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作品名:フィリピンに生きる  新フィリピン事情 作者:佐々木 三郎

最終回   No service for others 稲藁の炎 民族の歴史 (いいわけ)
           No service for others 稲藁の炎 

 世のため人のため、ということはフィリピンではあまり聞かない。むしろ自分はこれだけの犠牲を払ったのに報酬が無かった、と愚痴るのだ。その格好の場所が教会であろう。キリスト教徒が教会に行くのは信仰心よりも愚痴を吐き出すためであろう。欧米のキリスト教徒は罪の意識に苛まれ耐えられなくなると神父に告白して一時の安堵をうるようだ。
 キリスト教とは精神的麻薬であるというのが俺の定義だ。宗教裁判にかけられると火あぶりの刑に処せられるだろうからこれ以上言及しないが告白で愚痴や罪の意識が根本的になくなる訳は無い。稲藁の炎の濱口梧陵とか佐倉惣五郎とかに当たる人物はホセリサールぐらいであろう。
 ここでは公よりも私が優先する。滅私奉公など日本ぐらいでないか。なぜか、そもそも公の概念がないからだ。10%の富裕層がこの国の富の90%を保有するといわれるこの国では公は10%満たない勘定だ。スペインの300年に亘る植民地政策がいかに凄まじいものであったか思い知らされる。スペインの植民地だった国は悲惨であり今もなお貧しい。ここはその後米国がスペインから取り上げたのでましなほうかもしれない。しかし、公の概念が無いところに世のため人のためになぞ説いたところで馬の耳に念仏であろう。

* 日本の男と結婚して子供を生んだフィリピーナ、今は日本のアパート暮らし。その鍵をバスに忘れたといってきた。乗降のバス停からバス会社に問い合わせる。この寒空で中に入れなくてはお困りでしょうと方々探して見つけてくれた。鍵の特徴とアヒルのホルダーから1時間後にターミナルで保管しているとの連絡があった。その旨を彼女に伝えたがなんの音沙汰もなし。日本人には遣り切れない。

 10%の富裕層の9割以上がスペイン系中国系財閥だろう。フィリピン人の大企業は聞いたことが無い。換言すれば、逆に残10%の富を90%の貧困層が保有する、というか分け合うのだ。貧困層の生活は容易に想像できよう。今格差が憲法違反にならないのが不思議である。
 かてて加えて富裕層は儲けた金を社会に還元するなぞ思いもしない、なお一層富の蓄積に奮闘する。『そんなに儲けて何に使う』と言いたい。富裕層に人格者を見ない。人間でなく餓鬼である。この国の改革は富裕層を永平寺あたりの禅寺に掘り込んで解脱させる以外に手はないと思う。この国家には品格がない。
 MacArthurは当地ではマッカーサーではなく、マッカトールと呼ばれているが、マニラに広大な農園を保有していたらしい。それを日本軍に奪われて祖父に厳しく叱責されたそうな。で、I shall returnとは日本軍に奪われた農園を奪い返しに帰らなくてはならない、ということだ。私有地を取り返すことは軍事より優先する。その恨みはモンテンルパで日本軍を軍事裁判で山下将軍本間参謀長らを処刑するだけでは気が済むかと東京裁判で戦犯を処刑する。もし、彼が農園とかを保有せず純粋な軍人であったならばそこまでやっただろうか。
 もっとも彼の私情よりも本国の政策実行であったと見るべきである。植民地時代からの悪行の数々を日本軍の残虐行為を宣伝しまくり世間の目から隠そうとする欧米(黒幕)の政策は汚い。悪行を告白懺悔して償うことがけじめというものだろう。やくざ以下。

