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作品名:フィリピンに生きる  新フィリピン事情 作者:佐々木 三郎

第17回   17
                お粗末な道具を使いこなす


 日本の職人は道具にこだわる。日々の手入れを怠らない。これが世界に冠たる品質を生み出してきた。日本製品といえば車、デジカメ、液晶テレビなどが思い浮かぶがその技術技能は日本刀に象徴されるのではないだろうか。切れ味、強度、美しさ一振り数百万とも。秘書がこれをサムライという。その理由をたずねると祖父が日本人からもらったという。そうだとすれば日本人の最大級の感謝の印だと説明したが精神的な話には興味を示さない。ただ良く切れるという。
 ここフィリピンの刀はぶった切るもので刃など気にしない。それもそのはず、バナナ、ココナツなど成長が早い分さくいからそれでいいのだ。風雪に耐えた堅い木は無い。日本刀のニーズはない。オーバースペック、ぜいたく品は要らないのだ。わかった、その刀はさっき草を刈ったものだろう。それでココナツも切るのか。大丈夫です、豚も鶏も切れますよ。ああそうですかというしかない。試しに使ってみた。切る感じがしない、手が痛くなってすぐ止めた。秘書は男のくせに力が無いのねという顔。
 包丁も然り。魚も野菜も果物も同じ包丁を使う。食う身になってみろ、食えるか。何の問題もありません。話しても無駄だ。新しい包丁と砥石を買う。それに栓抜きだ。どうしてそんなものを買うのですかと秘書。うるさい。帰るとすぐ台所へ。まずナイフフォーク箸と包丁栓抜きとの区分け。使ったら元に返すこと。包丁は魚肉用と野菜果物用と区別して使うこと。わかったか。わかりました。復唱。私を信用できないのですか。復唱しろといった、言ったことができなければ首だ。ブーっとふくれる。
 包丁を砥いだ後外に出て刀を砥ぐ。隣のオジサンがやってきて砥石はいくらするのかときく。これはいつでも貸してやるというと刀を持って来て砥ぎ始める。やはり男だ。奥さんもじっと見ている。秘書と話している。俺がオジサンの砥ぎ方をチェック。大きい葉っぱを切ってみる。奥さんが驚く。包丁を砥ぎ始める。葉っぱの試し切りが上手く行かない。俺が切って見せる。押してはだめ、当てて引く。感嘆する。切れ味の概念を持たない者に言葉は無力、やって見せること。秘書も包丁が使いやすくなったという。
体験させねば解らない。アホかと思っても口にはしない。逆にあんな包丁を良く使いこなすなと感心する。品質にこだわるか用が足せればよしとするか文化の相違。
 ビールといえば栓抜きも持って来い、バーカ、どうやって開けるのだ。秘書に怒鳴りつけるとビンに噛み付いてポンと開ける。声もでない。するめを焼いてマヨネーズをかける。教育効果だ。時間がかかる。ビールを飲んで落ち着くと秘書に話しかける。フィリピン人が歯抜けが多いのは歯で栓を抜くからか。わかりません。お前歯は磨いているのか、食後に。気持ち悪いし、あぶないだろう。俺が文句を言っていることは察しているようだ。
 そこへ隣の夫婦がガビ:サトイモのココナツ煮を持ってきてくれた。秘書がビールの小瓶を2本テーブルに置く。栓抜きを取りに行く秘書にOKと栓と栓を合わせてポンとあける。日本人には器用な者しかできない。奥さんが日本人は下品な開け方は好まないと窘められる。次のビンはどう開けるのか?別のビンで開ければいい。なるほどね、感心する俺を見て秘書と奥さんが大笑い。オジサンはキョトン、masalap 美味いno problem happyと食い始める。We are friends.うぃ あーる ぷれんづ と発音する。飲んで食って幸せならば他の事は問題ないという哲学だ。
 ヴィサヤ語でsikadシカットと呼ばれる自転車。自転車の横にリアーカーをくっ付けたもの。タガログ語ではパジャック。サイドカーの自転車版。エコカーのお手本。ブレーキ、ランプ、荷台、泥除けなし、と判断したが事実認定の誤りと反論された。順に検討する。
 @ブレーキ リムもバンドもない。どれ?ここ。よく看ると車輪に古タイヤがかぶせてある。これは泥除けとブレーキ。うそ。本当。後部のこの古タイヤを足で押すと制動がよく効く。おそれいりました。ペダルから古タイヤまで80cmはあろうか。長い下りがなければいいが。運動能力と忍耐力を要す。
 Aランプはなくても見えるから問題ない。車からシカットが見ずらい。運転手の目が悪いのだ。夜間に無灯。車泣かせ。歩行者泣かせ。
 B荷台は板切れコンパネは上等、で十分。ハンドルとサドルに押し込むと子供なら二人は、後部は大人二人は乗れるとか。定員3人に5人乗りは当たり前、あなおそろしや。
通勤通学買い物に重宝されている。1km以内は5ペソ。狭い痛い怖い、贅沢言わないの5ペ円なんだから。市場には買い物客待ち
50m、50台以上。行きは歩き、帰りはシカット、これ庶民の常識。通学に家族の付き添い当たり前、いけないときはシカットに乗せる。安心。誘拐、レイプなど親の不安が影を落とすのか。 

