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作品名:フィリピンに生きる  新フィリピン事情 作者:佐々木 三郎

第15回   他人の物は俺の物 身体能力世界チャンピオン
   他人の物は俺の物

 借りる 預かるは貰うこと、こころは?いずれも返さない。CD,DVDちょっと貸してくれる、すぐ返すから。いいよ。借りるね。で、一月、二月経っても返さない。督促すると友達に貸したとまだ返してこない、は常套台詞。日本製は高く売り飛ばしたものと想像できる。横領罪が成立するか微妙なところ。警察に訴えても盗られたのではないでしょ、よく話し合ってください、というのがオチ。
 この当たりの悪知恵だけは働く。不快なこと。諦めるしかない?海賊版が出回ると著作権のない国、著作権者に対し道義的に申し訳なく思っている。どうしてかしたの?(貸し手しまったのだ、あなたならどうする、断れるか)もし返って来たら祝杯ものとは長期在住日本人の言。
 こんな話もある。家畜の世話をさせてくれとの話に乗ると何がしかの日当を与えても家畜がいなくなったと言ってくる。どこへ行った(お前の腹の中か)。わからない。自分の家に連れ帰りすぐ処分(食)してしまう。証拠隠滅を図る。令状がないと家宅捜査はできない。住居侵入者は射殺していいそうだから諦める事になる。世話には管理も含まれると損害賠償を求めても日本人は金持ちなのだからそういう訴えを起こさない方がいいのでは、暗い夜道で撃ち殺されてもなんですからとなる。ここは文明社会ではないのだ。人間の誇り尊厳などはないのよ。ところが中国人、韓国人はあまり被害に遭わないそうだ。日本人がなめられるのは何故か、今後の研究課題にしておこう。

*人の好意を踏みにじられたことが許せない。日本からはるばる持ってきたものである。

 フィリピーナは他人の物は自分の物と考えるようだ。とくに一度関係ができると他人じゃないからと携帯でも道具でも何でも平気で使う。貸して言うのはましな方である。しかも使ったら使いぱなし。元の場所に返せ!携帯など着信暦アドレスなどを覗いてはこれは誰かなど詮索してしてくる。プライバシーと怒鳴りたくなる。逆に一寸携帯を貸してくれというと今ロードー:前納料金がない、ないとか言って使わせない。他人のビール、ヴォッカなどは平気で飲むが、ワインを一口飲ませてというと、これは女の飲み物だから男は飲まないほうがよいとかなどと訳の解らない事を平気で言う。一宿一飯の恩義などはないのか。
 こんな調子だから軒先を貸して母屋を取られることも想像に難くない。しかし近所付き合いをするょうになると、やれ美味い芋が手に入った、故郷の貝を料理するとか、お相伴にあずかることになる。本当に美味い。食いっぷりでさらに盛り付けしてくれる。宴会は何時果てるともなく続く。かっての日本にもあった関係がある。このフィリピン人は信頼できるかどうかの判断はむずかしい。重心を片足に残して付き合ってゆくしかないだろう。めんどい国に来たものだ。

 隣のオジサンにラグーナベイ湖に誘われた。マリアマキリーンの頂がよく見える。心地よい風が湖畔を通り過ぎる。オジサンは顔が広くどこに行っても声がかかる。日本人を連れているので、あれはダチかと訊かれている。釣りをする者、魚を養殖をする者の間を進んでゆくと家族で潮干狩りと思いきや生計の一端であった。市場に持ってゆけばキロ50ペソにはなるらしい。秘書がやにわにズボンを手繰り貝を漁る。蜆とアサリの中間みたいなのをみせる。子供の顔だ。オジサンも付き合う。
 じっとみていると一緒に拾えと秘書が言う。しょうがないなと湖に腰をかがめる。結構重労働だ。年端もいかない娘と弟も懸命に貝を拾う。家族が一つの仕事を共同してすることは日本では少なくなった。家は苫やというより終戦直後の日本のトタン屋根のバラック。
 やがてビニール袋ここではプラスチックというが袋がブソッグ満腹だというと大笑いされた。長男が袋に貝を入れ足してくれる。さらに娘が苦労して集めた貝も惜しげもなく詰め込む。恐縮する。父親が貝の煮汁をすすめてくれた。この湖は生活排水が流入するので少し躊躇ったが食ってみる。砂が多いが結構いける。汁が美味い。食料であり商品でもある貝を他人に与えるフィリピン人もいる。この種の人間は他人に惜しげもなく与える。酒でも魚でも野菜でも。俺の物は他人の物、原始共産主義か。

