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作品名: 椰子の風に吹かれて 作者:佐々木 三郎

第8回   山田清美
山田 清美

 翌日は雨が上がったものの、いたる所で土砂が崩れているから棚田まで行けないという。ツネオはどのようにして情報を得ているのだろうか。坂本は山田中尉の足跡を辿ることにした。隣村までは車で10分とか。ツネオの案内で役場を訪ねる。村長が出迎えてくれたが、彼は山田中尉が治療した少年であった。64年の歳月が流れていたのだ。彼自ら上下水道を見せて説明してくれた。水道管は竹からプラスチックに敷設し直し、浄化槽は下水にも設置したと熱く語る。今では飲料水のろ過に使った炭を下水浄化に再利用しているという。ユキが熱心に耳を傾ける。工事は村民総出で行うそうだ。『山田中尉は私の命を救っただけでなく、村民の多くの命を救った。そして水道行政の基本概念を残してくれたのだ』村長は涙を浮かべながら少年の日を想い起していた。坂本は山田中尉の顕彰碑を立てて貰いたい、建設費は私が負担すると村長の耳元でささやいた。『それは有難い、しかし何故あなたが?』日本人として誇りに思うからだ。村の口座に振り込む。このことは内緒にしてくれ。
 常男とマリリンに別れを告げバギオに帰ることにした。一宿一膳の恩義に預かり有難う御座いました。坂本が頭を下げると『何の何の、またのお越しをお待ちしている。そうじゃ、私の娘がバギオの大学にいる、折あらば訪ねていただきたい』と携帯番号を示す。相解りました、近々に。それではこれにてお暇いたします。二人が深々と頭を下げいつまでも見送ってくれた。
道路は水が引いて路面が現れていた。土砂が所々で塞いでいたが通行にさほど支障はなかった。『龍次、彼らは我々にあれ程の犠牲を払った。何故報酬を求めないのか』犠牲?マリアあれはもてなしだ。もてなし?なにそれ?そのうちに分かる。『クーヤお母さんに電話するね』そうだ、心配しているだろう。『お母さん?ユキです。バギオに向かってます。ええ、もうじきバナウエ。3時ごろには着くと思います。はい、また電話します。分かりました』

 バナウエで給油。どうしてフィリピン人は楽観的なのだ?『クーヤ日本人が心配し過ぎ』うるさい、先が読めない、計画性がないのだ。『龍次、明日のことを思い煩う事勿れ』黙れ、マリア。俺はクリスチャンではない。何笑ってる、前を見て運転しろ。イェスサー。『クーヤ、お腹空いたのでしょう』ククク。Jolly bee? Hindi.だめだ。フィリピンレストラン?行け。少し汚いが客が多い。美味いということだ。
ビール。ワラありません。ルーガウ粥。メロンあります。イトログ卵。イェスサー。注文すると坂本は外に出る。冷たいビールはないか。レストランに何故置かないのだ。フィリピン料理は酒無で食えたものではない。近くのサリサリでサンミゲルを4本買う。栓抜きがない。セバスチャンが歯で開ける。マリアが顔をしかめる。栓と栓とでポンとやる。乾杯、
ユキがビンを持ち上げる。マリアは何を注文すべきか迷っている。ユキが一品ずつ4種類注文する。この卵うまいな、もう一つ。 隣の席の女の子が笑っている。グストモ?グストコ。OK,シゲ。サンキュー、ワンモール。母親が娘を叱る。OK,OK、妹にもと言っているのだ。いくつ?4、シャー2。私4歳、妹2歳。『セール、ガラハンココ ビアー』向かいのタクシーのあんちゃんがビールをたかる。
タポスナ トラヴァホ仕事終わったのか?Not yet.まだ。Hindi puede.だめだ。仲間が大きな声で笑う。『バブイ豚肉OK?』OK。5人前注文して外の仲間を呼び入れる。ユキが厚かましいと怒鳴る。いい、いい、ここは俺が持つからしっかり稼げ。母親の勘定も店員はこちらにつけたらしい。母親が礼にきた。気にするな、バーイと女の子に手を振る坂本。この日本人腹が減ると機嫌が悪い、とユキが怒鳴る。店内大笑い。

