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作品名:フィリピンに生きる  新フィリピン事情 作者:佐々木 三郎

第1回   まえがき
   まえがき  (写真つきサイトはhttps://sites.google.com/site/yashinokazenifukarete/maegaki)

         名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ

日本の海岸に流れ着いた椰子の実を見たことがある。遠き島とはフィリピン諸島の小さな島でないだろうか。


フィリピンで幸せに暮らす日本人もいるが、すべてを騙し取られて帰国することもできない日本人もいる。行き倒れが日本領事館に駆け込んでも、こういう人多いんですよね、で片付けらる。ましてやフィリピン妻とその家族が食い尽くした日本人を粗大ごみよろしく廃棄もしくは帰国を求めるものに日本の役所が動くはずもない、とくにこの国では。なぜ、そこまで騙されるのか、* まるでカチカチ山の狸でないか。太宰治はなんと言うだろうか。だまされてもいい、女が喜ぶならと言われたら、そうですかと引くしかないが、果たしてさうであらうや、その答えを求めて今日も旅行く、椰子の風に吹かれて。椰子の葉を揺らしゆく風はこの国の数少ない極上品である。

  * Noと言えないからだ。楽をして快楽を得ようとするからだ。人の言いなりになるからだ。勇気がないのだ。いい歳をしたいじ    められっこか。やられたら5倍はやり返せ、といいたい。権利は戦い取り、戦い守るものである。冤罪を着せられた者の多く    の顔は取り調べに言いなりになっておきながら、あとでうじうじ嘆いている顔と、いえば言い過ぎか。とはいうもののあの手    この手で圧力をかけててくるので簡単ではない。理屈にならない理屈を並べ、日本人に身の危険を感じさせるように持ってい    くるから始末に悪い。

青い海、白い砂浜、魅惑的なフィリピン娘、観光客にはこの世の楽園と思われるこの国は、日本人を食い尽くす蟻地獄でもある。全財産を盗られた上に生命をも奪われた日本人すらいる。犬に餌をやると尾を振り、その人間を守ろうとする。蟻は餌を食い尽くすともっと寄こせとその身体まで食い尽くす。日本人なら親の仇にでもそこまでやるかと思う。人にものを頼むときはうんざりするほどひつこいが*、断るときはことなげに拒絶する。10take 1give 10回頼んで、1回頼まれるといったところか。それも犠牲を払ったと思っている。無償の行為はまずない。
 厚かましく自分の考えを押付けてくる。これが許せない。無礼打にしたくなる。土人の分際をわきまえろ、低レベルが日本人に向かって指図するとは。日本人は文句言わないと踏んでいるのだ。なんでフィリピン人に従わなくてはならない。ここはフィリピン
南(猿)の島、けんかしたら生きてゆけないよ。俺は俺のやり方で生きてゆく(猿に馬鹿にされて黙っているのか、銃刃物では勝てないが知力は世界のどこでも負けないぞ)。これが他の日本人の不興を買う。日本人は英語が出来ないと小ばかにする。文法文脈のいい加減なフィリピン英語に慣れないと不自由だ。もっとも論理的思考のできない人間の話は言語がなんであれ理解しづらい。

   *12歳くらいの少年にたばこを一本せがまれた事がある。断ってもどこまでもつきまとう、辟易する。日本でも冤罪者が警察の    取調べに、もうどうでもいいと思った、と口にするが分かる気がした。これは拷問でないか。仕事にそのひつこさをもてとい    いたい。低品質、高要求が基本哲学である。

フィリピン人は自信を持って言うのでそうかと思ってしまうが都合が悪くなるとそんなこといったあ、とくる。8割は信用できない、疑ってかかるべし、力のなさをはったりで誤魔化しているのだ。自分に自信のある者は知らない、わからないをはっきり言うことができる。かれらは知的レベルは低いが自己主張が強くほんに可愛いげがない。バレナレの嘘をつく。眼つきが違う。収穫が少ないと取り損ねたという顔をする。よく看ればわかってくる。恥じらいもなく自分に都合のいい考えを押し付けてくる。こんな連中斬って捨てたくなるが如何せん異郷の地なれば。休道他郷多苦辛(いうをやめよ たきょうくしんおおしと)というけれど、時と場所による。信頼とか友情とかは薄い地なれば、目の前に金をぶら下げられると平気で友を売る。義理人情のない人間と付き合っていると自分にいいき聞かせることが必要、日本の道徳観念の反面教師と考えればちょうど良いところか。

