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作品名: 椰子の風に吹かれて 作者:佐々木 三郎

第23回   マタギの世界
                マタギの世界

  大阪は商人の町、その雰囲気を感じさせるべく堂島に向かう。が、土地勘がないので周遊券を買う。一日2000円は便利だ。初心者はいい。バッグはコインロッカーに入れる。盗まれないか、大丈夫だ鍵は俺が持っている。二人は坂本に続く。ガイドを見ながら大阪城、空中庭園、歴史博物館、くらしの今昔館、時空館などを見て回る。地下鉄初めての二人だが、交通整備の良さに驚いて様だ。歩いてみてその土地を感じることができる。それにしてもこの暑さはなんだ。フィリピンより熱い。
 木陰で弁当を開く。握りずしと生一本が詰められていた。これは女将のサーヴィスか、カルロスがのぞく。これは俺の酒だ、と陳。よし、ビール買ってくる、ここにいろ、坂本が立ち上がる。二人もついてくる。コンビニでビールとタバコを買う。日本の陳列接客を観察しているのだ。木陰のベンチに戻ってビールで乾杯。坂本は握りが傷んでないか確かめる。大丈夫だ。日本は緑が多いな。ああ。
その夜はかんぽの宿に泊まる。これはどの程度のホテルか?標準的ホテルだ、 庶民向けも経験しておくといい。翌朝、一風呂浴びて食堂でバイキング。粥がうまい。カルロスにはめずらしいらしい。チェックアウトで会員証を見せる。お二方はご家族ですか。そうだ。何か証明できるものはございますか。今日は持っていない。カルロスが何かいいながら五千円を握らす。会計嬢は笑いながらやんわり返す。わかりました、でも内緒ですよ。33,875円の領収書を示す。坂本は親指を立てカードを渡す。日本ではデポジット予納はないのか、陳が不思議がる。日本人は払う。

 新幹線に乗る。車内アナウンスを聞いて、東京まで3時間か、横浜にゆきたいと陳がつぶやく。新横浜は通過らしい。車掌に聞くと次の電車は止まるという。乗り換える。陳が坂本の携帯で横浜の友人に連絡する。今夜は横浜に泊まっていいか、友人が招待してくれた、陳がうれしそうに話す。おれたちもか、とカルロスが聞く。ああ、三人行くと言ってある。浜松に近づくとうなぎ弁当の車内販売。窓を開けてホームの売子から買うわけにはいかない。弁当とビールを求める。ここは鰻の養殖が盛んで名物なんだ、食ってみろ。これは魚か。カルロス浜名湖だ、ここで獲れる。そうかと言ってたいらげる。ワンモール。半時間で横浜だ、夕食が食えなくなるぞ。大丈夫だ、これはミリエンダ。食い終わった頃富士山が見えてきた。フジヤマ!美しい。隣の席の娘たちがククと笑う。カルロスが手を振る。娘たちも小さく振る。

 半時間で新横浜に着く。本当に時刻表のとおり運行するな、坂本は改めて思う。陳の友人が迎えてくれる。『よくいらしてくれました。リュウと申します』ご厄介になります、劉備玄徳ゆかりの?いえ、柳のリュウです。夕餉まで時間ありますからどこか案内しましょうか。中華街がいいと思いますが、車ですからベイブリッジお願いできますか。二人に日本を見せたいのです。それはいい、行きましょう。想い出ありますか。やはり横浜は港でしょう。坂本は前に座る。そこ私、お客さん後ろ。陳は柳さんと話やすいでしょう。恐れ入ります。車はセフィーロ、客か取引先の関係か。車は静かに走り出す。道路もいいし、車の整備もよくしているのだろう。港がみえる丘でやすむ。坂本は遠い昔を思い出していた。
 ベイブリッジは日本の橋の中でも美しい。ついでにアクアラインに行ってみますか。二人も観たいという。お言葉に甘えさせていただきます。この時間混まない、木更津回って来ましょう。柳が言外に日本人は時間を気にし過ぎると匂わしていた。二人は興味深く車窓を眺めている。湾岸道路の前方に羽田空港、浮島で右に取るとアクアラインだ。海の底を走るのか、そうだ。日本人は橋とかトンネルが好きなのか。そうみたい。陳と柳は笑って聞いている。船橋から浦安を通り夕方には横浜に着いた。東京ディズニー、羽田空港を外から見たので満足したかと思ったが今度は中を見たいという。今日は行かない、彼女を連れて自分で行け、坂本が撥ね付ける。