 塩崎家には3時前に着いた。『お母さんただいま。昨日大雨に会って』『後でゆっくり聞くわ。風呂に入って着替えなさい』はーい。湯船に浸かると疲れがとれる。お前のバナナ大きいな。女喜ぶ。背中を流せ。OKサー。今度はお前だ、向こうを向け。サンキューサー。流し終えると坂本はタオルをバナナにかける。NOサー。タオルが滑り落ちる。かけろ。OHマラカス!タオルがぶら下がっている。
どうだ。グレート!
夕食は5時から始まった。塩崎真知子は五目寿司を作って待っていてくれたのだ。『で、どちらが勝ったの』『ところが、お母さん、風がビュお尻にかかったの』ユキが立ち上がって尻を上げて見せる。『もう、尻から脚までずぶ濡れ。試合は
雨天順延』『マリアも』『ええ、リュージが拭いてくれた。気持ちよかった』
 話は常男、マリリン、そして山田中尉と続く。『そう、お嬢さんがバギオにいるの。明日夕食に招待するからユキさん電話してみて』ユキが携帯にかけるがでない。『お母さん、テクストする。お父様から伝言あります。連絡してください。坂本龍次 内。これでいい?』『まあ、奥さんみたいね』『心の妻』1,2分するとテクストがきた。ユキが読み上げる。
(父から伺っております。一時間後に電話します。山田清美)

 翌日夕方、清美が菓子折りを持ってやってきた。『御免下さい、山田です』『いらっしゃい、お待ちしていました。さあ、お上がり下さい』『お邪魔します』清美は靴を脱ぐとかがんで揃えた。玄関先で正座すると『初めまして、山田清美です。本日はお招き戴きありがとうございます。これは父からです』と菓子折りを差し出す。塩崎真知子も正座して『これはご丁寧に、頂戴します。よくお越しくださいました。さあ、奥へ』
食卓にはすき焼きの準備ができていた。『さあ始めましょ』真知子は牛肉を炒めて砂糖と醤油をかける。葱、こんにゃく、椎茸、豆腐、白菜を手際よく並べてゆく。『きれい、生花みたい』マリアが感動した声を。『清美さんご専攻は』『文化人類学です。日本人とフィリピン人との思考比較を卒論のテーマにしております』『いいテーマね、将来は』『外国でで博士学位をとって研究職に就きたいと考えています』『娘も言語学を勉強してるのよ。フィリピンでは88の言語があると言われてるでしょ。言語が民族の言葉とすればその数も一致するのか。なんてね』
『お母さん、同じ民族は同じ言語を使うの当たり前じゃん』『そうねえ、ユキさん、当たり前が当たり前でなくなることもあるのよ。他の言語を強制的に使わせられることもあるし(民族の言語を使わせないのは支配者の常套手段)、もういいわね、この続きはお食事しながらにしましょう』『いただきます』
 生卵を見てマリアとセバスチャンは緊張する。『お母さん、昨日囲炉裏端でご馳走になった雑煮おいしかった。今度は一緒に行こう』『ぜひ行きたいわ、清美さんすき焼きどう』『とても美味しいです。祖母がよく作ってくれました。
日本人は同じ食材でもいかに美味しく食べるかと時間と労力をかけますね、私の研究テーマのひとつです』『そうだ、乾杯するの忘れたわね、やーねー。最初はビールにしましょうか』ユキがビールを並べる。セバスチャンが栓と栓でぽんと開ける。『あら、すごいわねえ』驚く真知子。最後の1本は、歯でと坂本が手振りで真似る。No sir!マリアがケケケと笑う。ユキが取り上げる。栓抜きで開ける。『じゃあ、清美さんよくいらっしゃいました。乾杯』カンパーイ。『うまい』おい、マリア!クーヤいいじゃないの、そのうちにわかるわ。?とマリア。

 同じ意味のことを言うにも身分性別年齢などによって使う単語言い回しが異なる点が日本語の特徴で、うまいは男の表現で女が使うことは少ないと清美が説明する。マリヤは驚いて坂本の顔を見つめる。『本当にそう思う。私も日本でよく笑われた。飯にするかといったら、お前トンボイカッテ』
『ユキ、女はどういう?』『ご飯にしましょうか』『か以外は別の発音なのに意味は同じか』マリアの疑問に清美もどういえばと思案しているので坂本が答える。話し手によって使用される単語が異なる言語は他に類を見ないのではないか、いつか調べてみたい。『そうねえ、少なくともヨーロッパではないわね』たとえば、一人称I、 YO、 JE、は男だろうが貴族だろうが同じように使うが、日本語では厳格に使い分けられるから文章で話し手がどういう人物か想像できる。日本語の一人称は100以上あるといわれる。『嘘、本当に?』マリアが高い声を出す。