  * 楽して得ようとする、日本人がもっとも嫌うタイプだ。働かなければ飢えが待っているという恐怖感がない。他人に対する思    いやりのないのが多い。気候風土は考え方を規定するのであろう。飢えた状態におかれて強く生きようとするのでないだろう    か。在住の永い日本人がここではストレスを感じる、ブラジル、ペルーなどにも住んだがストレスを感じたことはなかった、    と話したことがあった。
** あなたたちフィリピン人は(馬鹿だから)いわれたことだけをやっていなさい。あなたの考えを求めていません、という中     国韓国の考え方もわかる。 
*** 可愛げがないとは時として憎しみに変わる。旧日本兵が虐殺してしまえとなったと思われるのである。彼我の分際をわきまえ    ないのは許しがたいとなる。

人間としての誇りは、まず持ち合わせていないだろう。フィリピン人自身信頼し合える心の友を同胞に持たないと告白している。ここは金で快楽を得る事は容易だが愛を得ることは至難である。No money no honey.フィリピーナの日常会話であり常識である。
性は愛情の最高表現であるはずが、愛情から分離独立して売ものとなったのはいつのことか。人類史上古いことではあるまい。売春は世界最古の商売とも言われるが、それはあまりに虚しい。買春は回春か、快旬か、愛を確かめるものがも。

飽くことのない欲望はどこからくるのか、三百年以上に亘って搾取されてきた民族の記憶か、数パーセントの富者が90%以上の富を保有し*貧者は食うことにも事欠く社会構造か、* 一月のサラリー以上の金を一日に使う日本人への羨望か、それらの複合か、今は分からない。人は目標を達成した瞬間が一番幸せと感じるがここには目標すらない、持てない構造だ。なんとかなるとの哲学はその場その時がよければいいともなる。クラシック音楽、読書、討論などは苦手。人生が厳しくなければ芸術も科学もない。思考よりも官能。まともな工作物、建造物もない。歴史を感じることもない。フィリピン人が十年百年先を思いやることはまずないと断言できよう。創造とは無縁である。せいぜい物真似、著作権などないから日本製の模造品が堂々と出回っている。


 * 経済誌フォーブス(Forbes richest)のフィリピン富豪ランク 2009年番付 単位:USD 1B=1000M 10億

 フィリピン
 @ヘンリー5B D Aルシオタン2.1BBジョンゴゴンウェイ1.5B Cアヤラ財閥1.4B DAndrew Tan1.2B 
  上位10の半数が中華系いずれも外国人、フィリピン人は出てこない。 経済的独立国とは程遠い。

 因みに日本
 @柳井正ユニクロ9.1A佐治信忠サントリー8.6C孫正義ソフトバンク5.6(26)
 岡田和生パチンコ1.0(40)豊田章一郎トヨタ0.62

 **  単純計算で一人頭180対1以上の格差、感覚的には1000倍以上でないか。これを違憲状態としないのが不思議である。スペイン    植民地の凄まじさを今に残すものなのか。トンドとよばれる貧民街はマニラの、東洋一貧しいこの国の掃き溜め。廃棄物の    山の中で廃プラスティックを探し出し100ペソを得る。家族の収入である。12歳から春を売る少女も少くないとか、その日の    家族の食い扶持のために。

なぜそんなところに住むのかと言われると答えに窮する。それは在住日本人自身が常に抱いている疑問でなかろうか。椰子の木陰でまどろんでいると気持いい風がやってくる。いい風だ。ほかに何もない、自分をこの地に引き止めるものは、、。もっとも日本で食い詰めた者には超省エネのこの国は安上がりで住み易いであろうが、これはしばらく置くとして、一般的に日本の快適さあるいは満足度を100とすればここは5以下であろう。社会資本は昭和30年代の日本と思えば想像できようか。
人類としての人間性、尊厳性はこれを観ることはまれである。数少ないここの快適さは、常夏の気候(冷え性、花粉症には)、豊かな果物、家族の絆、老人弱者への労わりであろう。多くの貧しい人々は他人にやさしい。富める者(公務員、弁護士、教師など)は傲慢で強欲なのが多い。これはいずこも同じか。悲しいことに未だに心にしみる人情にふれたことはない。

* 金を持っている者は金を使わない。貧乏人は金に飢えているいるのですぐ使う。娼婦でも稼ぎのいい奴ほど金は使わない。金に  トリツカレタ顔をしている。こんな女に金を与える日本人がいるのだ。フィリピーナの金への執着は蟻が食い物にたかるが如し。