 柳の細君はなかなかの美形だ。娘も母親似で清楚にして匂うような色気がある。中国料理は見事なもので味もさすがと思う。美味い料理は人間を幸福にする、老酒といえば紹興酒ですか、坂本が母娘を意識しながら切り出す。Shaohasingciuもいいが福建省の地酒もいいですよ。味わってください。梅園で筝を聴きつつ飲む感じですな。これは言い得て妙ですな。陳さん御国は福建省ですか、台湾の対岸ですか。ええ、私の兄弟が台北に住んでいますよ。そうですか、ところで坂本さん、尖閣諸島に日本国民はあまり関心はないのですか。ないですね。柳は陳の顔を見る。経済的価値は海産物と地下の油田でしょう。漁民の操業と油田開発ができれば領有権はあまり意味がないのでしょう。面子は?多少あるかも知れませんね。腹が立つのは政府間の問題を日本国民に矛先を向けることですね。日本人は原爆を投下した米政府を憎みますが米国民を恨んだりしません。あれはヤラセですか。政治の常套手段でしょう。
 そもそも中国はどうして外国にちょっかいを出したがるのですか。諸葛孔明が病をおしてチベット遠征したのは何故ですか。漢を立ち上げて基盤を固めるべき時期にわざわざ。難しい質問ですね、調べておきましょう。是非お願いします、七世紀の日本政府は唐は日本の属国であると宣伝したのです。その理由が知りたい。ここに日本の日本民族の根源的思想があると思うのです。日本政府は日本国民に嘘をつく癖がある。それも歴史的に重要なことについて。わかりました、坂本さん、できるだけ早く答えるようにしましょう。

 翌日柳の見送りを受けて横浜を離れる。東北の帰りには必ず立ち寄ってくださいね、柳が手を取って坂本の眼を見つめる。そうします、お世話になりました、坂本も手を握り返す。国電で秋葉原に行く。日本の庶民世界を二人に見せる。電気製品の多さに驚く二人細い路地には電気部品の一坪ぐらいの店がひしめいている。何のサリサリだ、龍次?電気部品だ、あれを買って自分で組立てたり修理するのだ。どうして人が多いのだ。安いからだ。
 一回りして大きな店舗に入る。定価の八掛け、高いな、二人に説明する。サリサリは安いが一軒一軒回らなくてはならない、ここは高いがほとんどの品が揃っている。しばらくして二人はここにする、と答えた。好きなものを選べと坂本はカートを持たす。たちまち一杯になる。カート4台分店員が飛んでくる。これ海外に送れるか。大丈夫でしょう、確認します。それとな、100%OFFな。えっと驚く。レジに行く。カルロス約60万、陳約40万計100万。そこから10万引けばいいのだ。はあ?店長も出てくる。ちょっと10%はできないですね。ここは店が大きいだけで値段は高い、秋葉原が泣くぞ。流通コスト60%としてこの店のマージン30%か、十分だ。販売コストを考えろ、そうか、キャンセルだ。 お待ちください、5%でどうでしょうか?客に値切るのか、こんな店で買うものか。わかりました。店長はレジに目で合図する。そうか、二つは会計も梱包も別。海外発送はできるのか?郵便局が安くて確実です。発送もやらされると思ったか。いえ、そんな。梱包はしっかりしたのに入れてくれ。近くの郵便局へ運んでくれ。承知しました。郵便局で手続きしてる間にトンカツを食いたくなった。え、しかられますよ。めんどうな客だったと言え。高いですよ、800円ですよ。うまければいい、連れて行け。店員は港やに行って来ると局員に告げる。
 