              身体能力世界チャンピオン

 ボクシング世界チャンピオンManny Pacqiaoは国民的英雄だ。一度リングを観たが、フィリピン人の身体能力のとりわけ距離感を示すものだ。自分はあまりパンチを食わないが相手にはあてて行く。秘書は一緒に歩いていても障害物を難なくクリアーしてゆく。犬の糞、アナポコ、道路に打ち込まれた五寸釘、迫出している屋根(俺一度頭をぶつけた)などなど。人混みの市場に車を乗り入れる運転手。左右10cm前後50cm上下30cmくらいは瞬時に判断してゆく。はらはらどきどき。買い物をぶら下げた通行人も何気なくやり過ごす。よく事故らないな。ついでに平衡感覚も。頭に籠を載せた行商の女が両手に荷物を下げてやってくる。どうやってバランスをとるのだ。籠の重さは5kgを越えるそうだ。

 国道でも車間距離が1mもあろうものなら平気で割り込む。左折するときは斜めにショートカット(ここは右側通行)。慢性的渋滞、マナーの良さ(ここでは交通法規は警官が取締るためのもの)のなかで意外に事故が少ない。日本なら事故らないのが不思議なくらい。運転は無謀、凶暴、傍若無人、なのに何故か。それは優れた身体能力、距離感、動体視力によると俺は結論付ける。
 大工の釘打ちは見事だった。天井に向かって金槌を順手逆手を交互に使って釘を打ってゆく。リズムは一定。ダンス感覚か。不自然な姿勢にあまりストレスを感じないのか。つまり鈍感なのか。軽自動車に13人が乗っていて衝突したがケガ人はなかったとのニュースに、俺にはどうやって13人が乗っていたのかのほうが不思議。因みにVハイアーと呼ばれる乗り合いタクシーは日本製の8人乗りのバンが多いが乗客18人に運転手車掌を含めると20人乗りとなる。押寿司詰めである。

 * 車が普及し出したのはここ10年ぐらいとか、それにしても神風運転の比ではない。30年前の日本の渋滞など上品なものである。ここではA級かB級ライセンスを
持つほどの運転能力が求められる。もしくは衝突を恐れぬ無鉄砲さが。
** 信号が黄色になると、やがて青に変わる。日本の固定観念からすると奇異である。これに捕らわれずに行動することは簡単ではない、几帳面な人間ほど。。

肉体的精神的苦痛に対して鈍感なのではないか?これは民族の根源的イメージの違いである。日本人がフィリピン人と付き合う上で大きな障害となる。別のところで文化比較をしてみたいと思っているが、たとえば、生活空間整理整頓されていることを快適と感じるかどうか。使ったら使いっ放し、次回使うとき探さなくてはならない。どこにでも物を置く、置かれたものを使うために物をドカサなくてはならないのだ。いいじゃない、今がよければ。明日のことを想い煩うことなかれ、アーメン。整然とした、いう概念そのものがないのだ。
   * ぎゅう詰め状態、クッションのない座席、振動を伴う騒音、長い待たされ、悪臭、でこぼこ道、水溜り、ゴミ、糞、などなど枚挙に暇がない。外国人には苦痛である。昭和20年代それ以前の日本がまだマシ。

 ボクシングは距離感のゲ−ムであろう。攻防とも相手との距離を測ることが95%以上でないか。勝手な想像だがまずパンチを食らうことはなく、カウンター攻撃ができる、強力なパンチはなくともジャブの数で十分。後はスタミナか。本格的ジムができれば世界チャンピオンの最大産出国になるかも。ただしチ−ムプレーは無理だろう。複雑なフォーメーションを理解して行動に移せるかは疑問である。根性と根気があるかどうか。
* 小学校6年生の女の子がビンを1本2本と数えている。6本入りケース3箱。18だろと言うとエット驚く。6×3は、というソウカとうなづく。クラスでトップと酒屋の自慢の娘。成人でも掛け算ができないのはめずらしくない。知的レベルは推して知るべし、もともと考えるのが苦手なのだ。囲碁、将棋といった複雑なゲームは普及しないだろう。

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