しかして、かようなところに永く住む日本人も半分以上は同様に考えて接すべきであろう。日本から逃避してきたか、フィリピンスタイルに染まってしまったか、顔を看れば見当がつくが、煙に巻くような話をつづけ人の話は聞かない日本人は要注意である。日本語の巧い現地人も同様。日本語は金を巻き上げる道具なのだ。たまには日本留学の大学教授もいたが。

 * 浪曲、講釈とかの職業は世界にも類稀ではないか。佐倉惣五郎とか世のため人のために家族までをも犠牲にする精神は日本民族   独特の文化と考えるのだが、ここはこのような精神活動は無縁の国である。

ここは日本とほぼ同じ面積の島国だが、土地は豊かではない。溶岩の上に草が生えている程度、腐葉土の層もない。落葉は燃やしてしまう。ミミズもいない。土作りという概念がない。数万年前と変わっていないのだろう。代わり映えのない国と言っても過言であるまい。土地の豊かさは落葉樹にあるのではないか。紅葉狩りは単に娯楽ではなく森の鎮守の神様への表敬訪問であり、生活基盤である落葉樹への遠い記憶が我々を連出しているのだ。日本人の季節感、無常感の根源的イメージは森でつくられたに違いない。天然の美はこれを端的に表した名曲である。伊豆半島は昔フィリピンからやってきて日本列島にくっ付いて同化したそうだが、当時は溶岩の上に草しかなかったと想像している。日比の腐葉土を比較すると天問学的な差であろう。

海外から日本をみるとなんと美しい自然と人情のある国だろうか、生態系の多種多様で豊かなこと、日本は世界のまほろば。食い物が美味い、質量とも世界一と断言できよう。美味いもの食って愛を語ればこれに勝るものはない。古来多くの人種がこの地にやって来て住み付き、しかも緩やかに混血融合したところは他にないのではないか。これは共存を意味する。
豊かな自然と文化がこれを可能としたのであろう。聖書を読めば砂漠の民は食うか食われるかであったことを想起させられる。何時の日にか日本は世界平和の中心になりうるのではないかと思われる。黄金の島とは金の採れるということ以上に食の豊かさを言っているのであろう。西洋人には天国か理想郷に映ったとしても不思議ではない。小さな島国がノーベル賞受賞数世界2位なのは考えることが好きな民族とも言えよう。自分の仕事を愛し誇りに思う人間が多いことはすばらしい。

   美しい五月は、二月の雪、三月の風、四月の雨が育てる
     March winds and April showers bring froth May flowers
     Marzo ventoso y abril lluvioso hacen de mayo florido y hermoso

ここはその反対、心から感動することはまずない。生活も自然も単調である。どこに行っても変わり映えしない。単調な者しか、ままた単調にしか、生きてゆけないところである。黒潮に乗った魚は素材は同じでも日本で鍛えられて美味い味が出る。人間も安易な人生を辿ると味がない。ここは時間だけは無限にある。俺の脳も活動を次第に緩めて行くようだ。

  *  日本人には怠惰に映る。金、物は苦労して得るものとの考え方からすれば路上での物乞い、乞食の集りが腹立たしく、
    また、不愉快である。仕事が少ないとしても、、。敗戦直後の日本で2万人の餓死者が出たこと、戦災孤児の鐘の鳴る丘、な    ど、を思うと人間の尊厳、誇りはないのかと言いたい。行く年や昭和は遠くなりにけり、といえば年代が知れよう。

フィリピーナと暮らす日本人の中には定年退職を過ぎた年齢で子をなし子育てに励む幸せな方もいる。敬服するとともに日本人男性を支えるフィリピーナにも敬意を表さなくてはならない。ここでは彼女の支えなしでは生きてゆけない。彼女たちは日本の男が家土地財産を彼女とその子に残そうとしていることを理解しているに違いない。その歌と踊りは生まれながらにして歌手であり踊り子であるばかりでなく、それも男を喜ばすことにおいては世界一でなかろうか。それは女の歓の反射効との説を承ったが、浅學の理解を超える、奥行きの深い領域である。なお、フィリピーノと暮らす日本女性もいるがあまり詐まされたとは聞かない。女の人間性を見る目は男より確かなのだろう。

* フィリピン人の踊りを見ていると、歌と踊りがあればどんな苦しみも悲しみも忘れることができると言っているようだ。
   植民地にされるために存在する民族と思われて胸膨れる。キリスト教の、貧しきものは幸いなり、天国は汝のものなれば、は彼   らのためにあるだろう。 

次回 第一章ゆすり、たかり、おどしの手法


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