 こじんまりした店だが清潔だ。これは豚か、ワンモール。カルロスよく食うなあ、だいじょうぶか。生一丁!カルロスがジョッキを持ち上げる。ヘーイ生一丁。威勢のいい返事。ヒレと串かつ。お客様私はこれで、ご馳走様でした。おお、世話になったな、郵便局覘いてくれ。わかりました、失礼します。よろしくな。車代もやらないのか。サーヴィス。カルロスが首を傾げる。日本は給料きちんと払う、心配しなくて良い。陳もヒレと串カツを摘む。酒あるか。老松ですが。お、九州か。ぬる燗で2合。へー、お待ち。陳がじっくり味わう。生一本と別の味わいだな、オイマツ?老松の瓶を見せてくれ。陳に見せる。東京で手に入るのか。ええ、店は限られてますがね、お客さん通ですね。いや、神田のすき焼きやで置いていた。陳が老松を手帳に控えている。うまかった、お愛想。ありがとうございます。六千円になります。俺の計算では64000円だが。お客さんは食いっぷりがいいから。そうか、ありがとう、また来る。ありがとうございましたあー。
 日本では客と店との遣り取りが面白い、陳がつぶやく。本当だなあ、カルロスも満腹の顔。郵便局では発送リストができていた。これでよろしいでしょうか。よろしい、とはどういう意味だ、陳がたずねる。段ボール箱をとめてもいいか、と聞いている。名刺をだせ、これであて先確認してください。間違いありません、いけますね。いくらですか。全部でちょうど4万円です、20kgずつですから。いつ着きます。明日にはマニラ空港に着きます。そこからは郵便事情の良くない国ですから。そう、こちらのお二人のサインとパスポートコピーさせて頂けますでしょうか。いいよ、万一にもう一部コピーしてもらえるかな。承知しました。坂本は局のATMで20万引き出す。ピン札ある、五千2枚、二千2枚、千円10枚両替して。二人に半分ずつ持たす。これ領収書とお客様の控えです。パスポートは私どもの控えに綴じさせていただきますと目の前でホッチキスで綴じる。ありがとうございました。郵便局長以下全員が見送る。
日本の郵便局は政府の機関では?去年民営化された。えらいサーヴィスがいいな。昔からそうだ。日本はどこもサーヴィスがいいなあ、陳。そうだな、考え方が違う。お客様は神様です?

 カルロスがデジカメが欲しいというので店に戻る。先ほどの店員がとんでくる。動画の撮れるデジカメあるか。どれでも撮れますよ。きれいにか。きれいです。これなど600万画素メモリーも十分です。お勧めか。ええ。値切らないからデモしてくれ。カルロスが気に入ったようだ。可愛い店員とツウショット。これメールで送れるか。NOカルロスが止める。テレビで観る事もできます。もちろんパソコンでも。そうだ、メールをチェックしたい。こちらにどうぞ。カードで決済だ。ありがとうございます。三脚付けましょうか。要らない。これで何枚撮れるか、カルロスがたずねる。動画で3時間、これをつければ6時間いけます。つけてくれ。ケースもつけますね、これはいいですよ。カルロスのベルトに通す。これは店長の奢りです。赤ちゃんがお腹で聴いた心臓音です。母親の心臓ではないだろう。それはこれがいいです、注文になりますが。このwebにアクセスしてください。これでも効果はあるそうです。試しにお持ち帰りください。三人分入れときますね。サンキュー、お前は店長候補だな。そんなあ、もう何も出ませんよ。そうか、わかるか。

 はとバスで東京一回り。外人さんに向いている。帝国ホテルにチェックイン。ここは日本で一番古くて格式があるホテルだ。マニラホテルか。そうだな。シングルを三部屋、シャワーを浴びて食堂へ。ここのステーキは美味いぞ。安くて美味いのを頼む。これなぞいかがですか、お勧めです。それにしよう。パンとライスは。ライス。お飲み物は。生ビールとワイン。すぐお持ちしましょうか。ああ。焼き方は。レアー、ウエルダム、とカルロスと陳。俺はメディア。かしこまりました。食前酒、お持ちします。スープはコーンかポタージュどちらに。両方、冗談だ。二人はコーン、坂本はポタージュ。失礼します、食前酒でございます。失礼じゃないよ、いつでもOKだよ。ありがとうございます。可愛い娘には愛想がいい。龍次、お前も好きだな。リップサーヴィスだ。乾杯。
カンパイ。ワインはどしましょう。カルロスがこれが良いと指差す。ウェイトレスはそっと値段3万を示す。坂本のメニューには値段がある。OKボトルで。かしこまりました。空き腹にスープがうまい。つづいて生ビールはサッポロ。やわらかいな、陳がジョッキをみつめる。やがてカルロスにレアーですとステーキが運ばれる。メディアムです。陳にはウェルダムです。カルロスが陳に少しよこせという。交換トレード。坂本も二人と交換。やはりレアーがいい。隣のものは香ばしい。うん?隣の芝は緑に見えるということ、陳がつづく。三人で笑う。ワインが来る。氷の上に寝かされている。ヴィノヴァルセロナ。ブエノ?シエンプレ、マサラップ。ワイングラスを回して匂いを嗅ぐとグウッと飲み干す。ムイビエン。
 翌朝皇居の周りを散歩する。これは誰の屋敷だ。天皇だ。金持ちか。金はない。住んでいるのだろう。ああ。仕事は何だ。国と国民への奉仕だ。カルロスの質問はむずかしい。二重橋で引き返す。チェックアウトで陳が明細をみつめる。食事サーヴィスの全部か。そうだ。日本は高いと聞いていたがそうともいえないな。陳がカルロスに見せる。そうだな、部屋もきれいだ、従業員のサーヴィスもいい、我々も考えないかんな。青森に行きたいが上野から?東京駅につながってますよ、東北新幹線でしょ。そうなのか、つながったのか。歩いて行けるな。ありがとうございました。良いご旅行を。ありがとう。