  *黒幕とは戦争、金融で世界制覇を目論み実行している連中である。別の機会に検討してみたい。

 富裕層の職業は軍人、教師、医者、神父などが多い。日本人には奇異に映る。金儲けには縁の無い職業と思うだろう。ところがその地位を利用してサイドビジネスに勤しむ。いや、こちらがメインだ。金貸し、両替などでも貧乏人から土地を取り上げる。利息は月3%が相場とか、貧困層でも5借りて6返すらしい。年利でなく月である。
 何千坪の屋敷に住み何万坪の別荘リゾートを保有する富裕層に比べ、貧困層の平均的家庭は四畳半に10人以上が住む。スラム街では戦後日本のバラック以下に住む。そんな国に金を持った日本人がやってくれば絶好のカモだ。しかもお人好しときている。富裕層ほどカモリ方がエゲツナイ。貧困層もそれなりに日本人を料理する。何故日本人を馬鹿にする?カモが葱背負ってきているのに見逃す馬鹿がどこにいる。日本がどれだけフィリピンに援助している?それは政府の役人の懐に行く、俺たちには関係ない。
 フィリピンが独立できたのは日本の御かげでないのか。日本はいっぱい損害をかけた。こんな具合で話にならない。自己弁護に訳のわからぬ理由を並べる。話にならない。会話、対話のできない民族だ。気の短い旧日本軍がフィリピン人を虐殺した理由は彼らに誠実さがなかったこと思われる。

 貧困層のまともな隣人友人間では困ったときはお互い様ということは日常的に見られる。トライシクルの運転手が殺された翌日近所で義捐金を集めていた。多くの目撃者がいるにも拘らず犯人は逮捕されていない。警察は賄賂稼ぎが忙しくて捜査に手が回らぬとか。告訴するにも警察に金を握らす必要があるそうだ。腐敗しきっている。俺は交通取締警官がくるとじっと眼をみる。警官はすぐに眼をそらす。恥ずかしいとの認識は残っているようだ。
 車のバッテリーが上がると近くの人間が寄ってきて車を押す。スピードがでるとギアー入れる。海や山で採ってきた魚貝あるいは野菜果物を料理して近所にお裾分けする。集まってきて飲み食いする者入れ物にとって帰る者などすぐ10人以上になる。振舞うことは楽しみという感じだ。
 ここがよく解らない。俺がひよこを欲しいと知って生後1月のつがいを持って来てくれた。名前をきいても覚えられないのでクーヤピヨピヨと呼んでいる。今では酔っ払いとピヨピヨは流行語だ。勿論金など求めない。正月に近所の子供20人ににお年玉50ペソを遣るとその母親が手を出してくる。お年玉は16歳以下というと私15という。息子が16歳なのに半分マジである。子供によくすると親が喜ぶのはいずこも同じ。
 そんなことで野菜果物などの差し入れが増えてきた。秘書がこれは新鮮だと料理して近所にお裾分け。すると酒盛りが始まる。ビールと酒を差し入れるから高くつくが新鮮さがその気持ちがうれしい。

     民族の歴史 (いいわけ)

 本章は民族の歴史と大打ったが、文字も歴史的建造物、工作物もなくここの歴史はわからないというのが本音。 皮相的観測ではあるが思想リーダーの不在が原因であろう。思想とはこうすればこうなると考えることである。ところがこの民族は考えるのが苦手。過去も未来もない、今この瞬間を生きるのである。
 実りの秋は厳しい冬の到来を感じさせるところではない。明日を思うことはない。食って歌って飲んで踊ってHappy ! これは幸せよりも楽しいに近い。人生楽しければいうことなし、間もなくもっと楽しい愛の営みが始まる。ほかに何が必要なのだ。
マゼラン以前はかくありなん。植民地にされるまでは平和に仲良く暮らしていたのではないだろうか。西班牙化されアメリカナイズされ華僑にしぼられ、この民族はどのような歴史を辿るのであろうか。男は完全に骨抜きにされ何の野望も持たぬ。優秀な頭脳は海外に流出。テレビインターネットを通じて世界の思想がここに流れてフィリピン人の意識を変えるには数十年単位の長い時間が必要であろう。
ましてや、悲しいことに
    フィリピン人のフィリピン人によるのフィリピン人のための政府は
まだまだ先のことであろう。

                  −完ー


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