フフ、軍曹は分かっているのだ。
 軍曹は語る、真珠湾攻撃は成功したが、沈んだのは廃船ばかり、軍事費獲得のお手伝い。するとあの作戦は?軍曹が詰まる。作戦自体は素晴らしかったが事前にアメリカは察知していたのが残念だ、中尉が助け舟を出す。予算をえて米軍は装備を整える、戦艦大和、ゼロ戦を超える装備だ、軍曹が勢いづく。やはりアメリカは金持ちだ、軍曹、幾らぐらい金かけているのでありますか。それはだな、、、日本の国家予算の20から30年分と山田中尉。やはり中尉殿には勝てませんな、どうしてよくご存知なのでありますか。情報さ、このラヂオだけでも結構手に入る。敵さんは情報に1年分の金を使っている、日本の機密は筒抜けだ。売国奴の情報をしっかり確認しているのだ。売国奴はどこに、誰でありますか。関東軍と大本営、政府高官、は間違いないが誰かと言われると情報不足だ。
 戦争は情報を制するものが勝つのでありますか。戦争に限らず外交、商売、がだ。またも沈黙が。ここフィリピンでもあちこちにマイクが設置されていて日本軍の動き会話は敵さんが楽しんでいたようだ。隊長殿、戦争で得をするのは誰でありますか。まず、軍需産業だ、しかし一番は戦争を起こした連中、実質的にアメリカ合州国を支配している黒幕だ。アメリカの政治家は選挙で選ばれるのでは。表向きはな、大統領は黒幕の息がかかっている。膨大な軍事費は黒幕がアメリカ合州国政府に貸し付ける、国債を担保にな。ということは税金で払うのでありますか。だな。アメリカ軍、国民は黒幕の道具なのでありますか。そうだ。真珠湾で死んで行った兵士は生贄にされたのだ、我々も似たようなものか。最後に言っておく今日の話は他言無用だ。貴様らは日本復興、再建という仕事がある。黒幕について語った者は消されている。

 山田中尉殿は取引されたのでしょう。我々の命とご自分のお命とを。中島老人が涙を落とす。和雄が兄貴、とつぶやく。山田一族と部隊は中尉に救われたのであろうか。自分で取引の履行を確認できない取引で。鴎外の最後のひとことか、と坂本は思った。村長からの嘆願書も空しく中尉は刑場の露と消えた。日本兵狩り、賠償金督促などこれほどの男なら容易に察しているであろう。生かしておいては何かと都合が悪い。ということらしい。とくに戦争に対する分析は米軍の上層部に恐怖を抱かせたようでありました。
 収容所でも鉱石ラヂオを聴きながら静かに独房で過ごされたようです。最後の最後まで平静に殉教者のように、、、。そこで中島氏の話は終わるが、山田中尉はついに涙を見せなかったそうである。


 親父、伯父さんの墓たてるか。それは常男が決めることじゃ。そうだな。叔父さん、せっかくお骨折いただいたが日本に行くのは止める、何故だかわからないがそのほうがいいような気がする。そうか、和雄は静かに答えた。その夜、常男がお父さんと叫んだ。夜中であったが、はっきり聞こえた。常男、花南、お父さんの代わりに日本を観て来るのだ、声は清美から発せられたが、山田中尉の言葉であった。


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