 新幹線に乗る。東京は日々変わっている。坂本が東京にいた時とは隔世の感がする。世界でも巨大な都市だ。新幹線が東京をでると田園風景も見える。八戸まで3時間631km一人15350円。8135ペソ。昨夜のワインの半分といえば安いか。日本は景色がよく変わるな。カルロスが陳に話しかける。半時間ごとに目まぐるしく変わる。二人とって変化の早さが不思議であり、また恐怖でもあるようだ。その瞬間、を切り取る日本文化は恐怖なのだ。時間は過去から未来へ永遠に続く、現在はその過程であると考えるのが多くの民族と柳が言ってたな。日本人は極端から極端に動く、基本軸が見えない、とも。的確な指摘だ。八戸には1時に着いた。飯でも食おう。おっと乗車券持っているか。二人は両手を挙げる。改札口に引き返す。乗車券返してくれ。駅員は驚いて探す。失礼しました。途中下車のスタンプを押して二人に返す。どうして日本人は簡単に謝るのだ。これは途中下車だ、彼は目的地を確認する義務がある。あんなに多くの客が通ってもか。多い少ないは関係ない、彼が仕事にプライドを持っているかどうかだ。プロに失敗は許されない。日本人は難しいな。でも客にはいいことだ。
 駅前の食堂から秋刀魚の匂いがしてくる。もう秋刀魚の季節か。串刺しの囲炉裏焼き。立秋さ過ぎたしな。いくら。200円。高いな、小振りなのに。今年は捕れねえんだ。そういえば、ニュースでやってたな。漁師さん大変だ。うちさも大変だべ。坂本が頭からかぶりつく。眼を丸くする二人。奥で食うたらええ。外人さんには無理だべ。オバちゃん、秋刀魚を皿に置いて箸で頭と尻尾押さえると骨だけ抜き取る。二人が簡単の声を上げる。アンコールに応えてもう一丁。拍手。オバちゃんうどん三つ。おー、お客さんだべ。奥から娘が出てくる。嫁だべ。いらっしゃい、うどん何がええ?山菜。狐とチラシ。お客さん自分で取ってけれ。ビール一本。あいよ。地酒2合。冷でええか。ヌル燗。あいよ。ビールを三人注ぐ。もう一本、カルロスが注文。日本語うめえなあ。どこからきなすった。マニラ。フィリピイーンだな。んだ。遠かろによ、よーくきなすったなあ。どさいくべ。奥入瀬と白神。おれの里奥入瀬で民宿やってる、泊まってけろ。ヌル燗と電話を持ってくる。酌をしながら電話をかける。母ちゃん、三人さ泊まれるけ。しし鍋、鱒で八千円、一泊2食な。お客さんおどうが猪撃ってきた、うめーぞ。温泉は。勿論ええ湯だ、混浴だしな。女いるのか。たまーにな。
二人は大体の感じは掴んだようだ。混浴とは何か。女も一緒に風呂にいること。スッポンポンか。カルロスが乗り気になる。坂本はおでんを取る。陳が味噌をつける。うまい。酒二合、陳も日本語で注文する。うどんを食って寿司食って。カルロスには初体験が多い。お客さー、青森で国鉄バスに乗るだぞ。年がばれるぞ。ヤダー、JRけ、ここさ電話番号書くべえ、泊まってけろよ。わかった。ご馳走さま、お勘定。2100円なります。
 青森でバスに乗る。龍次日本語も場所でちがうなあ、陳がつぶやく。タガログとヴィサヤ程ではない。奥入瀬に着くと高校生と思しき娘が迎えに来ていた。坂本のバッグを持って案内する。どうして俺のバッグを?歩き方で、二人方しっかりしてるので。陳が耳打ちすると笑い出した。民宿は他に客はなく、老夫婦が細々とやっているようだ。ようお越し下された、さあさあ、お部屋に。といっても五つしかない。ここが一番見晴らしがいいです。あれは奥入瀬。そうです、少し歩いてみますか、娘が案内するそうだ。
荷物を置いて外にでる。新子すぐにもどるだぞ。んだ。おお、カルロスと陳が同時に声を上げた。なんと美しい。渓流に夏の木漏れ日が。緑が水に溶け込むようだ。カルロスがデジカメを取り出す。盛んにシャッターを切り出す。撮りましょうか、娘が客を写す。動画も撮りましょうか。ああ、頼む。娘は先に歩いて振り返っては客を動画に撮る。半時歩いて引き返す。もっと行きたい気分だ、カルロスが少年の目をする。まったくだな。陳も上流をみつめる。明日は十和田湖まで10km歩きますよ。娘が促すように振り替える。人影は他になく車が1台すれ違っただけだ。清流の音と蜩が鳴き声が辺りを包む。晩夏は秋に移って行く。
 民宿の煙が見えてきた。炭と薪で暮らしているそうだ。半年は雪に埋もれ石油の供給もままならぬのだろう。風呂沸いてるぞ、祖母が娘に告げる。浴衣に着替えて浴室にいる。脱衣所には籠があるだけ。娘がタオルを持ってきた。坂本が中にいる。木作りの風呂場には桶と腰掛。かけゆをして頭を洗う。二人も真似る。シャンプーを泡立て洗い落とす。カルロスは熱い湯が苦手だ。桶に水を注いでやる。なるほど、これが伝統的日本風呂か。そうだ。坂本は身体を洗って何度も掛け湯をする。湯加減どうですか、娘の声がする。いい湯だ。熱かったら水を足してくださいね。わかった。坂本は蛇口を開き手桶で湯船を掻き混ぜる。身体を沈めて大きく息を吐く。木の香りがする。いい湯だな。ドリフターズですか、娘の声。そうだ、湯気が天井からぽつりと背中に、、、陳が入ってくる。お前は大きいから俺たちが出るまで待っていろ。つめてえな、っと。カルロスよく洗ってから湯に浸かるのだ。終わった。かけゆしろ。よく流すのだ。よし、出るか。坂本は立ち上がる。いいか。オウ。坂本はバスタオルで丁寧に身体を拭く。少しでもしずくが残っていると冷たく感じる冷え性だ。
 猪鍋は囲炉裏と三人が囲む。すんこ。祖父が呼ぶ。孫娘は座布団を重ねて二人に差し出す。アリガト、カルロスは女に愛想が良い。ビールに山菜の突き出し。カルロスの箸は巧くない。新子が中指を箸の間にと動かして見せる。ギタリストはすぐ要領を掴む。祖父の顔がゆるむ。鍋が煮立ってくる。味噌の匂いが漂う。陳は手渡された椀から具を摘んで運ぶ。美味いですな。それは上々。濁酒を試されるかの。陳はしげしげと見つめ一口。うーんと頷く。ご主人、と陳が勧める。これはこれは、と美味そうに飲み干して返盃する。カルロス、と陳が注いでやる。オウ。ウマイ。すんこ。娘はもう一つ土瓶を下げてくる。手酌でやってくだされや。主人が鍋から摘んで客の椀に入れてゆく。奥さんも横に座る。娘も脇に。主人が飲むかと妻に注いでやる。美味そうに飲んで夫に注ぐ。ミンシュクとは家族だけの経営か、カルロスがたずねる。そういうことだ。坂本が主人に通訳する。主人はうれしそうな顔をする。客も家族みたいだな。そうだな陳も頷く。一年前二人がこうなるとは思いもしなかったであろう、坂本は思う、利害対立がなければ人間本来の姿にもどるのではないかと。
 このひと、マタギさやってたべ。ここさ、わたすの実家、20年めえ、引っ越してきた。マタギ?ハンター。熊さ追っかけ回してたべえな。ほう。このひとマタギに向いてねえもんな。どうしてと主人の顔をみる。祖父は生き物を殺すのは不憫だと身の危険を感じたときしか鉄砲を使わなかったようです。んだ、しょうがねえべ、ここさ移っただ。でもよ、熊の心配ねえし、のんびり暮らすもええ。お客さ、白神いったら熊に遭遇すっかもしんねえ。主人は昔を思い出すように語る。囲炉裏の爆ぜる音、鍋の煮立つ音、バナウエの山田夫妻を思い出す。いれるべえ。ああ。うどんを鍋に入れる。白菜ゴボウ葱大根と山菜。野菜がこんなにうまいとは知らなかった、カルロスは何かを感じたようだ。猪はどのように獲るのかな。陳が白菜を持ち上げて誰となしにつぶやいた。畑さ荒すもんで去年から追っかけてよ、今日さ仕留めたべ。すんこ、と言われる前に娘は猟銃を持ってくる。50年以上使っているという銃は弾が2発しか装填出来ない。今朝谷の崖さ追い詰めたらよ、向かってきたべ。どれぐらいの距離で撃つのですかな。そうさな、すごメーターぐれーかな。流し位ですか、坂本が合いの手を入れる。んだ、眉間さ撃ち込んだべ。猪突というが5mに迫ってくると恐怖感に襲われるのではないかと訊きたかった。それを察したかのように、銃構えて待ってれば外すことはねえ。弾が不発だと?今まで一度もねえ、マタギの恥。凡人にはわからない信念、信仰があるようだ。
 翌朝、早く民宿を立ち奥入瀬を遡る。渓流は心身を清めてくれる。これは感覚の世界だ。10kmの道程を感じさせない。自然に抱れると人間は幸福だ。天然の美とはこれだ。
十和田湖に着いたときの爽快さは歩いてみて初めて感じることができる。もっとも車に乗るのがもったいない程の美しさだ。高村光太郎の乙女の像に新子が待っていた。従兄の運転するジープに乗る。