 『坂本さんは何でもよくご存知ねえ。清美さんに伊豆半島の話をしてあげたら。日本の伊豆半島はどこから来たかご存知』『いえ、存じません』『フィリピンから来たんですって、だから日本人にフィリピン人の血が流れている可能性も高いかも』清美も興味を示す。『そうだと面白いのですがちょっと考えにくいですね。それは何時の事でしょうか』真知子は話の腰を折られて白んだ。山田中尉の血が清美にも、それに学求のひたむきさか、坂本は場を持たそうとはぐらかす。あれはひょうたん島の話を酔うた勢いでこじつけたものだ、学問的裏付はない。新人類誕生が30万年前とすればその可能性は極めて低い。『すみません、つい、学問的になってしまって』清美は雰囲気が読める娘だ。
『清美、日本の民族はいくつあるか』マリアが質問する。『日本は単一民族と理解している』『それは誤解だ。先住民族のアイヌのほかに朝鮮系、中国系、日系、その他の日本人、がいる。つまり少なくとも民族は5以上ある』受売りながらスペインの血は激しい。『それは知らなかった。よく勉強する。貴女のサジェスションに感謝する』清美はやんわりと往なす。
 今出てきたその他の多くは南方から海流に乗ってきた人たちだ。日本の太平洋側の地方には南洋の島と文化的共通点が見られる。たとえば発音、片切刃などだ。人の移動なくして文化の移動はありえないと私は考えている。これを追いかける旅がしたい。坂本も少し熱くなってきた。海流は海のハイウエイといわれる。ミクロネシアから沖縄まで筏に帆を付けて2週間で着いたそうだ。約束より3日遅れたが、台風にあわず、1日の休みをとらなければ10日で来られたとそうだ。逆に日本人もルソン、ジャワなどに足しげく通っていたそうだ。清美がまたじっくり話を聴きたい、自分の卒論も見てもらいたいという。どうせ塩崎家の居候だ、時間はたっぷりある、いつでもいい。坂本は上機嫌になっていた。

 話が弾んで清美が帰らなくては言った時は9時を回っていた。『清美さん今日は泊っていきなさい。明日学校に車で送ってもらえばいいでしょ。狭いけど私の部屋で一緒に寝ましょう』『本当は帰りたくないのですが、初めてなのに』『私たち初めてなのに泊めてもらったわ、ね、クーヤ』ユキはいいところで言うなと坂本は思った。そうだな、日本では一期一会といって生涯で一度の出会いと考える。それに塩崎さんはいろんな国で暮らした経験をお持ちだ、きっと卒論の参考になる。『それではお言葉に甘えさせていただきます』と清美はうれしそうに言った。
『お母さん、昨日も言ったが何故日本人は初めて会った人に親切なのか。もてなしか?』マリアの質問には少し棘がある。『そうね、上手くいえないけど親切にすることが楽しいのかな、私の料理喜んでくれたら嬉しいの、明日は味噌汁にするわね』『お母さん、私味噌汁大好き、手伝う』『そう、お願いね』
 マリアはこのような話をしながら食事したことがないのでは、と坂本は思った。広大な屋敷に住んでなにふじゅうなく暮らしていても食事と会話の楽しさを初めて知ったのではないか。そういえば、人間だけらしいな、仲間と一緒に食事するのは。坂本は話をどう続けるか、思案していた。音楽会と似てないか。『音楽会?』マリアが反応した。演奏家と聴衆がともに音楽を楽しむ。『料理と音楽、坂本さん、もっと聴かせて』真知子は聴き上手だ。序奏は食前酒かスープ、第一楽章でテーマが提示される、料理のコンセプトを予感させる料理が出される。クライマックスにメインディッシュ、終楽章にデザートがでる。食事の余韻を楽しむ。もうひとつは、食材と料理との問題。『作曲と演奏、いい曲を選んでどのように演奏するかは料理と同じね』マリアが挑むように相槌を入れる。清美がおやっという顔をした。『マリアさんは音楽がお好きなの』真知子は話を引き出すのが上手い。

 その夜、坂本は言い知れぬ快感に浸っていた。その快感は首筋から胸へと移動してゆく。夢ならば覚めないで欲しい。やがて全身に痙攣が走りのけぞった。マリア!驚く坂本の口をマリアの口が塞ぐ。白い両腕が首に巻きつく。抗う術もなく身を任す。頭の中が白くなってゆく。激情の中に陶酔する二人。深い眠りから覚めたときマリアの姿はなかった。が、シーツにはマリアの血痕が残っていた。

次回 一時休戦


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