 生活品はほぼ完備されている日本、しかしそれは幸せか。突然電気が消える。終戦後の日本だ。停電はショッチュウ。台風がくると2週間止まったそうだ。どうやって生活する。秘書が懐中電灯を点ける。日本人の眼は暗闇で見えない。秘書が怖いという。奥さんは食用油をコップに入れ紙を詰め込んで火をつける。キャンドルだ。生活の智恵か。セールOK?OK OKさらに水を加える。明るくなる。水と油はここでは相性がいいのかも。

  肌の色

  色白のもち肌が最高と言うのは日本人の偏見ではないか。色白は七難かくすとも、これらに異議を唱えるつもりはないが、色が黒いのはどうもという向きへの反論である。色は黒いが南洋じゃ美人、とは色黒だけで一ハンone rank落ちという前提である。miss universeに黒人が選ばれる時代である。価値観も白色一辺倒から有色に広がりを見せている。
 そもそも肌とは皮膚の美しさをいうのであって、色は重要な要素ではない。これに異論を唱えるものはあるまい。色は単にメラニン色素の多寡である。白人に美人が多いと言うのも好みが入っていて統計的裏づけは疑わしい。それはさて置き、肌の色、すなわちメラニン色素の多寡を考察して行こう。

 今を去ること30万年。アフリカ大陸に人類が誕生、されど牙なし、爪なし、力なし。肉食獣のカッコウの獲物になって食われるもの数知れず。しかして安住の地を求めて流浪の旅に出る。北へ南へ、東に西に、流浪の旅を続ける。1万年後には東南アジアに、2万年後には南アメリカアルゼンチンに到達せり。されど北志向の連中はアルプス山脈で足踏みすること4万年。こは何やらむ。
 Vitamin Dを摂取するため日光を吸収するにはメラニン色素を減らすのみ、なにしろ当時の欧州は日照不足、食料不足の寒冷地であったのだ。この体質改善に4万年を要した。その結果色白の美女が現れた。それはいいことなのだが、紫外線に弱い体質となった。生物学的にみると割があわない結果である。せむしが多い、サングラスが必要、オーストラリア人に皮膚がんが多い、等々、欧米人は劣勢遺伝子を持った民族である。数万年後には消えているだろう。白人の美女を愛でることは今のうちだ。

 地球規模で生物学的に肌を考察するとき色白は価値はない。とは言ううものの真っ黒というのは抵抗がある。小麦色を善しとすべきか。ここフィリピンにもアフリカ人と遜色のない黒肌がいる。外国人との混血がなかったのであろう。もう一つの理由として入浴の習慣がないので垢がたまっているためとする説がある。これは疎信し難いが次の事実を指摘して色談義を一先ず終えよう。
@筆者の秘書は南方出身の純粋フィリピーナで色黒だが、以前は水浴びだけだったのが毎日シャワーを浴びて石鹸を使うのでここ2年で黒さがかなり減少してきた。
A筆者の垢は日本では白かったがフィリピンでは黒くなってきた。また量も数倍になった。余談ながら緯度半分、日差4倍。


次回 カラオケとクーラー


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