 昨夜民宿の主人が白神に弟がいてまだマタギをやっている行って見るとよいと話してくれた。白神山地は秋田との県境にある。県境は尾根伝いに引かれる。その山道はジープでなければ行けないそうだ。新子が弘前に出た方が良いのではと津軽弁で従兄に話す。弘前以外は坂本にも聞き取れなかった。んだな、と従兄は職人の店に寄る。新子が地下足袋長袖のシャツを買ったほうがいいと説明する。ラッパズボンと従兄が指差す。問題はカルロス地下足袋一番大きなのを履かすが従兄が首を振る。指先を丹念に触ってこれでは足を痛めるという。作業靴を履かせる。大丈夫かと従兄は目でたずねる。カルロスが親指を立てる。陳と坂本の地下足袋を触ってみる。歩いてみれ。でえじょうぶだな。従兄は見かけによらず慎重だ。陳とカルロスが感心する。
 途中で軽油を満タンにして蕎麦を食う。いろんな食べもがあるな日本は、カルロスがめずらしがる。料理の方法も多いのう、なかなかの味だ。なんていったのですか、新子が坂本にきく。へえ、外国は食べ物が少ないのですか。日本と比べるとな。そうなんだ。弘前から西に道を取ってから南下して白神に向かう。大きくUターンした格好だ。清流に沿って車は走る。急に坂がきつくなる。近づいたのだ。あと15分くらいです、新子は勘のいい娘だ。カルロス、陳がうなづく。稲穂がついた棚田を抜けると合掌造りの家に着く。
 ジッちゃん。すんこか、よぐきた。兄貴さ電話あったべ。まさお元気か、ん。うだ。お客さん。まんずまんず、ようこしやった。ジッちゃん弁当。お前たちは。これさ。ほんじゃ、お客さん私たち帰ります。坂本がちょっと、すんこガイド料だと5000円。そんないけません。いいから、内緒だぞ。まさおガソリン代だ。デーゼルだベ。うるさい、運転代だ。そーすか、すいましぇん、いただきます。世話になった。
 
すぐ着替えて地下足袋を履く。工事現場の人間だ。マタギは銃と弁当と身に着けると出かける。バッグは心配ならここさ入れろ、と長持ちに入れる。これは俺しか開けられねえ。カルロスがやってもびくともしない。動かすこともできない。いぐべ。小径を辿って尾根に立つ。あっちさ弘前、こっちさ秋田。小径が途絶えるとマタギ径に押し入る。素人には径と思えない。やがてブナの森にいる。地上2,30mの枝から陽がこぼれている。地下には数mの腐葉土が堆積しているのだろう。静寂の中に風のおと、小動物の気配、別世界だ。
 突然マタギが立ち止まる。熊だ。指差す足跡。でけあなあ。足跡をたどる。あっちさいったべ。森を抜けると清流が現れる。弁当くうべえ。岩に腰を下ろす。マタギは竹を一本切り落とす。鉈の一振り。枝を払って一節切り取る。清流をすくって来る。いだだきます。弁当を広げる。割り箸が4人分入れてある。うまそうだな。さあと手で合図する。坂本がお握りを手で取り卵焼きを箸で取る。陳が続く。カルロスがシシと摘み上げる。んだな、兄貴腕さ衰えてねえな。緑陰の食事は人を変える。こんな美味い食事は初めてだ、カルロスは竹筒の水を飲みながら言った。坂本に意味をきくとマタギが答える。神様は働く者にうまい食べ物下さる。

 食後のタバコを吸っているとマタギの手が銃に伸びる。腰のベルトから弾を取り出して充填する。動くでねえぞ。腰を屈めて岩陰に寄る。熊が坂本たちに向かって走り出す。身体が硬直する。前脚をあげて飛び掛るその瞬間、銃声。それが消え去った時、坂本たちは崩れ落ちた熊を見た。脚を前後に伸ばしたまま動かない。マタギは銃を構えたまま石をぶつけてみろと眼で合図する。坂本が拳のほど石を投げつける。大丈夫だな、マタギはゆっくりと銃をおろす。一瞬出来事であり、また長い時間のことのようにも思われる。安堵の息を吐いた時小熊が2匹撃たれた熊に近づいてきた。あんりゃ、雌だったかや。可哀想なことしたな、もう。厳つい顔に涙を浮かべる。山に向かって祈りを捧げると小熊を両脇に抱き上げる。そうか、腹減っただな。マタギは握り飯を噛んで小熊に与える。
 帰りマタギは口をきかなかった。小熊が後を追う。流れで泣き声を上げる。帰れとマタギが手振りで叫ぶ。母を恋う乳飲み子を振り切れず、抱き上げる。小熊たちはどこまでも付いて来る。家にたどり着くとマタギ仲間が集まっていた。銃声だけでわかるのか。小熊を見て状況をほぼ理解したようだ。お客さん連れていたんだべ。やさしく肩を叩く。うなずくが泣いている。どさ。滝つぼさ手前。雄いるべ。だな。五人がでかけ、二人が乳を探しにゆく。マタギは銃をしまうと部屋に閉じこもった。やがてミルク瓶に乳を入れて二人が帰ってきた。小熊はむしゃぶりつく。こっちさ牛だ。山羊だべ。腹へってたかや。お客さん乳やってけれ、こいつらの家さつくるべ。かって知ったる他人の家か大工道具を表に出す。1mか。いいべ。古材を並べる。鉄筋20cm。んだな。携帯で12本注文する。1mちょい、5時け。頼むわな。4寸の角材12本に鑿で穴をあける。横の棟凸を柱の凹に差し込む。見かねて三人が手伝う。木槌で打ち込む。小熊が坂本たちを追いかける。お前たちの家作ってんだからよ、邪魔すんな。マタギが出てきて小熊を抱き上げる。もうじきでけるからよ。柱と棟の枠が完成した。梁いれるべ。すただけでいいべな。一寸板を三角に切って柱の角部分を切り落とす。四隅にはめ込む。釘は使わないのか、龍次。みたいだな。
 鉄筋が届いた。棟にドリルで20cm間隔に穴をあける。三方に鉄筋を差し込む。後方は板を打ち付ける。これもドリルで穴をあけ木釘を打ち込む。柱の切れ端をロクロのように回転させ蚤をあてると木釘ができる。器用なものだな。陳がつぶやく。どうして金釘を使わないのだ、とカルロスが不思議がる。錆を嫌うのだろう。鉄筋はさびないのか。黒錆が出てるから大丈夫なのだろう。小熊を入れてみる。落ち着かぬ様子でマタギを呼ぶ。どした、気にいらねえか。マタギが中に座る。小熊が膝に上る。
 五人がかりで雄熊を運んできた。木馬に乗せているが身長3m体重200kgはあろう、さすがに息を切らしている。部落の老若男女が集まってくる。山に向かって祈る。熊の解体が始まるのだ。マタギは熊小屋に取って帰る。
 長老らしきが坂本たちに近づいてくる。客人たちは熊を撃つのを見たのか、という意味のことをたずねる。熊以外は聞き取れない。若い娘が標準語でそのときの状況を話して欲しいという。その瞬間は鮮明に覚えている。坂本の話を娘が長老に伝える。かたじけのうござった、と長老は一礼してマタギのところに行く。どうもありがとうございました、と娘も続く。マタギは長老に抱きついている。そのせなを長老が撫でている。あのハンターはどうして自分を責めるのだ、カルロスがたずねる。日本人、とくに彼らは必要以外には生き物を殺さない。マタギは母熊を撃つ以外に方法がなかったかと自分を責めているのだ。撃たなければ俺たちは襲われて死んでいた。それは彼らも同じ考えだ。では、なぜ。母熊と見抜けなかったことがマタギの誇りが許さないのだ。よくわからない。
 その夜は部落全員が熊汁を囲んだ。外国人に接するのは初めてという年寄もいて二人になんやかやとたずねる。坂本は娘の通訳を二人に通訳する。昼の弁当は今までで一番美味かった、とカルロスが身振りで話す。陳と坂本も加わって再現ドラマとなった。母熊、マタギ、小熊の二役だ。陳のマタギ役は大受け。坂本の小熊を見かねて小さな子が二人カルロスの上に乗る。やんやの喝采を浴びる。山の料理はなつかしい味がする。それは人類の記憶かもしれない。日本人の自然に、森に生かされているという哲学は外国人には理解しつらいかも知れないが同じ人類哺乳類として共通の記憶を持っているはずだ。
 
白神から十二湖へ向かう。部落の見送りを受けて軽バンに乗る。娘が送ってくれるのだ。坂本が学生時代五能線に乗って台風に閉じ込められた話をしたのを覚えていたのだ。娘の顔は息を呑むほど美しかった。昨日は熊の襲撃に動揺して気付かなかったか。頬が前に膨らみロシアいや中央アジアのあるいはペルシャの血統を秘めているようだ。日系日本人か。津軽弁は彼らの言語に日本語を取り入れてきたのではないか。坂本に空想が広がる。あれが白神岳と娘が車をとめる。おお、とカルロスが外に出る。神々しい、マタギを真似て合掌する。しばらく白神岳に見とれていた。あの向こうが十二湖です。娘の声に我に返る。渓谷を下り白神ラインに乗る。峠で部落を振り返る。カルロスがデジカメを取り出す。やはり写真を撮っている人にシャッターを切ってもらう。四人で撮ったがカルロスお目当ては娘のアップだ。坂本はツウショットを撮らす。むくれるカルロス。坂本が代わってやる。陳も望む。OK.小熊を撮らなかったな。忘れていた。メールで送りましょうか、娘が言ってくれた。二人は名刺を渡す。坂本もそれにアドレスを書き加える。お弁当食べますか。娘がベンチで広げる。ビールも酒もないがお握りが美味い。山の味だ、カルロスの声が響く。こだまが返って来る。幸せだ、と叫ぶ。こだまも叫ぶ。娘が笑う。いい笑顔だ。んだ、今峠さ、弁当、とお四時だな、そんじゃ、娘が母親と話しているようだ。ここにいると人生観が変わる、陳が太極拳を始めた。それは天地と息を合わせ気を通じているようだ。やがて陳は自然に溶け込みその動きは風景の一部となる。
 娘の家は昔風の宿だ。ようお越し下されました、母親が迎える。コンニチワ、女将、カルロスが手を握る。あんれまあ、母親も笑いながら握り締める。娘の案内で十二湖を回る。坂本に遠い昔が呼び戻される。青池の青さに陳が動かない。なんと美しい青だ、青の中の青と絶賛する。カルロスが陳を写す。動画も撮っているようだ。すると日本人の女がカルロスと一緒に写真を撮ってくれという。この場にふさわしくないが断るのも女の旅情を壊すだろうと坂本はシャッターを切る。女はカルロスのメードアドレスを控えて送るからと言った。この女が物議を起こすとは思わなかった。
 宿のもてなしは心がこもっていてゆっくり寛げる。湯上りに囲炉裏で食事。二人はすっかり気に入ったようだ。ここも日本なのだな、カルロスがしみじみともらす。本当だな、俺もそう思う、陳がうなずく。泊り客が一家族いて囲炉裏に加わる。熊の襲撃の話にもっと詳しくとせがむ。私たち今浅草だけど親父の里がここなんだ、親父は熊の話しなかったなあ。ドラマの再現といくか。熊役もマタギ役も演技力が上がっていた。興行成功。拍手喝采。無口な娘の父親も白い歯を見せた。
 十二湖駅で娘がいつまでも見送ってくれた。またの逢う日を眼と眼で近い、青い海原五能線。宿代一人八千円、三万払う。娘に小熊にと三万渡す。そんなあ。俺たち三人も小熊が可哀想なんだ、俺たちの気持マタギに伝えてくれ。わかりまsた。娘が津軽弁で答えた。また来るべえ、いいsな、と坂本が娘の手を握る。待ってまs、と笑う。

次回 柳語る大化の改新


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